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立場逆転
しおりを挟む朝がやってきた。
昨日はあれから家に帰って父の会社を救う方法がないか調べてみたけれど、どれだけ調べても、一夜にしてそんな大金を用意できる方法など、見つかるはずもなかった。
けっきょくなにも思いつかないまま、時間だけがすぎていき、ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。
……どうもできない。
状況を変えることが出来ないのがひどくもどかしかった。
私は浮かない気持ちのまま会社へと向かう。
会社に着き、機械的にパソコンの電源を入れた
その時だった。
【件名:【至急】全社員へのお知らせ】
モニターに表示された一通のメール。
メールを開くと、そこには始業前に全社員が、第一会議室へ集合するようにとだけ書かれていた。
オフィス全体が落ち着かない様子でひそひそとなにかを話している。
「また人事異動かしら」
「いや、社長の体調が思わしくないってウワサ前からあったろ」
「まさか……」
誰もがそんなことを疑いながら半信半疑のまま、第一会議室へと向かい始めた。
私もその波に押されるように席を立った。
会議室には既に役員たちが、ずらりと並んでいる。
いつもより厳粛な空気が、これから告げられる話の重大さを物語っている。
やがて壇上に立った専務がマイクを握り、重い声で切り出した。
「みなさん、突然お集まりいただき申し訳ありません。本日は大切なお知らせがあります」
水を打ったように、室内がしんと静まり返る。
「現社長は体調の問題により経営の第一線から退くことになりました。今後の会社の舵取りについては役員会で慎重に協議した結果、新社長をお迎えする運びとなりました」
息を呑む音が、あちこちから聞こえた。
まさか……。
そんな急に、社長交代?
私の混乱をよそに専務が続ける。
「それでは、新社長をご紹介いたします」
その瞬間、会議室の後方の扉が静かに開いた。
扉の中から入ってくる人物。
「……っ」
その人を見て息をのんだ。
「ウソ、でしょ……」
「なんで……」
そこに現れた人影に社員たちの視線が一斉に注がれる。
そして私もまた自分の目を疑った。
なんで、彼がここに……。
そこに立っていたのは……四宮くんだった。
なにかの間違いよね?
確かに朝から姿が見えないと思っていたけれど……。
いつもと変わらないあの笑顔で入ってきた彼は、昨日まで纏う空気とは別物だった。
きっちりと着こなした上質なスーツ。
決意を固めたような真っ直ぐな視線。
彼は、社員たちの驚愕の視線を浴びながらも堂々とした足取りで壇上へと歩みを進めた。
「このたび、新たに社長を拝命いたしました、四宮怜と申します」
四宮くんの言葉にさらにざわめく周り。
「え、やっぱり四宮くんだよね……?」
「なんで急に社長……?」
「四宮くんって新人として来たばかりの子だよね……?」
私は、声も出せずにただ壇上の彼を立ち尽くして見ていた。
「中にはすでに私と業務で顔を合わせた方もいらっしゃると思います。突然のことで驚かせてしまい申し訳ありません」
四宮くんは紳士的に頭を下げた。
「ご不安も当然かと思います。私がこの会社に新人未経験として入社しましたのは経営の内部を自分の目で確かめるためでした」
ざわっ、と空気が揺れる。
みんな目を合わせて動揺したように四宮くんを見た。
「ご承知の通りここ数年の業績は、芳しくなく体制も硬直化していました。外から数字を眺めるだけでは分からない現場の空気や社員の本当の力。それを見極めるために私は一社員としてみなさんと働いてきたのです」
息を呑む。
それはつまり……古い経営陣を切り捨て、新しい血を入れていくという宣戦布告に等しかった。
私は思わず拳を握りしめた。
なるほど……。
だから彼は、私を値踏みするような目をしていたのか。
そして昨日のあの言葉も……。
『きっとそのうち、桐谷さんは僕に助けを求めると思います』
全てが繋がった。
四宮怜……どうやらとんでもない男と私は一緒にいたらしい。
「みなさまには、ご迷惑とご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
彼が頭を下げる。
まだ頭が追いつかない中、彼は社長として今後の展望を語り、スピーチは終わった。
「……それでは、以上となります」
深々と頭を下げた四宮くん。
いや……四宮社長が壇上を降りると、社員たちが堰を切ったようにざわついた。
「今調べたんだけどよ、四宮怜ってあの四宮財閥の息子だよ」
「ええっ!?」
四宮財閥。
その名を知らない者は、経済界において存在しない。
鉄鋼から不動産、メディアに至るまで幅広く事業を展開し、政財界にも強い影響力を持つ。
なるほど……。
彼はその直系の子息であり、次代を担う者として父からこの会社の再建を任されたということか。
「やっぱり?四宮くんって清潔感あるし、持ってるものとかも品のいいものが多かったもんね」
そうか、もともとなんでも持っていたってことね。
不快だ。
だからこそ、自分なら手を差し伸べられると言って私の反応を見ていたんだ。
早くここから出たい。
社員たちの喧騒を抜け、会議室の出口に手をかけようとしたその時だった。
「桐谷課長」
静かな声に呼び止められ、驚いて振り返ると、そこに立っていたのは今一番会いたくない四宮社長だった。
よく普通の顔が出来るわね。
人のことを騙しておいて……。
「少し、お時間よろしいですか」
「……はい」
私は少し間を置いてから答えた。
本当は今断りたい。
しかし、断れるわけがない。
今、四宮くんは社長という立場なのだから。
彼の後についていくと、役員フロアの奥……社長室の扉を開けた。
ここはもう彼の場所になるというわけか。
そんなことを考えながら中に入ると彼は窓際に立ちこちらを見る。
呼び出したクセに自分から口を開こうとはしない。
その仕草さえ不快だった。
「まさかあなたが社長様だったとは思いもしませんでした」
嫌味を込めてそう言ったけれど、彼は気にする様子もなくゆっくりと口を開いた。
「騙すような真似をして申し訳なかった」
表面だけを撫でるような口調。
本当に悪かったなんて思ってないクセに。
「それで、経営陣を一掃すると言っていましたね。それなら私をクビにするおつもりですか?」
彼にはかなり生意気な口を叩いた自覚はある。
私は彼が嫌いだったから、彼にもそれが伝わっているだろう。
気に入らない人は排除する。
御曹司社長がやりそうなことだ。
「とんでもない」
しかし彼はそれを否定した。
「キミの働きは素晴らしいし、見習いたいところがたくさんあった」
ウソつき……。
「なら……私を呼び出した理由はなんですか?」
はやく本題に入って一刻も早く話を終わらせたかった。
ただでさえ今、気分が悪いんだ。
「昨日の話です。あなたのご実家の話……ご覧のとおり僕なら援助ができる」
ええ、そうね。
四宮財閥の御曹司なら8000万なんて額、屁でもないだろう。
「うちが桐谷印刷と提携パートナーになることだって可能だ」
でも悔しい。
身分を隠されていた上で、ほら見ろ自分は出来るだって言われているようで。
この男には正直一番頼みたくないし、頼んではいけない。
「……けっこうよ」
私は吐き捨てるようにそう言った。
「あなたに助けてもらうことなんてなに一つない」
「……そうですか」
彼は私のその言葉に少しだけ悲しそうな顔をした。
だがそれもきっと演技なのだろう。
すぐに私の方を見て言った。
「ではどうするおつもりですか?あなた一人の力で8000万という大金を用意できるとでも?それともお父様のご実家は見捨てるおつもりですか?」
その言葉がナイフのように私の胸に突き刺さる。
できない。
そんなことできるはずがない。
「それは……」
8000万という大金を他の誰かになんとかしてもらうことも、自分で用意することも出来ない。
だからと言って父の会社を見捨てることも私には出来なかった。
私が言葉に詰まるのを見て彼はふっとその口元に笑みを浮かべた。
「答えはもう決まってる」
最初から全て仕組まれていたのだ。
私が彼の助けを乞うしかないこの状況も。
そしてこの次に彼が口にするであろう言葉も。
「でもあなたは人にものを頼むのが嫌いだ。だからそうだな……僕からもあなたにお願いをしたい。そうすればこの契約はフェアになる」
なにがフェアよ。
どう考えても私の方が彼に縋るしかない状況。
ここからフェアになんか出来っこない。
「……なにが望みなの」
でも私は、彼のこの提案を聞くしかなかった。
そう、私にプライドというものがあるから。
一方的にこの男に縋るのは出来ない。
でもそれが、お互いの利益となるのであれば頼みやすかった。
すべてを見越してそう告げるこの男には腹が立ったが……それに乗るしか方法はない。
「そうですね」
そして彼は言った。
「僕と結婚してください」
「は……?」
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