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各駅列車

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 稲かライ麦か。背の高い植物が、フェンスみたいに生い茂っている。その中に混じっているのが、地下鉄の出入り口だ。

 階段下のホームで、男が二人談笑していた。

「あっ、お久しぶりです」サングラスをかけ、髪を四方八方に遊ばせた男が、笑顔を引きずりながら声をかけてきた。学校の所々で直立不動だった警備員のような紺の正装を身に着けている。

「これはこれは、後藤田先生。今日はもう、お帰りですか?」
「まさか!冗談がきついね。山田先生と横丁で早めのランチですよ」山田先生は、両頬でたんこぶを作った。
「ハッハ、なるほど。私はこの子の入学関係をちょっと手伝いに」
「じゃあ、君が藤原玲禾さんか」
「はい!」
「お父さんの面影も少しあるね。もちろん、お母さんも」
「ありがとうございます」魔法学校の先生に、お父さんに似ていると言われ、誇らしい気持ちになる。
「お父さんを知ってるんですか?」
「もちろんさ。年が近くて、何年かこの学校でも一緒だったからね。まぁ、地下に潜る前の、遠い昔だよ」後藤田先生は、思い出のあと、余談で自分をリセットした。

「なんとかうまく行きそうで」お母さんは言葉短に言った。学校の事だけでなく、ミズミアでの生活全般の事だ。
「あ~、良かった良かった。もうじき、君も二校の一員だね」後藤田先生につられて、山田先生も頷いた。

「魔法絵画の後藤田先生と料理研究の山田先生だ」左内さんが最後の最後に紹介してくれた。山田先生のは、マリアが履修してるやつだと思い出した。お世話になるかもしれない。丁寧に別れの挨拶をして、ホームの中程まで進んだ。

 地下では線路が常時存在する。
 丘の石畳のように、線路の有無をもって、電車の到着を、予知することができない。
 車体が揺れる音、迫り来る気配を待つ。
 電車が来ても、反対方向だったり、快速が通り過ぎたりで、肩透かしだ。反対側のホームだけスッキリし、こちら側はわずかながら人が増えていった。

 買い物客は快速電車を使う、と二人は諦めかけている。学校には、登下校の時間しか停車しないのかもしれない。

 先頭の教授たちは、わざと退屈そうな顔を作って、私に視線を投げかける。
 彼らの遊び心は、私にある事を思い出させた。キャンパスで左内さんがお母さんに注意を受けた言葉だ。
 
 箒で暗いトンネルを走る。

 穴の奥を見れば、無茶な行為なのは明らかだ。見えるのはわずか先だけで、どこまでも闇の世界が続く。

 まもなく、横丁行きの各駅電車がやって来た。三度目の正直で、今度こそ私たちの電車だと音だけで分かった。
 ジェットコースターに搭乗する時みたいに腰深く座り、右手で壁沿いの取っ手をしっかり掴む。
 発車した後に、もう少し後ろの席に座るべきだったと思ったけれど、余計な心配だった。滝のような落差がないどころか、山谷を繰り返しながら、むしろ高度が上がった。だから、目的地の電車停にも合点がいくはずだった。

 目をぱちくりして、もう一度車窓の光景を捉え直した。感覚通りなのは、電車停がいきなり地下の地上に出ている事だけだ。
 ミズミアニ校みたいに地下から地下へ階段を上がる必要がない。そして、電車停やその奥に広がる横丁は、お祭りの最中であるかのように活気に満ちている。人や店が一杯で、牧歌的な地上からは想像できないくらい賑やかだ。

 電車中央から出ると、目の前が横丁の入り口だった。遊園地や動物園のような横長テントに、下野横丁の文字が踊っている。

 テントの先は二又の別れ道だ。どちらの沿道も、お店がぎっしりで、見る限り途切れる様子がない。そして、お店と道の間の壁やガラスが取っ払われ、売り物も軒先に溢れている。お店も商品も、集合写真を撮る時のように、我が我がと顔を覗かせて、目の前に迫ってくる。

 直進する道の先頭を飾る魚屋もその典型だ。
 氷詰めの箱箱が露天に飛び出し、その上で海産物が宝石のように輝いている。これぞ本物の産地直送、という垂れ幕の向こうからは、顔の見えない店主の威勢の良い声が響いた。その声に私以外誰も聞く耳を持たないのは、逆にこれが横丁にとってなくてはならない当たり前の物だからだろう。

 目と耳に続き、隣のスパイス屋は私の鼻まで刺激した。ざるが碁盤の目のように並び、少しずつ変化しながら赤から黄色の香辛料が盛られている。

「ここにない粉はないよ。辛さも味も自由に選べるよ。あなただけの料理が作れるよ」ここの店主は、垂れ幕じゃなくて、ラップ調の謳い文句で客に訴えている。ただ、「隠れる粉はないよ。それは食べ物じゃないからね」とちっちゃい子の無茶ぶりに四苦八苦する声も後から聞こえた。

 群衆に流されどんどん直進するから、もう一方の膨らむ道が名残惜しかった。お母さんはそんな私に気づき、「二つの道はこの先で合流するのよ。帰りは向こうから帰りましょう」と言ってくれた。
「川の支流に合わせて、横丁も枝分かれしてるんだ。さっきみたいに、川の水が私たちを照らしてる」
「川の天井の方が好きかも」新入生らしからぬ言葉を口走っていた。
 
 青白い空が、横丁の上を流れ、昼の天の川を思わせる。贅沢な自然は、ここが地下であることを忘れさせ、沿道をぼやけた賑やかさに変えていた。丸テーブルと立食客がひしめく店や、靴下型のカウンターがマスターを囲む店は、気づいた時には通り過ぎていた。
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