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【第二章】この世の果て

11.温かな時間

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「リアン。そんなに急いで、どうしたのお?」
「お父様。帰ったら話を聞くので。
今は急いでます」

リアンは、靴を履くために一度手元に置いた納品物と挨拶を忘れ、
冥府へ行ってしまった。
とても珍しいことだった。

「セリスさん。忘れ物、某が持っていこうと思うんだけど。
いいかなあ」

質問のように言ったつもりだが、
内心は反対されても行く気でいる。
以前から思っていたが、
なかなか実行に移す機会に恵まれなかったこと。
今は、最初で最後かもしれない機会だと思った。

「いい、とは言いにくいです…。
どうしても、行きたい理由があるんですか?」

某は神様らしいので、それが現れたら当然驚くだろう。
しかし、今日だけは譲れない。
リアンが楽しく過ごす世界が、どうしても見たかった。
水鏡からではない、自分の五感で確かめたい。

ニコルさんの家名を名乗るようになってからのリアンは、
ここへ戻ることがほぼなくなった。
その姿を水鏡で見ながら、再び一人の時間を味わっていた。
寂しい気持ちを誤魔化すために、空間に新しく土を創り、
植物を生やして、家を建ててみた。
色々と充実してきて、
創ったものから新しく生まれるものに心が満たされていく気がした。
そうこうしていると、家の周りには花壇や畑、
それを目当てに来る鳥たちが集まる賑やかな場所となっていた。
リアンが器の寿命を終えて戻ってきたのは、そういう時だった。

「ただい…お父様、これは?」
「おかえりい。リアンを見て、真似てみたよお」

すると、なぜか泣きそうな顔をしたリアンが駆け寄ってくる。

「そう、だよな…しばらく帰ってなかったし。
これからは、ここにいる時間が長くなるから。
また、一緒にいれるよ」



あの言葉は、今でも覚えている。
創ってよかったと、自分勝手な思いは健在だ。
せめて、リアンが幸せであればいいと願っている。
セリスさんが亡くなったとき、リアンは冥府へ行った。
そのまま、二人で冥府に住むと思っていた。
しかし、セリスさんから空間に住むことを許してほしいとお願いされた。
自分の前だけは、できるだけ『お義父様』と呼ぶことを条件に許した。
三人生活に慣れた頃。
つかの間の偶然でセリスさんと二人きりになったとき、
その理由を聞いたことがある。
リアンの命を、再び乱世に戻したくない…と言っていた。
冥府は現世よりマシだが、本質はあまり変わらないらしい。
今も、冥府へ行きたいという某を、心配そうに見ている。

「一度でいいから、この目で見たい。
リアンやセリスさんがいた場所に似た冥府を。
ニコルさんにもご挨拶、したいからね」

「…わかりました。
どうしても、と言うなら巫女として同行します。
私も、お姉様に会いたいです」

反対されると思っていたが、
あっさり承諾されたことに驚いた。

「ありがとう。では、行こう。
うっかり忘れものをしてくれたリアンに感謝しないと、ねえ?」

そう言うと、セリスさんは一瞬だけ目を丸く瞬かせた後、
少しだけ苦さのある笑みを浮かべていた。


リアンの魔力をたどり、そこへ向かう。
着いた瞬間に見たのは、真剣で楽しそうに手合わせをするリアンだった。
相手は、見たことだけなら多いニコルさん。
しばらく黙って眺めていると、決着がついたらしい二人が、
こちらへ歩いてくる。


「ニコル、少し待って・・・お父様。どうして、ここに?」
「これ。届けようと思ってね」

ニコルさんに渡す『魔法石』の入った袋を両手で渡した。
リアンが冥府へ出入りするようになってから、
少し経った頃のことだ。
ニコルさんが魔法で便利な道具を作るための一部に、
試しで…がきっかけ。
『魔法石』に魔法士が魔力を込めると、
暖かくなったり冷たくなる…らしい。

