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日は昇る
壱
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翌朝、いや、まだ夜の続きの太陽が昇る随分前に、襖がそっと開いた。
寝所の中央にある大きな褥では、男と女が抱き合って眠っている。
二人を起こさぬように息を殺し、三方を捧げた女が枕元へと進んだ。
そっと枕元へ三方を置いた女の目に、脱ぎ散らかされた男と女の夜着が映る。
(おまえさま…)
おねの頭の中に、布団の中で抱き合っている秀吉と茶々の姿が浮かんだ。
やれやれと言う思いと、茶々へのいくらかの嫉妬が胸を突く。
溜め息が出そうなのをグッとこらえ、おねは二人の夜着をソッと畳み、布団のそばに寄せた。
天を仰いで立ち上がったおねは、再び足音も立てず部屋から出、静かに静かに襖を閉めた。
襖の外で平伏した宿直の侍女に、おねが小さく声をかける。
「ご苦労じゃな。殿下はようお休みになっておるゆえ、いつものようには起こさず寝かせてやっておくれ。」
「承知いたしました。」
頭を下げる侍女に女主人はゆっくり頷く。
(あのような格好をしておられるとは…茶々殿がそしられるではないか…。)
茶々を思いやるような感情が、おねは悋気であるとすぐに自覚した。
秀吉にとって茶々が特別な女子なのを目の当たりにして、心がざわついている。
(よいことではないか…子を生んでもらわねば…)
しばらく襖を見つめていたおねが、フッと息をつき、打掛を翻した。
「よろしく頼むぞ。」
小さな声で侍女に言い残し、部屋をあとにした。
襖の外で聞こえる微かな気配に、秀吉の目が気づいた。
茶々の安らいだ寝息が身にかかってくる。
その向こうに、茶々の夜着がふんわりと畳まれて置かれていた。
(おねか……)
秀吉の目が、一瞬、はっとしたように開き、ぐるりと瞳が回る。
(…まぁ…よい……)
秀吉はそう思うと、再び眠りへと落ちた。
◇◆◇
日も上がった頃、秀吉は朝餉を取る部屋へと姿を表した。
「おっかぁ、来とりゃーしたか。」
久しぶりに朝から訪れてきている母の顔を見、秀吉がにこやかに笑う。
「あら、おまえさま。」
トストスと歩いてきた秀吉に、おねが驚いた。
「お早いお戻りでございますね。」
「約束であるからの。」
秀吉がほのかに微笑んだ。この城にいるときは、おねと朝餉を共にする。それが秀吉のけじめであった。
「今日ぐらい茶々殿のもとで過ごされればようございましたのに……」
昔と同じようにご飯をよそいながら、のんびりとおねが言う。同時になかの大声がとんだ。
「日吉っ!」
「ひ・で・よ・しじゃ」
秀吉が膳を前に座り、「またか」とばかりに顔をしかめ、母に向かって教えるように言う。
「そんなことはどっちゃでもええぎゃ。おみゃぁ、ええ年からげて、まーた女子に手をつけただか。おねのことも考えてみゃー。」
なかが皺だらけの顔で目を剥き、息をもつかず秀吉を責めた。しかし、息子は動じることもなく、汁に箸をつけ、ズズッとすする。
「大名のたしなみじゃ。」
特に言い返すでもなく、秀吉はそれだけ言うと飯碗を受け取り、飯を掻き込んだ。
「おみゃーは近頃、二言目にはそれじゃ。どんだけえろうなったか知りゃーせんが、おねがいるおかげじゃにゃーか。」
ガツガツと飯を食う秀吉に、なかがパンパンと畳を叩きながら、にじり寄る。
「わかっとる。」
秀吉は、ポリポリと漬け物を噛みながら、そっけない返事をした。
「いーや、解っておりゃーせん。わしは心苦しいがや。おねー、すまんのう。」
「いいえ、おかかさま。私もこの人の子を見てみちょーございますゆえ。」
心底申し訳なさそうな老義母に、おねは優しい微笑みを返す。
すかさず、秀吉が言葉を継いだ。
「ほれ、おねがいいと言うちょーがね。」
「こんたわけが!」
なかの拳骨がコツンと秀吉の頭に落ちた。
「いってぇ!」
秀吉が小さな子供のように頭を押さえる。
なかは、とがった唇の秀吉の頬をグイと摘まんで続けた。
「開き直ってどうするがや。おねを大事にせんと、わしゃー百姓に戻るでね。」
「いてぇ、おっかぁ、わかった。じゃから、朝餉に戻って来たんだがね。」
秀吉が情けなさそうな顔で母に許しを乞い、おねに目で助けを求める。
「おかかさま、許してあげてつかぁさい。この人から女子をとったら病気になります。」
おねがにっこりと真面目くさった顔を作り、姑にとりなした。
「おねが言うなら、まぁええがや。」
息子の頬から手を離し、なかは膳の前へと戻った。
「お~イテテ。おね~、そなたは儂の女神様じゃ。」
頬をさすりながら、秀吉はおねを拝んだ。
「まぁ、調子のよい。」
あきれたようなおねの微笑みに、三人の笑い声が響く。
「日吉。」
「ひでよし、じゃ。」
「おねを泣かせたら、わしが許さんでね。」
「わかっちょーよ。おっかぁ。」
秀吉はおねを見て微笑み、またゆっくりと箸を進めた。
