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7.ルントラント地下迷宮物件
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ひたすらに軍靴の音が響き続ける地下空間に、遠く、地響きのような音が鳴った。先刻、爆発音のようなものも響いたあとでのことだ。
「どうも、抵抗が激しいようだな。まあ、万に一つ生き残りが居たとて、我々の行く先などわかりはしまいが」
とのシュナーベルの言葉に、フィーネは肩を震わせ、振り返った。罠のある場所へと案内されては困る、ということで、仮面の親衛隊大佐とその部下たちは幼い女王を先頭にして歩かせているのだった。
「あの場に残したものは、生き残っていたら助けてくれると言ったではないですか」
「おや、そのような約束をしたかな? もし約束していたとしても、連中が抵抗した結果だ、仕方あるまい」
「そんな──それならば」
「それならば、もう協力をしない、とでも? それならばそれで構いはしない、我々は地上へ戻り、ルントラント人に属国のあるべき姿を教えるだけだ」
〈石〉を叩きつけようと振りかぶったフィーネの手が、シュナーベルの脅しの言葉とともに静止した。
「そう、国民のことを思うなら、大人しく我々に従うのが身のためだ、女王陛下。なんとなれば、〈石〉さえ奪えばあなたと同じ程度の純血を保つ人間など、他に探しようはいくらでもあるのだしな」
青い宝石を掴んだままゆっくりと下がってゆく小さな手をシュナーベルの手が包み込み、少女の胸元へと押し付けた。フィーネは、悔しさのにじむ目で眼前の不気味な仮面を睨みつけたが、それ以上何を言うこともなく、うなだれて再び歩き始めた。
フィーネが先導する先には、通常の鍾乳石に混じって石を削って作った像が現れ始めている。ルンテンゼー湖畔の祠の奥にあったものと同じ、キリスト教以前の信仰の産物と思しき像だ。どうやら、シュナーベルが案内させようとしている先への目印は、この神像であるようだ。だが奇妙なのは、進む方向に対して、目印となる神像が背を向けているところだ。
「ふむ。これはなかなか興味深い。行くべき先は神々の守る地だ、とでも解釈すべきかな」
シュナーベルも神像の向きには興味を持ったらしい。立ち止まって青く光る結晶で出来た像を上から下まで眺め渡し、部下に写真を取るよう指示さえしはじめた。
シュナーベル当人は像の向いた方角を地図上に記し、それぞれの像の特徴を記録し始めてちょっとしたフィールドワークが始まろうとしたときのことだ。
「まさか」
と、やや先へと歩いていた少女が振り返り、否定の言葉を口にした。
「神々すら背く場所を見つけたならば、けしてその先を辿ることは許されない。──この先にあるのは、我がフェーンブルクの一族でさえも立ち入りを厳重に禁止された禁足地。我が国を作り上げた古き神々は人間に、この先に立ち入るなと警告しているのです。はじめにも、そう言ったはずですが」
カメラのシャッターを切っていた親衛隊員が、ぞっとした様子で神像から離れた。他の隊員たちも、あまりいい気分はしないらしく像から離れ、なにかから身を護るように互いにより集まりはじめた。もとより、進むごとに光よりも暗闇が勢力を増していく見知らぬ地下でのことだ。薄気味悪さを感じていないものなど居なかったのだろう。
けれど、シュナーベル当人は少しも怯えた様子など見せてはいない。それどころか、フィーネの言葉を聞いて何やら得心し、しきりに頷いている。
