122 / 145
おまけ
聖者の福音 Ⅲ
しおりを挟む
リブロムがベルゼーラの王宮で倒れた日から毎晩、誰にも内緒で、リブロムの部屋に忍び込んで様子を見ていた。
そんな突拍子もない告白をしたマッケンティアの目が、にじんだ涙でうるうると揺れて光る。
「実子の部屋とはいえ、深夜に……それも黙って忍び込むなんて、はしたない事だと解ってはいたのです。リブロム陛下にとっても快い行為ではないでしょう? けれど、ルベルク陛下……リブロム陛下のお父様にも『影』達にも、リブロム陛下とは決して会うなときつく言われていましたし、リブロム陛下の状況も全く教えていただけなくて……でも、どうしても気になって、仕方なく、公務が無い深夜に…………ごめんなさい」
震える手でティーカップをソーサーに乗せ、ローテーブルの上に置いてから、深々と頭を下げるマッケンティア。
一方のリブロムとロゼリーヌは『実の子供を心配する母親のエピソード』に潜むマッケンティアのとんでもない実力に閉口し、真顔で硬直していた。
「父上に、止められていたんですよね? 『影』にも、おそらく貴女の身の回りの世話をしていた使用人達にも」
「ええ」
「なのに、私にも誰にも知られず、私の部屋に毎晩忍び込んでいたと」
「ルベルク陛下に教えていただいた隠し通路は、全て覚えていましたから」
「「いえ、そうではなくて」」
「?」
姿勢を正しつつも萎縮した様子で答える赤面のマッケンティアに、二人の突っ込みがピッタリ重なる。
「その状況なら、貴女の行動は常に監視されていた筈です。特に父上と『影』は連携して時間も場所も問わず見張っていたでしょう。回復後は警戒を絶やさなかった私も含めて、他の誰にも知られず、しかも毎晩私の部屋に忍び込んでいたなどとは、到底信じられません」
「性別を偽れる程度の変装や気配を消す隠れ身といった人目を忍ぶ遊びは、子供の頃から得意なのです」
「「本業の『影』や軍人を遊びでかわさないでください」」
「作家としての取材時にも役に立っていたのですが……」
何かおかしかったかしら、とでも言いたげにきょとんと瞬く王太后。
リブロムは天井を見上げ、ロゼリーヌは横の壁を見て、果てしなく遠い目になった。
「……私が自室に戻らなくなったから、失踪したと判断したのですね?」
ため息交じりの確認に、彼女は首を横に振る。
「正確には、リブロム陛下の部屋に忍び込もうとした時、隠し通路から外へ向かって歩いていくリブロム陛下をお見かけしていたからです」
「「はい!?」」
「明らかに一般民の装いで旅用と思われる大きな荷物を背負っていたので、理由があって長期間王宮を空けるつもりなのだろうと、その場は見送りました。けれど、何年経ってもお戻りになられなかったので」
「……隠し通路に居た私は、具体的にどんな服装をしていましたか?」
「リブロム陛下が持っていたカンテラの灯りで見えた範囲では、やや傷みかけた白茶色の帽子とロングコート、黒に近い赤茶色のブーツ、水筒を側面に下げた黒いリュックを背負っていました」
「……………………確かに、その通りです」
マッケンティア王妃はリブロムが王宮を出て行く現場に居合わせていた。
衝撃の事実に思わず立ち上がっていたリブロムとロゼリーヌは、へなへなと腰を下ろした。
『白』だ。
グリューエル=ハインリヒに聴いた時はまだ半信半疑だったが、これではもう、疑いようがない。
彼女にほんの少しでも悪意があれば、リブロムは自室や隠し通路でなんらかの害を受けていた。毒杯からの回復は勿論、ベルゼーラ王国を離れることなど決してできなかっただろう。
マッケンティアは完璧なる『純白』。
徹頭徹尾、他者の意思を尊重していただけだった。
「つまり貴女は、先王陛下を弑逆して玉座を奪い、『リブロム王』を名乗ってマッケンティア王妃の帰国を妨害していた人物の正体を、ウェラントに来るずっと前から知っていたと仰るのですね」
「知っていたというより、推測していたと言うべきでしょうか。私が帰郷中にリブロム陛下が戻って来られた可能性も考えましたが、『リブロム陛下の勅書』に記されていたベルゼーラ王国への帰国を禁じる一文がレクセルの文字とよく似ていたので、もしかしたらと」
なるほど、文字から見抜く辺りは実に作家らしい。
どんなに意識を操っても、身体に馴染んでいた癖までは変えようがない。兄弟共々公文書への署名はまだ数少なかった為、レクセルにリブロムの文字を覚えさせる発想も無かった。