*****
【三方】お供えなどに使われる台。
寝所の中央にある大きな褥では、男と女が抱き合って眠っている。
二人を起こさぬように息を殺し、三方を捧げた女が枕元へと進んだ。
そっと枕元へ三方を置いた女の目に、脱ぎ散らかされた男と女の夜着が映る。
(おまえさま…)
おねの頭の中に、布団の中で抱き合っている秀吉と茶々の姿が浮かんだ。
やれやれと言う思いと、茶々へのいくらかの嫉妬が胸を突く。
溜め息が出そうなのをグッとこらえ、おねは二人の夜着をソッと畳み、布団のそばに寄せた。
天を仰いで立ち上がったおねは、再び足音も立てず部屋から出、静かに静かに襖を閉めた。
襖の外で平伏した宿直の侍女に、おねが小さく声をかける。
「ご苦労じゃな。殿下はようお休みになっておるゆえ、いつものようには起こさず寝かせてやっておくれ。」
「承知いたしました。」
頭を下げる侍女に女主人はゆっくり頷く。
(あのような格好をしておられるとは…茶々殿がそしられるではないか…。)
茶々を思いやるような感情が、おねは悋気であるとすぐに自覚した。
秀吉にとって茶々が特別な女子なのを目の当たりにして、心がざわついている。
(よいことではないか…子を生んでもらわねば…)
しばらく襖を見つめていたおねが、フッと息をつき、打掛を翻した。
「よろしく頼むぞ。」
小さな声で侍女に言い残し、部屋をあとにした。
襖の外で聞こえる微かな気配に、秀吉の目が気づいた。
茶々の安らいだ寝息が身にかかってくる。
その向こうに、茶々の夜着がふんわりと畳まれて置かれていた。
(おねか……)
秀吉の目が、一瞬、はっとしたように開き、ぐるりと瞳が回る。
(…まぁ…よい……)
秀吉はそう思うと、再び眠りへと落ちた。
◇◆◇
日も上がった頃、秀吉は朝餉を取る部屋へと姿を表した。
「おっかぁ、来とりゃーしたか。」
久しぶりに朝から訪れてきている母の顔を見、秀吉がにこやかに笑う。
「あら、おまえさま。」
トストスと歩いてきた秀吉に、おねが驚いた。
「お早いお戻りでございますね。」
「約束であるからの。」
秀吉がほのかに微笑んだ。この城にいるときは、おねと朝餉を共にする。それが秀吉のけじめであった。
「今日ぐらい茶々殿のもとで過ごされればようございましたのに……」
昔と同じようにご飯をよそいながら、のんびりとおねが言う。同時になかの大声がとんだ。
「日吉っ!」
「ひ・で・よ・しじゃ」
秀吉が膳を前に座り、「またか」とばかりに顔をしかめ、母に向かって教えるように言う。
「そんなことはどっちゃでもええぎゃ。おみゃぁ、ええ年からげて、まーた女子に手をつけただか。おねのことも考えてみゃー。」
なかが皺だらけの顔で目を剥き、息をもつかず秀吉を責めた。しかし、息子は動じることもなく、汁に箸をつけ、ズズッとすする。
「大名のたしなみじゃ。」
特に言い返すでもなく、秀吉はそれだけ言うと飯碗を受け取り、飯を掻き込んだ。
「おみゃーは近頃、二言目にはそれじゃ。どんだけえろうなったか知りゃーせんが、おねがいるおかげじゃにゃーか。」
ガツガツと飯を食う秀吉に、なかがパンパンと畳を叩きながら、にじり寄る。
「わかっとる。」
秀吉は、ポリポリと漬け物を噛みながら、そっけない返事をした。
「いーや、解っておりゃーせん。わしは心苦しいがや。おねー、すまんのう。」
「いいえ、おかかさま。私もこの人の子を見てみちょーございますゆえ。」
心底申し訳なさそうな老義母に、おねは優しい微笑みを返す。
すかさず、秀吉が言葉を継いだ。
「ほれ、おねがいいと言うちょーがね。」
「こんたわけが!」
なかの拳骨がコツンと秀吉の頭に落ちた。
「いってぇ!」
秀吉が小さな子供のように頭を押さえる。
なかは、とがった唇の秀吉の頬をグイと摘まんで続けた。
「開き直ってどうするがや。おねを大事にせんと、わしゃー百姓に戻るでね。」
「いてぇ、おっかぁ、わかった。じゃから、朝餉に戻って来たんだがね。」
秀吉が情けなさそうな顔で母に許しを乞い、おねに目で助けを求める。
「おかかさま、許してあげてつかぁさい。この人から女子をとったら病気になります。」
おねがにっこりと真面目くさった顔を作り、姑にとりなした。
「おねが言うなら、まぁええがや。」
息子の頬から手を離し、なかは膳の前へと戻った。
「お~イテテ。おね~、そなたは儂の女神様じゃ。」
頬をさすりながら、秀吉はおねを拝んだ。
「まぁ、調子のよい。」
あきれたようなおねの微笑みに、三人の笑い声が響く。
「日吉。」
「ひでよし、じゃ。」
「おねを泣かせたら、わしが許さんでね。」
「わかっちょーよ。おっかぁ。」
秀吉はおねを見て微笑み、またゆっくりと箸を進めた。
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【三方】お供えなどに使われる台。
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