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1 病弱な少年
1-6.無類の秀才(レアジ視点)
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あ。
と気づき、大急ぎで今来た道を引き返す。
まだその辺を屯していたブランシュ家の執事・クルトに声をかけた。
「クルト!」
「どうなさいましたか」
駆け寄って行って、黙って紙袋を突き出した。
紙袋といっても大きなものではない。両掌にのるような、小さなものだ。
中身は、自作の魔道具である。
「…土産、忘れてた」
「ご自分で渡されては?」
「……」
間髪入れず返されて、思わず押し黙る。
ホルスへの土産には、王都で買った茶葉を渡したから、これが誰宛かはバレているのだろう。
確かに、急いでいるわけでもないが…今更戻るのもダサい気がする。
口を結んでどうするべきかとぐるぐる思案した。
◆
結局、戻ることにした。
ダサい云々は一旦忘れておく。
「悪い、一つ忘れてて…」
まだ応接間にいるとのことなので、扉を開けて入っていくと、ソファで眠るエルと、彼に毛布をかけているバルトが目に入る。
(…寝てる)
スヤスヤと眠るエルに、燻っていた気持ちが剥がれ落ちていく。
全く、どんな感情も彼への愛しさには敵わない。
「忘れ物ですか?」
バルトがキョロキョロと部屋を見渡しているが、そんなことはどうでも良かった。
エルから目が離れない。
ゆっくりと歩み寄って、屈み込んで、そっとその髪を撫でた。
「……」
ふと我に帰り、不満げな視線を感じるが、なにも言わないバルトに苦笑が溢れる。
立ち上がって、バルトに紙袋を押し付けた。
「これは?」
無遠慮に紙袋の中を覗いている。
「あとでエルに渡してくれ。それと、」
そこで袋を押し返されて、言葉を止める。
「日持ちしないものでも無さそうですし、直接渡されるのがよろしいかと」
「……」
最もな気もするが、今渡さないのならば持ってきた意味がない。なにより、
(このために戻ってきたんだけど)
と思ってムッとする。
「お嫌ですか」
「いや、まあわかったけど、とりあえずエルを部屋に運んでもいいか?」
「なっ……」
返事を待たずに、エルの両腕を自分の肩まで引き上げて、抱き抱える。
(あー…幸せ)
少しも起きる気配はなく、スースーと幼い寝息を立てている。寝顔からは本当に普段の生意気さはかけらも感じられず、本当はまだ大人などではないことを実感する。
バルトは、俺に紙袋を渡す事を諦めたようだった。
(まあ…記憶と一緒に生意気さもどこかに無くしてきたみてぇだけど)
今日1年半ぶりに対面した少年は、驚くほど大人しく、ぎこちなかった。まるで初めて会った時のように、なんの先入観もない、正直な目が、少し眩しかったくらいだ。
酷く軽く小さくな、この世で一番大切な温もりに、心がホッとするのを感じる。失ったものを思っても、今ここにいてくれるだけで俺の支えになっていることには変わりない。
「はぁ…ではお願いします。私では運べませんから」
バルトが俺の顔を見て言い、応接間の扉を押さえた。
この少年執事は、俺が主人を溺愛するのをなんだかんだ言いながら許容してくれている。
「ああ」
バルトの先導に従いエルの自室まで行き、彼をベッドに下ろす。
少しも起きなかったなと、やや残念に思う。
もう一度言葉を交わしたいと思ってしまうのは贅沢だろうか。
彼は、また俺の存在を許してくれるだろうか。
また俺を、友人と言ってくれるだろうか。
「…忘れ物は終わりましたでしょうか、レアジ様」
「ああそうだな。終わった」
バルトの言い回しに笑いつつ、紙袋を受け取って、部屋の扉に手をかける。
扉を開いてから、振り返る。
「悪いな、ありがとう」
バルトが、俺から目線を外して呆れたように息を吐く。
「せっかく戻ってきたのにエル様と話せなかったら泣いてしまわれるでしょう」
「そんなことねぇよ」
「どうだか」
こいつも相当生意気になってきたなと思う。
(いや、こいつのほうが元からでエルに移ったか?)
