[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

影なる者達の務め Ⅰ

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 忘れられない顔がある。

「教えてくれ、グリューエル」

 同じ親から産まれ、違う環境で育った実の妹。
 ハインリヒ一族が受け継ぐ賢知の才を正しく持ち合わせ、シュバイツェル王家が受け継いできた武勇の才をもその身に取り込んでいる、フリューゲルヘイゲン王国・当代の『影の鷲』。
 正統なる国王の影武者にして、影武者の真実を知る高位権力者達から国王と同等の地位と権力を与えられている『もう一人の国王』。
 彼女が私に見せた、刹那の顔。

「お前。知っていて、理解した上で、『私達』に読ませようとしていたのか。自力で気付くかどうか試す意味も込めて、『私達』に対処させるつもりで」

 肩を震わせながらうつむく妹の、疑問形ではない問い。
 空気を凍らせるほどに冷たい声が放つ、確認でしかない問いかけ。
 頷かれると分かっていて投げかけた問いに、どんな意味があったのか。

「……存外、時間が掛かりましたね。『ダンデリオン陛下』」

 跳ね上げた顔。
 それだけで私の首を斬り落とせそうな、鋭い視線の刃。
 私が知る限り、生まれて初めて表に出した、彼女の本性の片鱗。
 ほんの一瞬にも満たない刹那に見せた、鮮やかで強烈な、いっそ美しいとも思える憤怒と憎悪と、明確な殺意。

「よく……報せようと、してくれた。ご苦労だった。これからも我らが国に尽くせ、騎士・グリューエル」

 血が滲むまで強く握り締めた拳と、砕けそうになるまで噛み締めた歯と、それらに気付かれまいと素早く被り直した平常心の仮面の奥に隠された激情を。
 フリューゲルヘイゲン王国最強とささやかれている私が、生まれて初めて感じた絶対的な死への恐怖を。

「『二頭の鷲』が示すままに」

 何年経っても、忘れられない。



 ウェラント王国の首都内、フリューゲルヘイゲンの大使館、裏口。
 一人分の幅の門扉を開いてカンテラを目線より少し上に掲げ、樹木が立ち並ぶ水路沿いの小道を注意深く見渡す。
 灯火と月明かりが照らす場所に通行人の姿は無く、葉擦れの音や流水の音、虫の聲などが響く真っ暗闇の中にも、不穏な気配は感じ取れない。
 目撃される可能性を排除したところで、背後に立つ女性二人に振り返り、頷く。
「問題ありません。行きましょう」
「ああ。……そちらはお願いします、ガーネット」
「お任せを。let-toua行ってらっしゃいませ、グローリア様。グリューエル様。道中お気を付けて」
「「poot-toua行ってきます」」
 大使館役員の制服を着たルビア王妃陛下に頭を垂れ、私と同じくカンテラを持った都民に擬装している『ヘンリー卿グローリア』と共に都へと踏み出した。
 行き先は都民街、とある食堂兼宿屋。
 レジスタンス潰滅の報せを受け取ってからずっと妹が単独で足跡を追い掛けていた『オーリィード・シュヴェル・シュバイツァー』と『レクセル・ウェルマー・フロイセル』の姿を直に確認する為、人目を避けて暗闇の中を進む。
「ルビア王妃陛下付き護衛騎士隊員の一人として呼び出したのに、到着早々別行動させてすまないな、グリューエル」
「いいえ」
 先を行く背中を視界に収めつつ、全方向に注意を払いながら緩く首を振る。
 かつて私が暇潰し用と称して妹に渡した長編小説。
 その文章に込められている真実を確認してきたあの日から、彼女は私の顔をまともに見なくなった。
 今も、私への謝罪を口にしているわりに無感情であろう黒紫色の目は、前方だけを静かに捉えている。
「ですが、外で放つ言葉は慎重に選んでいただきたい。現在・現時点、ウェラント王国の領土内に『ルビア王妃陛下』はおりません。彼女は貴き身分の方に仕える使者『ガーネット=フリージア』。私は長期休暇を取得した異国の女性騎士『ヘンリー卿グローリア』の個人旅行に付き合う実兄です」
「その言葉遣いこそ直したらどうだ。実の妹に対して敬語を常用する兄がどこにいる」
「人前では考慮します」
「当然だ。というか、そもそも兄妹の背景設定からしておかしくないか? 子供なり配偶者なり両親なりを連れた妹の家族旅行に付き合う兄ならともかく、配偶者も子供もほったらかして個人旅行に出てきた自由奔放な妹に付き合う兄なんか実在しないだろう。こんな安っぽい嘘、誰が信じるんだ」
「安っぽい嘘、ですか」
「現実感が足りてない」
 現実感も何も、名前以外のほとんどが事実そのものなのだが。
 彼女にとって、現状は現実的ではないらしい。
「まあ、王宮騎士団の仕事優先で滅多に本国を出たがらないお前が、珍しく素直に応じてくれただけでも良しとする」
 言葉を重ねる間にも、目的地へと足を動かし続ける妹の二歩分後ろを付いて歩く。
 歩幅の違いで微妙にズレている靴音が、暗闇の中で穏やかな風に流されて行く。
「正直、断られる覚悟はしてたんだがな。代替案を使う必要が無くなって助かった。あっちはお前よりもいろいろと面倒臭い」
 何事も最小限の労力で最大級の結果が望ましいものだと、両肩を持ち上げる妹。
「そうですね……」
 いついかなる時も、冷静にして冷徹。迅速にして正確。
 幼児の時分からそうであれと教育されてきた、フリューゲルヘイゲンの『もう一人の国王』。
 自身の正体を悟った瞬間すらも、影武者の歴史を守ってきた関係者全員に十年以上隠し通していた賢王。
 その彼女が、自身の行動基準に置いてきたフリューゲルヘイゲン王国の安寧と同じだけ心を配っている存在。
 一つ歳上の親友ロゼリーヌ・シャフィール・ウェラントの三人目の娘、オーリィード嬢。
 ウェラントの後宮で姫君として育てられ、数年間の戦闘員教育を経て宮廷騎士団の隊長にまで成長した、類い稀なる経歴を持つ令嬢。
 鷲の王が爪を分け与えた、特別な雛鳥。
「……貴女の寵児には、大変興味がありますので」
 二人の足が止まる。
 視線は前を向いたまま、妹の気配が目には映らない無数の細長い針となり、鋭利な先端を私の心臓に定めた。

