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泡に逃げる
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ざざん、ざざんと波が寄せる。
冷たくて真っ黒な波が、あたしの足を濡らす。おいで、おいでとあたしを誘う。誰にも迷惑をかけたくなかった。醜いあたしを見られたくなかった。先生はあたしの心臓の、一番冷たい部分に触れてしまったから。打ちかけのメールを傷だらけの左手に持って、あたしは誰もいない海に這入っていく。やっと救われるのだ、この地獄、肉の支配から。震える手で打った感謝のメールは届くことなく、黒い泡となり海底で眠ることだろう。
辛くて、辛くて、誰にも縋れない人生だったけど、最期に先生に出会えて良かった。親にも恋人にも愛されず、どこにも居場所なんかなかったあたしを守ってくれた先生。痣だらけのあたしを憐れんでくれた先生。いつでも頼りなさいって、メールアドレス教えてくれた時、本当に嬉しかったんですよ。あんまりにも優しくしてくれたから、あたし勘違いしちゃったじゃないですか。素敵な奥さんがいらっしゃる先生に。
ああ、思い出すな。あたしが弱音を吐いて死にたがったとき、先生は「貴方のそれは、生きたくても生きられなかった人への冒涜だ」なんて言ったことを。先生ははいつだって正しすぎた。「死にたくても死ねない人への侮辱」とは思わなかったんだろうか。先生のことだから、思わないだろうな。「貴方は乗り越えなければならない。生き抜かなければならない」って、口癖のようにいってたっけ。震える口端から、思わず苦笑が漏れる。
あまりに正しすぎる人だった。賢すぎる人だった。強すぎる人だった。きっと弱くて愚かで間違ってる人間の言うことは、生涯理解できないだろう。
反して、あたしは弱すぎた。迷惑をかけたみんなに謝りたくても、もう遅い。ほんと、どうしようもないくらいに弱くて、目も当てられないくらい醜かった。先生にも、依存しすぎちゃってさ。だから、けじめをつけるの。あたしは神様が定めた最期まで生きることを諦めてしまったけど、それでも精一杯生きたよ。
先生に褒められたかった。それは二度と叶わないけれど。死なれるのが一番迷惑だって先生が言ったから、先生に迷惑をかけないためだけに生きてきたけど、どうか許してください。あたしは、これ以上は生きていられない。
波は光を通すことなく、闇が冷たく溶け込んでいる。ガタガタと震える肩と手をこわばらせ、生まれて初めて十字を切った。神様はあたしを許してくださるだろうか。胸まで黒い海に浸っているあたしは、引き返すなら今しかないという遠い心の声をかき消すように、死の波をかき分けて進む。
海の泡になったって、あたしは忘れない。先生からもらった言葉も、してもらったことも全部。あまりに嬉しくて、恥ずかしくて、忘れた振りしてたんです。どうかあたしを許さないで、あたしを憎んでいて。優しい先生が罪悪感に苦しむことがないように、取り返しのつかない懺悔に襲われることがないように。
海の底にて祈ります、先生の幸福を。
冷たくて真っ黒な波が、あたしの足を濡らす。おいで、おいでとあたしを誘う。誰にも迷惑をかけたくなかった。醜いあたしを見られたくなかった。先生はあたしの心臓の、一番冷たい部分に触れてしまったから。打ちかけのメールを傷だらけの左手に持って、あたしは誰もいない海に這入っていく。やっと救われるのだ、この地獄、肉の支配から。震える手で打った感謝のメールは届くことなく、黒い泡となり海底で眠ることだろう。
辛くて、辛くて、誰にも縋れない人生だったけど、最期に先生に出会えて良かった。親にも恋人にも愛されず、どこにも居場所なんかなかったあたしを守ってくれた先生。痣だらけのあたしを憐れんでくれた先生。いつでも頼りなさいって、メールアドレス教えてくれた時、本当に嬉しかったんですよ。あんまりにも優しくしてくれたから、あたし勘違いしちゃったじゃないですか。素敵な奥さんがいらっしゃる先生に。
ああ、思い出すな。あたしが弱音を吐いて死にたがったとき、先生は「貴方のそれは、生きたくても生きられなかった人への冒涜だ」なんて言ったことを。先生ははいつだって正しすぎた。「死にたくても死ねない人への侮辱」とは思わなかったんだろうか。先生のことだから、思わないだろうな。「貴方は乗り越えなければならない。生き抜かなければならない」って、口癖のようにいってたっけ。震える口端から、思わず苦笑が漏れる。
あまりに正しすぎる人だった。賢すぎる人だった。強すぎる人だった。きっと弱くて愚かで間違ってる人間の言うことは、生涯理解できないだろう。
反して、あたしは弱すぎた。迷惑をかけたみんなに謝りたくても、もう遅い。ほんと、どうしようもないくらいに弱くて、目も当てられないくらい醜かった。先生にも、依存しすぎちゃってさ。だから、けじめをつけるの。あたしは神様が定めた最期まで生きることを諦めてしまったけど、それでも精一杯生きたよ。
先生に褒められたかった。それは二度と叶わないけれど。死なれるのが一番迷惑だって先生が言ったから、先生に迷惑をかけないためだけに生きてきたけど、どうか許してください。あたしは、これ以上は生きていられない。
波は光を通すことなく、闇が冷たく溶け込んでいる。ガタガタと震える肩と手をこわばらせ、生まれて初めて十字を切った。神様はあたしを許してくださるだろうか。胸まで黒い海に浸っているあたしは、引き返すなら今しかないという遠い心の声をかき消すように、死の波をかき分けて進む。
海の泡になったって、あたしは忘れない。先生からもらった言葉も、してもらったことも全部。あまりに嬉しくて、恥ずかしくて、忘れた振りしてたんです。どうかあたしを許さないで、あたしを憎んでいて。優しい先生が罪悪感に苦しむことがないように、取り返しのつかない懺悔に襲われることがないように。
海の底にて祈ります、先生の幸福を。
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