まあ、なんでもいい。
「ありがとな、バルト」
スッと息を吸って、ニッと笑う。
「エルを頼む」
◇◆
メアスフラムは、国の東側、海洋に面する領地を持つ、由緒ある貴族家だ。領の主な特産品は海産物で、多く海防も担うため軍事力にも優れている。
そして俺、レアジ・カイト・メアスフラムはメアスフラム公爵家の長男である。
レイテュイア王家の燃えるような赤い髪と瞳を受け継いだ、絶世の美少年。また、最高の資質をもつ稀代の天才である。
自分で言うのはどうなんだと思わなくも無いが、これについては耳が腐るほど言われてきたので、流石に自負している。
五歳の時に技能省で鑑定した技能値は平均(3)の二倍を上回る7。適正もそこそこ多く、特殊魔法技能と呼ばれる赤青白黒のうちの一つ、青術の適正も有していた。青術は、全てのものへ回復・促進・強化を行う支援系魔術で、父上の十八番だった。
父上は俺にも青術の適正があることを喜んでいた。
「メアスフラムは主役ではない。他者を助け、守り、高める。そういう一族だ」
その言葉の通りに、父上は海を守り、領民を助け、国政を担う者の一員として、様々なことに取り組んできた。
母上は、現国王の妹なのだが、その母上と結婚するきっかけというのも、犯罪者の解放を望んだ一派に誘拐された母上を助け出したことだというのだから、筋金入りである。
聞いた時は、そんなことあってたまるか。と思ったものだが、母上は母上で、
「命がけで私の安寧を取り戻してくれたのよ。それが、今後何があっても揺らがない、私が彼に尽くす理由。信じられるものがなければ、結婚なんてしないわ」
なんて言っていたので、只事でなかったのは確かである。
それはそれとして、ともかく俺は、幼い頃からできないことはなかった。公爵家という家柄上、もちろん、手に入れられないものもなかった。
一つ下の妹・シュアも美しく優秀だったが、俺の前にはどうしても霞んだ。しかし、彼女は傲慢だった俺と違い、聡明で常に冷静さを欠くことなく、兄を立てることを知っていた。
普通なら彼女も天才と持て囃されても仕方ないスペックなのだが、あまりに優秀な兄を持ったために、驕ることを許されなかったのだろう。
早々に社交辞令を覚えて、俺なんかよりもずっと、人に好かれていた。
幼い俺は、俺の方が優秀なのになんでシュアばっかりと、度々妬んでいたのを覚えている。今思ってもクソである。
しかし人とは成長するもので、とある事件を機に、俺は自分の力の正しいと思える使い方に出会った。
自分にしかできないことがある。
自分にしか、目指せない道がある。
自分にしか、助けられない人がいる。
そのことの重要さを、七歳の時にやっと理解したのだ。
それからは、変に才能に溺れることはなく、そこそこ褒められた生き方はしてきたつもりだ。
技能も成長し、妹との差もそう無いものになって、幼い俺だったら憤慨していただろうと思っては苦笑する。
ブランシュ伯爵家の現当主・ホルスと出会ったのも七歳のときである。彼は当時二十四歳で、妻と幼い息子を養いながら王宮で王国魔術師として働いていた。ちなみにこの時の伯爵家当主は彼の兄であり、彼が継ぐ予定もなかった。
とにかくその時ホルスが、俺と妹の教育係として派遣されてきたのである。
ホルスは、気の良い青年であった。亜麻色の髪と、輝くような金色の瞳を持ち、いつも柔和な笑みを浮かべていた。
「お二人の教師になりました、ホルス・ルエド・ブランシュと申します。本日からよろしくお願いします。私のことは、どうぞホルスと呼び捨てでお呼びください」
教師としてきたはずだが、随分腰が低いと思った。
「家同士の格はあるとはいえ、今の立場的には私たちが教わる側なので、先生と敬うべきではありませんか?」
とシュアが発言すると、ホルスは少し申し訳なさそうに笑って、
「身分にしても立場にしても、過度に敬われるのは苦手なのです。お二人に関しても、教師と生徒というよりは、切磋琢磨できる友人のようになれたら嬉しいのですが…。それは難しいでしょうか」
と言った。
俺とシュアは顔を見合わせて、頷いた。
「じゃあ、俺はホルスって呼ぶぜ。俺のこともレアジでいい。口調も、堅苦しいのはなしだ」
「私のことも、シュアと呼んで」
ホルスが、驚いた顔をする。
「よろしいのですか…?」
「ああ、友達になりたいって言ったんだろ?」
ニヤリと笑うと、シュアも頷く。
「口調も、崩せるのなら崩してよね。友達なんだから」
ホルスは、俺たちの反応がよほど意外だったのだろう。
少し呆けた後、可笑しくて仕方ないというように笑い出す。そして最初よりずっと良い顔で、俺たちに向けて微笑んだ。
「ありがとう。よろしく、二人とも。」
差し出された手を二人で握り返した。
彼は、声も優しく口調も穏やかだが、少々抜けているところがあるようで、間違いがあって焦ったり些細なことで落ち込んだりする気の弱いやつだなという印象だった。
その度に、俺が諌めるように声を上げると、ホルスがやはり俺の方が優秀だと言い始めて、シュアが反論するように俺の悪口を言い始めて最終的に笑い合う、ということが多々あった。
ただ、抜けてはいても彼の実力は本物であった。俺たちの教育係になるだけはある。
まず初めに、ホルス・ルエド・ブランシュは赤青白黒のうち白術と赤術と青術の三つの技能を持つ、何かの間違いとしか思えない組み合わせの技能の持ち主だった。言い忘れていたが、通常、特殊魔法技能は、持っていないか、一人一つである。
言うまでもなく、見せられるまで半信半疑だったし、見せられた時はドン引きした。
そしてとにかく適正が多い。基礎技能値は2(平均3)、魔力量は190(平均500)と低かったため特別扱いをされるどころか落ちこぼれ扱いをされることの方が多かったようだが、努力の末に数々の技能を取得し、王国魔術師の資格を得るに至った秀才である。
今では取得した技能の多さ故、“技能の宝庫”とも称されているらしい。
しかも、他方面の知識も豊富で、どの分野から見ても十分に優秀といえる頭脳の持ち主でもあった。
選ばれるのも納得だ。
「今の技能値は?」
と聞いてみたことがある。
「44だ。」
「…限界値は?」
技能限界値は、最大で取得できる技能値のことだ。
「100」
化けもんだろ。
これを逸材と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
参考までに、俺の限界値は60である。畜生。
魔力量は俺が860で圧倒しているからいいものの、そうでなければブチギレるレベルの資質である。
実際シュアはこれを聞いた後、
「この世って不公平よね」
と言っていた。
彼女の限界値は…言わないでおく。 ※35
彼は度々、俺たちと自分の息子とを会わせたいということを言っていた。
息子というのはもちろんエル、サリエルのことだ。
この時エルは四歳で社交界デビューもしていなかったが、それを抜きにしても、
「体が弱い子でね…仲良くするのは難しいと言われるかもしれないけど、君たちみたいな人間の存在も知って欲しいなって思うんだ」
ということらしかった。
俺は単純に会ってみたいと思っていたのだが、シュアの方は、
「子守も看病も苦手だし、会うとしても、お互い学園に入る歳になってからね」
とあまり興味を示さなかった。
「子守って、お前自分のこと何歳だと思ってんだよ」
「言い方の問題でしょ。ホルスの息子でおまけに体が弱いなんて、扱いにくいだろうなって思っただけ」
「厳しいって。確かに、すぐ泣きそうとは思うけど」
「…君たちは私の息子をなんだと思っているんだ」
顔を見合わせる。
「「ホルスの小さい版?」」
そう言うと、ホルスは「私はすぐ泣いたりしないぞ」と口を尖らせていた。それは遠回しにサリエルの方は泣くと言っているようなものだろうが、彼は気づいていたのだろうか。
