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魔女の里編
34話 夜明けの別れ
しおりを挟む「きゃああああああ――ッ!」
「うわぁあああああッ、死ぬッ、死ぬうぅ」
「ちょーやべー!」
俺の背中に乗ったクレアとアントン、そしてイヴァは、眼下を流れる大木が豆粒に見えるほどの上空で、それぞれ思い思いの悲鳴を上げている。
魔物のポチとラッキーは掴む前足が心もとないから、ブラッカによってこの体に縛り付けさせた。地上を走ってついてこられるようじゃぜったい追いつけないだろうし、これが最善だろう。
竜の背中に乗る、なんていうのは、本当に心を許された生き物だけの特権だ。感謝してほしいものである。
「はー……すっげぇ……うわっ、と」
俺を追いかけるように箒にまたがるブラッカ達が、こちらを見上げて感心するような声を出してよろめいた。
ブラッカの後ろで掴まっているノトムが悲鳴をあげる。
「あっぶな! よそ見しないでよ!」
「クレイバスタさん、その箒壊さないでね。うちの予備ではあるけれど、素材は貴重なのよ。そもそも二人乗りの設計じゃないのに」
魔女の一族の連中は、荷物は預かってやっても俺の体には乗せていない。
できない訳では無いが、空を飛ぶ道具を持っているのに楽なんてさせるわけがなかった。
加減はしているが、ここまで速いと吹き付ける猛風で会話もままならない。人間の聴力では大声を出しても聞こえないだろうが、向こうは向こうで念話が使えるから何かあれば言うだろうとは思っていた。
クレアとて今世で竜の背に乗るのは初めてだろう。
『怖いか?』
「ううん、ぜんっぜん! 初めてなの、空飛ぶのって! 最高!」
魔法障壁である程度の風避けは施しているものの、地上の生活に慣れ親しんでいる人間がいきなりはるか上空に連れ去られるのだ。普通は怖がって当たり前なのだが。
やはり俺が知っているクレアだ。
前世では(特に最初の頃は)気を遣う感覚もなかったから、魔物の軍勢から助けるために竜人の姿で抱き抱え空を飛んだことがあった。もちろん「怖いか?」なんて気の利いた言葉は使わなかったが、彼女は腕の中で黙りながらも目を輝かせていたのを覚えている。
きっと、あの時もそんなふうに思ってくれたのかもしれない。
「ふぐ……うぐううう」
後ろでクレアが落ちないように背中を抑えているアントンは実に正直な反応だ。怖い気持ちを無理やり呑み込んで、尚も騎士としてクレアの安全を気にかけている。
たぶん俺にはああいう姿勢が足りなかったのかもしれないな。
目標であるローゼングレイス国の国旗が見えるのにさほど時間はかからなかった。ダンジョン攻略後の疲れからか、行軍自体は緩やかだったらしい。
野営のための炎も確認した俺は、闇に乗じてあまり遠くない位置の森に降り立った。
地面に向かって翼を傾けると、俺に乗っていたクレア達は慎重に滑り降りていく。
「絶対、もう二度と、竜には乗らない」
アントンが青い顔をしてぶつぶつ呟いていた。人間にしては成熟している男だから、空を飛ぶくらいのことは平気なのだと思ったのだが意外だった。
きっと凶悪な魔物と戦うより恐ろしい体験だったに違いない。
かくいう俺も、久しぶりの竜化魔法で疲れた。自然と全身の魔力が抜けていき、魔女の姿に戻ってしまう。
「思ったより馬が走っていなくて良かったわね。流石に私ももう疲れちゃった」
空から優雅に舞い降りてくる黒薔薇の魔女候補は、口調は平静を保っているものの表情に疲れが見えた。
それに対して、遅れて降りてくるブラッカとノトムの二人組はほとんど落下である。豪快に木の枝に体当たりしたかと思えば、真下にいたいまだ縄だらけのラッキーに落ちた。レッドリザードは不機嫌そうに舌をチロチロさせるだけで、終始痛そうにしていたのは男二人だった。
「もう飛んで帰るのはやめよう。……せめてゆっくり飛ぼう」
「……同感だぜ」
クラリスは別としても、魔力を使った飛行はここまでが限界だろう。
気づけば夜が明け始めていたから、ここからはラッキーとポチに乗っても良さそうだ。
ローゼンクレイスの騎士団も移動を再会し始める頃合いか。
「これで帰れるな」
竜での飛行体験でやけにニコニコしていたクレアに言うと、彼女はすこし真面目な顔に戻って俺の手を包んできた。
「本当にありがとう、スミレさん。私たちを助けてくれて。あなたは命の恩人よ」
しっかりと目を見てそう言ってくるものだから、俺は喉が締まるような変な感じがした。
適当な返事で目を逸らすと、クレアは後ろでくたびれた顔をしていたクラリス達に向き直る。
「クラリスさんに、イヴァさんに、ブラッカさん、ノトムさんも。本当にありがとう。ポチさんとラッキーさんもね」
