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魔女の里編
32話 竜人の王子
しおりを挟むクラリスは黒薔薇の魔女候補として持て囃されるようになって、自分以上の魔女は学長をおいて他にいないと自負していた。
いまスミレが見せている力を前に、この考えは浅はかだったのだと思い知る。
(スミレさん、たった半月の修行でここまで……!?)
――魔女の一族において、魔獣との戦闘は必ず距離をとるように教育されている。か弱い人間のフィジカルでは押し負けるからだ。
ここにいる魔人も例に漏れない。
人と似た姿をしていながら、内包した邪悪な魔力が筋力を倍増させ、片手で屈強な男を投げ飛ばす事ができる。
だからといって遠距離に持ち込んだとしても魔力の真っ向勝負で敵うわけではない。
決して楽観視していた訳では無いが、先程のクラリスがそうだった。
それを、スミレは相手の魔法をねじ伏せ、今やゼロ距離の格闘で圧倒していた。
体格差を浮遊で埋めたスミレは、地に足のつかない状態で魔法をいなし、目で負えない速度の殴打蹴撃を全てねじ伏せている。
「なぜ今そこまでの力を――ぶっ」
スミレがジェイトリックの横っ面を殴り飛ばす。地をバウンドし、魔人は冗談のような速度で遠くの壁に叩きつけられた。
衝撃音が伝わり、こちらに預けられていたクレアが目を覚ます。
「なに……どうなって……」
「もう大丈夫よ」
クラリスは自分の混乱を無理やり飲み込み、現状に目を向けることにした。
「スミレさんが戻ってきた。……私も初めて見るわ。あんなデタラメな魔術」
魔人の生命力は異常だが、スミレは見ているだけで鳥肌がたつほどに、的確に急所を破壊し続けた。
実力を隠していたとしか思えない。中等部への承認試験でさえ驚かされたが、今のスミレは別格だ。
魔人は小さく悪態をつくと、遠く離れ、何度か見た闇を展開。生命体らしき歪な者が次々と生まれた。
手足の極端に長い人型、大翼の生えた猛獣、長大な剣を構えた三メートル大の騎士――闇に塗りつぶされた生命体がまだ生まれてくる。
(召喚魔術……!? 高等魔術なのに、なんて数なの)
このダンジョンに巣食う巨大ミミズの比ではない。どれも魔人に近い魔力とプレッシャーを感じた。
クラリスは思わず杖を握る手に力を込める。
ジェイトリックが自己治癒を完了させると、口の端を吊り上げた。
「我が召喚隊です。ここで使うつもりはなかったのですが仕方ない」
「なるほど、過去に見た奴らもお前の仕業だったか」
不可解な事を呟いたスミレはおもむろに手を構えたかと思うと、闇の軍勢の頭上に菫色の粒子が広がった。
一瞬、スミレがクラリスを見る。
理不尽な信頼の目で訴えている。
――お前なら防げるだろ? と。
「――ッ! みんな伏せてッ」
待機させていた防御魔術を最大展開させる。
折りたたまれたパネルが組み上がるように、多角形の障壁がクラリスを起点として、後ろの仲間を守るように広がった。
悲鳴に近いクラリスの警告に従ったクレアは、意味はなくとも動けないブラッカを守るように覆いかぶさった。
「竜の火種を点ける魔法」
連鎖的な爆発が闇の軍勢を呑み込んだ。
眩い光に続き、煙に高熱と轟音がダンジョンを駆け抜け、展開した防御壁全体に一瞬で亀裂が走った。
防御壁越しにくぐもった壮絶な音から、スミレの発動した魔術が規格外のものであることは明白だった。
これはクラリス自身驚いたことの一つだが、スミレは割と強引なところがあると最近になって知った。
灯火の魔術の試験に居合わせていなければ、スミレに対して防御魔術を構える考えなど持たなかっただろう。
視界がひらけると、魔人の生み出した闇の軍勢は原型を失いあっけなく消滅していた。
