女王の名

増黒 豊

文字の大きさ
上 下
32 / 85
第五章 重ね火

夜の波音

しおりを挟む
 ハラの侵攻がクナの手によるものであったことは、ヤマトにささやかな衝撃を与えた。敵地に残ったマヒロの元にも、その報はもたらされた。
「ユウリがこの地を去ると同時に、各方面からのクナの攻めが、申し合わせたように激しくなったのは、そのせいであったか」
 マヒロは納得した。ユウリに従ってハラと戦い、そのままマヒロの保持している地まで蜻蛉返りをしてきた忙しい兄弟と、軍儀をしている。
「父をおびき出して討ち、マヒロ様もこの地にて討ってしまおうという魂胆であったのでしょう」
「辛くも攻撃は凌いでいたが、このまま続くと、どうなるか分からぬところであった。よく戻ってくれた」
 この将帥は言い、
「どうだコウラ。父が戻ったぞ」
 とコウラに声をかけてやった。
「お務め、ご苦労さまです」
 コウラは、父と叔父に頭を下げた。未だに、祖父が死んだことが、信じられぬようである。
「お前の父と叔父、そしてこのマヒロの三人で、お前のじじ様の穴を埋めるつもりだ。よく、おれ達を助けてくれ」
「私も、今まで以上に力を付けられるよう、精進します」
 コウラは、涙をこらえながら、
「あの」
 とマヒロの顔を見上げた。
「悲しいので、あちらで泣いてきても、いいでしょうか」
 マヒロは、微笑わらって頷いてやった。

 戦陣の将は、新たに候に封じられた兄弟とマヒロの、三人となった。
「クナは、思いのほか、あちこちに手を伸ばしているものと考えた方が良さそうだな」
「はい。今回のことも、数多ある手段のうちの一つというような匂いがしてなりません」
「土地を奪うよりも、人を減らす方に出た、ってことですかね」
 とすれば、次に気をつけなければならないのは、マヒロらに対する暗殺であろう。この新しい政治的手段を、すでにヤマトは、リュウキの例において体験していた。リュウキを殺したハクラビは、クナの意を受けていたのか
 また、そもそも、この戦いも、ヤマトが船が出せぬとしてこの地を奪いに来るとはじめから見越して、この島を丸ごと手中にすることで、マヒロらを長い時間をかけて誘い出したという風には考えられぬか。ハクラビも、途中でクナの意を受け寝返ったというよりも、はじめからそのために送り込まれてきたとは考えられぬか。
 そのようなことを、火を見つめながら話し合った。話の切れ目があったとき、
「タクを、どう思う」
 と、マヒロは切り出した。兄弟は、はっとした眼でマヒロを見た。
「まさか。タク様が?」
 炎で、二人の顔が揺れている。
「あり得ぬことではない。思えば、昔から奴は、普通では考えられぬようなことを、多くしてきた」
 マヒロの眼は、静かである。
「まさか」
 謹直なオオミは、ヤマトの外交の最高責任者として、多くの権限と船を出す要であるオオトの地を与えられている手足の長い男が、クナの意を受け動いているかもしれぬということを信じられぬ様子である。
「いや、兄者、マヒロ様の言う通りだ。あり得ぬことではない」
「しかし、そうであったとしても、タク様がクナを手引きする意図が分からぬ。ヤマトを内側から覆すことが目的であるなら、もっと早くに――」
 否定するオオミの言葉を、マヒロの鋭い語調が遮った。
「ヒメミコだ」
「ヒメミコが、何か?」
 タクの話でヒメミコ、と言われれば普通オオトにいるマオカのことを想像する。オオミもカイも、あの切れ長の一重瞼の美女の顔を思い浮かべた。マヒロはそれと察して、
「ヤマトの、ヒメミコだ」
 と言い直した。
「ヤマトの、ヒメミコ?どうにも、話が分かりませんよ。俺達にも分かるように話して下さい」
 マヒロは、彼らが幼い頃からのことを全て話した。無論、あのサナが十五の夜のことも。
「まさか、そんなことが――」
「あり得ぬことではない、ということだ」
 タクは今なお、サナに強い恋慕の情を持っている。ヤマトを、クナのため滅ぼす手引きをするように見せかけ、そのクナの動きをも上手く利用し、サナごと、ヤマトを自らのものにしてしまおうという魂胆ではないか、とマヒロは自らの見解を述べた。
「あいつならば、やりかねん」
「そのために、オオトのヒメミコと婚儀を結び、権勢を手に入れた、と?」
「分からん。あいつならば、やりかねん、と俺の考えを述べているに過ぎない」
「分からんことを、今ここで考えても仕様がありませんな。とりあえず、タク様には注意を払うということしか、今は何も決められないのでは」
「それは、そうだ。しかし、将となり候となり、これからヤマトを支えていくお前達には、聞いておいて欲しかったのだ――」
 夜営の焚き火を映すマヒロの眼の光が、異様な強さになった。
「――いずれ、俺はあいつを殺すかもしれぬ、ということを」
 あとは、この戦いをいかにして終息させるか、という話に戻った。この大きな島は、中央に峻険な山脈が横たわっており、マヒロらが攻めている南岸の地域は、それに隔絶された形になっている。
 隔絶されているとはいえ、北側の地域から全く出てこれぬわけではない。しかし、取り急ぎ、一息にこの南岸地域を制圧し、山側の要所にも抑えを置いておけば、保持は可能という結論に達した。
 クナの息がかかってたとしても、もともと、さほど人口の多い地域ではない。マヒロら本軍と入れ替わりに、ヤマト本国やその傘下の地域から少しずつ人を出し移住させれば、保持は可能であろう。
 夜明けとともに、南岸地域の残り半分の制圧を再開するということで、軍儀は終わった。
 三手に分かれて進軍するため、兄弟は新たに敷いたそれぞれの陣に帰っていった。

