あの夏の日を忘れない ~風紀委員長×過去あり総長~

猫村やなぎ

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第五章

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 南部先生の小鍋をかき混ぜる後ろ姿。ことことという音とともに甘い匂いが白い部屋に漂う。

「そうむくれるなよ、由」
「……うるせー」

 保健室まで背負われた俺は現在、南部先生と円の手によってベッドに突っ込まれていた。

「熱なかったのに」
「でも頭痛ぇんだろ」
「別に」

 布団の中に潜り込む。布団の膨らみを円の手がぽんぽんと叩く。

「……寝かしつけんな」
「頭痛あるんだから寝とけ」
「寝てる間にどっか行くだろ、お前」
「に、ぃ」

 うぜぇ。注意するかのような物言いに若干イラっとする。
 俺の拗ねた気配を感じたのか、不意に円が布団を捲った。

「おじゃましまーす」
「………、」

 円の意図を察し、渋々という体を装いつつスペースを空ける。円は小さく笑い、するりと布団に潜り込んだ。

「……狭いんだけど」
「ハイハイ、狭いなぁ、よしよし……ってェ! おい由、照れ隠しに蹴るのやめろ」
「じゃあ揶揄うなよ」
「そこはほら、生甲斐だから……」
「おい桜楠、病人で遊ぶな。ほら、ミルクティーできたぞ」

 甘い匂いが近づいてくる。そっと布団から顔を出すと南部先生の手が頭を一撫でして離れていく。ほら、と手渡されたマグカップは湯気が漂っていた。そっと啜ると、飲むにはまだ少し熱い。

「出来立てだから火傷するぞ」
「……」
「センセー、由クン火傷しました~」
「桜楠、お前本当に愉快な性格になったな」
「まぁね……って言いたいところですけど、先生。俺は俺にしかなれないそうなんで、多分そんなに変わりないですよ」

 ――田辺か。

 あの言葉、余程嬉しかったんだな。
 喜ぶ円に複雑な気持ちが沸き起こる。よかった、ような。ムカつくような。俺にだって言えたと思わんでもないが、それを口にしてはダメだろう。

 言葉を飲み込む代わりに欠伸を零す。目ざとく気付いた円がカップを取り上げ、俺を寝かせた。

「学園祭は午後から巡ればいいから。今は寝ときな」

 子供の我儘を宥めるような声。別に俺は学園祭を回りたくて起きてるわけじゃねぇんだけど。訪れた眠気は、俺の不平を攫っていった。


***


 午後になると体調はおおよそ回復した。スマホを弄ってた円が俺に視線を移す。

「あ。調子は?」
「……げんき」

 本当か~? 円の手が額に伸びる。だから熱はねぇんだって。
 目を擦り、円に問う。

「それで?」
「えっ?」
「お前、生徒会関係で何か問題があったんじゃねーの」

 不意を突かれたのか、円の手がぴくりと跳ねる。一瞬の無言ののち、誤魔化すような顔がへらりと緩んだ。
 ほら、案の定。

「早く行けって」

 何でもない風を装い促す。寝る前に散々駄々をこねたのでぶっちゃけこの建前が通じるかは微妙……というか通じないだろう。ことこういったことに関して円に勝てる気が微塵もしない。

「円、さっきからスマホちらちら見てるしバレないようにしてるみてぇだけど焦ってる。俺が起きるの待ってないで早く行けばよかったのに」

 かわいげのないことを言うと、どういたしましてと返ってくる。間違ってないけど間違ってるだろ、その返事。いや、合ってんだけどさ!!
 もやもやする俺に苦笑を零し、円は事の次第を口にする。

「どうやら対応に困るお客が来てるらしくてな? 備品を壊して叫んでるんだと。悪意があるというより大きい子供みたいな奴らしいんだが、折角の学園祭だ。うちの生徒が楽しくない思い出で締めるようなことは避けたい」
「……円」
「ん、っ?」

 手を伸ばす。頬に添えられた手に、円の動きが静止する。

「頑張ってこい」

 にぃ。

 小さく零すと、円は肩を揺らして立ち上がる。

「行ってくる!」

 兄の去っていった扉がぱたんと閉まる。ベッドサイドのマグカップを啜ると、ミルクティーは熱を失っていた。時間の経ったミルクティーは、どこか味気ない。出来立ての時に飲み切るんだった。

「そんな落ち込むなら行かないでって言えばよかったのに」

 南部先生が呆れた顔で頬杖をつく。見透かされた言葉に居心地が悪くなり視線を逸らす。

「……あそこで行くからあいつは円なんだよ」

 俺のせいで何かを諦めるような奴になってほしくない。円だって、俺の本心に気付かなかった訳ではない。気付いたうえで、生徒会長として行動した。

「前の、円はさ。生徒会長であることに固執して、選択肢を自分で狭めてた。でも、今はちょっと自由で、ちょっと楽しそうなんだ」
「椎名は、それが見たかった?」

 だから、見送ったのか。

 やっぱり見透かされてる。俺、そんなに分かりやすいつもりないんだけどなぁ。

「……当たり前。俺の兄貴のかっこいいところなんて、逃すはずがない。だろ?」

 勝気に笑い立ち上がる。

「もう体調はいいんだな?」
「全快!」
「特等席で見るんだろ?」

 見送る先生に苦笑する。

「俺、そんなに分かりやすい?」

 眉を下げ微妙な表情をした先生が、ついと指さす。つられて視線を移すと、洗面台。曇り一つない鏡は、俺の顔をはっきりと描いている。

「ああ、うん」

 確かにこれは分かりやすい。覗いた鏡は、唇の弧を鮮やかに映していた。
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