2 / 3
中編
しおりを挟む
馴染みの店は件の店のすぐ近くだ。このまま明け方まで過ごして品物を受け取れば、二度手間にならず丁度良い。
「いらっしゃい。久し振りだね」
「こんばんは、仕事が忙しくてね。職場とここが近ければ毎日でも通うのに」
「それはそれで身体の心配をするよ。ほどほどに休んでくれ」
カウンター席と数卓のテーブル席を携えたこの店は、今のご主人様・和哉様に仕える前のご主人様の時から通っていた。
客の大半は外国人だ。人種も様々。一見ガラの悪そうに見えるヤツもいるが、身元もしっかりとしたエリートビジネスマンばかりだ。
本当にガラの悪いヤツらの大半は、ここで問題を起こせば色々な意味で抹消されると知っているので絶対に来ない。
スツールに腰掛けるとすぐに琥珀色のグラスがカウンターに置かれた。
バーボンウイスキーのベイカーズ。甘い香りが好きで、ここでの最初の一杯はこれと決めている。
マスターもそれを分かっているので、何も言わなくてもそれを出してくれる。
「いつもより早い時間だけど、何かあったのか?」
「……ただの休みですよ。たまった有給休暇を取らせて貰ったので、たまには早い時間からもいいかと」
「それならいいが」
マスターは何か言いたげだったけど何も言わなかった。
ここではそうだ。こちらから話さなければ、マスターは何も突っ込んで聞いてはこない。
プライベートに深入りされなくてありがたいのだが、心配されるのはやはり心苦しい。
「マスター、抱きたいという感情は、肉欲や性愛感情だけなんですかね」
「セックスのことかい? 生理的欲求もあるだろうけど、それだけじゃないんじゃないか? 誰だってセックスしたくても嫌いなヤツは抱きたくないだろう」
「まあ、そうですね」
マスターは知らないが、私はそれこそ肉体的欲求だけで誰彼構わず抱いていた過去がある。
嫌いとか好きとかそういう感情は一切持ち合わせず、その時の気分と相性が良さそうというだけで抱いていた。
「少なからず愛はあるんじゃないか? 恋愛とまで発展しなくても、大事にしてやりたいとか守ってやりたいって気持ちから、抱きたいって感じるんじゃないか?」
「大事にしてやりたい、ですか……」
仕事でハラハラさせられたり助けてあげなければと思う事はあるが、大事にしてあげたいとう感情を持ったことがあっただろうか?
幼馴染の誘拐未遂事件のあとは、守ってやりたいよりも拘束しておきたい気持ちでいっぱいだった。
その時にはっきり『誰にも抱かせたくない』という気持ちが芽生えたが、単なる独占欲であって愛ではない。
「タカヒロは頭が常に仕事モードだから、そういった感情になりにくいのかもな」
「ですね。休みの時も仕事が心配になります」
社畜だな、とマスターは声をあげて笑った。
確かに執事なんて社畜中の社畜なんじゃなかろうか。就業後だって屋敷の中にいれば『私』なんてない。
「そんなに考え込まず、ゆっくりしていきな。せっかくの休みなんだから」
これは奢りだ、と二杯目のグラスがカウンターに置かれた。
先ほどのベイカーズと違ってピート香とヨード香が強い。飲んだ事はなかったが、中身不詳のモルトがあると聞いたことはあった。フィンラガン、それかもしれない。
どこの蒸留所か想像しながら楽しみながら飲むモルト。考えすぎるなと言いつつ、自分の抱きたい感情はどこから来ているのか想像してみろというマスターのメッセージなのか。
「じっくり楽しませていただきます」
軽くグラスを掲げ、ウイスキーを口へ運ぶ。甘くフルーティーな感じは私好みだった。
ウイスキーを傾けながらあれこれ想像する間もなく、二口めを口へ運ぶと背後からハスキーな英語で声を掛けられた。
『やだ、タカヒロじゃない。久し振り、全然顔見せないでどうしたのよ』