 マヒロは、一人になった。
 夜の海は、昼間より波の音が大きいと思った。
 その波音が、マヒロの嗚咽を隠してくれた。
 ――ユウリ。
 黒い海に向かって、マヒロはただユウリの名を呼んだ。 
 翌朝、マヒロらは進発した。ユウリ親子不在の間の猛攻は辛くも凌ぎきったとは言え、兵は、千ほどが削られていた。マヒロ愛用の矛の刃も何度も曲がり、その度取り替えたが、遂に予備も尽きていたことからも、いかに激しい戦いをしていたかが分かる。
 オオミとカイが連れ戻った兵は、そのまま彼らに付け、マヒロ自身の兵の補充はしなかった。
 タクのことがあるので、補給の兵站を切られはせぬかという恐れはあったが、今のところ滞りなく食料の補給はされている。
 三軍の侵攻は早く、集合した彼らの目の前にあるのが南岸地域で最後のムラとなった。
「仕上げだ。ゆくぞ」
 マヒロが一騎で進み出、例のごとく長弓でもって櫓の兵を粉砕してゆく。
 眼前の櫓は、十。それを、僅か十矢で全て沈黙させた。
「歩兵、進め」
 マヒロの号令で、三軍の歩兵が、津波が押し寄せるように、土塁に群がってゆく。
 そこへ、奇妙なものが現れた。
 漁に使う投網である。網の四隅に石がくくりつけられており、それを無数に投げつけてくる。絡まった歩兵は動きが鈍ったが、だからといってどうということもない。
「危ない、逃げろ――」
 危険の匂いを嗅ぐことが巧みなカイが、叫んだ。
 現れた弓兵が放った火矢により、網に火がついた。どうやら獣の油(当時はまだ植物を搾って生成する油はなかった)を染み込ませてあるらしく、瞬く間に燃え広がった。それで百か、それ以上の歩兵が、火に巻かれた。
「どうやら、知恵者がいるらしい」
 マヒロは、馬腹を蹴った。
「騎馬、続け。きりの陣」
 マヒロを先頭に、突っ込んでゆく。隣にはコウラ、さらにその後ろにオオミ、カイ。
 燃え、転がり、叫ぶヤマトの兵と火を飛び越え飛び越えし、騎馬が殺到する。あまりの速さと意外性に、敵の対応が、一瞬遅れた。
 マヒロは、矛が使えなくなっていたため、剣を低く両方に広げる、例の姿勢を取った。
 それで、敵の接近のため弓を捨てて矛や剣に持ち変えた隊に激突した。
 両の剣ですくい上げるようにして、どんどん敵の首を斬った。ある者は首が宙に飛び、ある者は皮一枚を残し後ろ側にだらりと垂れ、ある者は喉笛を斬られ呼吸の自由を奪われてうずくまった。
 オオミは矛を力の限り振り回し、カイは分銅鎖を巧みに左右に打ち付け、敵を討っている。コウラも矛を突き出し、薙ぎ払い、必死に戦った。