「いいや、お嬢さん。それこそが、この先にあるのが聖地ということを示しているのだ。あなたも王の血族ならば、中世の庶民らが王を見たならば目が潰れると言って貴種を見ることすらも禁忌としたことを知っているだろう。それと同じことだ、尊いことと禁忌とされることは両立しうるのだよ」
さあ、そうとわかったなら先に進もうじゃないか、と、自分がその場にとどまり始めたことも棚に上げ、シュナーベルはフィーネを促した。
「そうですか。警告はいたしましたよ。念の為に申し上げておきますが、これより先はわたくしもいかなる罠、いかなる仕掛けも知悉しておりません。どのようなことになっても後悔はなきよう」
少女は、冷え冷えとした声で返答し、再び歩き出した。隊員たちはやや先へ進むことを尻込みしていたが、彼らの上官が何一つためらうことなく少女のあとに続くのを見て、不承不承、あとに続き始めた。
それと、ほぼ同時刻。
およそ一時間ほどの差でフィーネのあとを追い始めた〈ちとせ〉とミランが今、どうなっているかと言うと──
「だぁぁから! おじさん、もう下手に動かないでって!」
「今度は僕ァ動いてない、向こうから先に来たんだ!」
「どっちにしてもなんでおじさんばっかり色々引っかかるんだよ、っていうかこいつどうすりゃいいの!?」
などと叫びながら、どこかから現れた白いワニを相手に、近くの小さめの鍾乳石を折り取って作った棍棒で戦いを挑んでいるところだった。場所は、一体どこでそんなところに迷い込んだのか、人工的に鍾乳洞を掘って作った水路の中でのことだ。もちろんフィーネも親衛隊員たちも、そんなところを通ってはいない。どういうわけか〈ちとせ〉がちょっとでも動くたびにあらゆる罠を作動させ続け、それを避けているうちに全くフィーネたちとは別の方向へと進んでいたのである。
無論、先を進むフィーネもシュナーベル以下の親衛隊員たちも、同じ地下空間の隔たった場所で繰り広げられる白いワニとの死闘など知る由もない。異教の神像が背を向ける先へと進むにつれて暗くなる視界を懐中電灯の明かりで切り開きながら、彼らはある一つの場所へと至ろうとしていた。
「これは……列柱か? なんとも薄気味悪い」
一人の隊員がそんな声を上げたのも無理はあるまい。神像をさかしまにたどり続けた先に待っていたのは、両脇に神像が何百体も並び立ち、その先に行くことを戒めるかのように来るものをにらみつける暗い階段であったのだ。階段の先へと投光機の明かりを投げかけたものもいたが、底までも光は届かないようだ。
──いや。よく見れば、そうではない。
流石にフィーネも恐怖を隠しきれないらしく、階段に近づくのを躊躇している横で、シュナーベルがなにかに気づいたようであった。
「明かりを消せ。懐中電灯もだ、とにかく全員すぐに光を消すんだ」
すでに、周囲には月光を伝える青い結晶は一つも見当たらない。ここに至るまでの道は、全て緩やかな下り坂だった。つまりは、あの湖底の祭殿よりもさらに地下へと潜っているということだ。ルントラントの地上に突き出た青い結晶から伝わる月光も、その限度を超えているのだろう。つまり、この場所には人工物の他には光を出しうるものは存在しないはずなのだ。
けれど、親衛隊員たちが上官の命令に従って明かりを消したとき、そこは完全な暗闇ではなかった。ほのかな青い光が、暗い中に居並んでいる。そう、光源は、地下空間のさらに地下へと向けて口を開ける長い階段の両脇、一対の深い溝の縁に並ぶ神像であったのだ。
「どういうことだ」
「地上からはずいぶんと離れているはずだが……」
「いや、そもそもあの神像は、今までの鍾乳石とは違うぞ」
「本当だ、あれは、天井とつながっていない」
