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第22話: ひび割れる仮面
弁明の場まで、あと二日。
クラウス・フォン・ルーゼリアは、執務室の机に広げられた書類を見つめていた。
見つめているだけで、一行も読めていない。
あの日——控えの間でリゼロッテに再会してから、頭の中がずっとぐちゃぐちゃだった。
彼女は変わっていた。声も、目も、纏う空気も。かつて自分の隣に立っていた、あの従順な令嬢の面影はどこにもなかった。
「元殿下とお呼びするべきかしら?」
あの言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。
「……僕が、間違っていたのか?」
呟いた声は、誰にも届かなかった。
机の上には、弁明の場に向けて提出された書類の写しがある。リゼロッテ側が王家に提出した証拠の一部だ。
側近が「殿下もお目通しを」と持ってきたものだったが——読み進めるほど、指先が冷たくなった。
フローラの証言の矛盾を指摘する記録。
当時の侍女たちへの聞き取り調査の結果。
そして——聖女認定試験の際の魔力測定記録と、現在のフローラの魔力値の不自然な乖離。
クラウスは眉をひそめた。
「フローラの魔力が……増えている?」
聖女認定は光属性の魔力の強さで決まる。認定時と現在で、これほど数値が変動するのはおかしい。普通、魔力値は成長とともに微増するものであって、短期間で跳ね上がるものではない。
胸の奥がざわついた。
リゼロッテは嘘をつくような人間ではなかった。少なくとも——かつての彼女は。
では、今は?
いや。そもそも、かつての彼女のことすら、自分はちゃんと見ていたのだろうか。
コンコン、と扉が鳴った。
「クラウス様、フローラ様がお見えです」
側近の声に、クラウスは慌てて書類を裏返した。
「——通してくれ」
扉が開き、フローラが入ってきた。
栗色のふわふわした髪。大きな緑の目。清楚で儚げな笑み。いつもの彼女だ。
「クラウス様。お忙しいところ、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。どうした?」
フローラはクラウスの前に立ち、両手を胸の前で組んだ。
「弁明の場のことが不安で……。私、リゼロッテ様に何か誤解されているようで、悲しくて」
目に涙が浮かんでいた。いつもの光景だ。フローラが泣けば、クラウスは庇う。そうやって二人の関係は成り立ってきた。
——はずだった。
「フローラ。一つ聞いていいかな」
「はい。なんでしょう?」
「君の聖女認定の時の魔力値と、最近の測定値がかなり違うんだ。これは……どういうことか、わかるか?」
フローラの指が、ぴくりと動いた。
ほんの一瞬。だが、クラウスはそれを見逃さなかった。
「それは……私の努力の成果です。聖女として、日々修練を重ねておりますもの」
「修練で、ここまで変わるものなのか?」
「信じてくださらないのですか……?」
フローラの声が震えた。目に溜まった涙がぽろりとこぼれる。
いつもなら、ここで「ごめん」と言っていた。
けれど今日は、言葉が出てこなかった。
代わりに、目が吸い寄せられたのは——フローラの首元だった。
繊細な銀の鎖に吊るされた、小さな青い石。フローラがいつも身につけている首飾りだ。
その石が、不自然に淡い光を放っていた。
フローラが泣くたびに、光が強くなる気がした。
「フローラ。その首飾りは?」
「えっ……これは、ただの飾りです。母の形見ですわ」
答えは早かった。早すぎた。
「……そうか」
クラウスはそれ以上追及しなかった。できなかった。
だが、喉の奥に小さな棘が刺さったような感覚が消えない。
「フローラ、今日は戻ってくれ。弁明の場の前に、僕も少し整理したいことがある」
「クラウス様……?」
フローラが不安げに見上げてきた。だが、クラウスは視線を書類に落とした。
「大丈夫だ。心配しなくていい」
嘘だった。大丈夫かどうか、自分でもわからなかった。
フローラが部屋を出ていく足音を聞きながら、クラウスはもう一度、魔力測定記録に目を落とした。
◇◇◇
廊下を歩く足音が、徐々に速くなった。
フローラは唇を噛んでいた。笑みの形を保とうとしたが、頬の筋肉が言うことを聞かない。
すれ違う侍女に柔らかく微笑みかけ、角を曲がり——自室の扉を閉めた瞬間、表情が剥がれ落ちた。
「何あれ。何なのあれ」
声が低い。さっきまでの儚げな少女の声ではなかった。
鏡の前に立った。映っているのは、顔を歪めた自分。
首元の青い石がまだぼんやりと光っている。フローラは乱暴にそれを掴んだ。
「魔力値がどうとか……誰がそんなこと調べたのよ」
リゼロッテだ。あの女が証拠として出したに決まっている。
辺境に追い払われて、大人しく朽ちるはずだったのに。なぜ戻ってきた。なぜ、こんな——。
鏡の中の自分の目が、怒りで揺れていた。
「クラウスはあたしのものよ。あたしがどれだけ苦労して手に入れたと思って……!」
言ってから、はっと口を押さえた。
——あたし。
使い慣れた一人称が、つい漏れた。
フローラは鏡を睨みつけた。映る自分の顔に、清楚な聖女の面影はない。
「なんでっ……あたしの計画は完璧だったのに!」
拳が鏡台を叩いた。化粧瓶が倒れ、甲高い音を立てた。
首飾りの石が、まだ光っている。まるで、彼女の動揺に呼応するように。
フローラは荒い息を吐き、鏡の中の自分を見つめた。
仮面を被り直さなければ。あと二日。たった二日を乗り切れば——。
だが、鏡に映る顔は、もう上手く笑えなくなっていた。
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