[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第四十五話 忘れえぬ日々 ⅩⅩⅩⅢ

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 戻ってきたルナエラは、六頭の馬を引き連れていた。
 ルナエラを含む総じて七頭が、『後着惨敗組』の陣で木柵に繋がれている馬達の後方、少し離れた場所で、一塊ひとかたまりとなって立ち止まる。

 『後着惨敗組』の陣から放たれた馬は、全八頭だ。
 他の二頭は、北上してくる途中で受験者達に捕まったのだろう。
 そちらに関しては受験者と馬が戻ってくるまでどうにもならない為、今はルナエラが連れてきた六頭を木柵へ繋ぎ直すことに専念する。

「ありがとう、ルナエラ。このまましばらく仲間達を監視しててくれ」

 誰よりも速く一団へと走り寄ったオーリィードが、先頭に立つルナエラの手綱を掴み、左回りで反転。馬首を南方へ向けた。
 その隙に、駆け寄ってきた『四十九番』とフィルネストが、一団の中から一頭ずつ選び、声を掛けながら手綱を引いて、木柵の中央付近へ向かう。

「……お前の相棒は私だけだ。信じてるぞ、ルナエラ」

 オーリィードも、ルナエラの首を撫でてから、他の馬に声を掛けつつその手綱を掴み、二人と二頭の背中を追いかける。

 フィルネストの愛馬の東隣、木柵の東側から十三番目に、『四十九番』が引いてきた馬を入れ。
 『四十九番』の東隣に、フィルネストが。
 フィルネストの東隣に、オーリィードが引いてきた馬を入れた。

 三人共それぞれ連れてきた馬のカップランを右手で押さえながら、木柵に結び目を残して巻き付けられているロープの金具側先端を掴んで引き寄せ、一度ピンと張ってから、ある程度弛ませた状態で金具とカップランを接続。
 次の馬を……と足先をひるがえした三人の内、オーリィードだけが、ふと結び目に顔を向けて留まる。

 ロープをまっすぐ引っ張ることで結び目の強度を確認してはみたものの、果たしてこれだけで『しっかり確認した』と試験官に認められるだろうか。
 そもそも、連れ戻し、繋ぎ直すだけで、個人戦の目的に適うのか。

 実技試験を始める前、個人戦に関する説明で、フォリン団長は速い者勝ちだが、審査の目は厳しいから気を付けろと言っていた。
 それはつまり、
 単純な馬捕り競争ではない、ということ。
 個人戦で振り分けられる点にも、馬を捕まえる速さ、木柵に繋ぎ直す速さ以外で、なんらかの加点基準が設定されている筈だ。

 だとしたら、あの忠告が意味するものとは。
 『審査の目』が厳しく見ているものとは。
 安全確認をしたかどうかか、繋ぎ直し方か、それとも、もっと別の何か?

 注力すべき所に確信が持てず、結び目を睨んで立ち尽くすオーリィードを横目に、それぞれで新たな馬を引き連れた『四十九番』とフィルネストが、木柵へと近付いてくる。

 オーリィードは、束の間思考を巡らせた末に、結び目を一旦解いて、また『馬つなぎ結び』でロープを木柵に固定。
 繋いだ馬の首周辺を撫でてから南へ下がり、ルナエラの脇をすり抜けて、六頭目の馬に声を掛けつつ、手綱を掴んだ。

 六頭目。
 ルナエラが引き連れてきた、最後の馬だ。

「…………どうするかな」

 南方を観察した限り、受験者達が戻ってくるにはもう少し時間が掛かる。
 オーリィードが六頭目の馬を繋ぎに行けば、フィルネストか、高い確率で『四十九番』が、近場に残っているルナエラを捕まえにくるだろう。
 『四十九番』なら、オーリィードが六頭目を繋ぎ終えて戻るまで待って、引き馬を手伝ってくれるかも知れないが……。

 オーリィードはしばし考え込み、ルナエラに声を掛けた。

「ルナエラ、to-toru速歩!」

 指示を受け取ったルナエラが、ためらいもなく南へ駆け出す。
 ルナエラとすれ違ったオーリィードも、急ぎ足で木柵へと向かう。

 ルナエラはとにかく気難しい。
 ルナエラの世話を担当している厩務員きゅうむいんのマスキや、相棒のオーリィードが相手であっても、ちょっとした事で何日も何十日もそっぽを向くほどだ。
 勝手を知らない人間が引こうとしたら、きっと逆鱗に触れてしまう。
 呼び戻す手間は増えるが、『四十九番』や他の受験者がヘタに手を出してルナエラの機嫌を損ね、暴れさせたり、怪我をしたりさせたりするよりは、ずっとマシだった。