 敵陣を、突破した。
 それを見た歩兵が、一斉に突撃し、瞬く間に敵陣は壊滅した。
 その時。
 マヒロ目掛け、複数の矢が放たれた。数本を剣で叩き落とし、数本は鉄の板を重ね合わせた鎧に弾かれ、一本がももに突き立った。
 さらに、風切音。
 マヒロは、それを剣で弾いた。
 矢ではない。
 弾く直前、一瞬眼に映ったその武器に、マヒロは見覚えがあった。
 飛刀である。
 次の瞬間には、マヒロの愛馬である黒雷のすぐ脇まで、その影が迫っていた。
 マヒロはとっさに馬から転がり落ちることで、繰り出された剣による突きをかわした。
 黒っぽい肌に厚い唇、縮れた毛。クナのヒコミコの側にいたあの男である。
 以前と同様に軽装であるが、それは守りを全く必要としていないからかもしれない、と思った。
 剣を構え、対峙する。
「オオシマ以来か、縮れ毛」
 セイは、答えない。
「お前がここにいるということは、あのヒコミコも来ているのか」
「いや」
 とだけ、セイは答えた。
 マヒロの腿をちらりと見、
「いつも、足に怪我をしている」
 と言った。皮肉のつもりらしいが、表情が動かぬため、分からない。
「マヒロ様!」
 助けに入ろうとしたコウラをマヒロは止めた。ここでコウラが参戦すれば、間違いなく死ぬ。
「お前の子か」
「違う」
「子は子同士」
 セイが後ろを振り返った。マヒロを狙った矢が放たれた陣から、少年とおぼしき姿が、こちらに向かってくる。
「マヒロ様」
 オオミとカイは、この未知なる敵にどう対処していいのか分からない。
「来るな、お前達の敵う相手ではない」
 マヒロはセイから眼を背けず、背中で言った。少年とおぼしき者は、どんどん近づいてくる。腕に文身いれずみが施されているのが、近づくにつれ分かった。
 それが眼にも止まらぬ速さで抜剣すると、いきなりコウラに打ちかかった。コウラは矛の柄で、それを受けた。
 甲高い音が南国の空気を震わせ、矛の柄が斬れた。いくら取り回しのため中を空洞にしてあるとはいえ、並の技ではない。
 コウラは下がり、追いすがる剣先をかわし、隙を見て蹴りつけ、やっと抜剣した。
「お前、何者だ」
「お前の知るところではない」
 再び、斬撃が来た。
「コウラ!」
 側で始まった戦いに、マヒロは加勢することができない。そちらに少しでも体を向けた瞬間、セイに斬られる。
「あれは、私の子で、クシムという」
 セイが、ぽつりと言った。
「お前の腿に突き立つその矢を放ったのも、クシムだ」
 マヒロは打ちかかる。セイはするりと斬撃をかわした。
「矢を抜け。戦いにくかろう」
 言われて、マヒロは剣を握ったまま、矢に手をかけようとした。
 セイの姿が一瞬、空気に滲んだようになり、次の瞬間には剣が突き出されて来ていた。
「貴様」
「と言うとでも思ったのか。お前は、ここで必ず、死ぬのだ」
 マヒロはセイの剣を受け、自らも斬撃を繰り出すが、傷のため思ったように踏み込めない。
 渾身の力でセイを打ちつけると、その威力を利用して、セイは跳び下がった。下がりながら、飛刀を打ってきた。剣を振り上げれば、隙が出来る。マヒロは僅かに身をずらし、鎧で受けた。汗を、かいている。勿論、拭う暇などない。
 マヒロの脇では、セイの子となったクシムの、激しい攻撃が行われていた。コウラは防戦一方である。向き合う相手の木ののような眼に、コウラは戸惑った。そこには何の感情もなく、何の動きもない。強いて言えば、自分に対する強い敵意があるだけだった。まともに刃筋を立てて剣を受ければ、剣ごと斬られるかもしれぬ。ときに刃を流し、ときにかわした。
 マヒロとの日頃の稽古の甲斐あってか、斬撃が見えた。見えぬものには、身体が反応した。しかし、自分には敵わぬ相手であることも分かった。死ぬしかないのか、と思った。思ったところで、また斬撃が来る。
 僅かな隙を見つけ、剣を繰り出した。しかしそれもクシムにいなされ、大きく体勢を崩した。コウラの刃を滑らせ、跳ね上げたクシムの剣が、振り下ろされる。
 その間、マヒロとセイは、会話をしていた。
「ユウリを討ったのは、お前達の罠だったそうだな」
「言わぬ」
「リュウキもか」
「答えぬ」
「言わぬ、答えぬ、というのは認めたも同じ。お前、存外、阿呆だな」
「言っていろ」
 マヒロが、踏み込んだ。足に傷を負っているとはいえ、その斬撃は凄まじい。一方の剣で防御を開け、開いたところにもう一方の剣を突き出す。そのとき、脇で戦うコウラの方から、鉄の鳴る凄まじい音がした。マヒロは視界の端で何が起きたのか捉えようとした。
 その前に、斬られたコウラの剣の刃がマヒロの方に飛んできて、足元に突き刺さった。
 マヒロは、左手の剣をコウラの方に投げた。
 セイが、その隙を逃すまい、と打ちかかってくる。
「この野郎!」
 後ろに控えて様子を見守っていたカイが躍り出て、隙を襲うクシムに向け、分銅鎖を投げ付けた。クシムは咄嗟に剣で防御したが、剣が叩き折れ、クシムも吹っ飛ばされた。
「こんなの、戦いでも何でもない!それ、兄者!」
 後列から、オオミが大声で指揮をする。
「弓、用意!」
 マヒロは、退いた。コウラも、後ずさりをしている。
「くそっ、お前は必ずここで討つと決めたものを」
 セイは、悔しそうに退く。マヒロ、コウラ、カイが素早く弓の射線から外れたのを見て、
「放て!」
 とオオミが号令した。比較的近距離で狙った矢が、殺到する。
「更なる大業のため、我がヒコミコのため、まだ死ねぬ。マヒロよ、次は必ずお前を殺す」
 セイは去った。その背に二の矢が放たれたが、セイにもクシムにも当たらない。