意外な落とし穴の発覚で苦笑いを浮かべたリブロムは、両肩を落とし、自分の額を右手で押さえてうつむく。
「推測と言われましたが、これまで一度もベルゼーラに戻らなかったのですか? 先王陛下の件を含め、気になることは山ほどあったでしょう。変装するなり、帰郷に付いて行った貴女の『影』を使うなり、事実を確かめる方法はいくらでもあった筈です」
「変装はできても、入国許可書は偽造できません。経緯はともあれ、国長に禁じられたのなら従うのみです。『影』達には……別の用件で動いてもらっていましたし……」
「別の用件?」
夫の不穏な訃報を受けても法律は犯さない徹底した公人ぶりに、なんとも形容しがたい畏れのようなものを感じたのも束の間。
スッと冷めたマッケンティアの目線と頬色を見て、リブロムとロゼリーヌの背筋が同時にピンと伸びた。
「貴方です」
「私?」
揃えた膝に両手を重ね、しゃんと伸ばした背中、引き気味の顎、相手を射抜くまっすぐな目線で、固まったリブロムを正面に捉え、浅く頷く。
「私付きの『影』達には、中央大陸の東部やベルゼーラ王国の周辺で貴方を探してもらっていたのです、リブロム陛下」
自ら出て行く姿を見送り、五年は放置していたリブロムを、王家の『影』に探させていた? ベルゼーラ王国で起きた異変を調査させるのではなく?
「…………何故?」
「何故?」
行動の意味が理解できなくて漏らしたリブロムの呟きに、マッケンティアの声が一段低く、硬くなった。ぐっと寄せた眉で白く張りが良い肌に深い影を刻み、怒りにも似た気迫を露わにする。
「愛する人が可愛い子供の手で亡き者にされたなどと遠方の地で聞かされ、帰ることも許されない。王宮内は勿論、ベルゼーラ国内が混乱しているかどうかさえも、私には何一つ分からなかったのです。そんな状況だからこそ、せめて行方知れずになっていた貴方の安否が知りたかった。リブロム陛下は無事であると、この目でしっかり確かめたかった。何故か、なんて……」
気圧され息を呑むリブロムに、マッケンティアは
「貴方に生きていて欲しかったから以外に、何があるというの?」
少し拗ねた顔で、そう言った。
そんな突拍子もない告白をしたマッケンティアの目が、にじんだ涙でうるうると揺れて光る。
「実子の部屋とはいえ、深夜に……それも黙って忍び込むなんて、はしたない事だと解ってはいたのです。リブロム陛下にとっても快い行為ではないでしょう? けれど、ルベルク陛下……リブロム陛下のお父様にも『影』達にも、リブロム陛下とは決して会うなときつく言われていましたし、リブロム陛下の状況も全く教えていただけなくて……でも、どうしても気になって、仕方なく、公務が無い深夜に…………ごめんなさい」
震える手でティーカップをソーサーに乗せ、ローテーブルの上に置いてから、深々と頭を下げるマッケンティア。
一方のリブロムとロゼリーヌは『実の子供を心配する母親のエピソード』に潜むマッケンティアのとんでもない実力に閉口し、真顔で硬直していた。
「父上に、止められていたんですよね? 『影』にも、おそらく貴女の身の回りの世話をしていた使用人達にも」
「ええ」
「なのに、私にも誰にも知られず、私の部屋に毎晩忍び込んでいたと」
「ルベルク陛下に教えていただいた隠し通路は、全て覚えていましたから」
「「いえ、そうではなくて」」
「?」
姿勢を正しつつも萎縮した様子で答える赤面のマッケンティアに、二人の突っ込みがピッタリ重なる。
「その状況なら、貴女の行動は常に監視されていた筈です。特に父上と『影』は連携して時間も場所も問わず見張っていたでしょう。回復後は警戒を絶やさなかった私も含めて、他の誰にも知られず、しかも毎晩私の部屋に忍び込んでいたなどとは、到底信じられません」
「性別を偽れる程度の変装や気配を消す隠れ身といった人目を忍ぶ遊びは、子供の頃から得意なのです」
「「本業の『影』や軍人を遊びでかわさないでください」」
「作家としての取材時にも役に立っていたのですが……」
何かおかしかったかしら、とでも言いたげにきょとんと瞬く王太后。
リブロムは天井を見上げ、ロゼリーヌは横の壁を見て、果てしなく遠い目になった。
「……私が自室に戻らなくなったから、失踪したと判断したのですね?」
ため息交じりの確認に、彼女は首を横に振る。
