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結
第二十九話 願いを繋ぐメッセージ
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暖炉の中で薪が燃える音と、少し大きめの雨粒が窓に当たって落ちる音。
二つはどことなく似ている。
ロッキングチェアに座ってゆらゆら揺れていると、そんなどうでもいいことがぼんやりと思い浮かぶ。
『オーリィードが良い』
命を懸けて愛した人。
命を懸けて愛してくれた人。
彼の最後の笑顔は、産まれて数週間の赤ん坊と一緒にあった。
『オーリィードにしよう。きっと、君によく似た素敵な女性に育つ』
暖炉の炎を背負って微笑んでいた彼。
雨風にも負けない大きな泣き声を響かせながら、彼の腕に抱かれていた女の子。
涙を流していた彼は、知っていた。
咽び泣いていた自分も、解っていた。
オーリィードと名付けられた赤ん坊は……分からないけれど。
三人が揃って過ごす時間は、これが最後になるだろうと。
山奥に放置されていた、今にも崩れ落ちそうな古い家で。
嵐が去ったら。
雨が上がったら。
三人は同じ場所に居られなくなるのだろうと、悟っていた。
『君と同じ、とても綺麗な女性になるよ』
囲まれていた。
空を引き裂く稲妻と、背が高い草木を激しく揺さぶる強風と、大地を押し流さんとする豪雨に。
その中で息を潜める軍隊に。
どこまでもどこまでも追いかけてくる、自分達を心の底から毛嫌いしていたくせにどこへ逃げても絡み付く、まるで『死』を形にしたような男の影に。
『君と同じ、笑顔がとてもよく似合う、美しい女性になる』
だから、見守ってあげてくれと。
これから先も、ずっとずっと見守ってあげてくれと。
彼にはできない分、自分に見守って欲しいと。
そう、言われている、気がした。
…………どうか、生きてくれ、と。
嵐が勢いを増せば良いと願った。
雨が止まなければ良いと願った。
風が吹き続ければ良いと願った。
陽光など射さなければ良かったのに。
薪が燃え続けていれば良かったのに。
嵐は止んで。
雨は止んで。
風は止んで。
薪は燃え尽きて、朝が来た。
けたたましい騒音。
鳴り響く剣戟の音。
彼の最後の叫び声。
目の前で散った、鮮赤の花。
耳を裂くオーリィードの泣き声。
『……あい、して……る……』
ロゼリーヌ、シウラ、オーリィード。
音にならなかった。
聴こえなかった。
それでも、唇が確かに呼んでいた。
彼が愛した。
彼を愛した。
彼の家族の、名前。
自分の、家族の、名前。
『……殺してやる……』
『いつか、必ず……お前を殺してやる……ッ!』
『今後一切、お前に安息の瞬間があると思うな!』
『お前はわたくしがこの手で必ず殺してやる!!』
『己が名を呪え! それはわたくしが全てを懸けて滅ぼす者の証だ!!』
『絶対に! 何があろうと! 死してなお癒されぬ残酷な苦痛を思い知らせてやる!!』
『業火に焼かれて踊り狂え! 泥水に息を奪われてもがき苦しめ! 降る刃に、突き上がる槍に、その身を千々と裂かれて血を吐きながら、この世に生まれた罪を悔いて彼に詫びろ! ゼルエス・ミフティアル・ウェラントぉおお!!』
彼の遺体の行き先を、自分は知らなかった。
ゼルエスに奪い取られたオーリィードの行き先だけは聞いていた。
オーリィードにシュバイツァーの家名を継がせたことも、国王の訪れが無い薔薇の宮で、使用人の一人に聞かされた。
自分が襲名する前に両親が亡くなり、シュバイツァー家の当主は不在のまま。
シュバイツァー家の存続にはフリューゲルヘイゲンの同意と認証が必要であるにも拘わらず、ゼルエスは無断でオーリィードに家名を継がせた。
継がせて、宮殿に閉じ込めた。
王女でもなく愛妾でもない、シュバイツァー家の娘を。