振り向くと、金色ストレートのロングヘアの美女が親し気にウインクしてきた。
『ああ、ダイアナですか。お久し振りです』
『素っ気ないわね、何か元気ないんじゃない?』
『そうですか? 普通なんですけどね』
普通にしているつもりだが、傍から見れば普通じゃないのか。
いつもの私は皆にどう見えていたんだろう。
『聞こえちゃったわよ、マスターとの話。セックスについての悩み?』
『そんなところですね。ダイアナには無関係そうな話でしょうが』
『そうでもないわよ? ねぇ、みんな来てるからあっちで飲みながら話さない?』
クイと指を指した方には三人の姿があった。
ビリヤード台の側のテーブル席を陣取って飲んでいたらしい。
『お邪魔させていただきます。ダイアナ達は何を飲んでいるんです?』
『好き好きにオーダーさせて貰ってるわ』
新しくウイスキーをオーダーし、ダイアナに他の三人分のオーダーを任せ席を移動した。
テーブルには見慣れた顔の男が二人と女が一人。人種も黒人、中国人、白人とバラバラだ。
『ようタカヒロ、シケた面してんなぁ』
『それは失礼だよボビー。何か悩んでるみたいだよ』
『男前には変わりないけどね』
席に着くなり挨拶代わりに軽口を叩く。私と彼女らとのお約束のようなものだった。
これでも皆、会社を経営していたりと和哉様にも劣らない資産家たちだ。
『ダイアナから聞いたんでしょう。私が悩んでいるみたいだって』
BGMも小さめに掛けられている。さほど広くないこの店ではあるが、カウンターからテーブル席まで声が届くのは大声を出さない限り聞こえない。
私の姿を見掛けたダイアナはカウンターまで声を掛けに来て、そこでマスターとの会話を聞いたのだろう。
『まあねー。で、何なのそのセイアイカンジョウってのは』
オーダーを終えたダイアナが戻ってきて話に加わる。
いくら日本語が話せるといっても、全ての日本語の意味が分かるわけではないようだ。
『意味的にはセックスしたくて堪らない気持ちってところでしょうか。肉体だけが欲しい感情』
『えー? 別におかしくないでしょ。それ本能だし』
『でも、そこには好きとかの感情は発生しないんだよね?』
『私は嫌だわ、愛のないセックス』
私の説明にダイアナと中国人の浩然とフランスから来たというクロエが意見を述べた。
『俺は別に誰だって構わないな。病気さえ持っていなければ』
『ちょっとボビー! それ浮気宣言!?』
ギロリと睨み、クロエがボビーの胸倉を掴み上げた。
『ギブっ! ギブアップ! 今はクロエ一筋です! 愛してます!』
両手を上げ許しを乞う。
外国人は簡単に『愛している』というが、それは本当に愛しているのだろうかと疑問にもなる。
『最初は肉体的欲求で誰かとセックスすることもあるかもしれないけど、そこから好きになるってこともあるわよ』
『それは身体の相性が良くて、身体に溺れているということではなく?』
「そう。単に身体だけ欲しいんじゃなく、その人の全てが欲しくなるの。身体も気持ちも』
『セックスしてる時って素が見えるじゃない? そんな普段みれない姿を垣間見ると、もっとその人のことを知りたいとかってタカヒロは思わない?』
ダイアナが言うように素の部分が見えるというのは本当だ。
和哉様だって普段は性欲なんて関係ないような顔をして過ごしているのに、抱かれているときは貪欲までに私を求める。
聖人ぶっているが正体は普通の欲情にまみれたただの男だ。
艶っぽく、淫らに、白い肌を上気させながら私のモノに悦ぶただの男。
『タカヒロはセックスした相手に恋愛感情は抱かないの?』
『セックスした相手に恋愛感情を抱いていたら、今頃ここにいる三人の誰かもしくは全員と恋人関係になっていると思うが』
『それもそうね。タカヒロはセックスに関しては情熱的だけど、感情的には冷めてるもの』