一切陰りのない明るい笑顔で言い頭を垂れたクレアに、各々照れくさそうな反応を返した。
アントンも改まって騎士風の姿勢で手を組むと同じように頭を下げた。
「君たちには感謝してもしきれないよ。よければこのままローゼンクレイスに来ないか? 私の権限で適当なことは言えないが、礼は充分にすると約束しよう」
その言葉にうちのパーティ連中は顔を見合わせている。特にブラッカは欲が見え透くほどに目尻を歪ませていたが、代わりに俺が断った。
「誘いはありがたいが、俺達は帰ってやることがある。また機会があれば礼を受けよう」
「え、アネキ」
「帰るぞ」
「……はい」
しゅんとしたブラッカに、ポチが雄々しく歩み寄ると銀狼の鼻先を擦るように押し付けた。いつの間にかあそこの連中は仲良くなったらしい。
「それと、俺達のことはおたくの連中には伏せておいてほしい」
「なぜだ? 栄誉なことなんだぞ?」
「魔女っていうのはすごく狭いコミュニティで生きる種族なんだ。こっちにも文化ってやつがある。わかってくれ」
「……じゃあせめて馬を貰っていってくれ。足があったほうが何かと便利だろう」
「それは助かるな。じゃあ一頭貰えるか。こっちはガキが二人乗りできればいいし、そっちも残りの馬で、クレアと二人で乗って帰れるだろう」
「わかった。キャンプから連れてくるからここで待っていてくれ」
俺の答えに少し明るい顔をしたアントンが小走りで森の奥へ消えていった。
それを聞いたクラリス達も半ば不服そうな様子ではあったものの、すぐに荷物の整理をし始めている。帰りの移動はなるべく軽装にするか、消費できるものは使ってしまうようだ。
「クレア、ちょっといいか」
「え? もちろん。どうしたの?」
うちの連中がある程度見える位置で、かつ声は届かないほどの場所までクレアと歩く。
リネリットは気を利かせてくれたのか、高い小枝まで上りに行って席を外した。
「その……なんだ」
「なあに?」
俺の身長に合わせるようにして膝を折ったクレアは、不思議がって頬をかく俺を覗き込んできた。
「元気そうで良かった」
何を言ってるんだ俺は。そうじゃないだろう。
連れてきたのは良いが、話したいことがたくさんありすぎて空回りしてしまう。
クレアの不思議そうな目に居心地の悪さを感じて、俺はまた目を逸らした。
「うん? ありがとう。でもスミレさんのほうが大変だったでしょう? ダンジョンも危なかったものね」
本来の意図とは全然違う言葉に対してもクレアはそれらしい言葉を探して返した。俺はそういう彼女を見ていると、冷たい夜風がどうでも良くなってくる。
「どうしてクレアは――騎士でもないのに騎士っぽいことをしようとするんだ?」
これも決して重要度の高くない言葉だったのだが、何か話さないと二度とクレアに会えない気がして、ただ思いついたことを口にしていた。
クレアは答えに迷うように指を彷徨わせていると、なぜそんな事を聞くのかとも言おうとせず、言葉を選びながら口を開いた。
「うーん……そうしたいと思ったから、じゃあだめかな?」と困ったように笑いながら、俺が必死な顔をしていたことに気づいて、更に言葉を続けた。
「――なんて言ったらいいかわからないけど、誰かの助けになれることをしたいの。私は〝聖女〟っていう、魔物を引き寄せたり、魔物を討ち倒す魔法みたいな力が生まれつきあるみたいなのね。……使い方はまだちゃんとわかってないのだけど、聖女が死ぬと、別の誰かにその力が入っていくらしいの」
口にする呪いのような話からは、一切後ろ暗いものを感じなかった。むしろ誇りに思っているようにすら感じる。
「私も顔の知らない誰かから貰った〝聖女〟の力で、命を踏みつけにする悪い魔物を倒したいの」
「それは……国に押し付けられた義務なのか?」
「そうかも。でも私が聖女じゃなかったとしても、どうにかして戦うんだと思う」
「――そうか」
あまりにはっきりと言い切るものだから、俺は思わず笑ってしまった。
「どうしてかは聞かないんだ?」
「……分かる気がする」
「そうなのー? ……もしかして、あなたも同じだったりするのかな」
ありもしない親近感を覚えたのか、そんなことを聞くクレアに首を横に振った。
「俺はクレアとは違うが、生まれつき特別ではあるかもな。でも分かるっていのはそういうことじゃない。……いつか、お前に教えてもらったんだ」
俺が竜人の王子として絶対的な力を持っていた時、特に不自由することもなければ、何かを渇望することもなかった。命を燃やすような必死さも、命を育むような愛情を持つ弱さも――必要性もなかったからだ。