そして……リブロムの影武者に首を落とされるまで、その首を遠くに眺めるまで、ゼルエスと自分が顔を合わせる機会は、二度と無かった。
薪が爆ぜる音。
最後の夜を記憶に誘う、悲しくも愛おしい音。
けれど今、窓を打つ雨や風は無い。
開いた目に飛び込む陽光。
思っていたより眩しくて、眉間にグッとシワが寄る。
「……『グローリア』」
リブロムに与えられたという紐、『グローリア=ヘンリー』。
バスティーツ大陸南東部周辺に残る古語で、『グローリア』は『光』、『栄光』、『導き』を示す。
自分と彼には届かなかった、希望の光。
「ダンデリオン……」
懐かしい学友であり、親友。
姉同然に慕ってくれていた、当代フリューゲルヘイゲンの王。
「貴方ほどの智者が、無意味な事をする訳がありませんわね」
『グローリア=ヘンリー』には、必ず何かしらの意味がある。
ダンデリオンの関係者が意味を残していったのなら、それはあえて意味を残していく必要があったと同義。
リブロムが『グローリア=ヘンリー』を信じた結果にこそ、必要性の理由がある。
つまり……
「『動くな』と。そう言いたいのかしら、貴方達は」
『グローリア=ヘンリー』を信じたリブロムは、フリューゲルヘイゲンの動向に期待して様子見に走る。下手に動けば、フリューゲルヘイゲンの邪魔になるから。
実際、リブロムは待っていた。
フリューゲルヘイゲンが動きを見せてくれると期待して、ダンデリオンの答えを待ち続けていた。
『グローリア=ヘンリー』を信じるなら、リブロムはダンデリオンの出方を見てからでなければ動けない。
そんな状況下でダンデリオンが動かないのなら、それは即ち、リブロムにも動くなということ。
少なくとも、フリューゲルヘイゲンに変化が見られない今は、動く時ではないということ。
「……わたくしに、止められるかしらね」
フリューゲルヘイゲンへの期待を失ったリブロムの次の一手は、矛先の転換と切り札の継承。
標的は……ミウル・ウェリア・ヒューマー。
王妃サーラでもなく愛妾シウラでもない、婚約者がいるメイドのミウルにリブロムの子を無理矢理孕ませれば、『心優しい隣国の王』の印象は覆せる。
ミウルを傷付け苦しませるほどにリブロムは『侵略者』へ立ち返り、ウェラントの次は我が国かと、近隣諸国の間に緊張感を走らせるだろう。
そうしなければ、中央大陸での悲劇をくり返してしまうから。
十代の子供が体験した悪夢をバスティーツ大陸にまで持ち込ませない為に、リブロムは得体の知れない侵略者であり続けなければならない。
その覚悟を、自分に止められるだろうか。
リブロムの悲嘆や孤独や絶望を理解できるとは思わない。
娘達にしても、既に親の先導が必要な年頃ではないし、今更自分にできることなど微々たるもの。助力はしても、基本的には各自の判断と決断に任せるつもりでいた。
けれど、ゼルエスと同じ選択はしたくないと抗い続けていたリブロムを、ゼルエスと同じ道に黙って送り出すのは、あまり気分が良い話ではない。
なにより、自分とそっくりな雰囲気の娘が見せていた目。
虚無が宿る眼差しを見て、薔薇の宮に封じられた時の自分の影が重なってしまった。
「あんな目をするわたくし達を、貴方は愛してくれないわよね? オースティン……」
打てる手は少ない。
だからと言って、何もできない訳ではない。
ならばせめて、己が最善と信じる選択を。
ショールとグローブを床に放り投げて立ち上がり、衣装部屋へ移動して黒いロングドレスを脱ぐ。
伸ばしたままの髪を後頭部で一つにまとめて黒いリボンで括り、動きやすいミモレ丈のシンプルなドレスに着替える。藤色のドレスに合わせた同色のパンプスを履き、使う機会が無かった短剣を携えて、薔薇の宮を出た。
何年かぶりに素手で感じる外気と熱は、程好く乾いて柔らかく、ひんやりとして心地好い。