魔人もただでは済まない。
半身を焼け爛れさせながら、鈍くなった自己治癒そのままに唇を痙攣させる。
「あ……あり得ない……こいつらのためにどれだけの人間を使ったと思ってるッ!」
「知るか。俺が魔族に劣るほうがあり得ないんだよ」
魔人は苦い顔で歯ぎしりをしながら、力の差をようやっと認めたらしく、感情任せに地を殴り抜いた。
拳から湧き上がるように黒煙が空間一帯を埋め尽くす。
同時にクラリスの防御魔術はわずかな刺激で完全に砕け散った。すぐ後ろでクレアの悲鳴が僅かに聞こえたが、どうなっているのかがクラリスにも分からない。
「――そう来たか」
すぐに黒煙が晴れると、スミレは声を低くして眉根を寄せた。
黒髪長髪に、同じく黒いドレスの女性――クレアがいる。
一人や二人ではない。
数十人規模だろうか。この空間を埋める程、いたるところにいる。全く同じ姿勢と反応で、本人達は互いの顔を見て動揺していた。
「えっ、えっ!? あの、私……」
ほとんどが同じように混乱している。
気付けばジェイトリックの姿がなかった。
更に空間に溶け込むようなジェイトリックの声が聞こえる。それもどこから発せられているかが分からなかった。
『擬態と召喚は私の得意でしてね。会ってたった数刻の人間を見分けられますか? ……モタモタしていると、作り物があなたの仲間を殺しますよ』
クラリスは警戒しながらも慎重にクレアの姿をした偽物たちを観察した。
――恐らく魔人の言ったことはハッタリだ。スミレの魔女としての力はもはや騎士団にも相当する。ジェイトリックもわかっているはずだ。
勇敢さのないこの男は、きっと自分が生き残る方法を選ぶ。
仲間の危険をチラつかせて偽の選択肢を与え、混乱に乗じて逃げる。
「スミレさん惑わされないで! 真っ先にここを離れようとした人がきっとジェイよ!」
クラリスの言葉にスミレは呆れた顔で肩をすくめた。
「付き合いきれん。そんなまどろっこしいことしてられるか」
そして迷いない足取りで、ある一人の女性を抱えた。
「魔人。小細工はやめたらどうだ」
全員がスミレの方を向いた。全く同じ顔をした女性が複雑な表情で見つめている。
「……あくまで俺に壊させる気か」
そう言うと、頭上に生成した縦細い光の槍がクレアの幻影全てを貫いた。クレアを模した幻影は蜃気楼のように揺らいで消滅していく。
ただ一人、背中を貫かれた者だけが黒髪長髪の女性から変質した。藍色の髪をオールバックにした魔人ジェイトリックだった。
クラリスは呆然とその成り行きを見ていたが、クレアを降ろしたスミレは、怒りに満ちた目で魔人を見ている。
魔人は体を貫かれ吐血しながらも、スミレの迷い無き惨殺行為に気をよくしたのか口の端を吊り上げた。
「……ハハッ、ハッタリにしては躊躇しなかったな! たまたま本物の聖女を当てられただけだ。やはりお前は人間じゃない。魔族側だ! 人間のフリなどやめてしまえ。自覚しろ!」
「俺が当てずっぽうでクレア以外を攻撃したと思ってるのか?」
その言葉に魔人は眉を僅かに歪めた。
「……まさか本当に見破ったとでもいうのか? あり得ない、私の造形は完璧だったッ」
「ああ。見た目も振る舞いも悪くはなかったな。でも相手が悪い」
魔人の目の前まで歩み寄ったスミレは、ただただ怒りのままに魔人の顔を殴り抜いた。魔力の槍が消失して血を撒き散らしながら地面を転がっていく。
「俺の女は世界で一人だけだ。代わりなんていないんだよ」
「ぐぁ……ああ……ッ」
彼の苦しみようから、ついに魔人の自己治癒能力が止まったことに気づいた。
魔人の魔力が底をついたのだ。
奴の歯が折れている。まともに痛みと向き合ったのか、立ち上がる気力もなく呻いていた。
「ほう。痛いフリも一級品だな。どうせお前も作品の一つなんだろう?」
