女王の名

増黒 豊

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第七章 継ぎ火

併合

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 この頃、この島国の方々にある人が暮らす集落は、大陸の文物をさかんに取り入れて膨張を続けるものと、昔からの小さなコミュニティを保ち、そのまま暮らし続けるものとに大別される。
 よって地域による人口差が激しく、大陸の文献によれば、たとえば、現在で言うところの対馬には千戸余りの家屋が、壱岐島には四千戸余りの家屋があったという。これらは海運の要衝としてやや栄えている地域のことであるから、山あいの地域などではもっと少なく、僅か数十の家屋が集まっている集落の連合体として、その中で力があって人数の多い集落が代表のようになっていたりする。
 クナやヤマト等の大国の、その直轄領となればもっと多く、数万戸はある。
 ムラやクニの形は様々であるが、それらは全て、農耕のはじまりによって土地に人が定着したときの最小単位に端を発する。その最小単位とは、前にも触れたように、「家」である。縄文時代からこの時代にかけての長い期間、現代の我々が想像するよりも遥かに多い数の移住者がいた。どのようにして、なぜ彼らが海を渡ってきたのかは、分からぬ。
 大陸のモンゴロイド、コーカソイド系民族は勿論、遥か南方のミクロネシア、ポリネシア系の民族の遺伝形質をも我々は持っており、それらの血が混ざり、長い時間の中で結晶化したのが、こんにちの我々であると考えられている。我々の言語のルーツも、血のルーツも未だはっきりしない。
 大陸からやってきた者が稲を持ち込み、稲を作ることに適した地に腰を据え、暮らすようになる。そこにもともといた穏やかな狩猟、採集により生きている人々と手を結び、協力し農耕を行い、そこに別の家族がやって来て、農耕の仕方を教わり、また別の家族がやって来て、という風にして、集落が形成されたと思われる。
 その中でも農耕や天気に関する知識などを多く持つ者が代表となり、それは、富の寡多に繋がった。そうこうするうちに、どのような集落においても、「持つもの、持たざるもの」が現れ、「支配層、被支配層」が生まれた。一般論では、それらは大陸からやってきた人々がそうなったと考えられているから、細面、色白、顎の小さな一重まぶたの、髪が黒くまっすぐな容姿をしていることが多い。だからサナのような二重のまぶたは少なく、支配者層の容貌としては特異であった。
 我らの祖先たる彼らのほんとうの姿も、何を着て何を食い、何を話し、何を考えていたのかも、分からぬ。
 遺跡の発掘の度にしばしば出土する四角い木の枠がある。それすらも何に使われているのかずっと分からず、様々な説や憶測をもって語られていたが、ごく最近になって、ようやくその上に竹の籠を固定しておくためのものであったことが判明した。外国の文明に比べれば我々の祖先は発達がゆるやかで、そのため記録や考古学的発見に乏しく、世界史的に見ればそれほど遠い昔のことではないにも関わらず、竹の籠の固定用の木枠についてすらあれこれ論じなければならないのである。
 しかし、我々の暮らす国家の原型となったものの誕生のときは、必ずあった。それについての想像を巡らせたものがこの物語である。はじめにも断ったが、この物語は史実ではないし、論文でもない。あくまで、僅かな文献の記述や、同年代の大陸の歴史などから筆者が勝手に彫り上げた「おはなし」である。
 我々の暮らす国家の誕生とは、どの時点を指すのであろうか。少なくとも、「クニ」「ムラ」と表記すべき時代や地域のことではあるまい。それらがあるとき、あるいは長い時間をかけ大併合をし、既にこの物語の時点では国家機構を持っていたものとして、ヤマトとクナについては「国」という字をもって表しているが、彼らが我々の考えうる「国」になったのがいかなる経緯によるものなのか、その想像を今少し膨らませてみたい。

 あの激戦を生き延びたオオミとカイの兵が戻ってきた。兵はぼろぼろで、数もめっきり減った。サザレの軍は、オオミ、カイ両軍と合わせても少なかった。にもかかわらずこの損害は、精強をもって聞こえたヤマトにとって、かつてないほどのものであった。
 あのまま兄弟はサザレの地の候の首を刎ねており、当初の目論見である反乱の鎮圧は完遂されたことが、せめてもの救いか。
 しかしサナは、命からがら帰国してきた彼らを見てもなお、目的の達成を喜べるほど無神経ではない。むしろ、多くの兵を失い、死の瀬戸際にまで追い詰められたことを、ひどく悲しんだ。
「すまぬ、オオミ、カイ。そなたらにこれほど辛い思いをさせるとは」
 大きな戦いに出ていた軍の帰還であるので、マヒロは勿論、コウラにタクやナシメ、そして彼らの妻や子も集まっている。ナシメとトミの間には、子ができていた。腹の大きなトミを気遣いながら、ナシメはいつもの通り、これといった特徴のない青白い顔で座っている。
 子の成長とは早いもので、イヨが、もういっぱしにコウラの側に座り、女としての視線を投げ掛けてみたりするようになっている。そのコウラも、すっかり大人びている。マヒロは既に三十を越えているため容姿にそれほどの変化はないが、とすればサナも見た目は女王になったときと全く変わらぬながら二十代の後半になっていることになる。
 その面々を前にして、兄弟は、帰ってきた。と思った。ここが、心理的には彼らのコミュニティの最小単位であった。オオミにはコウラという立派な息子がいるし、カイもあちこち遊び歩いて通い夫をしながら、自然のなりゆきで子を作っている。最も大きい者で、カイが十四のときに生まれた子だから、十歳くらいにはなっているだろう。しかし、この兄弟にとっての家とは、このヤマトの中核の面々のいるところであった。
 帰ってきた。と思うと、誇りも張りも何もなくなり、大泣きに泣いた。
「申し訳ありませぬ。このような、無様な結果となり」
「よい、まずは、無事であった者のことをことほぎたい」
 サナは言ってやった。
「しかし、お前たち兄弟ともあろう者が、なにゆえこれほどまでに」
 マヒロが髭を撫でながら、タクの方を見た。タクは、どこも見ていない眼をしながら、首を傾げた。
「こちらの軍がいつ発し、いつ、かの地に入るのか、あちらに流した者がいるはずです。おかげで、こっちは、あまりに多くの兵を失った」
 カイが床を叩いた。
「通りすぎる山の地に放たれたサザレの者がその正確な日程を教えたのかもしれませんが」
 オオミが冷静に可能性を指摘する。
「サザレの者が山の地に入っていたとすれば、やはり我らがサザレを討滅することを察知し、前もって、計画していたことになりますな」
 タクが、口を開いた。
「サザレが、我らに背き、利することなどないはずなのです。それを、何かしら理由をつけて焚き付けた者がいる、ということになります」
 さらにタクの分析は続く。マヒロは、何を言うか、と内心鼻白んだ。
「そうなれば、我らはまた、サザレの地を攻めさせられた、ということになりますな」
 カイが、怒りのあまりタクに掴みかかっていきそうになるのを、オオミが無言で制止した。
「ユウリ様のときのように、援軍を求めたりできぬような遠いサザレの地にオオミ、カイの兄弟を誘き寄せ、今度こそ間違いなく討ち果たしてしまうつもりであったのかもしれませんな」
 オオミを振り切り、カイが立ち上がり、タクに掴みかかった。
「貴様。俺の、兄者の兵の何人が死んだと思ってるんだ。どうせお前が――」
「カイ!」
 サナが、制止した。その先を、言わせるわけにはいかぬ。
「辛いのは、わかる。しかし、やめぬか。座れ」
 カイはタクの胸ぐらから手を離すと、席に戻った。
「傷も負っておろう。今夜は、皆で食事といきたいところであるが、早く休むがよい」
「お言葉ですが、ヒメミコ」
 オオミが発言した。
「今宵は、とことんまで飲み、食いたいと思います。我ら、命を捨てる覚悟で戦って参りました。こここそが、我らの家。帰って、家で飯を食うことに、何の差し障りもありますまい。どうか、我らの兵にも、このヤマトの楼閣を仰ぎながら飲み、食うことをお許し下さい」
 と珍しいことを言う。サナは、ぱっと笑って、
「よかろう、許す」
 と言った。皆、それぞれの領地があったり、政務や役目がある。新年の挨拶のときなどはサナもマヒロもタクも、別々に諸地域からの使者の相手に忙しい。ひょっとしたら、このような形でこの顔ぶれが一同に介することは、もうないのかもしれない。
 マオカ、トミ、イヨなど、サナと血の繋がっている者もいる。しかし血の濃い薄いではなく、やはり彼らこそが、女王ではない、人間としてのサナにとっての、家族であった。
 サナを好いて、サナのために死を厭わぬ者もいる。遥か大陸に渡り、その言葉でもってサナを倭国の王――サナは「親魏倭王」の称号に大いに滑稽味を感じているようだが――にした者もいる。その妻の腹にはやはりサナと同じ血を受けた新たな命もいる。蛇もおればその妻もおり、国をくれてやる、と口約束をした者もいる。そして長くヤマトを支え、その文字通り人柱となったユウリの子らは、人柱にならず、こうして生きて帰ってきてくれた。
 サナは、この奇妙な家族が好きであった。女王として、人間として。立場や意思はどうあれ、ここにいるあらゆる者の中に「ヤマト」が燦然と輝いているからだ。
 オオミとカイの顔つきが、更に変わっている。父の凄絶な死の先に待ち受けた自らの死をも乗り越え、生を掴み取ってきた。
 これとほぼ同年代の大陸の英雄が、「士は三日会わざれば刮目すべし」と言ったというが、まさにその通りであった。兄弟は、死線を越え、確実にその人間が変わっている。問題は、ヤマトにとって大きな痛手である数千の兵の損失を、いかにして埋めるかということであったが、それは明日以降、皆で考えればよい。
 飯だけ食うと、気の小さいマオカは、楼閣の中の客間のようなところに引き上げてしまった。イヨも伴おうとしたが、タクが、ここにおれ、とイヨに言ったので、一人で部屋に戻った。ここで夫婦そろって引き上げてしまえば、また何を言われるか分からぬ。彼は、この場においては、あくまで忠実な臣でなければならない。イヨは、何も知らず、嬉しそうに話している。
 身も心も傷ついた兄弟を、彼らが癒した。楼閣の外でも、生き延びた兵たちが火を焚き、飯を食い、酒を飲み、悲しみを共に癒しあっているであろう。
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