「お前に願われるまでもない。死の果てから驚嘆と共に観劇していれば良いわ、ゼルエス」
花は常に誇り高く、自由に。
愛空の下で気高く舞う。
二つはどことなく似ている。
ロッキングチェアに座ってゆらゆら揺れていると、そんなどうでもいいことがぼんやりと思い浮かぶ。
『オーリィードが良い』
命を懸けて愛した人。
命を懸けて愛してくれた人。
彼の最後の笑顔は、産まれて数週間の赤ん坊と一緒にあった。
『オーリィードにしよう。きっと、君によく似た素敵な女性に育つ』
暖炉の炎を背負って微笑んでいた彼。
雨風にも負けない大きな泣き声を響かせながら、彼の腕に抱かれていた女の子。
涙を流していた彼は、知っていた。
咽び泣いていた自分も、解っていた。
オーリィードと名付けられた赤ん坊は……分からないけれど。
三人が揃って過ごす時間は、これが最後になるだろうと。
山奥に放置されていた、今にも崩れ落ちそうな古い家で。
嵐が去ったら。
雨が上がったら。
三人は同じ場所に居られなくなるのだろうと、悟っていた。
『君と同じ、とても綺麗な女性になるよ』
囲まれていた。
空を引き裂く稲妻と、背が高い草木を激しく揺さぶる強風と、大地を押し流さんとする豪雨に。
その中で息を潜める軍隊に。
どこまでもどこまでも追いかけてくる、自分達を心の底から毛嫌いしていたくせにどこへ逃げても絡み付く、まるで『死』を形にしたような男の影に。
『君と同じ、笑顔がとてもよく似合う、美しい女性になる』
だから、見守ってあげてくれと。
これから先も、ずっとずっと見守ってあげてくれと。
彼にはできない分、自分に見守って欲しいと。
そう、言われている、気がした。
…………どうか、生きてくれ、と。
嵐が勢いを増せば良いと願った。
雨が止まなければ良いと願った。
風が吹き続ければ良いと願った。
陽光など射さなければ良かったのに。
薪が燃え続けていれば良かったのに。
嵐は止んで。
雨は止んで。
風は止んで。
薪は燃え尽きて、朝が来た。
けたたましい騒音。
鳴り響く剣戟の音。
彼の最後の叫び声。
目の前で散った、鮮赤の花。
耳を裂くオーリィードの泣き声。
『……あい、して……る……』
ロゼリーヌ、シウラ、オーリィード。
音にならなかった。
聴こえなかった。
それでも、唇が確かに呼んでいた。
彼が愛した。
彼を愛した。
彼の家族の、名前。
自分の、家族の、名前。
『……殺してやる……』
『いつか、必ず……お前を殺してやる……ッ!』
『今後一切、お前に安息の瞬間があると思うな!』
『お前はわたくしがこの手で必ず殺してやる!!』
『己が名を呪え! それはわたくしが全てを懸けて滅ぼす者の証だ!!』
『絶対に! 何があろうと! 死してなお癒されぬ残酷な苦痛を思い知らせてやる!!』
『業火に焼かれて踊り狂え! 泥水に息を奪われてもがき苦しめ! 降る刃に、突き上がる槍に、その身を千々と裂かれて血を吐きながら、この世に生まれた罪を悔いて彼に詫びろ! ゼルエス・ミフティアル・ウェラントぉおお!!』
彼の遺体の行き先を、自分は知らなかった。
ゼルエスに奪い取られたオーリィードの行き先だけは聞いていた。
オーリィードにシュバイツァーの家名を継がせたことも、国王の訪れが無い薔薇の宮で、使用人の一人に聞かされた。
自分が襲名する前に両親が亡くなり、シュバイツァー家の当主は不在のまま。
シュバイツァー家の存続にはフリューゲルヘイゲンの同意と認証が必要であるにも拘わらず、ゼルエスは無断でオーリィードに家名を継がせた。
継がせて、宮殿に閉じ込めた。
王女でもなく愛妾でもない、シュバイツァー家の娘を。
そして……リブロムの影武者に首を落とされるまで、その首を遠くに眺めるまで、ゼルエスと自分が顔を合わせる機会は、二度と無かった。
薪が爆ぜる音。
最後の夜を記憶に誘う、悲しくも愛おしい音。
けれど今、窓を打つ雨や風は無い。
