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<四章:人間の国を調査せよ>
バスジャック?ハイジャック?
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急にナイフ持ちの男が背後にいると宣告されると、僅かにでも戦々恐々にならざるを得ない。流石にナイフの切っ先が触れた瞬間に反応しても避けられるかどうか分からない。だから忠告は素直に助かった。
だが、ジャックナイフを懐にこしらえるバスジャックがいるとなると、このバスが無事トースターにたどり着けるのか不安になってきた。もしもバスが道すがらバスジャックの存在にパニックを起こし横転し、バスガス爆発なんてことになったら洒落にならない。
なので。振り返った。周囲に聞こえないように、俺と彼だけが聞こえるほど近づいて。
「よお、あんたナイフ持ってるんだろ?」
「ちょっ!?」
先手必勝。男のシルクハットから僅かに覗く顔が驚きに変わる。視界の端で、紙とペンを持つ女性もびくついた。ついでに神官の女子の顔も驚きに変わった。しかし男はすぐに落ち着きを取り戻し、男がかなり大きくてバスに乗る前は認識できなかったが、隣に小さな子供が座っていた。男の連れなのか、その子供の頭に手をおいて俺に向き直った。顔をよく見ると、ツギハギのような、フランケンシュタインを思わせた。
「なんだね藪から棒に。これから仕事なんだ、黙って座っていろ」
「仕事? 犯罪が仕事か、結構手慣れてるじゃねーかよ。犯罪に手慣れてるってのもどうやって慣れるのか皆目見当がつかないが、させると思うか?」
「犯罪ねぇ。」とそこで男は顎を手でさする。ふむふむ、と口ずさんだ後。「君は何をもって犯罪と断ずるのかね?」と聞き返した。正直驚く。悪びれもしないとはこのことか。こんな初対面に憎しみこそ湧かなかったのだが、今俺はこいつのメンタリティに興味がわいた。
「そうだな、確かに法律が全てって考えは改めるべきだろうな。だがそれでも、明らかに人に迷惑をかけることを見過ごすってのは、正義じゃねぇわな」
我ながら言葉を選んで、それでもバスジャックには通用するかもしれない『正義』という言葉を用いた。しかし男はその言葉が気に入らなかったのか、いや気に入らないという仕草が正しい仕草だと認識したのか、言った。
「正義か、そんなもんこの世の中にありはしない」
なかなか格好いいことを言う。どこかで聞いたことがあるようなセリフだが、一度は言ってみたいセリフではあった。そんな言い切り返しを期待して『正義』を選んだわけでもなかったのだが。多分俺と同じことを考えていたのか、後ろでは「おおおお! かっこいい!」と小声で神官の女子が言っていた。窓ガラス越しに薄く映る姿は目を輝かせていた。俺が悪者みたいに見えるから後でしょっぴいてやる。
「ならお前がそれをすることは、人を傷つける行為だ。そしてこの中でそれをされちゃ、トースターに行けないんだよ」
「人を傷つけるか、まぁそんなことにならなければいいがね、必要でなければ傷つけたりはしないさ」
まるで必要なら人を傷つけるような言いぐさに、男の迷いのなさを見た。彼は、多分恐ろしく修羅場を潜り抜けている。だからこそ自身の中での優先順位が明確で、人を傷つける必要があるならば迷いなくそれをする。直感的にそう感じた。
瞬間だった。血塗られたような悲鳴がバス前方から聞こえる。振り向くとそこには、揺れ動くバスに揺られながら倒れる一人の女性。
まさか、いやそういうことか? いくらジャックナイフを持っていようと、バスジャックだろうと、この世界には魔法があるんだ。物理的なものがなくったってバスをジャックすることはできる。この『ジャック』という言葉は実は正しくなく、飛行機であろうとバスであろうと潜水艦であろうと等しく『ハイジャック』と言うらしいのだがそんなことはどうでもよく。今はこいつの犯罪行為を未然に防ぐことが最優先に思われた。
「お前、何して――――」
「どきたまえ、仕事だ」
男は立ち上がった。子供も立ち上がった。その場違いな言動に呆気に取られて男の動向を見ることしかできない。魔王も神官の女子もぽかーんと見ることしかできない。後ろに座る紙とペンを持つ女性も、何かを書いていたのだろうがその手を止めて様子を窺っていた。「仕事だ」という言葉は、本当にバスジャックなのか?