『タカヒロの身体には溺れるけど、この人と恋人関係になるって考えると、ねぇ……』
女性達は口々に私とのセックスはいいが人間的にはだめだと言う。
自分でいうのも変だが、確かに感情的には冷めている。ドライというか起伏がないというか。
普通に話す分には問題ないのだろう。だから彼女らは私とこうして今でも交友関係を続けてくれている。
『僕はタカヒロのこと全て知りたいと思ってるよ。身体もだけど、心も全て欲しいと思ってる』
『浩然、それは愛の告白?』
『告白はとうの昔にしてフラれてるよ。あなたに私は相応しくないってね』
少し寂しそうに浩然は言った。
彼は私に告白をしてきたが、その頃は今よりももっと感情がドライだった。
抱くのも肉欲だけ。話も面白かったし、抱き心地のよさそうな身体をしていたから誘われてすぐにOKした。
抱いたあとに『付き合いたい』と告白され、この人も外見と身体だけで私と付き合いたいのだな、と思って断った。
『なんだお前ら。みんなタカヒロとセックスしてたのかよ。俺は男に興味ないが、そんなに良かったのか?』
『すごい良かったわよ~。何ならボビーもタカヒロとしてみたら?』
『冗談。男にケツ掘られるなんてゴメンだね』
『別に私は掘られても構わないですが。ボビーさえよければ』
『俺は女の柔らかい胸とすべすべの肌が好きなんだ。野郎の平らな胸に興味はねえ!』
『それは残念です』
掘られても構わないがボビーは本気で嫌がっているし、私としてもボビーのゴツゴツした身体は抱きたいと思わないので、本気で残念とは思ってはいない。
『それじゃあタカヒロは誰のことを想ってそんなことを言い出したの? 今まで肉欲だけで誰彼構わずセックスしてきたのに』
ダイアナが核心をついてきた。
彼女らにマスターのような配慮と遠慮はない。
『そういえば最近、全然タカヒロが誰かとセックスしたって話聞かないわね。タカヒロが誰かとセックスすると、必ずといっていい程した人が自慢して歩くから耳に入るんだけど』
『なんですか、それ……』
知らなかった。
私が誰かを抱くとその人が自慢して歩くなんて。
『タカヒロが転職する前はしょっちゅう聞いたよ。今の職場に移ってから殆ど聞かなくなった』
『タカヒロの仕事って確か……』
浩然の言葉を受け、クロエが記憶を巡らす。
四人は私の仕事を知っている。もちろん彼女らの仕事を私も知っている。
『セックスしたくて止まない相手って、お前のご主人様なのか?』
ポカンとした顔でボビーが言う。
他の三人は顔を見合わせ、少しだけ困惑した表情をしている。
当然だろう。雇用者が雇用主に手を出したなんて、常識で考えればよろしくない事だ。
『言っておきますが、私から誘ったわけではありません。彼から切望され、『仕事』としてセックスしただけです』
『仕事としてセックスしたなら何でそこまで悩むの? 割り切って今までどおり仕事としてセックスしてあげればいいだけじゃない』
『割り切れたらタカヒロは悩んでないだろう』
当たり前だろう、とふんぞり返るボビーにダイアナはご不満の様子だ。
『あれじゃないの? タカヒロは仕事熱心だから、ご主人様が『セックスしたい』って気持ちを察してしまうのでは? だから自分の欲求ではなく、ご主人様の欲求で『ご主人様とセックスしたい』って気持ちに陥ってるのでは?』
『それはありそうね。普通に話している時のタカヒロも敬語だもの。仕事から抜け出せていない』
言われるまでもなく、常に仕事モードから抜け出せない。もう敬語が通常語になりかけている。
『ねえタカヒロ、一度すっぱり仕事のことを忘れてみては? その状態でご主人様とセックスするのよ。そうすれば仕事としてセックスしたい気持ちになっているのか、自分の感情でセックスしたいのか分かるかもよ?』
