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東部連合編

誕生日

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 となると、依然として割り切れないのは、ハル君の事だけだ。

 彼に関しては「きっと大丈夫」では済ませられない。こちらの世界に巻き込んだという責任感もあるし、純粋に、彼に二度と会えなくなるなんて耐えられない。

 手紙は、今頃老木に届いているだろう。
 遠慮なんていらないから、早く彩粕の世話になる旨の返事をよこして欲しい。東田さんは疑問視するけど、やはり八丁幌は双穴より安全としか思えない。それに、少なくとも、彼と運命を共に出来る。

 これからはお宮が宿になる。旅館のような共同広間がないと思ったら、お馴染みの会議堂がそれだった。ドアノックに促されるまま、全員で夕食の席に向かう。

 案内役の小笠原さんを先頭に、一団は、控え室の前で足を止めた。番兵の姿はすでになく、連行の余韻だけが、扉の隙間から漏れ出ている。井上が開け放つまでなく、もぬけの殻であるのは自明だ。行き先はふたつにひとつ。ハッカキャンディの大円だ。
 彼は、延永将軍と東田さんに挟まれて、身を律していた。大理石のテーブルにある、ステーキ、焼き鳥、寿司、もつ鍋、サラダの大皿も、彼には関係ない。

「ごめんなさいね。こんな事したくなかったんだけど、もう待ってられないの」先に台に登った庄司さんの声がした。
「謝るくらいなら、明日から元に戻してもらいたいね」
「それとこれとは違うわ。立場を変える気がないなら、お部屋で休んで貰う事になるから」彼女は淡々と言った。浄御原も諦めの境地に達したのか、それ以上何も言わず、顔をしかめるだけだ。
「まぁ、食事の席では一旦忘れよう。ここでは、主義主張関係なく、皆同志だ。ほら、座って」延永さん自身は彼の監禁を決めたのに、どこか他人事だ。皆が黙って、指示に従った。浄御原も戻り、度会も加わった。出入り口も使わないと、全員入らない。最後尾の左内は、六の字に座る事になった。

 食事を優先できるという現実が示す通り、芽湖にこれといった動きはないようだ。芽湖では軍や市民それぞれのレベルで、非常時の準備がなされているという事実だけ、大理石の上で確認される。言葉の裏には、私達は私達でやるべきことをしようという、伝言があるように思えた。

 私個人の関心は、やはり、市民の一人に彼が入っているか、そして忘れられていないかだ。戦いの幕が開く前なら前で、心配の種は尽きない。
 不死鳥は、老木に到着している。あと少しの辛抱だ。彩粕に身を預ける旨に同意してくれるだけで良い。明日の今頃には、返事の一つや二つあるのだろう。

 普通の食事に楽しさを付け足すのに、この日は好都合だった。志筑の誕生日だ。先乗りの際に本人から聞いたのか、履歴書でも見たのか、延永さんが切り出した。
 志筑は、「また年を食ってしまった」とぼやいたが、無事誕生日を迎えられた事に感慨にふけってもいるようにも見える。私とマリアがいなければ、彼がまた一つ歳をとることもなかったという事実に、少し誇らしい気持ちになった。魔法界は、いつだって、悪いことばかりではない。

 祝福の意もあってか、葛きり餅が粋な竹皿に乗って現れた。ケーキのような華やかさはなくとも、白透明の趣深さは、涼しげな空間でより映える。お供の緑茶とも合うし、落ち着いて楽しむひと時にぴったりだ。アーヤカス宮殿での最初の晩餐は、お祝いが主になった。

 二日目、三日目に入ると、新生活の流れが、徐々に見えてくる。缶詰め生活の中では、あらゆることがパターン化する。基本的には、各々の部屋で過ごし、食事の時に会議場に移動する。移動には、浄御原が最初に部屋を出るというルールがあるようで、東田さんか小笠原さんに連れられて、番兵のいない廊下を通るのが毎回だった。
 東田さんは、その理由を「連行する方も気が引けるから、早く終わらせてしまいたいの」と答えた。一方、帰りは順番に制限はなく、浄御原は番兵の付き合いの下、長居したり直帰したりできた。

 朝昼晩の三食に加えて、午前午後に一回ずつ休憩時間という名目で呼び出される。席は固定するという暗黙の了解が存在し、割りを食うのは、六に座る左内だった。いつかハッカキャンディの底が抜けるかもしれないし、誰かが出る度に動かなければならない。

 全員が揃う食事の時は、彼が秘密部隊に協力してくれる期待を残すためか、いざこざが再発されないように注意が払われていた。繊細な話題は厳禁だった。
 一方、休憩中は、吞気な雰囲気が消え去った。(すなわち、休憩とは名ばかりだ。)十時のコーヒー、十五時のおやつと紅茶の時間に、例の秘密作戦の話が堂々と進められる。芽湖がどの状況にある時に出発するか、庄司や北別府をメンバーにいれるか、西部の塔まで北進南進どちらの進路をとるか、と具体的な所にまで及んだ。
 浄御原は、休憩中ハッカキャンディには不在だから、反対する者はいなかった。

 進展があったのは、リンゴパイを目の前にした午後三時だった。芽湖の近況報告を待つ必要がない。机上の十二の位置に、新聞の塔が築かれており、席に着く前から、空気が入れ替わっていた。

 いつの日か事態が動き出すが、その日が来たと、心が震えた。将軍は、大理石についていた肘を外し、脇から新聞の束を持ち上げた。
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