「父上、惜しいところでした」
 クシムが、後方に控える陣に入ったところで父に言った。セイの息は荒い。
「あいつ、化け物か」
「しかし父上に、手も足も出ませんでした」
「阿呆。それ以前に、あいつは死ぬはずだったのだ。それを僅かに一本の矢を受けただけで我が前に立ち、片足の上手く利かぬ状態で、私と渡り合った」
「しかし」
「おらぬのだ、他に」
 クシムは、丸い眼を見開いた。疑問を投げ掛けているらしい。
「そもそも、私と渡り合った者が」
 セイは、右腕を上げた。鉄でできているはずの筒袖鎧とうしゅうがいが二筋裂けており、血が滲んでいた。
「お前も、あの小僧を討ち漏らしたな」
「弱い男でした。ですが取った、と思っても受け、斬った、と思っても身体はそこになく、妙な手応えでした」
「私たちが、弱いのではない。奴らが、おかしいのだ」
「次は、必ず倒します」
「気負うな。ああいった相手に気負うと、死ぬ」
「はい」

 マヒロは思案した。目の前に、悠然と背を向け、退却していく敵がある。その数五百ほどで、今追撃をかければ兵力で圧倒しているこちらの勝利は明らかである。しかし、敵の中にあの縮れ毛がいる。その一人の武は千の兵にも匹敵する。また、網に火を付けたり、追いすがらせて弓で狙い撃ちにするなど、周到に準備をし、策を施しているらしく、退く道々にも罠を張っているかもしれぬ。
「追わぬのですか」
「よい。これ以上やれば、無駄な人死にが増えるだけだ」
 この南国のムラの草の上に転がる、自分とコウラの死骸が見えたような気がした。
 マヒロは、足に矢傷こそ負ったが、先ほどのセイとの打ち合いでは一創いっそうも負わなかった。矢を受けていなければ、討てたかもしれない。しかしやはり眼の前の草の上に見えるのは、自分の死骸だった。
「敵は退いた。定めた通り、この地を抑える者を残し、ヤマトに帰るぞ」
 マヒロは、全軍に号令した。
しおりを挟む

処理中です...