『確かに普段のタカヒロの状態でセックスすれば、その気持ちが何なのか分かるかもしれないわ』
『そう……ですかね』
自分のことは自分が一番良く分かっているようで、実はよく見えていないと思い知らされる。
周りにそう言われて初めて気付くこともあれば、やっぱりと確信させられる部分もある。
自分では説明しきれない和哉様への独占欲と性愛。
皆が言うように一度『執事』の私をどこかへ追いやるらなければ、この感情への説明はつかないのかもしれない。
『明後日、ご主人様とセックスする予定があります。そこで執事としての自分を捨てて普段の私としてセックスをしてみたいと思います』
それでこの気持ちに白黒をつけよう。
和哉様へのシンクロした欲情からなのか、私の性愛感情なのか。それとも……。
『これでタカヒロの悩みは解決ね。相談料はここの飲み代でいいわよ』
『大丈夫、ちゃんと加減して飲むから。私達そこまで鬼畜じゃないし』
『やった! タカヒロの奢りか、飲むぞ!』
解決方法ともいえるものが見つかると、三人はほっと胸を撫で下ろし空になったグラスを持ってカウンターへと向かった。
私も後に続こうと立ち上がると、後ろから浩然が裾を掴み声をかけてきた。
『タカヒロ。もし本当の自分を見せてご主人様に嫌われてしまって屋敷に居づらくなったら、僕のところへこないか? タカヒロの勤めるお屋敷ほど大きい会社ではないと思うが、僕の会社は日本でも中国でも上場している。仕事上のパートナーだけではなく、人生のパートナーとしても僕の傍にいて欲しいんだ』
『浩然……。君の気持ちはありがたいけど、その申し出は受け取れません。一度振ってしまっているのに、それは調子が良すぎるというものです』
『それでもいいんだ。僕はタカヒロのことが好きでたまらないんだ』
情熱的な瞳で見つめる浩然。
和哉様もこんな瞳で私をたまに見ることがある。あれは私を好きということなのか?
『少し、考えさせてくれないか。まだ自分の感情の整理もついていません』
『そうだよね、今タカヒロ悩んでるんだもんね。解決して落ち着いたら、もう一度返事を聞かせて欲しい』
『分かりました。落ち着いたら、もう一度返事をさせていただきます』
私の答えを聞き浩然はニコリと笑い、グラスを持って立ち上がった。
笑ってはいたが、私が浩然の申し出を受けないと分かったのだろう。笑顔の陰には諦めの色が見えていた。
『今日はタカヒロの奢りだよね。たくさん飲ませて貰うよ』
『好きなだけ飲んで下さい。ただし、仕事に差し支えのない程度でお願いします』
その後四人と飲んで、騒いだ。
コロナビールを片手にダーツに興じ、馬鹿な罰ゲームを賭けてビリヤードをし盛り上がった。
気付けば朝になっていた。
マスターが声を掛けてくれなければそのまま飲み続け、誰かが寝落ちするまで時間など気にすることはなかっただろう。
「マスター、こんな時間までお騒がせしてすいませんでした」
「いやいや。売り上げに貢献して貰えたし、全然構わないよ」
そう言って手渡された伝票には、かなり勉強してもらったとしか思えない金額が書かれていた。
「マスター!?」
「忙しくても前みたいにもう少し顔出して貰えると嬉しいな。タカヒロの悩みの原因となった相手と一緒にね」
「マスター……」
誰かから聞いたわけではないのだろうが、私の顔を見て悩みは解決したと判断したらしい。
「ええ、是非二人で寄らせていただきます」
会計を済ませ、もう一度マスターに会釈をして店の外に出た。
店の営業は一応終わっている筈なのに、彼女らはまだ居座ってソフトドリンクを飲んでいた。
『次来るときは、もっといい顔して来なさいよ!』
『セックス頑張って!』
苦笑いをしながら軽く手を上げ、彼女らの言葉に返事を返した。
「いらっしゃい。久し振りだね」