「ありゃ?」
「!」

 オーリィードが木柵の東寄り中央付近に残る二頭分の空間に向かう途中、きょとんとした顔の『四十九番』と目が合う。
 一瞬、手伝うと言ってくれた『四十九番』の厚意を無下にしてしまったと罪悪感を抱くが。

 『四十九番』は、それで良いんだよと片目を閉じてイタズラっぽく笑い、ルナエラの後を追いかけていった。
 初めから人間の足で馬の脚に追いつけるとは思ってないけど、試験官達にやる気が無いと思われるのも面倒だし、形だけでも行くだけ行ってみる……そんな走り方で。

 しかし、『四十九番』に続いて駆け出したフィルネストは違った。
 本気で捕まえに行ったのだと、顔を見なくても勢いと気迫で伝わる。

 オーリィードも急いで六頭目を木柵に繋ぎ直し、元の『馬つなぎ結び』を解いて、結んで、首の周辺を撫でてから、馬の列を南へ飛び出した。
 そこそこの速さで南下していくルナエラと、追いかける男性二人を見て、唇を開き。

「こっ」

「おいで、ルナエラ!」

「へ? あ、アーシュマー……って、ちょっと待てルナエラ、お前っ!?」

 オーリィードが「こっちへ来い」と言うよりわずかに早く、いつの間にかオーリィードの左手側五歩斜め前に立っていたアーシュマーが、落ち着いた大きめの声でルナエラに呼びかける。

 そして何故か、相棒でも世話係でも調教師でも何でもないアーシュマーの掛け声一つで即座に馬首を返す、気難しい筈のルナエラ。
 『四十九番』とフィルネストが伸ばす腕を巧みにかわし、レース時よりも圧倒的に速く、アーシュマーを目指して走ってきた。

 声を失い、目を見開いて愕然と棒立ちしているオーリィードの斜め前で、喉を鳴らして甘える仔猫の如きルナエラが、アーシュマーにすり寄る。
 アーシュマーも慣れた様子でごく自然にルナエラを受け入れ、さりげなく手綱を掴んだ。
 
「…………アーシュマー。お前、ルナエラに何をした?」

 唯一の相棒だと信じていた愛馬の裏切りに、オーリィードが、間男を見る夫の目でアーシュマーを睨む。
 アーシュマーは、いつにも増して癪に障る胡散臭さ全開の爽やかな笑顔をオーリィードに振り撒いた。

「特に何も。ただ、毎日朝食前と夕食後に挨拶しているだけです」
「トルードとルナエラの馬房は二百頭分くらい離れてるだろうが! なんでお前の相棒でもないルナエラにまで、わざわざ毎日挨拶しに行くんだよ! それともなにか? お前は毎日、馬という馬に挨拶して回ってんのか!?」
「まさか。出仕前にも後にも、そんな時間よゆうはありませんよ」
「だったら!」
「待って、オーリィード。相棒の貴女が私と言い争っていたら、ルナエラが混乱してしまいます。これから繋ぎ直すのですから、落ち着いてください」
「お前が言うことか!?」
「はい、どうぞ」
「は!? …………へ?」

 怒り心頭で詰め寄ったオーリィードに差し出される、ルナエラの手綱。

 当たり前のようにヒョイと手渡され、反射的に受け取ってしまったが。
 得点狙いで来たにしろ、引き馬を手伝う為に来たにしろ、アーシュマーがルナエラの手綱を手離す理由は無い筈だ。

 何のつもりかと、アーシュマーの顔を疑わしげに凝視するオーリィード。
 しかし、アーシュマーは。

「私は木柵の北側から声を掛けますので、サポートは貴卿にお願いします。『四十九番』」

 言うが早いか、フィルネストと共に戻ってきた『四十九番』に頭を下げてルナエラの傍を離れ、木柵に残る一頭分の隙間から北側へ移動。
 そこに巻き付けられているロープを結び目から解き、絡まぬように両手でしっかり持って、オーリィード達を待ち構える。



「うーん、素晴らしい手際。抜かりないっていうか、抜け目ないね。彼」

 ルナエラの右脚側、アーシュマーと入れ代わる形でオーリィードの正面に立った『四十九番』が、ため息と一緒に賛辞と苦笑を漏らした。

「一石投じて、三羽くらいまとめて落としたんじゃないかな。柔和な顔してすっごく手強そう~」
「……三羽?」
「三羽くらい。あるいは四羽?」

 何の話だろうと首を傾げるオーリィード。
 アーシュマーをじぃっと見ていた『四十九番』が、ルナエラの後方に立つフィルネストを顎で示す。
 フィルネストは異常にキラキラと輝く目でアーシュマーを眺めていたが、オーリィードが自分を見ていると気付いた瞬間、全身から凄まじい嫌悪感と殺気を立ち昇らせた。

