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第四章
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放課後にビードロに通うようになって二週間。家での食事も次第に栄養を考えた物に変化しつつあった。母さんから料理を褒められることこそないが、以前より食べる量が増えている。肝心の俺はというとさほど食が進まないのが現状だ。渋川さんにも食事の世話をされているが、体型に変化の兆しはない。
「椎名くん」
「……」
甲斐の声に視線を向ける。そもそもなんでこいつまで屋上にいるのか。人と話すと疲れるようになってからというもの、人に囲まれていない時も屋上に避難するようになった。おかげで保健室登校ならぬ屋上登校じみた学校生活を送っている。
「……お? 珍しく反応した。今日は元気だね?」
「……、」
早く本題に入れば良いのに。
俺の変わったかどうか怪しい表情を読んだ甲斐は、「ハイハイ」と軽く返事をして言葉を続ける。
「最近さぁ、夜中に外出歩いてない? 椎名くんっぽい人の後ろ姿を夜中に見かけたんだよね」
「……」
返事をしない俺に諦めたのか、甲斐は手持ちのビニール袋からパンを取り出し食べはじめる。
「十中八九出てると思うんだけどさぁ。極道の連中には関わらないようにしなよ。あいつらに関わると面倒だから」
「……あいつら」
まるで顔見知りかのような物言いに、思わず言葉を反復する。珍しく言葉を発した俺に、甲斐はにやりと頬を緩める。
「そ、あいつら。……なぁに? ついに俺に興味でも出た?」
ふざけた言葉をスルーすると、甲斐は面白くなさそうに舌打ちをする。
「ま、いいや。それよりさ。最近肉付いてきたんじゃない?」
甲斐の手がシャツの中にするりと入る。冷えた指先が、腹から胸を撫でるように這う。
「ほら、前より骨も浮いてないし」
前、というのはパッと見だろうか。もしかしたら触られたのかもしれないが、覚えはない。ビードロへ行く頃には覚醒しているものの、家と学校の記憶となればその殆どが曖昧だった。“珍しく反応した”という甲斐の言葉から察するに、話しかけたことが何度かあるのだろうがそれも思い出せない。というか。俺からすると特に変化はないのだが、甲斐から見ると違うのだろうか。
ぼんやりとしていると、甲斐の手は下腹部を撫ではじめる。
「きもちい?」
「……、」
甲斐の声が楽しそうに緩む。気が付けば甲斐は俺を床に転がし手で押さえつけている。起き上がることもできるが、とにかく面倒だった。投げやりに体を弛緩させると甲斐は不機嫌そうに舌打ちをする。ふっと視線を外し空を見る。薄水色の空を一羽の鳥がすぃと飛んでいった。
***
ビードロへ行く前に一度家に帰る。母さんがきちんと昼食を食べたか確認したかった。家の門が見えるところまで帰ると、近所のおばさんが立ち話をしていた。ひそひそとした会話に耳を傾ける。どうやら俺の家について話しているらしい。虐待が、母親がというワードから察するに、母さんの怒声でも聞かれたのかもしれない。
めんどくせぇと内心で溜息を吐き、顔を作る。顔に怪我のないのを確認した俺は、長くなった前髪を持っていたピンで後ろに流して留める。
「田中さん、遠藤さんこんにちは!」
「ッ、あら椎名さんのとこの」
「っこんにちは」
にこやかに話しかけると、二人は慌てたように取り繕う。かわいそうなものを見る目を向けながら、何も知らない振りをして。近所の子供が虐待されていると知りながら、にこやかに良い子の振る舞いをされればそれ以上の追求を止める。中途半端な正義感はただの興味本位よりも質が悪い。そんな曖昧さは誰も救えない。……俺のように。
「そ、そうだ。昨日煮物を炊きすぎちゃったの。よかったら食べてくれない?」
「え、いいんですか? 嬉しいなぁ、いただきます!」