「彼女の傷に気安く触れる者を、私は断じて赦さない」

 数年前と同じ。
 明確で濃厚な、死の臭い。
 逃げ道を断つかのように妹から溢れ拡がっていく冷気が、全身をぞわりと粟立たせる。

「私の罪に触れるつもりか。グリューエル=ハインリヒ」

 殺される。
 指一本の痙攣、唇のわずかな開閉も許されず。
 振り返る間も、瞬き一回分の時間も必要とせずに。
 敵と判断されたら、この場で即、殺される。
 一切の躊躇ちゅうちょを感じさせない冷酷な殺気が、縮み上がった心臓と肺をなおも威圧する。
 が。
 恐怖を感じても、怯える理由は無い。

「それが、貴女の狙いなれば」
「…………」
興味を持って知るより他に術が無い。貴女の寵児は第一の関門を突破しています」
「…………まだ、詳細も何も話していないというのに…………どこまで調べて、どこまでを見通してるんだかな……。時々、お前の先見の明が心底憎らしい」
 呼吸が楽になった。
 針は霧散。威圧感も消え、戻ってきた生の匂いが鼓動を徐々に正常化していく。
「私自身が無能なのだと宣告されているようで、無性に腹立たしい。事実であるからなおさらに」
識実しきじつの偏りこそ万物普遍のことわり。薄さと無を等しく位置付ける行為は怠惰の言い訳とも取れます」
「解っているなら努力で補えと? はっ! さすが、家督の相続権を次男に譲渡した身軽な専業騎士殿は言う事が違うな。良い勉強になる」
 ハインリヒ一族はシュバイツェル王家を支える影。
 下手に力を持ちすぎて目立ってはいけないし、力を持たなすぎて中枢から引き離されても面倒だ。
 当代の場合、国で最強の騎士と国王の守護騎士が同時期に輩出された為、私が妹並みに出世したり家督を継いだりすれば、妹の立場との両立で貴族間のパワーバランスが崩れ、ハインリヒ家は中堅を装えなくなる。
 私や妹に比べて無名で、そこそこ有能な次男こそ、次期ハインリヒ家当主に相応しい。
 その程度の情勢が読めぬ妹ではないだろうが、彼女はいくつもの立場と重責を兼任している身。独り身を謳歌するただの騎士でしかない人間にものを言われれば、嫌味の一つや二つ返したくもなろう。
「受け取り方は御随意に」
「これだけは言っておく。『試練』と『余興』を履き違えるな。お前にそれ以上の役割は期待していない」
「心得ています」
「どうだか」
 騎士の礼を執った私に構わず、再び歩き出す妹。
 結局一度も振り返らなかった顔は、数年前と変わらない鋭さだろうと想像する。
 知らず口元を覆っていた左手が、満足気な弧をなぞって降りた。

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