スミレは感心したように魔人の様子を観察する。
「で、その体はジェイトリックっていう作品名なのか? 本体は遠くにいるんだったよな。……そういえば召喚士っていうのは、正確に操ろうとするほど本体と感覚を共有させるらしいな」
「なぜそれを……!?」
「他でもないお前が白状してたんだよ。ああ、もちろんジェイトリックじゃなく本体の方だ」
ジェイトリックは驚愕で目を見開いた。
「俺の目を見ろ」
魔人の髪を容赦なく掴み上げたスミレの顔はクラリスからは見えない。
ただ、ジェイトリックがこの世の終わりを予感したような顔をしているから、きっと今のスミレは見るも恐ろしい目つきになっているのだろう。
スミレは低い声で脅すように言った。
「二度とクレアに近付くな。ほかの魔物や魔人もだ。もしクレアを狙うのがお前じゃなくとも、お前の同族だったのなら、俺はお前を殺しに行く。地獄の果てまで追いかけて、俺の一生をかけて苦しませてやる」
それはジェイトリックにとって死刑宣告も同然の宣言だった。
スミレは魔人の腕を掴むと、小さな手からは信じられない力で握り込んだ。それこそ、潰れかねない程に。
「分かったらこの痛みを忘れるな。そして伝えろ。竜人の王子がお前らを根絶やしにすると」
「やめ――」
魔人の腕から、骨の折れる鈍い音がした。
◆
「……スミレさん、あなた」
スミレが言った通り、ジェイトリックは召喚体だった。
そう分かるまでにスミレが行った暴虐は目を覆いたくなるものだったが、クラリスはジェイトリックの姿が魔力の粒子に変わるまでを見届けて改めて思った。
「結構えげつないことするのね」
「ん、そうか? 魔人だからこれくらいしておかないと後が怖いんだぞ。これでクレアはもう大丈夫だろうし、帰るだけだな」
呑気なことを言うスミレに呆れながらも、帰還することにはクラリスも同意した。
「ええ。もう私もさすがに魔術は使えないわ。クレイバスタさんも少しすれば元気になるだろうけれど、こんな不気味なダンジョンに長居はしたくないわね」
やっと帰れる。スミレに聞きたいことは山ほどあるが、それは今やるべきことじゃないと思った。
考えてしまうのは、クラリスは自分で思っていたより優秀ではなかったこと。
魔人なんて魔女二人で倒すことさえ無謀だと理知的な頭では分かっていながら、幼い頭は無計画に魔人を倒す優秀な自分の姿を思い描いていた。
そして、簡単に修復される傷しかつけられず、挙げ句に瀕死だったスミレに助けられた。
気だるそうに伸びをしているスミレと目が合い、クラリスは諦めたように顔をほころばせた。
「頑張ったのね、スミレさん」
そう口にした矢先だった。
クラリスの顔に緊張が走る。
獣の唸り声のようなものが群れをなして近づいているのが聞こえたのだ。
「ねえスミレさん、これって」
「できるだけみんなと一箇所に固まってくれ」
「え?」
「早く!」
クラリスの体は弾かれるように動いていた。
流石に女の子の力でブラッカや手負いの騎士を引きずることは出来ない。クレアの手を取ってブラッカの方に寄った。
スミレの相棒であるレッドリザードも意図を理解したのかはわからないが、背中に騎士を乗せてコチラへ寄ってきた。
(魔物の集団? 声が獣っぽい。幼虫の種類とは違う? 数は……一〇、二〇、三〇――)
意識を集中させ、魔物特有の魔力がどこから、何体来るかを懸命に探る。
すぐに顔を上げた。クラリスが思っていた以上に状況が悪い。
「一箇所じゃないわ! 上からも下からも押し寄せてくる! とんでもない速度よ!」
「防御魔術は使えるか!」
「使え……ッ。ない。――無理よ。もう限界だわ」
「ブラッカを叩き起こせ! いないよりマシだ!」
「無理よ! ジェイの毒気にやられてるわ!」
「クソッ!」