階段を覗き込む隊員たちは、もはや怯えを隠してもいない。彼らの言うことは、すべて真実だった。階段を薄ぼんやりと照らし出す青い結晶の神像は、全て地面とだけ繋がるものばかりであり、頭上の岩盤とは一切つながっていないのだ。つまり、地上を照らす月明かりが地下へと漏れたものではない、ということだ。
もし、この場で誰か一人が叫び声を上げたならば、隊員たちは一人残らずこの場から脱兎のごとくに逃げ出していただろう。それほどの緊張、それほどの恐怖感が、辺りを包み込んでいた。もちろん、フィーネも全身を震わせて、ぎゅっと〈契約の石〉を握りしめ続けている。
この場にあって、恐怖に囚われていないのは、ただ一人だけだった。
「地下へと続く道……そう言うことなのか?」
やはり、またひとり何かを得心し、シュナーベルは明かりも持たず階段を駆け下り始めた。もはや、フィーネのことすら二の次と言った様子だ。
今までの様子とは逆に、階段を降りるにつれ、神像が放つ明かりは強くなっていった。青い光に照らされた鳥頭の仮面は、辺りの光景に負けぬほどの不気味さを放ってもいる。あるいは、自身も奇怪であるからこそ、奇怪な様子に恐怖を覚えずに居るのかとすら思えるようなありさまだ。
「そうだ、やはりそうだ。アガルタ、シャンバラ、約束の地──呼び名はなんでもよい、とにかく、この先にあるのが、正しい場所、正しい地なのだ」
階段を降りきった先、一面が青に照らされた空間で、シュナーベルは歓喜の声を上げた。彼の眼前にあるのは、巨大な鉄の扉だった。その表面には、これまで並んでいた像と同じ造形の神の姿が真正面から描かれ、来るものを睨みつけている。神像が背を向ける先を目指すならば、この扉をくぐる必要がある、そういうことだろう。
シュナーベルは扉を手で探った。常人ならば、扉に描かれた異教の神の姿に怯みそうなところだが、彼はすぐにでも扉の向こうを見たい、そんな具合だ。だが、ただ推したり引いたりするだけでは巨大な扉は開きそうにもない。そのうちに、シュナーベルも自身が無駄なことをしていると気づいたらしい。同時に、正しいアプローチの仕方にも。
ペストマスクが大きく階段の上を仰ぎ、くぐもった声が辺りに響き渡った。
「お嬢さん! 降りてきたまえ! いや、誰でもいい、フィーネ・フォン・フェーンブルクをここへ!」
命令に従い、重い足取りで降りてきた部下たちの足が途中で更に遅くなったのは、扉の意匠に怖気づいたものだろう。だが、それでも忠実な親衛隊員たちは、命令を遂行した。足がすくんで動けない少女は隊員たちに担ぎ上げられ、怪鳥のごとき親衛隊大佐の前に差し出されたのだった。
「さあ、女王陛下、あなたの出番だ。この扉を開けるんだ」
地面に座り込み、立ち上がることも出来ない様子の少女を無理矢理に立ち上がらせ、シュナーベルは命令した。けれど、フィーネは首を左右にふるばかりだ。
「無理です、わたくし、この先のことは何も知らないんです」
「ならば、なにか呪文だとか言い伝えだとか、心当たりがあるだろう。その石は、あなたの血筋に反応するものなのだ」
「そんなこと、本当に何も」
と、フィーネが困惑しきって首をふったとき。唐突に、フィーネの手の中で〈石〉が光りはじめた。
「おお! 素晴らしい、正しい血の持ち主が、この場に来ることがきっかけであったのか。考えてみれば、あの炎の盾も自動的に発動していた。持ち主の意思にはよらず、効果を発揮するものなのか──」
興奮するシュナーベルの声に、ごうごうと濁流の流れるような音が被さり、次第に大きくなりはじめた。どこからか水が流れ、扉へと迫ってきているのだ。
「水を使った仕掛けか。流れてきた水が左右の溝を通って扉の下に隠された水桶に溜まって重しになり、扉を開く、といったところだろうな、実に巧妙な仕掛けだ」