「あ。忘れてた…ありがとうございます。
ニコル、せっかくだから紹介するね。
お父様のヴァーレン。
前にも話したけど、『魔法石』を作る手伝いをしてもらってる」

すると、リアンに言われて黙っていたニコルさんが口を開いた。

「ニコル・レネアスと申します。
リアンさんには、生前からとてもお世話になっています。
『魔法石』のこと、ご協力に感謝いたします。
これのおかげで、
たくさんの冥府に住む人が穏やかに暮らせるようになりました」

生前が貴族らしい綺麗な礼を見せるニコルさん。
今も冥府で大切な仕事をしていることは、
リアンから聞いていた。
某も無償でてつだっているわけではない。
穏やかな世界を作るため、穏やかな人間を育てる。
その方法の一つが、冥府での穏やかな生活を支援すること。
学び舎もあると聞いてからは、
そちらへもリアンにお願いして行動してもらっている。
転生する前の魂から穏やかであるように…という試み。

「ヴァーレンと申します。
こちらこそ、リアンがとてもお世話になっています。
ニコルさんのおかげで、リアンはいつも楽しそうなので、
親としては嬉しい限りです。
冥府の方の生活がより穏やかになるよう、
今後もできることはさせていただきたいですね」

「ありがとうございます。ヴァーレンさん。
これからも、よろしくお願いします」

ふと、ニコルさんがこちらへ手を差し出してきた。
見たことがある。リアンが他の人間としていた『握手』だろう。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

初めてする『握手』は、とても温かいものだった。

「お義父様。そろそろ戻らないと…」

セリスが控えめに後ろからそう言った瞬間、
わずかだが雷の音が聞こえた。
長居をしてしまったらしい。
だんだんと、イカヅチの気配が近づいてくる。

「リアン、そろそろもど…「ヴァーレン!なにやってるんですか」

遅かった。その雷は驚きすぎて、
その身を隠すことなく雷をパチパチと纏いながら空に浮かんでいる。

「え?伝説の雷神イカヅチ様?」

ニコルさんは、体が固まったままイカヅチをみている。
そして、ゆっくりと某をみた。
某も、その青い顔と焦る瞳をみた。
もう、さっきのように、
リアンと同じには話してくれないだろうと思うと寂しいが仕方ない。
諦めよう。もう、来ることもないだろうから。

「ヴァーレン、様、というのは。まさか」

予想通り、格式ばった敬称がついた。
一度だけだが、リアンの友人に『さん付け』で呼ばれた。
その嬉しさは、永遠の宝にしようと思う。

「そうだよ。全知の神って呼んでるよね。
でも、話して分かっただろうけど。
感情がある人間と同じで。
だから、できるだけでいいから。難しいだろうけど。
直接会った時は、さっきと同じように、これからも接してくれないか?」

静かに話すリアンは、ニコルさんに願った。
某が諦めていたものを、途切れないようにしてくれた。
だから、ここは『神様』の特権を使おうと思う。

「リアンの言う通りです。
会った時だけは、『さん付け』で呼んでください。
リアンの親としてここにきますから」

「は、はい。仰せの通りにします」
「ニコル…」

リアンが改めるよう、ニコルの目をじっと見て伝えているらしい。

「…はい。そうさせていだたきます。ヴァーレン、さん」

和やかな空気が漂い始めたとき、後ろからコホンと音がした。

「あのーですね。お話し中、失礼します。
お義父様。私、お姉様に会いたいです。
ニコル様、お久しぶりです。エリナお姉様は今いますか?」

「セリス様。お久しぶりです。
いますよ。今、呼びます」

間もなくやってきたセリスさんのお姉様。
こちらにつく前に駆けだし駆け、
二人は長く久しぶりの再会に手を取り合って笑っていた。

「ヴァーレン、先に帰ろう。
家族水入らず…って人間の文化を忘れたか?」

耳元の近くで、有無を言わさない小さな声のイカヅチにうなずき、
気づかれないよう空間へ戻った。
水鏡から見る景色は、なぜか、いつもより温かく感じた。


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