「こんばんは、仕事が忙しくてね。職場とここが近ければ毎日でも通うのに」
「それはそれで身体の心配をするよ。ほどほどに休んでくれ」
カウンター席と数卓のテーブル席を携えたこの店は、今のご主人様・和哉様に仕える前のご主人様の時から通っていた。
客の大半は外国人だ。人種も様々。一見ガラの悪そうに見えるヤツもいるが、身元もしっかりとしたエリートビジネスマンばかりだ。
本当にガラの悪いヤツらの大半は、ここで問題を起こせば色々な意味で抹消されると知っているので絶対に来ない。
スツールに腰掛けるとすぐに琥珀色のグラスがカウンターに置かれた。
バーボンウイスキーのベイカーズ。甘い香りが好きで、ここでの最初の一杯はこれと決めている。
マスターもそれを分かっているので、何も言わなくてもそれを出してくれる。
「いつもより早い時間だけど、何かあったのか?」
「……ただの休みですよ。たまった有給休暇を取らせて貰ったので、たまには早い時間からもいいかと」
「それならいいが」
マスターは何か言いたげだったけど何も言わなかった。
ここではそうだ。こちらから話さなければ、マスターは何も突っ込んで聞いてはこない。
プライベートに深入りされなくてありがたいのだが、心配されるのはやはり心苦しい。
「マスター、抱きたいという感情は、肉欲や性愛感情だけなんですかね」
「セックスのことかい? 生理的欲求もあるだろうけど、それだけじゃないんじゃないか? 誰だってセックスしたくても嫌いなヤツは抱きたくないだろう」
「まあ、そうですね」
マスターは知らないが、私はそれこそ肉体的欲求だけで誰彼構わず抱いていた過去がある。
嫌いとか好きとかそういう感情は一切持ち合わせず、その時の気分と相性が良さそうというだけで抱いていた。
「少なからず愛はあるんじゃないか? 恋愛とまで発展しなくても、大事にしてやりたいとか守ってやりたいって気持ちから、抱きたいって感じるんじゃないか?」
「大事にしてやりたい、ですか……」
仕事でハラハラさせられたり助けてあげなければと思う事はあるが、大事にしてあげたいとう感情を持ったことがあっただろうか?
幼馴染の誘拐未遂事件のあとは、守ってやりたいよりも拘束しておきたい気持ちでいっぱいだった。
その時にはっきり『誰にも抱かせたくない』という気持ちが芽生えたが、単なる独占欲であって愛ではない。
「タカヒロは頭が常に仕事モードだから、そういった感情になりにくいのかもな」
「ですね。休みの時も仕事が心配になります」
社畜だな、とマスターは声をあげて笑った。
確かに執事なんて社畜中の社畜なんじゃなかろうか。就業後だって屋敷の中にいれば『私』なんてない。
「そんなに考え込まず、ゆっくりしていきな。せっかくの休みなんだから」
これは奢りだ、と二杯目のグラスがカウンターに置かれた。
先ほどのベイカーズと違ってピート香とヨード香が強い。飲んだ事はなかったが、中身不詳のモルトがあると聞いたことはあった。フィンラガン、それかもしれない。
どこの蒸留所か想像しながら楽しみながら飲むモルト。考えすぎるなと言いつつ、自分の抱きたい感情はどこから来ているのか想像してみろというマスターのメッセージなのか。
「じっくり楽しませていただきます」
軽くグラスを掲げ、ウイスキーを口へ運ぶ。甘くフルーティーな感じは私好みだった。
ウイスキーを傾けながらあれこれ想像する間もなく、二口めを口へ運ぶと背後からハスキーな英語で声を掛けられた。
『やだ、タカヒロじゃない。久し振り、全然顔見せないでどうしたのよ』
振り向くと、金色ストレートのロングヘアの美女が親し気にウインクしてきた。
『ああ、ダイアナですか。お久し振りです』
『素っ気ないわね、何か元気ないんじゃない?』
『そうですか? 普通なんですけどね』
