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第二部
第十五章 うつせみ割れる 其の五
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「何故わからぬっ!」
とうに日の名残はなくなり、薄雲にかかりながらも明るく輝く小望月が照らす回廊を秀忠は進んだ。
「何故わからぬっ!!」
秀忠は、江の頬を打った右手を左拳でガンガンと叩きながら、何度もそう繰り返した。
(子を政に利用するのが平気だと思っているのか。豊臣を残すためではないか。誰のためじゃっ。)
「何故わからぬっ!!」
『側室に子を生ませればよいのですっ』。
江の言葉に、秀忠の心の傷が再びぱっくりと開いた。江に拒絶された。江が拒絶したのだ。ならば、望み通りにしてやろう。
秀忠は、初めて江を恨んだ。愛しさゆえに。
黙って部屋へ入ると、ほどなくして静が酒膳を捧げて入ってきた。
微笑んで入ってきた静であったが、秀忠の氷のように冷たい表情とギラリとした目に、一瞬で身がすくみ、恐ろしさに胸がドキドキしてきた。以前も怖い顔の秀忠の時があった。
(でも、あのときはどこか哀しみをまとっていらした。怖い顔や難しい顔のときも、上様はどこかに優しさをまとっていらしたのに……)
微かに震える手で酒膳を置いて頭を下げ、少し下がろうとする静の手を秀忠は掴む。
「まいれ。」
秀忠は立ち上がり、静をグイとひっぱると奥の部屋の襖を開け、夜具の上に静を放り投げると、力任せに襖を閉めた。
足がもつれ、倒れ込むように褥の上に乗せられた静が見たのは、見たこともない秀忠であった。見下ろす目の冷たさに体が震えそうになる。静はあまりの怖さに、褥から下がろうとしたが体が動かなかった。
秀忠がどしりと座り、静を引き寄せる。
「今日は何をしておったのじゃ。」
静の麻の薄手の着物から、ほのかに江の香りがするのを、さっきから秀忠は感じていた。
静が着ているのは、去年の夏、江から大姥局へ下賜されていた麻の一重帷子である。それを一夏着た大姥局は、静に合うよう仕立て直し、小さな香袋を忍ばせて下げ渡していた。
「雨が止むまで、旦那様に香合わせを教えていただきました。あとはお掃除を。」
うつむき加減の静は、小さな声で報告する。
「そうか。」
秀忠が静の軆を抱き寄せたが、静は身を固くしているだけであった。
「いかがした。」
「…お許しくださいませ。……御台様に申し訳のうございます。」
怖しさもあったが、女の哀しみを心に持った静は、江を思いやり拒んだ。
「ほう……さようか。」
秀忠はトンと突き放すように手を離した。しかし、静は秀忠に抱きすくめられただけで、すでにじんわりと潤っている。
丸窓の障子を通して、柔らかな月の光が入っている。その光の中、秀忠は静に女の気色が現れているのを見ていた。静にまで拒まれたのが、男の征服欲を刺激する。
「そなた、夜更けに泣いておるのではないか?」
先程、蚊に刺されたところに目を落とし、さすりながら、さらりと秀忠は静に尋ねる。
静はなにも思い当たらず、即座に「いいえ。」と首を振った。
「そうか? 大姥が『忍び泣きが聞こえる』と案じておったぞ。」
一瞬、ハッとした顔を見せた静は、頬を染めて大きく首を振った。
「そのようなことは、ございませぬ。」
「大姥の空耳か……。歳を取ったのう……」
肩をトントンと叩き、乳母を案じる様子の秀忠に、静の良心が咎められた。
「あっ、いえ……」
「違うのか?」
秀忠に見据えられ、そうではないと言えず、そうだとも言えず、静は赤らめたままの恥ずかしげな顔をうつ向かせ、黙りこんでしまった。
「本当は、泣いておるのであろう?」
「……いいえ。」
(旦那様にお気を揉ませてはならぬ)。
静はうなだれたまま、かすれた声で返事をした。
「泣いておるのでなければ。」秀忠は一旦口を閉じ、静をじっと見た。「自分で慰めておるのか?」
「そっ、そのような……」
静が顔を上げ、大きく首を振った。男の顔が、残酷な冷たい微笑みを浮かべる。
「解りやすい奴じゃ。どうするかしてみよ。」
「お許しくださいませっ。」
静は縮めた身を小刻みに震わせ、褥に頭をすり付けて懇願した。
そのようなことは女として死ぬほど恥ずかしい。それだけではない。静にとって自慰は、片恋の相手との大切な大事な逢瀬である。いくら将軍といえども、他の男にその逢瀬を見られるのは耐えられなかった。
「誰を思うて慰めるのじゃ? 私を拒む、ということは、片恋の相手か?」
『私を拒む』と冷酷な笑みで静に確認をとりながら、秀忠の頭には一人寝の江が浮かんでいる。
「……どうぞ、お許しを……」
静は、優しいはずの秀忠にすがるように、ただひたすらに平伏して許しを乞うた。しかし、今日の秀忠は、すでに自分で自分が押さえられなくなっている。
(側室を持って、子を生ませればよいのですっ!)
