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福福夢狸

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【序章】白野恵瑠の物語

【序章】第十二話『解けるわだかまり』

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「ここは……?」
 
 目を覚ました瞬間、真っ白な天井が視界に広がっていた。
 鼻に香る、微かな消毒液の匂い。

 身体に意識を向けると、背に柔らかなシーツの感触が広がっているのを感じる。
 
 どうやら、私は、どこかのベッドの上にいるみたいだった。
 
 身体に、痛みはない。
 だが、疲労なのか、強い脱力感と倦怠感が身体にまとわりつく。

 意識がハッキリしていくにつれて、目が覚める前の出来事が思い出されていく。

 異界の森。
 仮面の蜘蛛マネハグモ
 陽翔はるとくんの絶叫。
 マネハグモの女王。
 大上さんの背中。
 最後に私が引き金を引いた瞬間の、あの光――

(あれは、夢、だったの――?)

 ここがどこなのか、何が起きたのか知ろうと、ベッドから起き上がろうと身体を起こす。
 すると、すぐ傍に誰かが座っているのが見えた。

「おっ! 目が覚めた?」
「……大上さん?」

 優しく、そして少し安心したような声。
 お日様のような温かさを感じさせる柔らかな笑み。
 そこにいたのは、ビルの森のダンジョンで出会った大上陽太おおがみひなたさん、だった。

(やっぱり……夢じゃなかったんだ……)

 あの場所から、ちゃんと……生きて帰ってこれたんだ。
 彼の笑顔を見た途端、安堵からか、胸の奥がじんわりと熱くなった。

「大上さん……あの……私、倒れたんですよね? あの後、乗客の人たちは、陽翔くんは、どうなったんですか……!?」
「まぁ、落ち着いて。ちゃんと、話すからさ?」

 興奮気味にベッドから起き上がろうとしていた私を落ち着かせて、大上さんは、ゆっくりと、事の経緯を語ってくれた。

 女王を倒した直後。
 私は、極限状態での緊張と、慣れない魔力操作を続けて行ったことによる疲労、そして、異界の魔力酔いにより、限界を迎え、意識を失ってしまったのだと言う。
 意識を失った私と陽翔くんを、彼が背負って異界ダンジョンの外まで運んで、救急隊に引き渡してくれたそうだ。
 
 あれから、一日が経っていて、すでに翌日の昼過ぎであること。
 医者の診断では、軽い擦り傷以外に異常はなく、あとは回復を待つだけでいいということ――。

「そうだったんですね……助けてくれて、ありがとうございます」

 私は、胸を押さえ、小さく息を吐くと、大上さんにお礼を言う。

「あの、他の乗客たちは……?」
「全員、救助されたよ。君たちを救急隊に引き渡した後、他の救助チームと共に、再度ダンジョンへと戻って、一人ひとり繭を下ろしてね。幸い、魔力を吸われる前で、魔力吸収の被害もなかった。軽度の異界侵食や疲労、治安官の人以外は、君と同じ擦り傷などの軽傷だけだってさ……数日もすれば、君も含めて、元通りの生活に戻れるそうだよ」
「そうですか……」
 
 大上さんが言うには、魔物が乗客を捕まえた後、すぐに吸魔に移らなかったこと、そして女王の巣がダンジョン内の入口に近い、浅い階層にあったことが幸いしたのだという。
 ただ、駆けつけてくれた治安官の人だけは、女王の攻撃を受けて、何か所か骨折をしていて、しばらく入院が必要だそうだ。
 だけど、命に別条はなく、いずれ退院できるそうだ。

「……もう少し、救助が遅れたり、ダンジョンの奥に巣があったら……どうなっていたか分からなかった……もしかしたら、犠牲者も出ていたかもしれない。だから、運が良かった」
「はい……良かった……本当に……」

