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花の見た夢
しおりを挟む「ねぇ、いい加減諦めたら?」
白い花弁の中で僕は言った。
「まだよ、まだ」
泥にまみれ少女は笑う。
その屈託のなさに体の底がざわめいた。
雄しべに繋がれた僕には、体らしい体などない。花弁や枝が、しいてはそれを支える幹や根。そのどれもが僕であり、僕ではない。
「うーん」
少女はまだシロツメクサの群衆を見つめていた。
四葉のクローバーを探すのだとかれこれ一時間も粘っていた。
もうすぐ大好きな祖母の誕生日だから、それまでに押し花にしてあげるのだと張り切って聞かない。
風が変わった。
大気が揺れる。
木々がざわめき出した。
空が嗤っていた。
「嫌な風が来た。じき嵐だ。ほら、もう帰りなオリーブ」
「でも、まだ」
少女は口を尖らせる。
嗤い声が大きくなる。
彼女には聞こえてない。
舌打ちをする。
花の一部である僕はその手を引いて、彼女を家に帰す事はできない。
「さあ、帰れ!子どもは早く帰るんだ!」
「でも、モクレン」
「言うことが聞けないなら友達を辞めようか?僕はどちらでも構わないよ」
なるべく強い口調で、険しい顔で言う。
栗色の大きな瞳が揺れた。
僕の花弁も大きく風に揺れる。
「…わかった。帰るから嫌いにならないで」
お願い、と彼女は呟くとしぶしぶと僕に背を向けた。
あの子の足で間に合うだろうか。
またこの冷たい風で咳が出るんじゃないだろうか。
僕は考えた。
彼女の心臓には穴が空いている。
僕があけた穴だ。
この背中に黒い羽根があり、黒い尻尾があり「悪魔」と呼ばれていた頃に。
僕の最初にして最悪の、罪。
悪魔達は下界に降りては、イタズラに病と呪いを撒く。
僕は下級悪魔だった。
だから大した力はないと思っていた。
それでも生まれつき病弱な彼女には、致命的な病だった。
嗤い声が迫る。
黒い渦となって僕に降り注ぐ。
僕とは別の花弁を毟り、枝を折る。
にたりと渦は嗤った。
悪魔が呼んだ嵐だ。
下級悪魔達の声がする。
それでも森の何割かの樹木は倒れ、土砂崩れで地形は変わるだろう。
それを思うと枝のどこかが軋んだ。
容赦のない風が吹く。
窮屈な体だと思う。
オリーブの一件がショックで、それ以降悪魔らしいことを放棄した僕には、罰として同じ名前の花に変えられた。
でもそれは僕には幸せなことだった。
悪魔である自分に違和感を覚えていたからだ。
それに。
オリーブに出会え、友達になれた。
僕ははじめて神とやらに感謝した。
翌日もオリーブは来た。
「モクレン、どうして」
オリーブは大きな瞳に涙を湛えていた。
雄しべに繋がれた「僕」だったモノはちぎれて無残に枯れていた。
幹も大きく歪み、根本から折れかっている。
唯一、「僕」がいた花弁だけが昨日と変わらず咲いていた。
「モクレン、モクレンッ!」
『心配しないで、オリーブ』
根はもう大地から養分を吸い上げていない。
視界がぼやける。
もう長くはないのだろう。
残された最後の力で声を絞り出した。
『…ごめんね、オリーブ』
「モクレン、どうしてあやまるの?」
『もうお別れの時間だ』
「いやよ、モクレン!あなたは私のはじめての友達なのに」
彼女の声が、もうないはずの枝を揺らす。
『昨日はひどいことを言ってごめん』
「そんなの平気だから、だから」
白い頬が濡れていた。
その涙を拭うことは出来ない。
『僕は消えるけど、もし友達でいてくれるなら』
「モクレン」
『その残った花びらを食べてほしい』
「そんな」
『枯れて土に還るなら、君の一部になって生きたいんだ』
「でも」
『そして僕にいろんな景色を見せて、オリーブ。約束だよ』
声はそこで途切れた。
幹は完全に折れてどしん、と地面に倒れた。
残っていた花がふわりとちぎれて、オリーブの手に乗った。
少女はその花片を柔く握った。
あるはずのない温もりに涙が溢れる。
長く細い嗚咽がようやく収まった頃。
少女は深く深く息を吸い込んだ。
そうして手のひらの花片を口に含む。
味わうように咀嚼し、飲み込んだ。
花びらは食道を通り、胃液の海へ落ちる。
そして消化され液体になり、腸壁に吸収される。
血流に乗って、それは心臓へたどり着いた。
そうして木蓮の花弁は、彼女の心臓の穴を静かに静かに埋めた。
fin.
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