江の言葉が、耳の奥で響く。
秀忠は小さくなっている静を抱き寄せ、褥へと自分の身で押し倒した。
男の重さに静の身が火照る。
「してみよ。」
静の耳元でそう命じ、将軍は身を起こした。
「…お許しくださいませ。」
褥の上に一人寝かされた静は、目に涙を溜め、手を合わせて今一度、懇願した。
「許さぬ。」
抱かれるときに聴く、いつもの…いや、いつもより残忍な秀忠の声が、ゆっくりと静を嬲った。思いに反して女の蜜は溢れていく。
月の光を受け、端正な秀忠の顔がじっと動かずにある。
一切のものを寄せ付けない、まことに端正な、まことにりりしい秀忠の顔であった。
とうに日の名残はなくなり、薄雲にかかりながらも明るく輝く小望月が照らす回廊を秀忠は進んだ。
「何故わからぬっ!!」
秀忠は、江の頬を打った右手を左拳でガンガンと叩きながら、何度もそう繰り返した。
(子を政に利用するのが平気だと思っているのか。豊臣を残すためではないか。誰のためじゃっ。)
「何故わからぬっ!!」
『側室に子を生ませればよいのですっ』。
江の言葉に、秀忠の心の傷が再びぱっくりと開いた。江に拒絶された。江が拒絶したのだ。ならば、望み通りにしてやろう。
秀忠は、初めて江を恨んだ。愛しさゆえに。
黙って部屋へ入ると、ほどなくして静が酒膳を捧げて入ってきた。
微笑んで入ってきた静であったが、秀忠の氷のように冷たい表情とギラリとした目に、一瞬で身がすくみ、恐ろしさに胸がドキドキしてきた。以前も怖い顔の秀忠の時があった。
(でも、あのときはどこか哀しみをまとっていらした。怖い顔や難しい顔のときも、上様はどこかに優しさをまとっていらしたのに……)
微かに震える手で酒膳を置いて頭を下げ、少し下がろうとする静の手を秀忠は掴む。
「まいれ。」
秀忠は立ち上がり、静をグイとひっぱると奥の部屋の襖を開け、夜具の上に静を放り投げると、力任せに襖を閉めた。
足がもつれ、倒れ込むように褥の上に乗せられた静が見たのは、見たこともない秀忠であった。見下ろす目の冷たさに体が震えそうになる。静はあまりの怖さに、褥から下がろうとしたが体が動かなかった。
秀忠がどしりと座り、静を引き寄せる。
「今日は何をしておったのじゃ。」
静の麻の薄手の着物から、ほのかに江の香りがするのを、さっきから秀忠は感じていた。
静が着ているのは、去年の夏、江から大姥局へ下賜されていた麻の一重帷子である。それを一夏着た大姥局は、静に合うよう仕立て直し、小さな香袋を忍ばせて下げ渡していた。
「雨が止むまで、旦那様に香合わせを教えていただきました。あとはお掃除を。」
うつむき加減の静は、小さな声で報告する。
「そうか。」
秀忠が静の軆を抱き寄せたが、静は身を固くしているだけであった。
「いかがした。」
「…お許しくださいませ。……御台様に申し訳のうございます。」
怖しさもあったが、女の哀しみを心に持った静は、江を思いやり拒んだ。
「ほう……さようか。」
秀忠はトンと突き放すように手を離した。しかし、静は秀忠に抱きすくめられただけで、すでにじんわりと潤っている。
丸窓の障子を通して、柔らかな月の光が入っている。その光の中、秀忠は静に女の気色が現れているのを見ていた。静にまで拒まれたのが、男の征服欲を刺激する。
「そなた、夜更けに泣いておるのではないか?」
先程、蚊に刺されたところに目を落とし、さすりながら、さらりと秀忠は静に尋ねる。
静はなにも思い当たらず、即座に「いいえ。」と首を振った。
「そうか? 大姥が『忍び泣きが聞こえる』と案じておったぞ。」
一瞬、ハッとした顔を見せた静は、頬を染めて大きく首を振った。
「そのようなことは、ございませぬ。」
「大姥の空耳か……。歳を取ったのう……」
肩をトントンと叩き、乳母を案じる様子の秀忠に、静の良心が咎められた。
「あっ、いえ……」
「違うのか?」
秀忠に見据えられ、そうではないと言えず、そうだとも言えず、静は赤らめたままの恥ずかしげな顔をうつ向かせ、黙りこんでしまった。
「本当は、泣いておるのであろう?」
「……いいえ。」
(旦那様にお気を揉ませてはならぬ)。
静はうなだれたまま、かすれた声で返事をした。
「泣いておるのでなければ。」秀忠は一旦口を閉じ、静をじっと見た。「自分で慰めておるのか?」
「そっ、そのような……」
静が顔を上げ、大きく首を振った。男の顔が、残酷な冷たい微笑みを浮かべる。
「解りやすい奴じゃ。どうするかしてみよ。」
「お許しくださいませっ。」
静は縮めた身を小刻みに震わせ、褥に頭をすり付けて懇願した。
そのようなことは女として死ぬほど恥ずかしい。それだけではない。静にとって自慰は、片恋の相手との大切な大事な逢瀬である。いくら将軍といえども、他の男にその逢瀬を見られるのは耐えられなかった。
「誰を思うて慰めるのじゃ? 私を拒む、ということは、片恋の相手か?」
『私を拒む』と冷酷な笑みで静に確認をとりながら、秀忠の頭には一人寝の江が浮かんでいる。
「……どうぞ、お許しを……」
静は、優しいはずの秀忠にすがるように、ただひたすらに平伏して許しを乞うた。しかし、今日の秀忠は、すでに自分で自分が押さえられなくなっている。
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