「正確には、リブロム陛下の部屋に忍び込もうとした時、隠し通路から外へ向かって歩いていくリブロム陛下をお見かけしていたからです」
「「はい!?」」
「明らかに一般民の装いで旅用と思われる大きな荷物を背負っていたので、理由があって長期間王宮を空けるつもりなのだろうと、その場は見送りました。けれど、何年経ってもお戻りになられなかったので」
「……隠し通路に居た私は、具体的にどんな服装をしていましたか?」
「リブロム陛下が持っていたカンテラの灯りで見えた範囲では、やや傷みかけた白茶色の帽子とロングコート、黒に近い赤茶色のブーツ、水筒を側面に下げた黒いリュックを背負っていました」
「……………………確かに、その通りです」
マッケンティア王妃はリブロムが王宮を出て行く現場に居合わせていた。
衝撃の事実に思わず立ち上がっていたリブロムとロゼリーヌは、へなへなと腰を下ろした。
『白』だ。
グリューエル=ハインリヒに聴いた時はまだ半信半疑だったが、これではもう、疑いようがない。
彼女にほんの少しでも悪意があれば、リブロムは自室や隠し通路でなんらかの害を受けていた。毒杯からの回復は勿論、ベルゼーラ王国を離れることなど決してできなかっただろう。
マッケンティアは完璧なる『純白』。
徹頭徹尾、他者の意思を尊重していただけだった。
「つまり貴女は、先王陛下を弑逆して玉座を奪い、『リブロム王』を名乗ってマッケンティア王妃の帰国を妨害していた人物の正体を、ウェラントに来るずっと前から知っていたと仰るのですね」
「知っていたというより、推測していたと言うべきでしょうか。私が帰郷中にリブロム陛下が戻って来られた可能性も考えましたが、『リブロム陛下の勅書』に記されていたベルゼーラ王国への帰国を禁じる一文がレクセルの文字とよく似ていたので、もしかしたらと」
なるほど、文字から見抜く辺りは実に作家らしい。
どんなに意識を操っても、身体に馴染んでいた癖までは変えようがない。兄弟共々公文書への署名はまだ数少なかった為、レクセルにリブロムの文字を覚えさせる発想も無かった。
意外な落とし穴の発覚で苦笑いを浮かべたリブロムは、両肩を落とし、自分の額を右手で押さえてうつむく。
「推測と言われましたが、これまで一度もベルゼーラに戻らなかったのですか? 先王陛下の件を含め、気になることは山ほどあったでしょう。変装するなり、帰郷に付いて行った貴女の『影』を使うなり、事実を確かめる方法はいくらでもあった筈です」
「変装はできても、入国許可書は偽造できません。経緯はともあれ、国長に禁じられたのなら従うのみです。『影』達には……別の用件で動いてもらっていましたし……」
「別の用件?」
夫の不穏な訃報を受けても法律は犯さない徹底した公人ぶりに、なんとも形容しがたい畏れのようなものを感じたのも束の間。
スッと冷めたマッケンティアの目線と頬色を見て、リブロムとロゼリーヌの背筋が同時にピンと伸びた。
「貴方です」
「私?」
揃えた膝に両手を重ね、しゃんと伸ばした背中、引き気味の顎、相手を射抜くまっすぐな目線で、固まったリブロムを正面に捉え、浅く頷く。
「私付きの『影』達には、中央大陸の東部やベルゼーラ王国の周辺で貴方を探してもらっていたのです、リブロム陛下」
自ら出て行く姿を見送り、五年は放置していたリブロムを、王家の『影』に探させていた? ベルゼーラ王国で起きた異変を調査させるのではなく?
「…………何故?」
「何故?」
行動の意味が理解できなくて漏らしたリブロムの呟きに、マッケンティアの声が一段低く、硬くなった。ぐっと寄せた眉で白く張りが良い肌に深い影を刻み、怒りにも似た気迫を露わにする。
「愛する人が可愛い子供の手で亡き者にされたなどと遠方の地で聞かされ、帰ることも許されない。王宮内は勿論、ベルゼーラ国内が混乱しているかどうかさえも、私には何一つ分からなかったのです。そんな状況だからこそ、せめて行方知れずになっていた貴方の安否が知りたかった。リブロム陛下は無事であると、この目でしっかり確かめたかった。何故か、なんて……」
気圧され息を呑むリブロムに、マッケンティアは
「貴方に生きていて欲しかったから以外に、何があるというの?」
少し拗ねた顔で、そう言った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる