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第九章 裂き火
重く、深く
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見えた。前方から、軍。千ほどか。既に都邑の中では、オオミとカイらによる攻撃が始まっているらしいが、守りを硬くして、セイがマヒロを打ち破るときを待っている。兵の数は少ないが、マヒロさえ討てば、それでよい。セイは集団の中に、マヒロを探した。まだ遠く、どれがマヒロなのか分からぬ。見覚えのある旗のところに、マヒロはいるのであろうか。
五百の兵に、密集を命じた。ヤマト兵が応じて散開する。お互いに矢を放つと、そのまま、端から順に、こちらへ向かって半円を縮めるようにして駆けてくる。
セイは、密集した兵の後方で、敵がぶつかってくるのを受けた。
マヒロは、どこにいる。
すぐ、乱戦になる。
五百と千の戦いである。損害が甚だしいが、それもどうでもよい。
マヒロと自分が一対一で戦えるようにすることが肝心である。見る見るうちに削られてゆく兵の叫喚の中、セイはなおもマヒロを探した。
しかし、いない。
マヒロは、実際、そこにはいなかった。コウラだけを連れ、自分の軍から離れ、セイの兵らを小さく迂回し、館へと向かっていた。
土塁を守る櫓を、長弓で潰した。そこから都邑の中に潜り込む。セイの軍の背中が、すぐそばに見えた。そのまま、煙の方を目指し、一目散に駆けた。
館の中を伺う。人気は少ない。
コウラを促し、館に入った。
館の中で出会った者は、すべて斬った。
館の中を進む。
ひときわ、大きな扉。それを、押し開けた。
中には、紛れもなくヒコミコの姿。髪には白いものが混じっているが、その姿を見間違えるはずもない。
「来たか、マヒロ」
深く、重い声であった。マヒロは足に蔓が絡み付いたような気がした。
「一人か、クナのヒコミコよ」
「もう一人いたが、逃がした」
クシムのことである。
「おれが来ることを、知っていたのか」
「知らぬ。しかし、来ると思っていた」
ヒコミコは立ち上がり、剣を取った。
「セイは、どうした」
ヒコミコは、マヒロがここにいるということは、セイは死んだかもしれないと思ったらしい。
「あの縮れ毛のことか。今頃、おれのおらぬ軍と、必死で戦っていることであろう」
ヒコミコは、いつもの通り、弾けるように声を上げて笑った。
「俺も、セイも、お前のことを知っているつもりになっていたようであるな」
「あのように危ない奴と、まともに渡り合うのは、阿呆のすることだ」
「お前のおらぬことを知って、セイめ、さぞ肝を冷やすことであろうな」
マヒロの額を、汗が流れた。
「戦わぬ、か。まさか、そのような手に出るとはな」
ヒコミコは剣をゆっくりと抜きながら言った。マヒロも、二本の剣を抜いた。
「正面から攻めると見せかけ、南に軍を発し、その実それも見せかけで、お前がまさかこのようにして、今ここにいるとはな。ヤマトには恐ろしい知恵者がいたものよ」
「その者が、おれを死なせぬため、知恵を振り絞り、策を授けてくれた。しかし、策はあのセイとやらに破られた」
ヒコミコが、おや、という顔をした。
「だから、おれは、自ら、自分が死なぬための策を考えた」
ヒコミコが、次の言葉を待っている。
「死なぬこと。それは、戦わぬことだ」
ヒコミコが、再び哄笑した。
「考えたな、マヒロ」
剣を、構える。
「しかし、ここで今俺に討ち果たされては、どうにもなるまい」
コウラが進み出ようとするのを、マヒロは制止した。
「討たれはせぬ」
二本の剣が、低く構えられる。それが、ゆっくりと開く。
撃ち合い。鉄が、鳴る。
マヒロの片方の剣が、ヒコミコを襲った。
受け止められた方と別の腕を繰り出す。
ヒコミコは身をひねってかわし、マヒロの剣を流した。
体が、崩れる。
そこに襲ってくる剣を、マヒロは受け止めた。
足が床板を突き破るかと思うほど、重い。重さに押され、そのまま膝を付いた。
体を沈めながら、旋回させる。
跳躍。左右、拍子をずらして剣を繰り出す。
ヒコミコの突き。マヒロの頬が、切れた。
剣を跳ね上げ、開いた体に、もう一方の剣を繰り出す。
また、鉄が鳴る。
マヒロとヒコミコは、身体を互いに離した。
「以前よりも、やるようになった」
「当たり前だ」
「お前は、歩を進めているのだな」
「お前は、おれよりも先を進み、そして、老いている」
コウラは、二人を見ながら、気を失いそうになるのを辛うじてこらえている。
再び、鉄が鳴る。二人の場所が、入れ替わった。
「何が、お前をそこまで進めた」
「知らぬ」
「お前の眼に以前宿っていた、あの怒りの火は、どうした」
「知らぬ」
ヒコミコの、強烈な斬撃。マヒロは受けず、飛び下がってかわした。鎧が継ぎ目から斬られ、垂れた。それを肩を捻って素早く捨てる。
「強いて言うなら」
ヒコミコが、撃ち下ろした姿勢を戻しながらマヒロを見た。
「おれには、ただ共に生きたいと思うものが、多くいる」
マヒロは、言葉を継いだ。
「我がヒメミコのため、とおれは自らを縛り、血の海を泳ぎ、屍の山に生きていた」
両の剣が、再び開く。
「その淵から、おれは救い出されたのだ」
姿勢が、下がる。
「死と隣り合わせの戦いの中で、お前は生きるということを見たのか」
「知らぬ。そのような難しい問答は、おれの性分ではない」
繰り出すマヒロの左右の剣のことごとくを、ヒコミコは捌いている。
「おれは、ただ自らのために生きる。それが、おれを想う者のため生きるということなのだ」
言葉が、とても多い。双方の感情が、異様な昂りを見せているらしい。
ヒコミコの斬撃。このようにして、ヒコミコは全てを踏み潰し、ここまで来た。
「おれは」
斬撃をかわしたマヒロが、剣を振り下ろす。かわしたつもりが、身体を斬られたらしい。振り下ろした弾みで出血したが、マヒロは気にしない。痛みも、ない。
「死なぬ」
辛うじて、ヒコミコはマヒロの斬撃を受け止めたが、その剣撃の重さで、剣が肩に食い込む。
血が滲んだ。
「生きるため、死なぬ」
肩の皮膚が、裂ける。次の一撃で、ヒコミコの、いのちに届く。
足。
マヒロは、顔面にそれをまともに食らった。
視界が逆転したが、転ばぬよう辛うじて踏ん張った。鼻が折れたらしい。血がとめどもなく溢れ、床板を濡らした。
無理な体勢からの蹴足であったから、マヒロの頭は砕けずに済んだのかもしれない。揺れる視界を正すように、再び剣を広げた。
ヒコミコが剣を両手に持ち、振りかぶる。己の全てを賭けて。
その背後に積み上げられた屍の山の分だけ、重く。
その足元に広がる血の海の分だけ、濃く。
その身に宿す神の火ほど、熱く。
踏み込んだ。
床板が、鈍い音を立て、割れた。
ヒコミコは、振りかぶった姿勢のまま、一瞬、身を崩した。
マヒロの身体も、沈む。
その胸に抱いた想いの分だけ、深く。
その身を想う人の心ほどに、深く。
その眼に宿した光よりも、深く。
深く。
ただ深く。
床板を、蹴る。
ヒコミコが、床板から足を抜いた。
それと同時に、マヒロが、羽ばたいた。
眼が、合った。
笑っていた。
ヒコミコの、振りかぶったまま空いている向かって右の脇腹に、ウマの地に伝わるという宝剣が。左の脇腹に、オオトのヒメミコを守り、そして殺した剣が食い込んだ。
抜く。鮮血が吹き出した。
再び、刺す。
マヒロの筋肉の凄まじい収縮に耐えきれなくなった肋が、ばきりと音を立てた。
ヒコミコのいのちが、明らかに弱くなった。
もう一度。
ヒコミコの手から、剣が抜け落ちた。
両の剣を抜き、身体を旋回させる。
横薙ぎに、叩きつける。
ヒコミコの身体が、仰向けに倒れた。
マヒロは、それを見下ろし、肩で息をしていた。はじめて、鼻の痛みを感じた。胸も、斬られている。それに、肋も痛む。
マヒロは、まだこの世にかろうじて存在する敵に、眼を向けた。いや、友を見るときのような眼を向けた。
「どうか、セイを、殺さないでやってほしい」
そのいのちと同様、消え入りそうな声で、ヒコミコが言った。
「わかった」
マヒロは、受け入れた。
「あれが、俺が死んだことを知って、どうするのかは知らん。しかし、今、逃がした者がいる。それは、クシムという」
ヒコミコの眼が、コウラを見た。身体はもう、動かぬらしい。
「以前、そこの若造と、渡り合った者だ。その者が、俺の火を継ぐ」
血の泡の音とともに漏れる声を聞くべく、マヒロは、耳をヒコミコの口に近づけた。
「もし、その者が、ヤマトに従うと言ったなら、どうか――」
続きを言うことが出来ず、浅い呼吸をしている。
「――殺さず、生かしてやる」
マヒロが、代わりに言ってやった。しかし、ヒコミコはもう、それを聞くことはできなかった。
マヒロも、ヒコミコに折り重なるようにして、倒れ込んだ。コウラが慌てて駆け寄ったが、息は確かにしている。
五百の兵に、密集を命じた。ヤマト兵が応じて散開する。お互いに矢を放つと、そのまま、端から順に、こちらへ向かって半円を縮めるようにして駆けてくる。
セイは、密集した兵の後方で、敵がぶつかってくるのを受けた。
マヒロは、どこにいる。
すぐ、乱戦になる。
五百と千の戦いである。損害が甚だしいが、それもどうでもよい。
マヒロと自分が一対一で戦えるようにすることが肝心である。見る見るうちに削られてゆく兵の叫喚の中、セイはなおもマヒロを探した。
しかし、いない。
マヒロは、実際、そこにはいなかった。コウラだけを連れ、自分の軍から離れ、セイの兵らを小さく迂回し、館へと向かっていた。
土塁を守る櫓を、長弓で潰した。そこから都邑の中に潜り込む。セイの軍の背中が、すぐそばに見えた。そのまま、煙の方を目指し、一目散に駆けた。
館の中を伺う。人気は少ない。
コウラを促し、館に入った。
館の中で出会った者は、すべて斬った。
館の中を進む。
ひときわ、大きな扉。それを、押し開けた。
中には、紛れもなくヒコミコの姿。髪には白いものが混じっているが、その姿を見間違えるはずもない。
「来たか、マヒロ」
深く、重い声であった。マヒロは足に蔓が絡み付いたような気がした。
「一人か、クナのヒコミコよ」
「もう一人いたが、逃がした」
クシムのことである。
「おれが来ることを、知っていたのか」
「知らぬ。しかし、来ると思っていた」
ヒコミコは立ち上がり、剣を取った。
「セイは、どうした」
ヒコミコは、マヒロがここにいるということは、セイは死んだかもしれないと思ったらしい。
「あの縮れ毛のことか。今頃、おれのおらぬ軍と、必死で戦っていることであろう」
ヒコミコは、いつもの通り、弾けるように声を上げて笑った。
「俺も、セイも、お前のことを知っているつもりになっていたようであるな」
「あのように危ない奴と、まともに渡り合うのは、阿呆のすることだ」
「お前のおらぬことを知って、セイめ、さぞ肝を冷やすことであろうな」
マヒロの額を、汗が流れた。
「戦わぬ、か。まさか、そのような手に出るとはな」
ヒコミコは剣をゆっくりと抜きながら言った。マヒロも、二本の剣を抜いた。
「正面から攻めると見せかけ、南に軍を発し、その実それも見せかけで、お前がまさかこのようにして、今ここにいるとはな。ヤマトには恐ろしい知恵者がいたものよ」
「その者が、おれを死なせぬため、知恵を振り絞り、策を授けてくれた。しかし、策はあのセイとやらに破られた」
ヒコミコが、おや、という顔をした。
「だから、おれは、自ら、自分が死なぬための策を考えた」
ヒコミコが、次の言葉を待っている。
「死なぬこと。それは、戦わぬことだ」
ヒコミコが、再び哄笑した。
「考えたな、マヒロ」
剣を、構える。
「しかし、ここで今俺に討ち果たされては、どうにもなるまい」
コウラが進み出ようとするのを、マヒロは制止した。
「討たれはせぬ」
二本の剣が、低く構えられる。それが、ゆっくりと開く。
撃ち合い。鉄が、鳴る。
マヒロの片方の剣が、ヒコミコを襲った。
受け止められた方と別の腕を繰り出す。
ヒコミコは身をひねってかわし、マヒロの剣を流した。
体が、崩れる。
そこに襲ってくる剣を、マヒロは受け止めた。
足が床板を突き破るかと思うほど、重い。重さに押され、そのまま膝を付いた。
体を沈めながら、旋回させる。
跳躍。左右、拍子をずらして剣を繰り出す。
ヒコミコの突き。マヒロの頬が、切れた。
剣を跳ね上げ、開いた体に、もう一方の剣を繰り出す。
また、鉄が鳴る。
マヒロとヒコミコは、身体を互いに離した。
「以前よりも、やるようになった」
「当たり前だ」
「お前は、歩を進めているのだな」
「お前は、おれよりも先を進み、そして、老いている」
コウラは、二人を見ながら、気を失いそうになるのを辛うじてこらえている。
再び、鉄が鳴る。二人の場所が、入れ替わった。
「何が、お前をそこまで進めた」
「知らぬ」
「お前の眼に以前宿っていた、あの怒りの火は、どうした」
「知らぬ」
ヒコミコの、強烈な斬撃。マヒロは受けず、飛び下がってかわした。鎧が継ぎ目から斬られ、垂れた。それを肩を捻って素早く捨てる。
「強いて言うなら」
ヒコミコが、撃ち下ろした姿勢を戻しながらマヒロを見た。
「おれには、ただ共に生きたいと思うものが、多くいる」
マヒロは、言葉を継いだ。
「我がヒメミコのため、とおれは自らを縛り、血の海を泳ぎ、屍の山に生きていた」
両の剣が、再び開く。
「その淵から、おれは救い出されたのだ」
姿勢が、下がる。
「死と隣り合わせの戦いの中で、お前は生きるということを見たのか」
「知らぬ。そのような難しい問答は、おれの性分ではない」
繰り出すマヒロの左右の剣のことごとくを、ヒコミコは捌いている。
「おれは、ただ自らのために生きる。それが、おれを想う者のため生きるということなのだ」
言葉が、とても多い。双方の感情が、異様な昂りを見せているらしい。
ヒコミコの斬撃。このようにして、ヒコミコは全てを踏み潰し、ここまで来た。
「おれは」
斬撃をかわしたマヒロが、剣を振り下ろす。かわしたつもりが、身体を斬られたらしい。振り下ろした弾みで出血したが、マヒロは気にしない。痛みも、ない。
「死なぬ」
辛うじて、ヒコミコはマヒロの斬撃を受け止めたが、その剣撃の重さで、剣が肩に食い込む。
血が滲んだ。
「生きるため、死なぬ」
肩の皮膚が、裂ける。次の一撃で、ヒコミコの、いのちに届く。
足。
マヒロは、顔面にそれをまともに食らった。
視界が逆転したが、転ばぬよう辛うじて踏ん張った。鼻が折れたらしい。血がとめどもなく溢れ、床板を濡らした。
無理な体勢からの蹴足であったから、マヒロの頭は砕けずに済んだのかもしれない。揺れる視界を正すように、再び剣を広げた。
ヒコミコが剣を両手に持ち、振りかぶる。己の全てを賭けて。
その背後に積み上げられた屍の山の分だけ、重く。
その足元に広がる血の海の分だけ、濃く。
その身に宿す神の火ほど、熱く。
踏み込んだ。
床板が、鈍い音を立て、割れた。
ヒコミコは、振りかぶった姿勢のまま、一瞬、身を崩した。
マヒロの身体も、沈む。
その胸に抱いた想いの分だけ、深く。
その身を想う人の心ほどに、深く。
その眼に宿した光よりも、深く。
深く。
ただ深く。
床板を、蹴る。
ヒコミコが、床板から足を抜いた。
それと同時に、マヒロが、羽ばたいた。
眼が、合った。
笑っていた。
ヒコミコの、振りかぶったまま空いている向かって右の脇腹に、ウマの地に伝わるという宝剣が。左の脇腹に、オオトのヒメミコを守り、そして殺した剣が食い込んだ。
抜く。鮮血が吹き出した。
再び、刺す。
マヒロの筋肉の凄まじい収縮に耐えきれなくなった肋が、ばきりと音を立てた。
ヒコミコのいのちが、明らかに弱くなった。
もう一度。
ヒコミコの手から、剣が抜け落ちた。
両の剣を抜き、身体を旋回させる。
横薙ぎに、叩きつける。
ヒコミコの身体が、仰向けに倒れた。
マヒロは、それを見下ろし、肩で息をしていた。はじめて、鼻の痛みを感じた。胸も、斬られている。それに、肋も痛む。
マヒロは、まだこの世にかろうじて存在する敵に、眼を向けた。いや、友を見るときのような眼を向けた。
「どうか、セイを、殺さないでやってほしい」
そのいのちと同様、消え入りそうな声で、ヒコミコが言った。
「わかった」
マヒロは、受け入れた。
「あれが、俺が死んだことを知って、どうするのかは知らん。しかし、今、逃がした者がいる。それは、クシムという」
ヒコミコの眼が、コウラを見た。身体はもう、動かぬらしい。
「以前、そこの若造と、渡り合った者だ。その者が、俺の火を継ぐ」
血の泡の音とともに漏れる声を聞くべく、マヒロは、耳をヒコミコの口に近づけた。
「もし、その者が、ヤマトに従うと言ったなら、どうか――」
続きを言うことが出来ず、浅い呼吸をしている。
「――殺さず、生かしてやる」
マヒロが、代わりに言ってやった。しかし、ヒコミコはもう、それを聞くことはできなかった。
マヒロも、ヒコミコに折り重なるようにして、倒れ込んだ。コウラが慌てて駆け寄ったが、息は確かにしている。
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