フィーネの持つ〈契約の石〉と、階段の左右で薄ぼんやりと光る神像に照らされて青く染まった仮面は、扉を開く仕組みを推測し、感激したように幾度もうなずいている。その耳には、階段の上方から聞こえる「わーっ」とか「なんだこれは」とか言う悲鳴も聞こえていないらしい。
話はおよそ五分前、やや離れた場所で発生している白ワニとの死闘へと移る。いや、正確には、その時点ではすでにどうにか白いワニとの決着はついていたため、その直前まで白いワニと死闘を繰り広げていた二人に、だ。
「よくやった、よくやってくれた、もうちょっとで死ぬところだった」
「おじさんが囮になって、俺に銃剣を渡してくれたからだよ、俺一人じゃ絶対無理だった」
「それにしたって口につっかえ棒をするつもりで突っ込んだ鍾乳石が折られたときにはもうだめだと思ったもんだ、あそこでキミがワニの背中に飛び乗る選択をしていなかったら駄目だったと思うよ」
銃剣で背中を刺し貫かれて血を流す巨大な白いワニの死骸を前に、〈ちとせ〉とミランは二人して互いの健闘を褒め称えあっていた。二人の果敢な連携プレーによって、地下に潜む巨獣はついに敗れ去ったのである。
「さて……随分と本来の道を外れてしまったようだが、ミラン、ここからでも行き先は分かるか?」
〈ちとせ〉は、白いワニの背から銃剣を引き抜きながらミランに尋ねた。少年は少し何かを探るようにあたりを見回した後、力強くうなずいてみせ、
「うん、大丈夫。あっでもおじさん、とりあえずそこを動かないでね」
と、〈ちとせ〉が何らかのアクションを起こすことを強く牽制した。ここに来るまでに、ちょっと振り向いただけで四方から次々に槍が繰り出される罠を作動させ、槍の罠をくぐり抜けたと思った途端隠し扉へもたれかかって二人揃って謎のスロープを滑り落ち、蛇の生簀に放り出されたところから脱出すべく蔦に手をかけた瞬間に頭上から油と火矢の降り注ぐ火攻めの罠を発動させたとなれば、警戒するなというほうが無理という話ではある。
「分かってる、何にも触らない、キミが先に歩いてくれ。僕はその後だけを忠実に歩い、て──……」
と、断固たる口調で〈ちとせ〉が自ら能動的に動かないことを宣言した、その言葉はしかし、後半になるに連れて弱々しくなり、しまいには途切れてしまった。そのかわりに、狭い水路にはどこか遠くから、ごうごうという水音が次第に近づいて来ている。
いや、この状況で、どこから水音がするか、など考えるまでもないだろう。
「……おじさん、もしかしてめちゃくちゃ運悪い?」
「今日まで気づかなかったけどな、もしかしたらそうかもしれない」
水音は、〈ちとせ〉のすぐ後ろまで、水しぶきを立てて迫っている。二人が互いの手をしっかりと握りあってどこかから流れ込んできた濁流に飲まれたのは、その直後のことだった。
それから、だいたい五分後のことである。
〈ちとせ〉とミランは、濁流とともに洞窟内を流され続け、そして、おおよその予想に全く違うことなくあの扉へと至る階段にまで流れ着いたところだった。水はどうやら本来の想定よりやや多いらしく、階段にまで溢れ出ている。
「わーっ!」
「なんだこれは!?」
との親衛隊員たちの悲鳴が上がったのは、半分は流れ込んだ水に対するものであり、もう半分は、濁流とともに複数匹の白いワニも押し寄せてきたことによるものだ。どういうわけか、濁流の中ではまたも新たな白いワニが現れ、流されていく二人を追いかけていたのだ。
階段の底に僅かな時間、水が堆積した。やはり、本来想定しているよりも水が多すぎて排水が間に合わなかったらしい。〈ちとせ〉とミランと、白いワニと黒服の親衛隊員と、それにその他の無数の機材だの何だのが、ほのかな青い光を伝える水の中で錐揉みになり、ぶつかり合う。