感情任せに壁を殴るスミレは、珍しくいつもの傲慢な態度を崩していた。
クラリスから見ても彼女の魔力は決して少なくない。魔人を相手にしておきながら余力があるのは驚きだが、だからこそクラリスは菫色の魔女に不安を感じた。
「もしかしてスミレさん」そう口にして、聞いてしまう。「その力――加減できないの?」
スミレから苦しそうな歯ぎしりが聞こえた。それは肯定を意味していた。
「ごめんなさい」
後ろからクレアが申し訳なさそうに言った。しかし、その声には遠慮はなくむしろ驚くほど凛としていたように聞こえた。
「魔物が来てるのよね? きっと私を狙って来てるんだわ」
「違うッ! お前のせいじゃない!」
スミレは泣きそうな声で否定した。
それでもクレアは意見を曲げようとしなかった。すぐに立ち上がると、クラリス達を見て言う。
「みんなは上に逃げて。細い道があったから、私がそこに走れば時間が稼げると思う」
「あなた……何者なの?」
いまいち要領を得ないクラリスは、確信を持って言うクレアの言葉を頭ごなしに否定することは出来ず、ついそんなことを聞いてしまった。
「クレアは動くな! 俺が絶対に守る。信じろ!」
「どうして分かってくれないの!? 私が死ねばみんなが助かるのにッ」
それはクレアの本心だったのかも知れない。
そして、スミレはそこまで聞くと心臓を握りつぶされたような切ない顔をして、言葉の出ない口をもどかしげに動かすことしかできなかった。
――口論を待ってくれるほど魔物の集団は知性がない。極めて野性的だった。
堅牢な紫水晶の地形を砕き割るようにして四方八方から、魔石で作った棍棒を振り回す巨人――オーガの集団がこの空間に躍り出た。
地形を食い破るミミズの魔物を手なづけ侵入したらしい。
すぐにスミレ達の声をかき消す轟音があたりを蹂躙した。
感知していたより数が多い。統率が取れていない魔物達は空間を自由に暴れまわり、クレアに近い数体はこちらに気づくと目を血走らせて突進してきた。
倍以上ある巨体の群れが地を鳴らしながら迫ってくる光景にクラリスの喉が小さく鳴る。
「――クソォッ!」
スミレがヤケになり、魔力の波を練り上げて特大の魔術を起動しようとした時。
「――ッしゃオラァァアアアアッ!」
魔物よりも大きく豪快な女の声が、天井を突き破ってこの空間に飛び込んだ。
目の前に迫っていた魔物の腹、首、胸、およそ急所という急所を正確無比に吹き飛ばしていく影。縦横無尽に駆け抜けていく。
それはスミレの近接格闘をも凌駕する、人間離れした身体能力による暴力だった。
静寂と死臭で立ち込めた空間に様変わりする。
目で追えない速度の鏖殺が繰り広げられ、どのくらいが経っただろうか。体感だと五分とかかっていない気もする。
赤い髪を三つ編みにまとめたアマゾネスのような女と、白銀の毛並みが美しい銀狼だった。その後ろから、大きな鞄を背負ったノトムが息を切らしながら顔を出す。
そうして、魔物の青い返り血を浴びた野生児のような女は、スミレを見つけると口を裂いて笑った。
「やっぱここにいた! ノトムの言う通りだったな!」
「イヴァ……なんで来たんだ?」
スミレが力なく聞くと、イヴァは頬を掻いて自信なげに答えた。
「そりゃ、あんたらヒョロい体してんだから心配だろ。戻って正解……だよな?」
ノトムも当たり前のように鞄をまさぐると、手に数本のガラス瓶を取り出して突き出した。
「手当も必要だよね」
返す言葉が見つからないのか、スミレが目を逸らした先にクラリスがいて、目があったクラリスは肩をすくめた。
「結構待たせたんだもの、心配にもなるわよ。本当、私たちってまだ子供よね」
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