「待って、私も今晩のおかず用に作ったおひたしがあるの。味見して感想聞かせてくれないかしら」
「わ、嬉しいです。ありがたく頂戴しますね。感想上手く伝えられるかなぁ」
ふわ、と笑う俺におばさんたちもにこりと笑う。まだ気遣わしげな視線は感じたが、少なくとも児童相談所に通報されるようなことはないはずだ。
「寒いので風邪には気をつけてくださいね!」
「まぁ、ありがとう」
振り返り際に手を振り、家に入る。扉が閉まった瞬間、心の冷えていくのが分かった。すぅと表情を消し、髪留めを外す。パサリと前髪が顔にかかった。
貰った惣菜を手に持ち、キッチンへと向かう。冷蔵庫の隣に立ち並んだゴミ箱を開けた俺は、そのままタッパーの中身を流し入れた。空になったタッパーを流し台に置く。
「……ごちそーさまでした」
哀れみやがって。
どうせ何もしないくせに。
先程聞いた会話を思い出すと、眉間に皺が寄った。何も知らないくせに好き勝手言いやがって。……まるで母さんを悪者みたいに。胸のあたりに落ち着かない感覚を覚えて、ああ怒ってるんだと気付いた。
「……嫌いだ」
嫌い。
俺みたいなのに騙される奴が嫌いだ。みんな忘れて幸せに暮らしてる奴が嫌いだ。ニコニコニコニコ、俺に笑いかける奴が嫌いだ。俺を哀れんで母さんを悪者にする奴が嫌いだ。……心配してる人を騙す俺が嫌いだ。忘れろと言ったくせに忘れて欲しくない俺が嫌いだ。笑いかけてる人に碌な返事を返さない俺が嫌いだ。母さんを悪者にされるのが嫌なくせに、母さんを怖がってしまう自分が嫌いだ。人の厚意をゴミ箱に捨てる俺が嫌いだ。
「……大嫌いだ」
シンクに手をつき、項垂れる。先程は気が付かなかったが、皿が水に浸けられている。母さんは用意した昼食を食べてくれたらしい。美味しかったのか、皿は汚れが見当たらない。
それだけで、何かが報われたような気分になる俺は単純だろうか。
「……、がんばろ」
ポケットに財布と鍵を突っ込み、顔を上げる。途端、立ちくらみを感じて壁に手をついた。
「っ、」
収まるまで数秒。
くらりとした感覚もなくなり、今度こそ家を出る。
「いってきます」
ずきんとコメカミが痛みを訴えた。
「椎名くん」
「……」
甲斐の声に視線を向ける。そもそもなんでこいつまで屋上にいるのか。人と話すと疲れるようになってからというもの、人に囲まれていない時も屋上に避難するようになった。おかげで保健室登校ならぬ屋上登校じみた学校生活を送っている。
「……お? 珍しく反応した。今日は元気だね?」
「……、」
早く本題に入れば良いのに。
俺の変わったかどうか怪しい表情を読んだ甲斐は、「ハイハイ」と軽く返事をして言葉を続ける。
「最近さぁ、夜中に外出歩いてない? 椎名くんっぽい人の後ろ姿を夜中に見かけたんだよね」
「……」
返事をしない俺に諦めたのか、甲斐は手持ちのビニール袋からパンを取り出し食べはじめる。
「十中八九出てると思うんだけどさぁ。極道の連中には関わらないようにしなよ。あいつらに関わると面倒だから」
「……あいつら」
まるで顔見知りかのような物言いに、思わず言葉を反復する。珍しく言葉を発した俺に、甲斐はにやりと頬を緩める。
「そ、あいつら。……なぁに? ついに俺に興味でも出た?」
ふざけた言葉をスルーすると、甲斐は面白くなさそうに舌打ちをする。
「ま、いいや。それよりさ。最近肉付いてきたんじゃない?」
甲斐の手がシャツの中にするりと入る。冷えた指先が、腹から胸を撫でるように這う。
「ほら、前より骨も浮いてないし」
前、というのはパッと見だろうか。もしかしたら触られたのかもしれないが、覚えはない。ビードロへ行く頃には覚醒しているものの、家と学校の記憶となればその殆どが曖昧だった。“珍しく反応した”という甲斐の言葉から察するに、話しかけたことが何度かあるのだろうがそれも思い出せない。というか。俺からすると特に変化はないのだが、甲斐から見ると違うのだろうか。