けれど、そんなシュールな光景もごく一瞬のものだった。薄暗い水の中に一条の光が差し込んだかと思うと、その光に向けて何もかもが押し流されたのだ。
「どうも、抵抗が激しいようだな。まあ、万に一つ生き残りが居たとて、我々の行く先などわかりはしまいが」
とのシュナーベルの言葉に、フィーネは肩を震わせ、振り返った。罠のある場所へと案内されては困る、ということで、仮面の親衛隊大佐とその部下たちは幼い女王を先頭にして歩かせているのだった。
「あの場に残したものは、生き残っていたら助けてくれると言ったではないですか」
「おや、そのような約束をしたかな? もし約束していたとしても、連中が抵抗した結果だ、仕方あるまい」
「そんな──それならば」
「それならば、もう協力をしない、とでも? それならばそれで構いはしない、我々は地上へ戻り、ルントラント人に属国のあるべき姿を教えるだけだ」
〈石〉を叩きつけようと振りかぶったフィーネの手が、シュナーベルの脅しの言葉とともに静止した。
「そう、国民のことを思うなら、大人しく我々に従うのが身のためだ、女王陛下。なんとなれば、〈石〉さえ奪えばあなたと同じ程度の純血を保つ人間など、他に探しようはいくらでもあるのだしな」
青い宝石を掴んだままゆっくりと下がってゆく小さな手をシュナーベルの手が包み込み、少女の胸元へと押し付けた。フィーネは、悔しさのにじむ目で眼前の不気味な仮面を睨みつけたが、それ以上何を言うこともなく、うなだれて再び歩き始めた。
フィーネが先導する先には、通常の鍾乳石に混じって石を削って作った像が現れ始めている。ルンテンゼー湖畔の祠の奥にあったものと同じ、キリスト教以前の信仰の産物と思しき像だ。どうやら、シュナーベルが案内させようとしている先への目印は、この神像であるようだ。だが奇妙なのは、進む方向に対して、目印となる神像が背を向けているところだ。
「ふむ。これはなかなか興味深い。行くべき先は神々の守る地だ、とでも解釈すべきかな」
シュナーベルも神像の向きには興味を持ったらしい。立ち止まって青く光る結晶で出来た像を上から下まで眺め渡し、部下に写真を取るよう指示さえしはじめた。
シュナーベル当人は像の向いた方角を地図上に記し、それぞれの像の特徴を記録し始めてちょっとしたフィールドワークが始まろうとしたときのことだ。
「まさか」
と、やや先へと歩いていた少女が振り返り、否定の言葉を口にした。
「神々すら背く場所を見つけたならば、けしてその先を辿ることは許されない。──この先にあるのは、我がフェーンブルクの一族でさえも立ち入りを厳重に禁止された禁足地。我が国を作り上げた古き神々は人間に、この先に立ち入るなと警告しているのです。はじめにも、そう言ったはずですが」
カメラのシャッターを切っていた親衛隊員が、ぞっとした様子で神像から離れた。他の隊員たちも、あまりいい気分はしないらしく像から離れ、なにかから身を護るように互いにより集まりはじめた。もとより、進むごとに光よりも暗闇が勢力を増していく見知らぬ地下でのことだ。薄気味悪さを感じていないものなど居なかったのだろう。
けれど、シュナーベル当人は少しも怯えた様子など見せてはいない。それどころか、フィーネの言葉を聞いて何やら得心し、しきりに頷いている。
「いいや、お嬢さん。それこそが、この先にあるのが聖地ということを示しているのだ。あなたも王の血族ならば、中世の庶民らが王を見たならば目が潰れると言って貴種を見ることすらも禁忌としたことを知っているだろう。それと同じことだ、尊いことと禁忌とされることは両立しうるのだよ」
さあ、そうとわかったなら先に進もうじゃないか、と、自分がその場にとどまり始めたことも棚に上げ、シュナーベルはフィーネを促した。
「そうですか。警告はいたしましたよ。念の為に申し上げておきますが、これより先はわたくしもいかなる罠、いかなる仕掛けも知悉しておりません。どのようなことになっても後悔はなきよう」
少女は、冷え冷えとした声で返答し、再び歩き出した。隊員たちはやや先へ進むことを尻込みしていたが、彼らの上官が何一つためらうことなく少女のあとに続くのを見て、不承不承、あとに続き始めた。
それと、ほぼ同時刻。
およそ一時間ほどの差でフィーネのあとを追い始めた〈ちとせ〉とミランが今、どうなっているかと言うと──
「だぁぁから! おじさん、もう下手に動かないでって!」
「今度は僕ァ動いてない、向こうから先に来たんだ!」
「どっちにしてもなんでおじさんばっかり色々引っかかるんだよ、っていうかこいつどうすりゃいいの!?」
などと叫びながら、どこかから現れた白いワニを相手に、近くの小さめの鍾乳石を折り取って作った棍棒で戦いを挑んでいるところだった。場所は、一体どこでそんなところに迷い込んだのか、人工的に鍾乳洞を掘って作った水路の中でのことだ。もちろんフィーネも親衛隊員たちも、そんなところを通ってはいない。どういうわけか〈ちとせ〉がちょっとでも動くたびにあらゆる罠を作動させ続け、それを避けているうちに全くフィーネたちとは別の方向へと進んでいたのである。
無論、先を進むフィーネもシュナーベル以下の親衛隊員たちも、同じ地下空間の隔たった場所で繰り広げられる白いワニとの死闘など知る由もない。異教の神像が背を向ける先へと進むにつれて暗くなる視界を懐中電灯の明かりで切り開きながら、彼らはある一つの場所へと至ろうとしていた。
「これは……列柱か? なんとも薄気味悪い」
一人の隊員がそんな声を上げたのも無理はあるまい。神像をさかしまにたどり続けた先に待っていたのは、両脇に神像が何百体も並び立ち、その先に行くことを戒めるかのように来るものをにらみつける暗い階段であったのだ。階段の先へと投光機の明かりを投げかけたものもいたが、底までも光は届かないようだ。
──いや。よく見れば、そうではない。
流石にフィーネも恐怖を隠しきれないらしく、階段に近づくのを躊躇している横で、シュナーベルがなにかに気づいたようであった。
「明かりを消せ。懐中電灯もだ、とにかく全員すぐに光を消すんだ」
すでに、周囲には月光を伝える青い結晶は一つも見当たらない。ここに至るまでの道は、全て緩やかな下り坂だった。つまりは、あの湖底の祭殿よりもさらに地下へと潜っているということだ。ルントラントの地上に突き出た青い結晶から伝わる月光も、その限度を超えているのだろう。つまり、この場所には人工物の他には光を出しうるものは存在しないはずなのだ。
けれど、親衛隊員たちが上官の命令に従って明かりを消したとき、そこは完全な暗闇ではなかった。ほのかな青い光が、暗い中に居並んでいる。そう、光源は、地下空間のさらに地下へと向けて口を開ける長い階段の両脇、一対の深い溝の縁に並ぶ神像であったのだ。
「どういうことだ」
「地上からはずいぶんと離れているはずだが……」
「いや、そもそもあの神像は、今までの鍾乳石とは違うぞ」
「本当だ、あれは、天井とつながっていない」
階段を覗き込む隊員たちは、もはや怯えを隠してもいない。彼らの言うことは、すべて真実だった。階段を薄ぼんやりと照らし出す青い結晶の神像は、全て地面とだけ繋がるものばかりであり、頭上の岩盤とは一切つながっていないのだ。つまり、地上を照らす月明かりが地下へと漏れたものではない、ということだ。
もし、この場で誰か一人が叫び声を上げたならば、隊員たちは一人残らずこの場から脱兎のごとくに逃げ出していただろう。それほどの緊張、それほどの恐怖感が、辺りを包み込んでいた。もちろん、フィーネも全身を震わせて、ぎゅっと〈契約の石〉を握りしめ続けている。
この場にあって、恐怖に囚われていないのは、ただ一人だけだった。
「地下へと続く道……そう言うことなのか?」
やはり、またひとり何かを得心し、シュナーベルは明かりも持たず階段を駆け下り始めた。もはや、フィーネのことすら二の次と言った様子だ。
今までの様子とは逆に、階段を降りるにつれ、神像が放つ明かりは強くなっていった。青い光に照らされた鳥頭の仮面は、辺りの光景に負けぬほどの不気味さを放ってもいる。あるいは、自身も奇怪であるからこそ、奇怪な様子に恐怖を覚えずに居るのかとすら思えるようなありさまだ。
「そうだ、やはりそうだ。アガルタ、シャンバラ、約束の地──呼び名はなんでもよい、とにかく、この先にあるのが、正しい場所、正しい地なのだ」
階段を降りきった先、一面が青に照らされた空間で、シュナーベルは歓喜の声を上げた。彼の眼前にあるのは、巨大な鉄の扉だった。その表面には、これまで並んでいた像と同じ造形の神の姿が真正面から描かれ、来るものを睨みつけている。神像が背を向ける先を目指すならば、この扉をくぐる必要がある、そういうことだろう。
シュナーベルは扉を手で探った。常人ならば、扉に描かれた異教の神の姿に怯みそうなところだが、彼はすぐにでも扉の向こうを見たい、そんな具合だ。だが、ただ推したり引いたりするだけでは巨大な扉は開きそうにもない。そのうちに、シュナーベルも自身が無駄なことをしていると気づいたらしい。同時に、正しいアプローチの仕方にも。
ペストマスクが大きく階段の上を仰ぎ、くぐもった声が辺りに響き渡った。
「お嬢さん! 降りてきたまえ! いや、誰でもいい、フィーネ・フォン・フェーンブルクをここへ!」
命令に従い、重い足取りで降りてきた部下たちの足が途中で更に遅くなったのは、扉の意匠に怖気づいたものだろう。だが、それでも忠実な親衛隊員たちは、命令を遂行した。足がすくんで動けない少女は隊員たちに担ぎ上げられ、怪鳥のごとき親衛隊大佐の前に差し出されたのだった。
「さあ、女王陛下、あなたの出番だ。この扉を開けるんだ」
地面に座り込み、立ち上がることも出来ない様子の少女を無理矢理に立ち上がらせ、シュナーベルは命令した。けれど、フィーネは首を左右にふるばかりだ。
「無理です、わたくし、この先のことは何も知らないんです」
「ならば、なにか呪文だとか言い伝えだとか、心当たりがあるだろう。その石は、あなたの血筋に反応するものなのだ」
「そんなこと、本当に何も」
と、フィーネが困惑しきって首をふったとき。唐突に、フィーネの手の中で〈石〉が光りはじめた。
「おお! 素晴らしい、正しい血の持ち主が、この場に来ることがきっかけであったのか。考えてみれば、あの炎の盾も自動的に発動していた。持ち主の意思にはよらず、効果を発揮するものなのか──」
興奮するシュナーベルの声に、ごうごうと濁流の流れるような音が被さり、次第に大きくなりはじめた。どこからか水が流れ、扉へと迫ってきているのだ。
「水を使った仕掛けか。流れてきた水が左右の溝を通って扉の下に隠された水桶に溜まって重しになり、扉を開く、といったところだろうな、実に巧妙な仕掛けだ」
フィーネの持つ〈契約の石〉と、階段の左右で薄ぼんやりと光る神像に照らされて青く染まった仮面は、扉を開く仕組みを推測し、感激したように幾度もうなずいている。その耳には、階段の上方から聞こえる「わーっ」とか「なんだこれは」とか言う悲鳴も聞こえていないらしい。