普通にしているつもりだが、傍から見れば普通じゃないのか。
いつもの私は皆にどう見えていたんだろう。
『聞こえちゃったわよ、マスターとの話。セックスについての悩み?』
『そんなところですね。ダイアナには無関係そうな話でしょうが』
『そうでもないわよ? ねぇ、みんな来てるからあっちで飲みながら話さない?』
クイと指を指した方には三人の姿があった。
ビリヤード台の側のテーブル席を陣取って飲んでいたらしい。
『お邪魔させていただきます。ダイアナ達は何を飲んでいるんです?』
『好き好きにオーダーさせて貰ってるわ』
新しくウイスキーをオーダーし、ダイアナに他の三人分のオーダーを任せ席を移動した。
テーブルには見慣れた顔の男が二人と女が一人。人種も黒人、中国人、白人とバラバラだ。
『ようタカヒロ、シケた面してんなぁ』
『それは失礼だよボビー。何か悩んでるみたいだよ』
『男前には変わりないけどね』
席に着くなり挨拶代わりに軽口を叩く。私と彼女らとのお約束のようなものだった。
これでも皆、会社を経営していたりと和哉様にも劣らない資産家たちだ。
『ダイアナから聞いたんでしょう。私が悩んでいるみたいだって』
BGMも小さめに掛けられている。さほど広くないこの店ではあるが、カウンターからテーブル席まで声が届くのは大声を出さない限り聞こえない。
私の姿を見掛けたダイアナはカウンターまで声を掛けに来て、そこでマスターとの会話を聞いたのだろう。
『まあねー。で、何なのそのセイアイカンジョウってのは』
オーダーを終えたダイアナが戻ってきて話に加わる。
いくら日本語が話せるといっても、全ての日本語の意味が分かるわけではないようだ。
『意味的にはセックスしたくて堪らない気持ちってところでしょうか。肉体だけが欲しい感情』
『えー? 別におかしくないでしょ。それ本能だし』
『でも、そこには好きとかの感情は発生しないんだよね?』
『私は嫌だわ、愛のないセックス』
私の説明にダイアナと中国人の浩然とフランスから来たというクロエが意見を述べた。
『俺は別に誰だって構わないな。病気さえ持っていなければ』
『ちょっとボビー! それ浮気宣言!?』
ギロリと睨み、クロエがボビーの胸倉を掴み上げた。
『ギブっ! ギブアップ! 今はクロエ一筋です! 愛してます!』
両手を上げ許しを乞う。
外国人は簡単に『愛している』というが、それは本当に愛しているのだろうかと疑問にもなる。
『最初は肉体的欲求で誰かとセックスすることもあるかもしれないけど、そこから好きになるってこともあるわよ』
『それは身体の相性が良くて、身体に溺れているということではなく?』
「そう。単に身体だけ欲しいんじゃなく、その人の全てが欲しくなるの。身体も気持ちも』
『セックスしてる時って素が見えるじゃない? そんな普段みれない姿を垣間見ると、もっとその人のことを知りたいとかってタカヒロは思わない?』
ダイアナが言うように素の部分が見えるというのは本当だ。
和哉様だって普段は性欲なんて関係ないような顔をして過ごしているのに、抱かれているときは貪欲までに私を求める。
聖人ぶっているが正体は普通の欲情にまみれたただの男だ。
艶っぽく、淫らに、白い肌を上気させながら私のモノに悦ぶただの男。
『タカヒロはセックスした相手に恋愛感情は抱かないの?』
『セックスした相手に恋愛感情を抱いていたら、今頃ここにいる三人の誰かもしくは全員と恋人関係になっていると思うが』
『それもそうね。タカヒロはセックスに関しては情熱的だけど、感情的には冷めてるもの』
『タカヒロの身体には溺れるけど、この人と恋人関係になるって考えると、ねぇ……』
女性達は口々に私とのセックスはいいが人間的にはだめだと言う。