開いた目に飛び込む陽光。
思っていたより眩しくて、眉間にグッとシワが寄る。
「……『グローリア』」
リブロムに与えられたという紐、『グローリア=ヘンリー』。
バスティーツ大陸南東部周辺に残る古語で、『グローリア』は『光』、『栄光』、『導き』を示す。
自分と彼には届かなかった、希望の光。
「ダンデリオン……」
懐かしい学友であり、親友。
姉同然に慕ってくれていた、当代フリューゲルヘイゲンの王。
「貴方ほどの智者が、無意味な事をする訳がありませんわね」
『グローリア=ヘンリー』には、必ず何かしらの意味がある。
ダンデリオンの関係者が意味を残していったのなら、それはあえて意味を残していく必要があったと同義。
リブロムが『グローリア=ヘンリー』を信じた結果にこそ、必要性の理由がある。
つまり……
「『動くな』と。そう言いたいのかしら、貴方達は」
『グローリア=ヘンリー』を信じたリブロムは、フリューゲルヘイゲンの動向に期待して様子見に走る。下手に動けば、フリューゲルヘイゲンの邪魔になるから。
実際、リブロムは待っていた。
フリューゲルヘイゲンが動きを見せてくれると期待して、ダンデリオンの答えを待ち続けていた。
『グローリア=ヘンリー』を信じるなら、リブロムはダンデリオンの出方を見てからでなければ動けない。
そんな状況下でダンデリオンが動かないのなら、それは即ち、リブロムにも動くなということ。
少なくとも、フリューゲルヘイゲンに変化が見られない今は、動く時ではないということ。
「……わたくしに、止められるかしらね」
フリューゲルヘイゲンへの期待を失ったリブロムの次の一手は、矛先の転換と切り札の継承。
標的は……ミウル・ウェリア・ヒューマー。
王妃サーラでもなく愛妾シウラでもない、婚約者がいるメイドのミウルにリブロムの子を無理矢理孕ませれば、『心優しい隣国の王』の印象は覆せる。
ミウルを傷付け苦しませるほどにリブロムは『侵略者』へ立ち返り、ウェラントの次は我が国かと、近隣諸国の間に緊張感を走らせるだろう。
そうしなければ、中央大陸での悲劇をくり返してしまうから。
十代の子供が体験した悪夢をバスティーツ大陸にまで持ち込ませない為に、リブロムは得体の知れない侵略者であり続けなければならない。
その覚悟を、自分に止められるだろうか。
リブロムの悲嘆や孤独や絶望を理解できるとは思わない。
娘達にしても、既に親の先導が必要な年頃ではないし、今更自分にできることなど微々たるもの。助力はしても、基本的には各自の判断と決断に任せるつもりでいた。
けれど、ゼルエスと同じ選択はしたくないと抗い続けていたリブロムを、ゼルエスと同じ道に黙って送り出すのは、あまり気分が良い話ではない。
なにより、自分とそっくりな雰囲気の娘が見せていた目。
虚無が宿る眼差しを見て、薔薇の宮に封じられた時の自分の影が重なってしまった。
「あんな目をするわたくし達を、貴方は愛してくれないわよね? オースティン……」
打てる手は少ない。
だからと言って、何もできない訳ではない。
ならばせめて、己が最善と信じる選択を。
ショールとグローブを床に放り投げて立ち上がり、衣装部屋へ移動して黒いロングドレスを脱ぐ。
伸ばしたままの髪を後頭部で一つにまとめて黒いリボンで括り、動きやすいミモレ丈のシンプルなドレスに着替える。藤色のドレスに合わせた同色のパンプスを履き、使う機会が無かった短剣を携えて、薔薇の宮を出た。
何年かぶりに素手で感じる外気と熱は、程好く乾いて柔らかく、ひんやりとして心地好い。
「お前に願われるまでもない。死の果てから驚嘆と共に観劇していれば良いわ、ゼルエス」
花は常に誇り高く、自由に。
愛空の下で気高く舞う。
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