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第3話: 辺境の荒野と銀色の出会い
王都を発って七日。
馬車が最後の丘を越えたとき、リゼロッテは小さく息を吐いた。
「……聞いてはいたけれど、想像以上ね」
眼前に広がるのは、見渡す限りの荒野だった。
枯れた草が風に揺れ、灰色の空の下に石造りの館がぽつんと建っている。屋根の一部は崩れ、庭と呼ぶべき場所は雑草に埋もれていた。
これがレクルス辺境領。王国の果て。追放と同義と囁かれる地。
「お嬢様。これはなかなか……趣がございますね」
隣に座るアレクシスが、窓の外を眺めながら言った。完璧に整えられた銀髪が、隙間風に微かに揺れている。
「趣、と言い換えるあたり、さすがね」
「正直に申し上げましょうか」
「いいわ、聞かなくても分かるから」
馬車が館の前で止まった。
降り立った瞬間、強い風がリゼロッテのプラチナブロンドの髪を攫った。土と草の匂い。王都の花の香りとは程遠い、荒涼とした空気。
だが——空は、広かった。
見上げれば、どこまでも続く灰青の空。遮るものは何もない。
社交界の息苦しさも、宮殿の陰謀も、ここには存在しない。
「……悪くない」
リゼロッテは小さく呟いた。
前の人生では、華やかな舞踏会の裏で怯えていた。笑顔の仮面の下で、いつ刃を向けられるか分からない恐怖に耐えていた。
ここには何もない。だからこそ——自由だった。
「アレクシス。まずは館の中を確認しましょう。それから領地を見て回るわ」
「畏まりました。ただ、お嬢様。この館、住めるかどうかの確認が先かと存じます」
「……それもそうね」
館の中は予想通りひどい有様だった。
埃が積もり、蜘蛛の巣が梁に張り巡らされ、窓ガラスは半分が割れている。だが壁は厚く、骨組みはしっかりしていた。
数時間かけて最低限の居住空間を確保した後、リゼロッテは領地の確認に出た。
館の裏手には深い森が広がっていた。
古い木々が鬱蒼と茂り、昼間でも薄暗い。地図によれば、この森がレクルス辺境領の大半を占めている。
「魔獣の生息地ですわね。お嬢様、あまり奥へ入るのは——」
「分かってるわ。外縁だけ見るつもりよ」
森の入口に沿って歩いていると、奥の方に何か古い建造物が見えた。苔むした石組み。祠のようだった。
「アレクシス、あれは?」
「さて……この地にはかつて竜が住んでいたという伝承がございます。あるいは、その時代のものかもしれません」
「竜……」
リゼロッテは目を細めた。竜は魔獣の最上位種。そんな存在がこの地に住んでいた。今は見る影もない荒れ地だが、かつては違ったのかもしれない。
その時だった。
「——きゅる……」
微かな声が聞こえた。
リゼロッテは足を止めた。
「今の、聞こえた?」
「……はい。獣の声かと」
「きゅるる……」
声は森の奥から聞こえてくる。弱々しい、消え入りそうな鳴き声。
足が動いていた。
危険は承知している。森には魔獣がいる。だが、あの声は——。
「お嬢様!」
アレクシスの制止を背に、リゼロッテは木々の間を駆けた。枝が頬を掠め、足元の根に躓きそうになる。それでも止まらなかった。
やがて、小さな窪地に辿り着いた。
そこに——いた。
「……何、これ」
倒木の陰に、小さな生き物が横たわっていた。
子猫ほどの大きさ。全身を覆う鱗は、薄汚れてはいたが確かに銀色に輝いている。小さな翼は折り畳まれ、鱗の隙間からは柔らかそうな毛が生えていた。
幼竜だ。
しかも、明らかに衰弱している。金色の大きな瞳が、うっすらとリゼロッテを見上げた。
「きゅる……」
力のない声。助けを求めるように、小さな前足がわずかに持ち上がり、すぐに地面に落ちた。
リゼロッテは膝をついた。
前の人生の記憶が、一瞬だけ過ぎった。誰にも助けてもらえなかった冷たい牢の中。伸ばした手を、誰も取ってくれなかった——。
「……大丈夫よ」
手を伸ばした。
指先が銀色の鱗に触れた——その瞬間。
光が、弾けた。
リゼロッテの手のひらから淡い金色の光が溢れ、幼竜の体を包み込んだ。温かい。胸の奥で何かが共鳴している。心臓の鼓動に重なるように、もう一つの鼓動が感じられた。
「なに、この……」
光が収まると、幼竜の金色の瞳がぱちりと見開かれていた。
先ほどまでの衰弱が嘘のように、小さな体がもぞもぞと動き出す。そして——リゼロッテの手のひらに、ぐいぐいと頭を押し付けてきた。
「きゅるるっ」
鱗の隙間から生えた銀色の毛は、驚くほど柔らかかった。手のひらに伝わるぬくもりと、ふわふわの感触。小さな体が甘えるようにすり寄ってくる。
「ちょ、ちょっと……」
追いついたアレクシスが、その光景を見て足を止めた。
「お嬢様……それは……」
彼の目が見開かれた。長年仕えてきた完璧な執事が、珍しく言葉を失っている。
「幼竜、ですわね。しかし——この銀色の鱗は」
アレクシスが慎重に一歩近づいた。
「見たことのない色です。このような銀色の鱗を持つ竜の記録は、私の知る限り——」
「珍しいの?」
「……珍しい、で済む話ではないかもしれません」
それ以上は言わなかった。リゼロッテも深くは聞かなかった。今はそれどころではない。
腕の中の幼竜が、リゼロッテの胸元にもぐりこもうとしている。小さな爪が服の生地に引っかかり、もふもふの体がぎゅうぎゅうと押し付けられる。
「きゅるるる♪」
甘えた声が、リゼロッテの胸に響いた。
——ずるい。
こんなに小さくて、こんなに温かくて、こんなに無防備に甘えてこられたら。
「……仕方ないわね」
リゼロッテは幼竜をそっと抱き上げた。銀色の毛並みが夕日に照らされて輝く。金色の瞳がリゼロッテを真っ直ぐに見つめていた。
前の人生では、こんな顔はしなかった。こんな風に、誰かの温もりに素直になれなかった。
「面倒を見てあげる」
小さな頭を指先で撫でると、幼竜は気持ちよさそうに目を細め、もう一度鳴いた。
「きゅるる」
荒野を渡る風は冷たかったが、腕の中だけは温かかった。
リゼロッテの口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。
——この子には名前が必要ね。
その胸の奥では、目覚めたばかりの何かが、静かに脈打っていた。
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