と気づき、大急ぎで今来た道を引き返す。
まだその辺を屯していたブランシュ家の執事・クルトに声をかけた。
「クルト!」
「どうなさいましたか」
駆け寄って行って、黙って紙袋を突き出した。
紙袋といっても大きなものではない。両掌にのるような、小さなものだ。
中身は、自作の魔道具である。
「…土産、忘れてた」
「ご自分で渡されては?」
「……」
間髪入れず返されて、思わず押し黙る。
ホルスへの土産には、王都で買った茶葉を渡したから、これが誰宛かはバレているのだろう。
確かに、急いでいるわけでもないが…今更戻るのもダサい気がする。
口を結んでどうするべきかとぐるぐる思案した。
◆
結局、戻ることにした。
ダサい云々は一旦忘れておく。
「悪い、一つ忘れてて…」
まだ応接間にいるとのことなので、扉を開けて入っていくと、ソファで眠るエルと、彼に毛布をかけているバルトが目に入る。
(…寝てる)
スヤスヤと眠るエルに、燻っていた気持ちが剥がれ落ちていく。
全く、どんな感情も彼への愛しさには敵わない。
「忘れ物ですか?」
バルトがキョロキョロと部屋を見渡しているが、そんなことはどうでも良かった。
エルから目が離れない。
ゆっくりと歩み寄って、屈み込んで、そっとその髪を撫でた。
「……」
ふと我に帰り、不満げな視線を感じるが、なにも言わないバルトに苦笑が溢れる。
立ち上がって、バルトに紙袋を押し付けた。
「これは?」
無遠慮に紙袋の中を覗いている。
「あとでエルに渡してくれ。それと、」
そこで袋を押し返されて、言葉を止める。
「日持ちしないものでも無さそうですし、直接渡されるのがよろしいかと」
「……」
最もな気もするが、今渡さないのならば持ってきた意味がない。なにより、
(このために戻ってきたんだけど)
と思ってムッとする。
「お嫌ですか」
「いや、まあわかったけど、とりあえずエルを部屋に運んでもいいか?」
「なっ……」
返事を待たずに、エルの両腕を自分の肩まで引き上げて、抱き抱える。
(あー…幸せ)
少しも起きる気配はなく、スースーと幼い寝息を立てている。寝顔からは本当に普段の生意気さはかけらも感じられず、本当はまだ大人などではないことを実感する。
バルトは、俺に紙袋を渡す事を諦めたようだった。
(まあ…記憶と一緒に生意気さもどこかに無くしてきたみてぇだけど)
今日1年半ぶりに対面した少年は、驚くほど大人しく、ぎこちなかった。まるで初めて会った時のように、なんの先入観もない、正直な目が、少し眩しかったくらいだ。
酷く軽く小さくな、この世で一番大切な温もりに、心がホッとするのを感じる。失ったものを思っても、今ここにいてくれるだけで俺の支えになっていることには変わりない。
「はぁ…ではお願いします。私では運べませんから」
バルトが俺の顔を見て言い、応接間の扉を押さえた。
この少年執事は、俺が主人を溺愛するのをなんだかんだ言いながら許容してくれている。
「ああ」
バルトの先導に従いエルの自室まで行き、彼をベッドに下ろす。
少しも起きなかったなと、やや残念に思う。
もう一度言葉を交わしたいと思ってしまうのは贅沢だろうか。
彼は、また俺の存在を許してくれるだろうか。
また俺を、友人と言ってくれるだろうか。
「…忘れ物は終わりましたでしょうか、レアジ様」
「ああそうだな。終わった」
バルトの言い回しに笑いつつ、紙袋を受け取って、部屋の扉に手をかける。
扉を開いてから、振り返る。
「悪いな、ありがとう」
バルトが、俺から目線を外して呆れたように息を吐く。
「せっかく戻ってきたのにエル様と話せなかったら泣いてしまわれるでしょう」
「そんなことねぇよ」
「どうだか」
こいつも相当生意気になってきたなと思う。
(いや、こいつのほうが元からでエルに移ったか?)
まあ、なんでもいい。
「ありがとな、バルト」
スッと息を吸って、ニッと笑う。
「エルを頼む」
◇◆
メアスフラムは、国の東側、海洋に面する領地を持つ、由緒ある貴族家だ。領の主な特産品は海産物で、多く海防も担うため軍事力にも優れている。
そして俺、レアジ・カイト・メアスフラムはメアスフラム公爵家の長男である。
レイテュイア王家の燃えるような赤い髪と瞳を受け継いだ、絶世の美少年。また、最高の資質をもつ稀代の天才である。
自分で言うのはどうなんだと思わなくも無いが、これについては耳が腐るほど言われてきたので、流石に自負している。
五歳の時に技能省で鑑定した技能値は平均(3)の二倍を上回る7。適正もそこそこ多く、特殊魔法技能と呼ばれる赤青白黒のうちの一つ、青術の適正も有していた。青術は、全てのものへ回復・促進・強化を行う支援系魔術で、父上の十八番だった。
父上は俺にも青術の適正があることを喜んでいた。
「メアスフラムは主役ではない。他者を助け、守り、高める。そういう一族だ」
その言葉の通りに、父上は海を守り、領民を助け、国政を担う者の一員として、様々なことに取り組んできた。
母上は、現国王の妹なのだが、その母上と結婚するきっかけというのも、犯罪者の解放を望んだ一派に誘拐された母上を助け出したことだというのだから、筋金入りである。
聞いた時は、そんなことあってたまるか。と思ったものだが、母上は母上で、
「命がけで私の安寧を取り戻してくれたのよ。それが、今後何があっても揺らがない、私が彼に尽くす理由。信じられるものがなければ、結婚なんてしないわ」
なんて言っていたので、只事でなかったのは確かである。
それはそれとして、ともかく俺は、幼い頃からできないことはなかった。公爵家という家柄上、もちろん、手に入れられないものもなかった。
一つ下の妹・シュアも美しく優秀だったが、俺の前にはどうしても霞んだ。しかし、彼女は傲慢だった俺と違い、聡明で常に冷静さを欠くことなく、兄を立てることを知っていた。
普通なら彼女も天才と持て囃されても仕方ないスペックなのだが、あまりに優秀な兄を持ったために、驕ることを許されなかったのだろう。
早々に社交辞令を覚えて、俺なんかよりもずっと、人に好かれていた。
幼い俺は、俺の方が優秀なのになんでシュアばっかりと、度々妬んでいたのを覚えている。今思ってもクソである。
しかし人とは成長するもので、とある事件を機に、俺は自分の力の正しいと思える使い方に出会った。
自分にしかできないことがある。
自分にしか、目指せない道がある。
自分にしか、助けられない人がいる。
そのことの重要さを、七歳の時にやっと理解したのだ。
それからは、変に才能に溺れることはなく、そこそこ褒められた生き方はしてきたつもりだ。
技能も成長し、妹との差もそう無いものになって、幼い俺だったら憤慨していただろうと思っては苦笑する。
ブランシュ伯爵家の現当主・ホルスと出会ったのも七歳のときである。彼は当時二十四歳で、妻と幼い息子を養いながら王宮で王国魔術師として働いていた。ちなみにこの時の伯爵家当主は彼の兄であり、彼が継ぐ予定もなかった。
とにかくその時ホルスが、俺と妹の教育係として派遣されてきたのである。
ホルスは、気の良い青年であった。亜麻色の髪と、輝くような金色の瞳を持ち、いつも柔和な笑みを浮かべていた。
「お二人の教師になりました、ホルス・ルエド・ブランシュと申します。本日からよろしくお願いします。私のことは、どうぞホルスと呼び捨てでお呼びください」
教師としてきたはずだが、随分腰が低いと思った。
「家同士の格はあるとはいえ、今の立場的には私たちが教わる側なので、先生と敬うべきではありませんか?」
とシュアが発言すると、ホルスは少し申し訳なさそうに笑って、
「身分にしても立場にしても、過度に敬われるのは苦手なのです。お二人に関しても、教師と生徒というよりは、切磋琢磨できる友人のようになれたら嬉しいのですが…。それは難しいでしょうか」
と言った。
俺とシュアは顔を見合わせて、頷いた。
「じゃあ、俺はホルスって呼ぶぜ。俺のこともレアジでいい。口調も、堅苦しいのはなしだ」
「私のことも、シュアと呼んで」
ホルスが、驚いた顔をする。
「よろしいのですか…?」
「ああ、友達になりたいって言ったんだろ?」
ニヤリと笑うと、シュアも頷く。
「口調も、崩せるのなら崩してよね。友達なんだから」
ホルスは、俺たちの反応がよほど意外だったのだろう。
少し呆けた後、可笑しくて仕方ないというように笑い出す。そして最初よりずっと良い顔で、俺たちに向けて微笑んだ。
「ありがとう。よろしく、二人とも。」
差し出された手を二人で握り返した。
彼は、声も優しく口調も穏やかだが、少々抜けているところがあるようで、間違いがあって焦ったり些細なことで落ち込んだりする気の弱いやつだなという印象だった。
その度に、俺が諌めるように声を上げると、ホルスがやはり俺の方が優秀だと言い始めて、シュアが反論するように俺の悪口を言い始めて最終的に笑い合う、ということが多々あった。
ただ、抜けてはいても彼の実力は本物であった。俺たちの教育係になるだけはある。
まず初めに、ホルス・ルエド・ブランシュは赤青白黒のうち白術と赤術と青術の三つの技能を持つ、何かの間違いとしか思えない組み合わせの技能の持ち主だった。言い忘れていたが、通常、特殊魔法技能は、持っていないか、一人一つである。
言うまでもなく、見せられるまで半信半疑だったし、見せられた時はドン引きした。
そしてとにかく適正が多い。基礎技能値は2(平均3)、魔力量は190(平均500)と低かったため特別扱いをされるどころか落ちこぼれ扱いをされることの方が多かったようだが、努力の末に数々の技能を取得し、王国魔術師の資格を得るに至った秀才である。
今では取得した技能の多さ故、“技能の宝庫”とも称されているらしい。
しかも、他方面の知識も豊富で、どの分野から見ても十分に優秀といえる頭脳の持ち主でもあった。
選ばれるのも納得だ。
「今の技能値は?」
と聞いてみたことがある。
「44だ。」
「…限界値は?」
技能限界値は、最大で取得できる技能値のことだ。
「100」
化けもんだろ。
これを逸材と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
参考までに、俺の限界値は60である。畜生。
魔力量は俺が860で圧倒しているからいいものの、そうでなければブチギレるレベルの資質である。
実際シュアはこれを聞いた後、
「この世って不公平よね」
と言っていた。
彼女の限界値は…言わないでおく。 ※35
彼は度々、俺たちと自分の息子とを会わせたいということを言っていた。
息子というのはもちろんエル、サリエルのことだ。
この時エルは四歳で社交界デビューもしていなかったが、それを抜きにしても、
「体が弱い子でね…仲良くするのは難しいと言われるかもしれないけど、君たちみたいな人間の存在も知って欲しいなって思うんだ」
ということらしかった。
俺は単純に会ってみたいと思っていたのだが、シュアの方は、
「子守も看病も苦手だし、会うとしても、お互い学園に入る歳になってからね」
とあまり興味を示さなかった。
「子守って、お前自分のこと何歳だと思ってんだよ」
「言い方の問題でしょ。ホルスの息子でおまけに体が弱いなんて、扱いにくいだろうなって思っただけ」
「厳しいって。確かに、すぐ泣きそうとは思うけど」
「…君たちは私の息子をなんだと思っているんだ」
顔を見合わせる。
「「ホルスの小さい版?」」
そう言うと、ホルスは「私はすぐ泣いたりしないぞ」と口を尖らせていた。それは遠回しにサリエルの方は泣くと言っているようなものだろうが、彼は気づいていたのだろうか。
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