自分でいうのも変だが、確かに感情的には冷めている。ドライというか起伏がないというか。
普通に話す分には問題ないのだろう。だから彼女らは私とこうして今でも交友関係を続けてくれている。
『僕はタカヒロのこと全て知りたいと思ってるよ。身体もだけど、心も全て欲しいと思ってる』
『浩然、それは愛の告白?』
『告白はとうの昔にしてフラれてるよ。あなたに私は相応しくないってね』
少し寂しそうに浩然は言った。
彼は私に告白をしてきたが、その頃は今よりももっと感情がドライだった。
抱くのも肉欲だけ。話も面白かったし、抱き心地のよさそうな身体をしていたから誘われてすぐにOKした。
抱いたあとに『付き合いたい』と告白され、この人も外見と身体だけで私と付き合いたいのだな、と思って断った。
『なんだお前ら。みんなタカヒロとセックスしてたのかよ。俺は男に興味ないが、そんなに良かったのか?』
『すごい良かったわよ~。何ならボビーもタカヒロとしてみたら?』
『冗談。男にケツ掘られるなんてゴメンだね』
『別に私は掘られても構わないですが。ボビーさえよければ』
『俺は女の柔らかい胸とすべすべの肌が好きなんだ。野郎の平らな胸に興味はねえ!』
『それは残念です』
掘られても構わないがボビーは本気で嫌がっているし、私としてもボビーのゴツゴツした身体は抱きたいと思わないので、本気で残念とは思ってはいない。
『それじゃあタカヒロは誰のことを想ってそんなことを言い出したの? 今まで肉欲だけで誰彼構わずセックスしてきたのに』
ダイアナが核心をついてきた。
彼女らにマスターのような配慮と遠慮はない。
『そういえば最近、全然タカヒロが誰かとセックスしたって話聞かないわね。タカヒロが誰かとセックスすると、必ずといっていい程した人が自慢して歩くから耳に入るんだけど』
『なんですか、それ……』
知らなかった。
私が誰かを抱くとその人が自慢して歩くなんて。
『タカヒロが転職する前はしょっちゅう聞いたよ。今の職場に移ってから殆ど聞かなくなった』
『タカヒロの仕事って確か……』
浩然の言葉を受け、クロエが記憶を巡らす。
四人は私の仕事を知っている。もちろん彼女らの仕事を私も知っている。
『セックスしたくて止まない相手って、お前のご主人様なのか?』
ポカンとした顔でボビーが言う。
他の三人は顔を見合わせ、少しだけ困惑した表情をしている。
当然だろう。雇用者が雇用主に手を出したなんて、常識で考えればよろしくない事だ。
『言っておきますが、私から誘ったわけではありません。彼から切望され、『仕事』としてセックスしただけです』
『仕事としてセックスしたなら何でそこまで悩むの? 割り切って今までどおり仕事としてセックスしてあげればいいだけじゃない』
『割り切れたらタカヒロは悩んでないだろう』
当たり前だろう、とふんぞり返るボビーにダイアナはご不満の様子だ。
『あれじゃないの? タカヒロは仕事熱心だから、ご主人様が『セックスしたい』って気持ちを察してしまうのでは? だから自分の欲求ではなく、ご主人様の欲求で『ご主人様とセックスしたい』って気持ちに陥ってるのでは?』
『それはありそうね。普通に話している時のタカヒロも敬語だもの。仕事から抜け出せていない』
言われるまでもなく、常に仕事モードから抜け出せない。もう敬語が通常語になりかけている。
『ねえタカヒロ、一度すっぱり仕事のことを忘れてみては? その状態でご主人様とセックスするのよ。そうすれば仕事としてセックスしたい気持ちになっているのか、自分の感情でセックスしたいのか分かるかもよ?』
『確かに普段のタカヒロの状態でセックスすれば、その気持ちが何なのか分かるかもしれないわ』
『そう……ですかね』
自分のことは自分が一番良く分かっているようで、実はよく見えていないと思い知らされる。