男は女性の元へ歩いて行くと、女性の旦那さんなのか、一人の男が女性を心配して寄り添っている。顔を上げ「お医者さんはいらっしゃいませんか!?」との悲痛な叫びを見下ろし、男は残酷に言う。
「いくら払える」
「……!? 何を言っているんだ、足元見やがって!」
「その様子だと、今すぐ手を施さないと命に係わる。あんたは奥さんよりも金の方が大事かね?」
一瞬躊躇った後、命には変えられないと判断し、泣き崩れて頭を下げる男性。しかし苦しみながら女性が首を横に振った。その表情はとても苦しそうにしており、滝のような汗が流れている。
「私は……大丈夫だから……一緒におうち、建て……よ」
そう言って意識を失う。蒼白になる旦那さんを見て、男は通告した。
「5000万だ。いいな」
「んな!? そんな法外な金額……」
信じられないと顔に出た旦那さんだったが、反面、氷のような表情を崩さない男。迷い悩んでいる旦那さんの代わりに「……払い、ます!」と言う。妻にそんな事を言わせた事に、自身に絶望した顔をする旦那さん。その顔を隠すように、地面に頭をこすりつけた。
「お願いします! 金よりも、家よりも、妻が一番なんだ!」
男は初めて、その顔を綻ばせる。黒いコートを脱ぎ捨て、自席に向かって踵を返した。露わになった顔はやはり痛々しい傷のような縫い目が斜めに刻まれている。んー……。そんなバイオレンスな顔とは似つかず、手荷物から白い肌布を取り出して纏う。……んん? 小さな子供も同じく白い布を纏い、マスクを付けて給食帽子のようなものを被った。そして女性に向かって急いで駆け寄る。膝も曲げぬカックンカックンした走り方で。
これって……。
「キノコ! オペの準備だ!」
「はい! ちぇんちぇー!」
ペラペラのビニールで周囲を囲い無菌室を作る。カチャカチャと名前の分からない専門的な道具を取り出し、淡々と出産の準備を始めるのだった。
ジャックはジャックでも、黒い方のジャックだった。
だが、ジャックナイフを懐にこしらえるバスジャックがいるとなると、このバスが無事トースターにたどり着けるのか不安になってきた。もしもバスが道すがらバスジャックの存在にパニックを起こし横転し、バスガス爆発なんてことになったら洒落にならない。
なので。振り返った。周囲に聞こえないように、俺と彼だけが聞こえるほど近づいて。
「よお、あんたナイフ持ってるんだろ?」
「ちょっ!?」
先手必勝。男のシルクハットから僅かに覗く顔が驚きに変わる。視界の端で、紙とペンを持つ女性もびくついた。ついでに神官の女子の顔も驚きに変わった。しかし男はすぐに落ち着きを取り戻し、男がかなり大きくてバスに乗る前は認識できなかったが、隣に小さな子供が座っていた。男の連れなのか、その子供の頭に手をおいて俺に向き直った。顔をよく見ると、ツギハギのような、フランケンシュタインを思わせた。
「なんだね藪から棒に。これから仕事なんだ、黙って座っていろ」
「仕事? 犯罪が仕事か、結構手慣れてるじゃねーかよ。犯罪に手慣れてるってのもどうやって慣れるのか皆目見当がつかないが、させると思うか?」
「犯罪ねぇ。」とそこで男は顎を手でさする。ふむふむ、と口ずさんだ後。「君は何をもって犯罪と断ずるのかね?」と聞き返した。正直驚く。悪びれもしないとはこのことか。こんな初対面に憎しみこそ湧かなかったのだが、今俺はこいつのメンタリティに興味がわいた。
「そうだな、確かに法律が全てって考えは改めるべきだろうな。だがそれでも、明らかに人に迷惑をかけることを見過ごすってのは、正義じゃねぇわな」
我ながら言葉を選んで、それでもバスジャックには通用するかもしれない『正義』という言葉を用いた。しかし男はその言葉が気に入らなかったのか、いや気に入らないという仕草が正しい仕草だと認識したのか、言った。
「正義か、そんなもんこの世の中にありはしない」
