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第1話: 断頭台の記憶
冷たい石が、膝に食い込んでいた。
「リゼロッテ・フォン・エーデルシュタイン——ここに処刑を執行する」
風が吹いた。乾いた、冬の風だった。首筋を撫でていく、刃のように冷たい風。
断頭台の上から見下ろす王都ルセリナは、皮肉なほど晴れ渡っている。処刑日和、とでも言うのだろうか。
広場を埋め尽くす群衆がざわめいていた。嘲笑と、罵声と、わずかな同情。それらが混ざり合って、奇妙なうねりになっている。
「悪役令嬢の末路だ」
「聖女様を虐げた報いよ」
「王子様がお可哀想に……」
——違う。
全部、違う。
聖女を虐げてなどいない。王子の婚約者として、求められる通りに振る舞っただけだ。それなのに、ある日突然「悪役令嬢」にされた。裁判はたった一日。証拠は聖女の涙。弁明の機会すら、与えられなかった。
リゼロッテは薄く目を開けた。
最前列に、クラウスが立っていた。金の髪が風に揺れている。その隣で、聖女——フローラが泣いている。悲しそうに、美しく。
クラウスの碧い目には、正義の光が宿っていた。
自分は正しいことをしている。あの目は、そう語っている。
「——最期に言い残すことは」
執行官の無機質な声が、頭上から降ってきた。
リゼロッテは顔を上げた。澄んだ冬の空が、どこまでも青い。
——ああ、こんなに綺麗な空の下で死ぬのか。
笑った。最後くらい、泣いてたまるものか。
「いいえ、何も」
刃が光を弾いた。一瞬の、白い閃光。
首の後ろに、風を感じた。
——そこで、意識が途切れた。
はずだった。
◇◇◇
柔らかい。
最初に感じたのは、それだった。冷たい石ではない。ふかふかの羽毛布団の、あの独特の柔らかさ。
鳥が鳴いている。朝の光が、まぶたの裏を明るく染めている。
リゼロッテは目を開けた。
天蓋付きの寝台。淡い水色のカーテン。見覚えのある——いや、見覚えがありすぎる部屋だった。
公爵家の、自分の部屋。
跳ね起きた。
息が荒い。心臓が胸を叩いている。首に手を当てた——傷はない。頭も、ちゃんと繋がっている。
両手を見た。白く、細い指。血も汚れもない、きれいな手。
夢?
違う。あの石の冷たさ、群衆の声、刃が風を切る音——あれは夢じゃない。体が覚えている。
リゼロッテは寝台から降り、姿見の前に立った。
鏡の中に、少女がいた。
プラチナブロンドの長い髪。氷青の瞳。肌は白く、頬にはまだ子供っぽい丸みが残っている。
——十七歳の、自分。
処刑されたのは二十歳の時だった。間違いない。三年、若返っている。
リゼロッテは鏡の中の自分を見つめた。
震えていた。指先が。呼吸が。でも、目は震えていなかった。
知っている。この光景を、知っている。
三年後に何が起こるか。誰が裏切るか。どんな証言がでっち上げられるか。全部。
「……二度目、か」
声は思ったよりも落ち着いていた。
泣くかと思った。怒り狂うかとも思った。でも、そのどちらも来なかった。
一度死んでいるのだ。涙も怒りも、あの断頭台に置いてきた。
代わりに胸の奥で灯ったのは、硬い炎だった。小さくて、静かで、けれど消えそうにない。
「——もう、誰のためにも生きない」
リゼロッテは鏡に向かって言った。鏡の中の少女が、同じ言葉を口にした。
「お父様のためでも、家門のためでも、ましてやクラウス殿下のためでもなく」
窓の外では、公爵家の薔薇園が朝日に照らされていた。白薔薇が光を受けて輝いている。美しい庭。手入れの行き届いた、完璧な庭。
この庭も、この屋敷も、前の人生では全て失った。父が失脚し、家門は取り潰され、全てが消えた。
けれど今は——まだある。まだ全部、ここにある。
選び直せる。
人生を、やり直せる。
「今度は——私のために生きる」
口の端が上がった。
自分でも驚くほど、清々しい笑みだった。断頭台で浮かべた最期の笑みとは、まるで違う。あれは諦めの笑みだった。これは——始まりの笑みだ。
リゼロッテは窓に背を向け、姿見をもう一度見た。鏡の中の十七歳の少女は、もう震えていなかった。
その時、部屋の扉が叩かれた。
「お嬢様。——おはようございます」
聞き覚えのある声。アレクシス。公爵家の執事で、処刑の日まで——いや、処刑の日にも最後まで味方でいてくれた、たった一人の人。
「朝食の準備が整っております。それと——」
一拍の間があった。
「クラウス殿下がお見えです。お嬢様にお話があると」
クラウス。
あの金髪碧眼の第二王子。「正しさ」という名の刃で人を裁く男。
前の人生では、この男のために笑い、この男のために着飾り、この男のために自分を殺した。その結果が——断頭台だ。
前の人生なら、慌てて身支度を整えただろう。殿下をお待たせしてはいけない、と。
リゼロッテは鏡の中の自分に微笑んだ。
「——そう。では、少しお待ちいただいて」
声は穏やかだった。けれどその目には、断頭台の刃よりも鋭い光が宿っていた。
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