「彼が、落とされたかも知れない四羽目?」
「彼は三羽目。彼の好感度と信頼度が四羽目、って言えば、フォリン団長が残していった忠告の意味が、キミにも分かるんじゃない?」
「! 『四十九番』は、あの忠告の意味を解っているのですか!?」
「うん。あれはね、のほうが本命に近いんだよ」
?」
「そう、それ」
「ついでが、本命……」

 全頭確保しなければ、個人戦は終わらない。
 当たり前に思える言葉と、他者からの好感度や信頼度がどう繋がるのか。

 オーリィードは、アーシュマーとフィルネストと『四十九番』を見比べ。
 やがて、ハッと息を飲んだ。

「加点の基準は、『協調性』!?」

「せ~かい! キミの場合は、与えようにも貰ってくれる相手が少ないし、貰いたくても与えてくれる人が少ないから、そういうのに気付きにくいし、実は誰よりも不利だったんだよね。個人戦」
「うっ」
「そんなキミと、キミ達のサポート役を譲ってくれた彼のおかげで、ボクはまたしても役得ってワケ。ふふ。利用しちゃって、ゴメンね?」
「自分を手伝うって、そういう意味ですか……」

 人間の足では、馬の脚には追いつけない。
 個人で馬を追い回すだけでは、いつまで経っても実技試験が終わらない。
 なら、には、どうするべきか。
 試験を次へ進める為には、何が必要か。
 個人戦は、その答えを示す場だったらしい。

 であれば、アーシュマーと共に相棒を放ち、仲間の馬を集めさせた事も、結果的には加点の対象になるのだろう。
 オーリィードとしては、あれは加点を狙っての行為ではなかった。
 ただ単に、個人戦を速やかに終わらせる為、効率を考えての判断だったのだけど。

 アーシュマーは、フォリン団長の忠告を理解した上で実行していた。
 加点を狙い、ほとんど孤立状態のオーリィードを手伝う為に、神業並みの俊足でもって避け続けたオーリィードの隣へ自ら歩み寄ってきた、らしい。

「……『四十九番』にも、アーシュマーにも、利用されたとは思えません」
「ええ~っ!? こんな状況でえ!? キミ、つくづくお人好しだね」
「利用されてくれた方々に、利用されたと訴えるのは、筋違いですから」

 オーリィードは、解っている。

 嫌われ者で有名なオーリィードにも、仲間を思う気持ちはある。
 仲間を思うオーリィードにも、オーリィードを思う仲間が居る。

 自ら進んでオーリィードに微笑みかけ、手伝いを申し出るとは、そうした事実を受験者や観戦者達に知らしめる側面もあるのだと。
 『四十九番』もアーシュマーも、加点狙いではありながら、やはり多分な厚意と善意で手伝いに来てくれているのだと。

 そう、解ってしまったからこそ。


 ルナエラの手綱を、メキョッと握り潰した。


「……オーリお姉ちゃん……手、痛くない?」
「いえ、まったく」
「ボク、一握りで千切れそうになる革手綱なんて、初めて見たよ」
「古くなっていたのでしょう。実技試験が終わったら新調してもらいます」
「うん。そんなに傷んでなかった気はするけど、それが良いと思う」

 感情が抜け切ったオーリィードの顔を見て、こくりと頷く『四十九番』。
 アーシュマーの「いつでもどうぞ」で前進を始めたルナエラのたてがみをやんわりと掴み、オーリィードと一緒に、馬と馬の間へ誘導する。

 特に問題なくすんなり収まったルナエラを、アーシュマーから受け取ったロープで木柵に繋ぎ直し、切れ味鋭すぎる凶悪な目つきで「ありがとう」と言い残して南へ下がるオーリィード。
 『四十九番』も、アーシュマーとルナエラに感謝の言葉を残して下がり、南方から走ってくる受験者達を眺めていたオーリィードの顔を覗き込んで、首をひねった。

「やっぱり、三羽かな」
「はい?」
「一羽目の加点はともかく、二羽目はとっくに落とされてたみたいだから」
「……??」
「うわ。そんなんで自覚が無いとか、なにそれ。罪深い」

 肩を揺らしてクスクス笑う『四十九番』。
 楽しげに細められた新緑色の虹彩の中には、眉間にシワを刻みながらも、頬を真紅に染め上げているオーリィードが居た。


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