前世における魔界大戦の只中、俺はひたすらに魔物を滅ぼすだけで手段は気にしなかった。
そうして言われたんだ。
――皆ある程度は覆せないくらい、力の差があるわ。特にあなたは一番強いと思う。だけど――きっと分かる日が来ると思うの。
遠くで銀狼と赤蜥蜴竜の戯れに揉まれているブラッカ。それを慌てて引き剥がそうとするノトム。呆れて笑っているクラリスと、対照的に大笑いしているイヴァを見る。
「『俺達はたった一人では生きていけなかった』んだ。こんな事、あの時は全然聞こうとしなかったんだがな」
ほとんど自己解決の独り言に近い言い方になってしまった。
「すごく当たり前のことだったんだな」
「そうね。でもそうならないようにするのはすごく難しい」
「くはは。クレアもそう思うんだな」
「聖女の力があったって、別に聖人ってわけじゃないもの」
「――ああ。そうだよな」
夜の冷たい空気を吸うたびに喉が詰まりそうになる。目の奥が熱くなって、気を紛らわせるように星空を見上げた。
大きく息を吸って、勢い任せに言う。
「もう時間がないし、これから馬鹿げた話をするが、大事なことだから覚えておいてくれ」
クレアは特に茶化すようなことも言わず、ただ黙って俺の言葉を待った。俺は心臓を落ち着けると、努めて真剣に言った。
「今後、もし何かあれば国の連中はクレアを魔族の餌に祭り上げようとするだろうが、今日いた魔人――いや、そもそも魔族の襲撃はこの国では起こらない」
前世で起きていたローゼンクレイス国への襲撃は、決して魔族にとってクレアが必要だからではない。ただジェイトリックという魔人が――正確にはその操作者が――あのダンジョンでクレアに目をつけたらかに過ぎないのだ。
「魔人のことは大丈夫だ。それとは別に、もし人を人とも思わないような竜人の王子が現れるようだったら、絶対に出てこないで欲しい。徹底して隠れるんだ。そいつはクレアを殺そうとしている」
脈絡もなく出てきた種族の名前に、クレアは不安そうな顔をした。
「どうして……そう思うの?」
「そいつは自分が良ければ他はどうでもよくて、ただ力があるだけの最低なクソ野郎だからだ」
言葉通り、俺は最低な竜だったのだろうと今になって思う。
特に変わろうとしなかったとしても、俺は生きるのに困ることはなかっただろう。
クレアを愛してしまったがためにこんな苦労をすることになったわけだが、今ではそういう苦労さえも手放しがたいと思ってしまっている。
このことに気づかなかった俺は、自分本位だったために最愛の人と死別する結末を招いてしまった。
「よくわからないけど、そういうふうに聞こえないわ」
「ちゃんと伝えたからな。忘れるなよ」
困ったような表情のクレアを待たず、遠くからアントンの呼ぶ声がして俺達は攻略パーティの場所まで戻った。
陽が差し明るくなった頃には、しつこすぎるほどにお礼の言葉を掛けられたりと大変だったが、ローゼンクレイスの騎士団と合流できないと意味がないから早々にクレアたちに別れを告げた。
どれだけの言葉を交わせたのかとか、そもそもまともに目を合わせられたのかも覚えていない。色々と余裕がなさすぎた。
優雅に乗馬してノトムを背中につけているクラリスと、ポチの大きな身体にまたがっているイヴァとブラッカはどちらもあまり速くはない。ラッキーの上で寝そべっている俺の速度に合わせているからだ。
『良かったんですか? ご主人様』なんてリネリットが聞いてくる。
『聞き耳立ててたのか?』
『違います! 違いますけど……戻る時に、最後のあたりだけ少し聞こえてしまったので』
噂好きな女の子みたいに言葉の端をもごつかせているリネリットに、俺は呆れて目をまわした。吹っ切れたはずなのに改めて聞かれると胃のあたりが重く感じてしまう。
だから自分に言い聞かせるようにはっきり答えた。
『俺が竜人に戻ったとしても、きっとクレアを幸せにはできない』
『そんなこと――』
『今はな』
リネリットが否定しようとするのを待たず、俺は組んだ足に留まった小鳥をぼんやり眺めて続けた。
『いつかあいつの前に立っても恥ずかしくない俺になるまで、俺はあいつと会わないって決めたんだ』
自ら飛び立つまで動かず小鳥を見送ると、リネリットが更に不安そうに聞く。
『それはいつになるんですか』
「そう待たせるつもりはない。人間は時間の流れが慌ただしいからな」
面倒になって声に出すと、目ざとくコチラに顔を向けたクラリスが首をかしげた。
「なにか言ったかしら?」
「なんでもない。のんびり帰ろう」
そうして、魔女の里に着くまでには意外にも数日とかからなかった。
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