 その言葉に、胸を撫で下ろす。 
 だが、まだ気になることがあった。

「そうだ……陽翔くんは?」
「ああ……あの子は――」

 大上さんが口にしようとした瞬間、病室のドアが勢いよく開かれた。

「お姉ちゃん!!」

 走り込んできたのは、陽翔くんだった。

「お母さん、お姉ちゃん見つけたよー!」
 
 その後ろには彼の母親が慌てた様子で追いかけて来ていた。

「こら! 病院では静かにしなさいって言ったでしょ!」

 バスの中で見た、どこか既視感を覚えるやりとりに、思わず笑みがこぼれる。

「……あの子は、見ての通り、元気いっぱいだよ」
 
 大上さんが、笑いながら肩をすくめる。
 陽翔くんが母親の手を引きながら、私のベッドまで駆け寄ってくる。
 手を引かれる陽翔くんのお母さんは、「すみません」と何度も頭を下げている。

「お姉ちゃん、ありがとう!」
「えっ?」

 ベッドの近くに来た陽翔くんは、真っ先にそう、お礼を口にする。 
 突然、お礼を言われて、きょとんとする私に、陽翔くんは胸を張って言った。

「このお兄ちゃんと、お医者さんから聞いたよ? お姉ちゃんが、ボクを助けてくれたんだって、ね!」
「ああ、そうだよ! はは、元気いっぱいだな?」
「うん! もう、どこも痛くないんだ!」

「そっか、そっか」と言いながら、大上さんが陽翔くんの頭を撫でる。
 撫でる大上さんの手をくすぐったそうにして、陽翔くんが笑う。

「はは、実はこう見えて、今回の事件で一番の被害者は、この子なんだ」
「えっ、そうなんですか? でも、そんな風には……」
「うん、見えないよな!」
「……エへへ」

 自分のことを言われて照れくさそうに笑う陽翔くんと、それを見て面白そうに笑う大上さん。
 どういうことか分からず、疑問符を浮かべる私に、陽翔のお母さんが深々と頭を下げてきた。

「あの、この子、陽翔を助けて頂いて……本当に、ありがとうございます! この異界士の方、大上さんに聞きました。あのダンジョンで、陽翔が魔物に襲われて、魔力を吸われて……危ない所を助けて頂いたそうで……」
「いえ、私は、そんな……ただ、大上さんの指示通りに、しただけで……それが、たまたま、上手くいっただけで……」

 あのときは、ただ必死だっただけだ。
 何ができるかもわからず、大上さんに言われて、助けられるかもと、魔力を流しただけ。
 きっと大上さんなら、一人でも何とかなったのだろう。
 私はたまたま、それを手伝っただけ――

「……きっと、大上さん、一人でも助けられたと思いますし……」

 そう思い、大上さんの方をチラリと見る。
 私の視線に気が付いた大上さんが、口を開いた。

「……いや、俺だけだったら、無理だったよ?」
「えっ? 大上さん、異界士いかいしの人なら、何とか出来たんじゃ……!?」 
「いや、無理、ムリ」

 そう言って、大上さんが首と手を横に振る。
 ダンジョンで、あんなに頼りだった大上さんなら、なんとか出来る術を持っていると思っていて、私は驚いた。
 
「相手の魔力に干渉できる能力は、異界士でも扱える者が少ない珍しい能力なんだ。陽翔は、今すぐにでも魔力を回復、または維持させないといけないほど、弱っていて……あのままでは、確実に助からなかった。だから、俺はこの『眼』で見て、君にその系統の能力があると思い、君に賭けただけさ」
「そうだったんですか……?」
「ああ。だが、君の能力は予想よりも凄いみたいだな。陽翔の魔力を維持させることが出来れば、生き残れる可能性があると思って、賭けたけど……実際は、魔力を維持するだけでなく、強化させちゃうなんてな!」
 
 大上さんが、感嘆の声で、話を続ける。

「ほとんど魔力が尽きかけていた陽翔の魔力、恐らく、その自然治癒力を強化させたんだろう。その効果は、魔力回復の処置に近い形だったみたいで、病院に着く頃には、ほぼ回復していたみたいだったよ。医者も、これには驚いてたな」
「……私に……そんな、能力が……?」

 自分では、正直よく分からない……
 だけど、大上さんが言うことは本当なんだと思う。
 現に陽翔くんは、あんなに衰弱していたのが、嘘のように元気になっていた。

「ええ、わたしは……魔力とかに詳しくないのですが……医者の先生が同じことを、わたしにも言ってました。そのおかげで、検査入院は必要だけど、この調子なら、すぐに退院できるそうだと……でも、まさか――」

 一緒に大上さんの話を聞いていた陽翔くんのお母さんが口を開き、不安が混じったような驚いた声で、話を続ける。
 
「そんなに危険な状態だったなんて……この子と再会した時は、いつもの陽翔と変わらないくらい元気だったので、気づきませんでした……」

 最悪のケースがあったことを想像してしまったのか、恐怖と震えが混じった表情と声で、陽翔くんのお母さんは、少し俯いてしまう。
 だが、少しすると、その表情は意を決したような表情に変わり、口を開けた。 

「あ、あの……バスの中で……あんな、失礼な態度をとってしまって……本当にごめんなさい!」

 陽翔くんのお母さんが、何度も私に頭を下げてくる。

「……頭を上げてください! あんなの、いつものことですし……そんな、謝らないで下さい」
「いえ、そうもいきません。昨日から陽翔から何度も聞きました。お姉ちゃんが、あの森でボクを守ってくれたんだって……!」

 陽翔くんのお母さんは、申し訳なさそうな顔をして、話を続ける。
 
「バスの中で、私たちは……初対面でよく知りもしないのに、能力者だからと……あなたを勝手に怖がってしまい、腫れ物みたいに扱って、接してしまいました……それなのに、あなたは、そんな私たちや陽翔を救う為に動いてくれて……感謝してもしきれません……本当に、ありがとうございます!!」
「お姉ちゃん、ありがとう!!」
 
 陽翔くんのお母さんは、バスの中での自分の態度を詫びながら、何度も、何度も、感謝の言葉を繰り返し、それに合わせて陽翔くんも母親に合わせて、頭を下げてお礼を言う。

 そのひとつひとつが、戸惑いとともに、私の心に温かい何かを、残していった。


「じゃあねー、お姉ちゃん! また遊びに来るね!」
「騒がしくして、申し訳ございませんでした。それでは、失礼します」

 あれから、陽翔くんのお母さんが何度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返して……戸惑いながらも、それを受け入れることでようやく親子は頭を上げてくれた。

 笑顔で去っていく親子にベッドの上から小さく手を振り、見送ったあと、私は呟いた。

「私……こんなに感謝されて、いいんでしょうか……」

 そんなことをポツリと呟いた私の心を見透かしたように、大上さんが話しかける。

「さっきも言ったが、あの子を救えたのは、間違いなく君のおかげだ」
「……そう、でしょうか……」
「それに、君のおかげで、俺も助かった」
「えっ……?」
「ほら、あの時、マネハグモの女王を倒した時、君があの銃に魔力を流し、引き金を引いてくれたことで、女王の甲殻を破壊できた――そのおかげで、女王を倒して、皆を救えた」

 真剣な眼差しで大上さんが、私を見つめてくる。
 
「実は、俺が今日、君に会いに来たのも、君や乗客達の様子を見に来たのと、君にお礼を言うためなんだ」

 そして、照れくさそうに頬をかきながら、そう言って、背を伸ばすと深々と頭を下げた。

「ありがとう――君の能力、君のおかげで、俺や陽翔、乗客の皆が、助かったんだ」

 そう言ってから、顔を上げた大上さんの表情は、あの陽だまりを感じさせる微笑みだった。
 その言葉が、私の胸の奥に、じんわりと広がっていく。 

 信じられなかった。
 嫌っていた自分の能力で、誰かを救ったなんて――
 でも、そう言ってくれる人がいる。
 もしかしたら、この人なら――
 
「……あ、あの、大上さん。少しだけ、付き合ってもらえませんか……?」

 私がそう言うと、彼は「うん、いいよ」と頷いてくれた。
 ベッドから起き上がった私は、彼とともに病室を出て、静かな場所を求めて、屋上へと向かった。
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