話はおよそ五分前、やや離れた場所で発生している白ワニとの死闘へと移る。いや、正確には、その時点ではすでにどうにか白いワニとの決着はついていたため、その直前まで白いワニと死闘を繰り広げていた二人に、だ。
「よくやった、よくやってくれた、もうちょっとで死ぬところだった」
「おじさんが囮になって、俺に銃剣を渡してくれたからだよ、俺一人じゃ絶対無理だった」
「それにしたって口につっかえ棒をするつもりで突っ込んだ鍾乳石が折られたときにはもうだめだと思ったもんだ、あそこでキミがワニの背中に飛び乗る選択をしていなかったら駄目だったと思うよ」
銃剣で背中を刺し貫かれて血を流す巨大な白いワニの死骸を前に、〈ちとせ〉とミランは二人して互いの健闘を褒め称えあっていた。二人の果敢な連携プレーによって、地下に潜む巨獣はついに敗れ去ったのである。
「さて……随分と本来の道を外れてしまったようだが、ミラン、ここからでも行き先は分かるか?」
〈ちとせ〉は、白いワニの背から銃剣を引き抜きながらミランに尋ねた。少年は少し何かを探るようにあたりを見回した後、力強くうなずいてみせ、
「うん、大丈夫。あっでもおじさん、とりあえずそこを動かないでね」
と、〈ちとせ〉が何らかのアクションを起こすことを強く牽制した。ここに来るまでに、ちょっと振り向いただけで四方から次々に槍が繰り出される罠を作動させ、槍の罠をくぐり抜けたと思った途端隠し扉へもたれかかって二人揃って謎のスロープを滑り落ち、蛇の生簀に放り出されたところから脱出すべく蔦に手をかけた瞬間に頭上から油と火矢の降り注ぐ火攻めの罠を発動させたとなれば、警戒するなというほうが無理という話ではある。
「分かってる、何にも触らない、キミが先に歩いてくれ。僕はその後だけを忠実に歩い、て──……」
と、断固たる口調で〈ちとせ〉が自ら能動的に動かないことを宣言した、その言葉はしかし、後半になるに連れて弱々しくなり、しまいには途切れてしまった。そのかわりに、狭い水路にはどこか遠くから、ごうごうという水音が次第に近づいて来ている。
いや、この状況で、どこから水音がするか、など考えるまでもないだろう。
「……おじさん、もしかしてめちゃくちゃ運悪い?」
「今日まで気づかなかったけどな、もしかしたらそうかもしれない」
水音は、〈ちとせ〉のすぐ後ろまで、水しぶきを立てて迫っている。二人が互いの手をしっかりと握りあってどこかから流れ込んできた濁流に飲まれたのは、その直後のことだった。
それから、だいたい五分後のことである。
〈ちとせ〉とミランは、濁流とともに洞窟内を流され続け、そして、おおよその予想に全く違うことなくあの扉へと至る階段にまで流れ着いたところだった。水はどうやら本来の想定よりやや多いらしく、階段にまで溢れ出ている。
「わーっ!」
「なんだこれは!?」
との親衛隊員たちの悲鳴が上がったのは、半分は流れ込んだ水に対するものであり、もう半分は、濁流とともに複数匹の白いワニも押し寄せてきたことによるものだ。どういうわけか、濁流の中ではまたも新たな白いワニが現れ、流されていく二人を追いかけていたのだ。
階段の底に僅かな時間、水が堆積した。やはり、本来想定しているよりも水が多すぎて排水が間に合わなかったらしい。〈ちとせ〉とミランと、白いワニと黒服の親衛隊員と、それにその他の無数の機材だの何だのが、ほのかな青い光を伝える水の中で錐揉みになり、ぶつかり合う。
けれど、そんなシュールな光景もごく一瞬のものだった。薄暗い水の中に一条の光が差し込んだかと思うと、その光に向けて何もかもが押し流されたのだ。
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