周りにそう言われて初めて気付くこともあれば、やっぱりと確信させられる部分もある。
自分では説明しきれない和哉様への独占欲と性愛。
皆が言うように一度『執事』の私をどこかへ追いやるらなければ、この感情への説明はつかないのかもしれない。
『明後日、ご主人様とセックスする予定があります。そこで執事としての自分を捨てて普段の私としてセックスをしてみたいと思います』
それでこの気持ちに白黒をつけよう。
和哉様へのシンクロした欲情からなのか、私の性愛感情なのか。それとも……。
『これでタカヒロの悩みは解決ね。相談料はここの飲み代でいいわよ』
『大丈夫、ちゃんと加減して飲むから。私達そこまで鬼畜じゃないし』
『やった! タカヒロの奢りか、飲むぞ!』
解決方法ともいえるものが見つかると、三人はほっと胸を撫で下ろし空になったグラスを持ってカウンターへと向かった。
私も後に続こうと立ち上がると、後ろから浩然が裾を掴み声をかけてきた。
『タカヒロ。もし本当の自分を見せてご主人様に嫌われてしまって屋敷に居づらくなったら、僕のところへこないか? タカヒロの勤めるお屋敷ほど大きい会社ではないと思うが、僕の会社は日本でも中国でも上場している。仕事上のパートナーだけではなく、人生のパートナーとしても僕の傍にいて欲しいんだ』
『浩然……。君の気持ちはありがたいけど、その申し出は受け取れません。一度振ってしまっているのに、それは調子が良すぎるというものです』
『それでもいいんだ。僕はタカヒロのことが好きでたまらないんだ』
情熱的な瞳で見つめる浩然。
和哉様もこんな瞳で私をたまに見ることがある。あれは私を好きということなのか?
『少し、考えさせてくれないか。まだ自分の感情の整理もついていません』
『そうだよね、今タカヒロ悩んでるんだもんね。解決して落ち着いたら、もう一度返事を聞かせて欲しい』
『分かりました。落ち着いたら、もう一度返事をさせていただきます』
私の答えを聞き浩然はニコリと笑い、グラスを持って立ち上がった。
笑ってはいたが、私が浩然の申し出を受けないと分かったのだろう。笑顔の陰には諦めの色が見えていた。
『今日はタカヒロの奢りだよね。たくさん飲ませて貰うよ』
『好きなだけ飲んで下さい。ただし、仕事に差し支えのない程度でお願いします』
その後四人と飲んで、騒いだ。
コロナビールを片手にダーツに興じ、馬鹿な罰ゲームを賭けてビリヤードをし盛り上がった。
気付けば朝になっていた。
マスターが声を掛けてくれなければそのまま飲み続け、誰かが寝落ちするまで時間など気にすることはなかっただろう。
「マスター、こんな時間までお騒がせしてすいませんでした」
「いやいや。売り上げに貢献して貰えたし、全然構わないよ」
そう言って手渡された伝票には、かなり勉強してもらったとしか思えない金額が書かれていた。
「マスター!?」
「忙しくても前みたいにもう少し顔出して貰えると嬉しいな。タカヒロの悩みの原因となった相手と一緒にね」
「マスター……」
誰かから聞いたわけではないのだろうが、私の顔を見て悩みは解決したと判断したらしい。
「ええ、是非二人で寄らせていただきます」
会計を済ませ、もう一度マスターに会釈をして店の外に出た。
店の営業は一応終わっている筈なのに、彼女らはまだ居座ってソフトドリンクを飲んでいた。
『次来るときは、もっといい顔して来なさいよ!』
『セックス頑張って!』
苦笑いをしながら軽く手を上げ、彼女らの言葉に返事を返した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
16
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる