[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

レクセルの思慕 Ⅰ

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 無駄だ。
 過去は変えようがないし、過ぎた事を悔やんでも取り戻せるものなんか何も無い。
 無意味なんだ。
 そう、頭では解っている。
 けれど、ふとした瞬間にどうしても考えてしまう。
 もしもあの時、私が大使館へ行こうなどと提案しなければ。
 もしもあの時、知り合いの貴族を頼ろうなどと言わなければ。
 もしもあの時、言葉を濁してうつむいた彼女と向き合えていたら。
 もしもあの時、兄上の制止に従って大人しく立ち止まっていたら。
 もしもあの時、無理矢理にでも彼女を止めて抜け道を引き返していたら。
 彼女は、今でもオーリィードのままでいられたのだろうか。
 私が知っている、私を救ってくれた、どこまでも不器用で臆病で強がりな、それでいて優しく気高い、あのオーリィードのままで……。


 カラカラカラと軽快な音を連れて石畳の上を走っていた四頭立ての胴長な駅馬車が、終点となる小さな町の駅舎の手前でゆっくりと停止した。
 御者の合図を受けた八人ほどの乗客達が、馬に近いほうから順に一人ずつ降車して御者の男性に運賃を支払い、屋根上の荷物置き場に居る『フィッツァー荷物を守る番人』から各自の荷物を受け取って離れていく。
 車内最奥の座席に座っていた私とオーリィードは、一番最後に降り立った。
「ありがとうございました」
「まいど~……って、お客さん! 荷もっ……、ああ……そういや、あんた達は何も持ってなかったんだっけか」
 荷物の確認もせず立ち去ろうとした私達に慌てた御者が、振り返った私の立ち姿を二度見して、納得したように後頭部を掻きながら息を吐く。
 私も、ふっ……と軽く息を吐いて微笑んだ。
「はい。旅用の荷物なんて、私達には
 目的が目的なだけに、荷物そのものが不要なのだけど。
「まあ、その……なんだ。このウィルマリアはこれといった特産品も無い地味で小さな町だが、王都よりは自然豊かで水も土も綺麗だし、そんだけ飯も酒も旨い。たっぷり食わせてのんびり休ませてやりゃあ、お嬢さんもいずれは元気になるだろうさ」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます」
「あんたも、あんまり思い詰めんなよ! あんたが無理して潰れちまったら、元も子も無いんだからな!」
 ひらひらと手を振って見送る気立てが良い御者に頭を下げ、足先をひるがえした。
 『王都でとても嫌な思いをして心を閉ざした』オーリィードは、今でも私に抱えられたまま、無言でペンダントを握り締めている。サーラ王女がオーリィードに向けて放り投げた、鈴蘭の形を彫り上げた木製のペンダントを。
 ぼおっとした様子で半分閉じた目蓋の奥には、朱金色に輝く眩しい斜陽すらも入り込む余地が無い。
「……いっそ私も潰れてしまえば、見た目にも説得力が出て、拾われやすくなるかも知れませんね」
 一瞬、それも悪くないと思ってしまった。
 この先もオーリィードと一緒に居られるなら、他はどうなっても構わないと。
 けれど、すぐに思い直して頭を振る。
 私が潰れていようがいまいが、ここまで来てしまえば目的は達成したも同然だ。私達の役目はひとまず『標的』と一定期間行動を共にする事であって、『標的』の性格上、私の容姿を見かければどんな状況であっても手を差し延べてくれるだろうから。
 しかし、だからと言って自分から気力を捨てるのは違う。
 そんなのは、私自身の気持ちを楽にしたいだけの最低最悪な現実逃避だ。
 オーリィードの現状から目を逸らしたいだけの、身勝手で卑怯な現実逃避。
 そんな事をすれば、私はともかく抜け殻状態のオーリィードがどんな目に遭うか、改めて考えるまでもない場所に来たというのに。
「本当に……どうしようもない……」
 愚かな私自身に苦笑い、涙も生気も尽き果ててしまった虚ろな彼女の身体をもう一度抱え直し、陽光が沈む先へ向かって歩き出す。

 宮殿でサーラ王女と別れ、王都の下町を出た後。
 通常の馬車移動なら一日あれば済む程度の距離を、徒歩と駅馬車の乗り継ぎで三日も掛けて進んできた。
 兄上の追跡をかわす為に極力遠回りしながら辿り着いたここは、現ベルゼーラ王太后『マッケンティア・ドルトリージュ・バロックス』が身を寄せているウェラント国内のとある孤児院……に、最も近い町・ウィルマリア。
 ヘンリー卿の情報によれば、時折護衛らしき数人の男性を連れたマッケンティア后が、この町で購入した薪や食料などを孤児院まで持ち運んでいるらしい。
 パッと見、二階建ての木造住宅が密集する小さな町ながら、人出の多さは王都の下町以上。
 街灯の下を馬車が行き交う大通りや、噴水が涼を演出するそこそこ大きな公園まで備わっている辺り、財政や治安は問題無さそうに思える。
 しかし、光が照らす大通りの裏には影で埋もれた小道が何本もあり、うごめく気配は決して穏やかなものではない。
 表通りの和やかな空気を殺気立った目で睨み付けている彼らが私の視界の端を掠める度、王都で聴いたヘンリー卿の言葉が脳裏に浮かぶ。

『現在のウェラント国民の感情は、世界中のどの国よりも複雑化しているんだよ。なにせ、前国王の代から本の影響を受けていながらも、いち早く異変に気付いたゼルエスの凶行や唐突なベルゼーラの侵攻でギリギリ護られていたのに、リブロムの国法を堅持する姿勢や王女救済の噂が、貧富問わず国内全体に安心感を与えてしまったからね。加えて、この東大陸への侵攻を企む犯罪組織が放った斥候もそれなりの人数が潜伏しているから、国全体が自滅への下り坂に足裏を乗せかけているような状況だ。せきを切る一歩手前だと言ったほうが理解しやすいかな』

 影に潜むあの気配は、世界中の反社会勢力が作り出した悪意の集合体か。
 それとも、オーリィードと同じゼルエス王の悪政が生み出した犠牲者か。
 あるいは、マッケンティア后が自覚も無く蒔いてしまった惨事の種子か。
 なんにせよ、今は彼らを警戒しつつ、彼らに紛れ込むしかない。
 私達は『』なのだから。

「悪夢が覚めたら、一緒に畑でも耕してみましょう。今度は焦げる心配が無い料理をお教えします。盛り付けるだけのサラダや、軽く湯通しするだけの茹で物なら、そうそう失敗しない筈です。穫れたての野菜はきっと美味しいでしょうね。それまでは、私が貴女を護ります。もう……絶対に、誰にも傷付けさせません」
 オーリィードの身体をきつく抱き締め、自分に向けた言葉で決意を固める。
 もっとも、オーリィードがそれを望んでいるかどうかは、分からないけれど。

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