なかなか格好いいことを言う。どこかで聞いたことがあるようなセリフだが、一度は言ってみたいセリフではあった。そんな言い切り返しを期待して『正義』を選んだわけでもなかったのだが。多分俺と同じことを考えていたのか、後ろでは「おおおお! かっこいい!」と小声で神官の女子が言っていた。窓ガラス越しに薄く映る姿は目を輝かせていた。俺が悪者みたいに見えるから後でしょっぴいてやる。
「ならお前がそれをすることは、人を傷つける行為だ。そしてこの中でそれをされちゃ、トースターに行けないんだよ」
「人を傷つけるか、まぁそんなことにならなければいいがね、必要でなければ傷つけたりはしないさ」
まるで必要なら人を傷つけるような言いぐさに、男の迷いのなさを見た。彼は、多分恐ろしく修羅場を潜り抜けている。だからこそ自身の中での優先順位が明確で、人を傷つける必要があるならば迷いなくそれをする。直感的にそう感じた。
瞬間だった。血塗られたような悲鳴がバス前方から聞こえる。振り向くとそこには、揺れ動くバスに揺られながら倒れる一人の女性。
まさか、いやそういうことか? いくらジャックナイフを持っていようと、バスジャックだろうと、この世界には魔法があるんだ。物理的なものがなくったってバスをジャックすることはできる。この『ジャック』という言葉は実は正しくなく、飛行機であろうとバスであろうと潜水艦であろうと等しく『ハイジャック』と言うらしいのだがそんなことはどうでもよく。今はこいつの犯罪行為を未然に防ぐことが最優先に思われた。
「お前、何して――――」
「どきたまえ、仕事だ」
男は立ち上がった。子供も立ち上がった。その場違いな言動に呆気に取られて男の動向を見ることしかできない。魔王も神官の女子もぽかーんと見ることしかできない。後ろに座る紙とペンを持つ女性も、何かを書いていたのだろうがその手を止めて様子を窺っていた。「仕事だ」という言葉は、本当にバスジャックなのか?
男は女性の元へ歩いて行くと、女性の旦那さんなのか、一人の男が女性を心配して寄り添っている。顔を上げ「お医者さんはいらっしゃいませんか!?」との悲痛な叫びを見下ろし、男は残酷に言う。
「いくら払える」
「……!? 何を言っているんだ、足元見やがって!」
「その様子だと、今すぐ手を施さないと命に係わる。あんたは奥さんよりも金の方が大事かね?」
一瞬躊躇った後、命には変えられないと判断し、泣き崩れて頭を下げる男性。しかし苦しみながら女性が首を横に振った。その表情はとても苦しそうにしており、滝のような汗が流れている。
「私は……大丈夫だから……一緒におうち、建て……よ」
そう言って意識を失う。蒼白になる旦那さんを見て、男は通告した。
「5000万だ。いいな」
「んな!? そんな法外な金額……」
信じられないと顔に出た旦那さんだったが、反面、氷のような表情を崩さない男。迷い悩んでいる旦那さんの代わりに「……払い、ます!」と言う。妻にそんな事を言わせた事に、自身に絶望した顔をする旦那さん。その顔を隠すように、地面に頭をこすりつけた。
「お願いします! 金よりも、家よりも、妻が一番なんだ!」
男は初めて、その顔を綻ばせる。黒いコートを脱ぎ捨て、自席に向かって踵を返した。露わになった顔はやはり痛々しい傷のような縫い目が斜めに刻まれている。んー……。そんなバイオレンスな顔とは似つかず、手荷物から白い肌布を取り出して纏う。……んん? 小さな子供も同じく白い布を纏い、マスクを付けて給食帽子のようなものを被った。そして女性に向かって急いで駆け寄る。膝も曲げぬカックンカックンした走り方で。
これって……。
「キノコ! オペの準備だ!」
「はい! ちぇんちぇー!」
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ジャックはジャックでも、黒い方のジャックだった。
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