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変わらない日常 ep2

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 フルステップの打ち合わせが終わり、自分の部屋に戻る。江木さんに飲みに行こうと誘われたが、終わっていない仕事があったので次回の約束だけした。具体的な日時まで決まるのが、社交辞令ではないことが分かって気持ち良い。

 フリーライターと言う名の雑記ライターとして働く私は、フルステップの仕事だけをしているわけではなく細々した文章作成の仕事も大切だ。

 ライターの仕事でも、フルステップの仕事みたいにインタビュー・取材の絡む仕事は花形とも言えるし、やりがいもある。しかし残念ながら私は超売れっ子ライターと言うわけではないので、収入の数割は商品やサービス説明の文章の作成だ。フルステップのように会社に打ち合わせに行く仕事の方が稀で、そうした雑多な仕事の場合は担当者の顔も知らないし知る必要もない。
 今日の日付が変わるまでに納品しなければならない記事は、キャッシュレス支払いでのお得なポイントの貯め方を進める内容だ。ポイントやマイルのお得な貯め方は、主婦層を中心にアクセスを集められる人気のキーワードとなる。

 ライター仕事のギャランティは、フルステップのような1記事あたりでの単価と、今回のポイント記事のような1文字あたりでの単価での計算方法がある。経験上1文字1円~3円とか、文字単価での仕事の方が多い。1文字2円の記事を5,000文字書けば、10,000円の仕事ということだ。余談だけれど、ライター仲間と遊びに行くと、さまざまな料金を文字数で計算してしまう。「あのバッグ欲しいな」「1万文字分じゃん、2日だね」とか。
 ポイントの貯まり方を説明する記事では、情報が最新であることが最重要課題だ。同じキャッシュレス支払いでもポイント還元率はコロコロ変わるし、キャンペーンなども絡んでくるとポイントの貯まり方は何パターンにもなる。当然、PayPayやLINE Payの広報担当に取材をする訳ではないので、公式サイトの情報をチェックしたり、必要に応じてコールセンターや店舗に問い合わせを入れて、最新の情報をリサーチして記事に起こしていく。

 机から一歩も動かずに記事を書く、安楽椅子探偵ならぬ安楽椅子ライターだな。うん。

 記事を書き終えたら一度プリントアウトして推敲する。ずっとノートパソコンを眺めていると目が疲れてしまうし、文章を読む時は紙の方が読みやすい。小説を買う時も電子ではなくて紙の書籍派だ。
 大きな問題点はなさそうなのでメールで納品。これにて本日は閉店だ。お疲れ様、私。仕事中に近くにあるとついついSNSチェックしてしまったりするので、あえて手の届かない距離に置いていたスマホを見ると、瑛子からLINEが入っていた。

 瑛子は大学の同期で、なかなかブラックな労働環境らしいソシャゲのメーカーに勤務している。LINEは、今家に帰ったから「リモート飲み会」しよう!という内容で、スタンプで「OK」の意思表示をする。瑛子とは顔を合わせて飲むことも多いけれど、2週間に1回ペースでリモート飲みをしている。

 俳句のおじさんがCMをしているレモンサワーと、朝食用のベーコンをカリカリに焼いた簡易おつまみが用意できたのでZoomのアプリを開く。

「おつかれ~」

 画面越しにお互いのお酒を傾けて乾杯する。瑛子はプレモル。贅沢ものめ。

「マジで仕様変更多過ぎてクソだし!」

 ひとしきり、瑛子の仕事の愚痴をベストな相づちを打ちながら聞く。瑛子の業務はソシャゲのディレクターのひとりで、クライアントの要望に沿ったゲームを作れるように、イラストレーターやプログラマー・シナリオライターに仕事を振ったりするのが業務らしい。ゲーム会社の内情は詳しくは知らないが、瑛子|(に限らず女子全般だが)は相談に乗って欲しい訳ではなく、ただ聞いて欲しいだけと言うことは知っている。

「しーはなんかないの?浮いた話とか?」

 私のことを「しー」と呼ぶのは、大学の同期でもとくに仲の良かった数人だけだ。

「ないよ。枯れてる。マジで」
「マジか!前の人と別れてから2、3年経つでしょ」

 大学時代と同じように呼んでくれる瑛子と話す時は、話し方も大学時代に戻るようで懐かしい。さすがに30歳になって、外では「マジで」なんて言いませんよ?多分。

「男は良いよ。もう結婚しよう瑛子?」
「ゴメン。彼氏できたからムリだわ」

 しょうもない話題でゲラゲラ笑える関係ってのは貴重なものだ。それから1時間ほど話して切る。また瑛子の仕事が落ち着いてきたら、居酒屋にでも誘おう。

 ZOOMのアプリを落として、留守番電話のアイコンに「伝言あり」の表示がついているのを見つける。とはいえ、この表示は2、3日前からこのままなのだが。明日は、おばあちゃんに帰省するよ。と連絡しよう。
 祖母に電話しなければと頭によぎって。少し酔いが醒めた気がするから、もう一本飲んで寝よう。

 常夜灯だけになった部屋に「プシュ」という音が、ほんの少しの罪悪感を持って響く。
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