ぼんやりとしていると、甲斐の手は下腹部を撫ではじめる。
「きもちい?」
「……、」
甲斐の声が楽しそうに緩む。気が付けば甲斐は俺を床に転がし手で押さえつけている。起き上がることもできるが、とにかく面倒だった。投げやりに体を弛緩させると甲斐は不機嫌そうに舌打ちをする。ふっと視線を外し空を見る。薄水色の空を一羽の鳥がすぃと飛んでいった。
***
ビードロへ行く前に一度家に帰る。母さんがきちんと昼食を食べたか確認したかった。家の門が見えるところまで帰ると、近所のおばさんが立ち話をしていた。ひそひそとした会話に耳を傾ける。どうやら俺の家について話しているらしい。虐待が、母親がというワードから察するに、母さんの怒声でも聞かれたのかもしれない。
めんどくせぇと内心で溜息を吐き、顔を作る。顔に怪我のないのを確認した俺は、長くなった前髪を持っていたピンで後ろに流して留める。
「田中さん、遠藤さんこんにちは!」
「ッ、あら椎名さんのとこの」
「っこんにちは」
にこやかに話しかけると、二人は慌てたように取り繕う。かわいそうなものを見る目を向けながら、何も知らない振りをして。近所の子供が虐待されていると知りながら、にこやかに良い子の振る舞いをされればそれ以上の追求を止める。中途半端な正義感はただの興味本位よりも質が悪い。そんな曖昧さは誰も救えない。……俺のように。
「そ、そうだ。昨日煮物を炊きすぎちゃったの。よかったら食べてくれない?」
「え、いいんですか? 嬉しいなぁ、いただきます!」
「待って、私も今晩のおかず用に作ったおひたしがあるの。味見して感想聞かせてくれないかしら」
「わ、嬉しいです。ありがたく頂戴しますね。感想上手く伝えられるかなぁ」
ふわ、と笑う俺におばさんたちもにこりと笑う。まだ気遣わしげな視線は感じたが、少なくとも児童相談所に通報されるようなことはないはずだ。
「寒いので風邪には気をつけてくださいね!」
「まぁ、ありがとう」
振り返り際に手を振り、家に入る。扉が閉まった瞬間、心の冷えていくのが分かった。すぅと表情を消し、髪留めを外す。パサリと前髪が顔にかかった。
貰った惣菜を手に持ち、キッチンへと向かう。冷蔵庫の隣に立ち並んだゴミ箱を開けた俺は、そのままタッパーの中身を流し入れた。空になったタッパーを流し台に置く。
「……ごちそーさまでした」
哀れみやがって。
どうせ何もしないくせに。
先程聞いた会話を思い出すと、眉間に皺が寄った。何も知らないくせに好き勝手言いやがって。……まるで母さんを悪者みたいに。胸のあたりに落ち着かない感覚を覚えて、ああ怒ってるんだと気付いた。
「……嫌いだ」
嫌い。
俺みたいなのに騙される奴が嫌いだ。みんな忘れて幸せに暮らしてる奴が嫌いだ。ニコニコニコニコ、俺に笑いかける奴が嫌いだ。俺を哀れんで母さんを悪者にする奴が嫌いだ。……心配してる人を騙す俺が嫌いだ。忘れろと言ったくせに忘れて欲しくない俺が嫌いだ。笑いかけてる人に碌な返事を返さない俺が嫌いだ。母さんを悪者にされるのが嫌なくせに、母さんを怖がってしまう自分が嫌いだ。人の厚意をゴミ箱に捨てる俺が嫌いだ。
「……大嫌いだ」
シンクに手をつき、項垂れる。先程は気が付かなかったが、皿が水に浸けられている。母さんは用意した昼食を食べてくれたらしい。美味しかったのか、皿は汚れが見当たらない。
それだけで、何かが報われたような気分になる俺は単純だろうか。
「……、がんばろ」
ポケットに財布と鍵を突っ込み、顔を上げる。途端、立ちくらみを感じて壁に手をついた。
「っ、」
収まるまで数秒。
くらりとした感覚もなくなり、今度こそ家を出る。
「いってきます」
ずきんとコメカミが痛みを訴えた。
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