暗幕の向こう側

秋赤音

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欠片

1.ずっと傍にいます。

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無機質な風景に、規則正しい無機質な音だけがする部屋。
証明の明るさとは正反対の哀愁を漂わせる男性と女性は、
電子音と共に画面に表示された『完了』に息を吐いた。
そして、ベッドに横たわる体を見る女性を男性が抱き寄せた。

「初めての子育てね」

「そうだな」

振り絞ったようなかすれ声は、起動を促す電子音に紛れて消えた。



始まりは、終わりの知らせからだった。

「半年です」

余命宣告された彼女は墓を望まず、
自分の記憶をデータにすることを望んだ。
彼と共に命を終えるために。
用意したのは外見を似せた人型ロボット。

「雅哉さんと同じ棺で眠らせてね」

「わかった」

人間のように火葬ができる体にデータを移し、試運転も成功。
二人と暮らすうち、
女性の記憶の真似をするだけの人形に少しずつ人らしさが現れた。
記憶データと記録装置からの映像により学習は進み、
本人と見間違うほどに仕草まで似てくる。
明確な違いは、声帯に似た部位から発する音だけ。

充電のために眠った人形を見守るのは、月明かりだけ。
二人は眠れないまま、部屋にあるベッドでくつろいでいる。

「今日のデータも渡せたね」

「そうだな」

「明日は、お祝いをしてね」

柔らかな笑みを浮かべる女性は男性を見つめる。

「そうだな。鈴梛。何が食べたい?」

「え?そうね…いつもの食事かな。
雅哉とレナと一緒に過ごせる時間が贈り物だから」

「わかった。
鈴梛に、鈴梛にとっての最高の贈り物をする」

男性の言葉に女性は瞳を潤ませた。
柔らかく儚い笑みで瞬きをするとおちた雫は頬を伝う。

「雅哉。ありが」

「だから、たまには思ったことを言ってほしい。
今はレナも寝ているから」

男性の腕に包まれる女性は、片方の細い指先を男性の背にそえる。

「…ぃ。一緒に、いたい。私が、雅哉と」

「うん」

「どうして。何も、普通に暮らしていただけなのに」

「そうだな」

女性は男性を強く抱きしめる。
そして、男性を見上げてその頬へ手をそえる。

「雅哉。死ぬときは一緒よね?」

「死ぬときは一緒だ。鈴梛に、約束する」

二人はどちらともなく頬を寄せ、唇を重ねた。
触れるだけで離れるが、男性が女性の背をゆっくりとベッドへ傾ける。

「するの?」

「避妊はする」

「なら、いいかな」

儚い笑みに何かを堪える男性の表情は歪んでいる。
その頬に伝う一筋の雫を女性がなめる。

「あ…」

「意外と塩っぽくないね」

「鈴梛の食事は美味しくて、ちょうどいい、からな。
いつもありがとう」

「どういたしまして?」

笑い合う二人はそっと身を寄せる。
女性を抱きしめる男性と、
宥めるように男性の背をゆっくりと撫でる女性。
静かな空間に響くのは布がわずかに擦れる音だけ。
女性の瞳が再び潤み、嗚咽を堪えるように小さく息を詰める。

「鈴梛。愛している」

「私も。雅哉、愛してる」

重なった唇は甘さを分かち合う。
涙も、呻きも、嘆きすらも、しだいに深まる触れ合いに溶けていった。



しばらくは三人の暮らしが続くが、
予定よりも60日長く時間を過ごして彼女は灰になった。


「雅哉」

「鈴梛」

男性は、隣で静かに立っている女性を見る。
亡き女性が唯一残した遺産の人形。
どこか無機質さのある声がした瞬間、表情を歪めたまま笑みを浮かべた。

「雅哉?」

「レナ。今日の夕食は?」

「今日は、雅哉が好きな料理にしたのよ」

記憶データと学習の通りに動く人形は、男性に微笑みを向ける。
遺骨を抱えた男性に寄り添う女性。
夕暮れに揺れる三つの影は、星が瞬き始めると消えた。

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