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東部連合編

お披露目

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「玲禾がいなけりゃ、向かっても半透明を超えられないからな」井上が出発直前に念を押す。「障壁周りで時間を潰して、君らが来るのを待たなきゃなんねぇ」
「心配ご無用です。井上さんこそ、迷子にならないで下さい」直美さんが私に代わって言った。幕に身を入れて全員を通す事、塔では直美さんと左内と合流する事を再確認した。

 箒と雲版のマントを手にすると、出発の時を迎えた。地面を蹴る前、頭の中は、雲海のように真っ白だった。
 マントから顔を出し、箒の実体を利き腕で確かめる。雲を撫でるように、時には雲で隠れるように身を維持した。それは、体半分が雲にかかるかどうかの、絶妙な高さだ。目は直美さんのお尻にあるが、意識はすでに、その先の塔まで延びていた。
 雲海の巡回が始まっていないとも限らない。いつでもどこでも杖を抜くことになる、という覚悟があった。

 空中の難しさに耐える為に、蛇口の話を御守り代わりにする。隠れようと意識し過ぎるのも、よろしくない。こちらが自然体でいるからこそ、相手の世界に馴染むことができる。魔法痕を残さない、存在を気づかれないという能力を生かすなら、ありのままで堂々といることも立派な作戦のうちだ。

 蒸気による視界の不自由さは私達に有利に働く。カメレオンマントで雲に紛れることで、塔の監視をかわすことができる。条件は相手と同じでも、利用の仕方を心得ているのは連合の方だ。

 雲が薄い所では、志筑と直美さんが協力し、海を均一にしていく。連合全体が、煽り風や横風に揺れた。 真後ろの私は、二人の得意魔法に至近距離から突っ込んでいるに等しいから、尚更の注意を要した。直美さんと衝突したり、箒から振り落とされたり、最悪の事態だけは招かないよう心掛けた。

 前方を周辺視野で広く捉えようとしていると、嫌なものが飛び込んで来た。黒い飛来物は、遠くにいても、烏ではないと認識できる。雲は私達が隠れるのに向いているが、敵を目立たせるにも向いている。黒装束が、白の水平線の中で自らの存在を主張した。
 おそらく、旗軍の一人であろう。雲の動きを手掛かりに、右往左往しながら、こちらに近づいてくる。雲海の流れに逆らって、発生源に辿り着こうとしている。私達は山の発射台から離れているから、彼とはすれ違う形になった。

 前を疎かにできず、追跡は諦めざるを得ない。逆に、私達が後ろにつかれては厄介だと思っていたら、花火の燃え殻を水につけたような音がした。
 一瞥をやると、オレンジの光が、雲に映えながら、消え去る瞬間だった。太陽ではなく、アーヤカスの光の色だ。おそらく東田さんが、早めに手を打ち、敵は光の玉を被弾し、大地に落ちて行った。
 
 相手が単独ならば、安堵を抱いても良いのだろうが、そうではない。私達は、白で宣戦布告をし、敵の本拠地に入り込もうとしている。当然、空の番兵達は活気づき、雲を切り裂く音や気配がついて回った。虫が仲間の死骸に集まるように、旗軍の仲間が近くにやって来ていた。

 もしもの時には、自ら対処しようと、ローブのポケットに手が伸びる。杖を落としたら一巻の終わりだ。そうならないよう、いつもの動作が慎重を極めた。
 他人任せの気もあったが、雲越しに、直美さんや志筑に横からぶつかりそうな影を捉え、杖が動いた。仲間の危機に、躊躇はない。光の玉一発は、被弾音と叫び声を産んで消える。体の反応による咄嗟の行動が、仲間の生命を救っていた。
 余韻が、そこにあったはずの存在を際立たせる。達成感は、私達の誰もが彼女の立場になりうるという危機感と中和され、無に帰していた。

 マントを借りて、塔を見なくて済むなら良いが、そうはいかない。嫌でも目に入る距離というのが存在する。見えない幕とぶつかる前に、立ち向かう決意を塔自体に試された。
 円周には、クリスタル線路や傘魔法のような、透明な線がどこまでも走っている。先頭は速度を徐々に落としながら、進む方角も変えた。走路は、塔まわりの幕に沿って、曲線を描く。中心の塔を意識していたから、師の意図に気づいた。

 直美さんの合図で、私は切り立つ幕に身を入れた。旗軍は、素人が高所から訪ねてくることを想定していない。私を中心にして、老木の丸扉より大きな口が開いた。透明は見えづらくとも、内から外への空気の流れで、入り口は特定できる。私は、計画通り、その場でじっとして、後続を待った。

 四番目の左内が先頭に入れ替わり、敵陣に侵入した。雲マントをつけたまま、列は続く。最後尾にいた有葵さんまで行ったら、前の直美さんと志筑に還る。私が幕から離れ、蓋をすれば、いよいよ秘密部隊の御披露目となる。雲には幕の内も外も関係ない。塔までの動線で、雲隠れを出来るだけ引っ張った。

 私が雲マントを取り去った時、連合の半分は、すでに回廊で戦果を交えていた。敵の数は、私達より多いが、蟻の集り程ではない。山の見晴らしから望んだ舞台が目の前にあり、演者の身なりまで浮き彫りにしている。光の玉を放ち、また敵の攻撃を防御魔法で跳ね返しながら、塔に着地する。黒床は硬く、無機質で、私達の到着に反発するようだった。
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