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第四章
006 残り五分
しおりを挟む「トト、奴の人格は完全に侵されている。恐らくセラと出会う前のどこかで重大なショックに見舞われたんだろう。……分かってるだろ! もう説得の余地はない! やれ! 時間が無いぞ!」
「分かってる……分かってるんだよそんなことはッ!」
火炎と同化したトト。その大槌には、セラルフィの思念体が吸収されている。彼女の喉元に浮かんでいた時の光文字は、大槌に刻まれていた。
残り五分。
火炎の噴き出す推進力は音速。それでも時の前では無力だ。シルヴァリーの瞳はその火炎を捉える。直後、転倒。宙に取り残された火炎と切り離されたトトは、激しく体を打ち付けながら地面を転がる。
一切の工程を無視し、ソレを発動。時間停止の能力を見ただけで発動するにまで変貌していた。
「ヤヤヤ、や、はり、こここのてて程度か。大槌ををを振り回すだけで、で、ででワタシが――がっ!?」
途端、苦しそうに体を丸めるシルヴァリー、魔道具無しの魔術行使による反動に、内容物を吐き出した。
受け身を取っていたトトは、即座に立ち上がり、走る。
「気付くのが遅すぎたんだ。シルヴァリー。お前はもう魔術を行使できるほどの冷静さは無い。トラウマに、復讐に縛られすぎたんだ。もう僕が手を出す必要がなくなるほどに、自我を失いかけているッ」
彼は、自分の記憶を巻き戻していたのだ。自分自身が言っていた、『力の源は怒り』だと。大切な人間が死に、その瞬間を忘れないために、色あせてしまわないように。シルヴァリーは怒りを原動力にするために、毎日その時の記憶だけを巻き戻して。
「う、うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウウウウアアアアアアアアアアア――ッ!」
――すまない、キーム。
聞こえた。確かに、そう言った。自我を失った男の唇から。怒りや疲労で切れた唇が、そう動いたのをトトは目にした。大きく振りかざした大槌は正確にシルヴァリーの背中を目指し――。
振り返った眼によって、トトの時は完全に停止した。
「――うおおおおおおおおおッ!!」
インパクト寸前で停止したトトの反対方向から降りかかる咆哮は、紛れもなく、戦いを終わらせる寸前のトトの声そのものだった。
「――ッ!」
振り返ろうとした。獣のように獰猛な表情を張り付けたシルヴァリーはしかし、灼熱の炎により視界を遮られ、左側面からまともに大槌を喰らう。インパクトの瞬間シルヴァリーが目にしたのは、時を止めたはずのトト――否、『トトを模した擬態人形』が、その役目を放棄した後の姿だった。
紅蓮の軌跡を引いた人影は湖面を打ち、柱のような水飛沫を上げて巨石を粉砕した。まるで蓋をしていたかのように立ちふさがる大岩は、音速を超えるシルヴァリーの体により打ち砕かれる。そこには大口を開けた洞窟が覗いていた。
****
生きていた。虫の息と言っても大げさではないほどに、シルヴァリーは衰弱していた。
彼を生かしたのは強大な魔力。時を操る、命で出来た魔力だった。かつてシルヴァリーが愛し、愛された相手から受けた魔力。それが反射的に作用し、シルヴァリーの肉体的な時を止め、岩で頭蓋を粉砕されるという結果を退けたのだった。しかし、シルヴァリーの意識は朦朧としている。セラルフィの心臓を破壊するという目論見も打ち砕かれ、今から挑みかかるほどの体力もない。
「殺す……ッ。殺してやる、あのガキも、あの連中も、組織も。全員、潰してやる……ッ」
気付けば、涙が浮かんでいた。声が震えていた。悔しさで歯を食いしばっていた。息は漏れるばかりだった。
そこへ現れたのは、かつてユーリッドという小国を脅かしていたという水龍。十年前に大岩で洞窟へと追いやられた魔獣は、何も口にせず今も生き続けていた。それが今、その封印が今、解かれたのだ。
大口を開けた海蛇。十年ぶりの食事となるのは、自分よりも遥かに小さい、とても小さな、ちっぽけな生き物。
無力な男だった。
「――キーム」
己が喰われるその直前に吐いた言葉は、マヨイビトという、生まれた時から忌み嫌われる存在の名。しかし、人生で最も愛することができた人の名だった。
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