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プロローグ

幼少の記憶とトラウマ

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生まれてから小学校2年生までは原っぱや田んぼ、赤土の小山に登りながら泥んこになって遊んだり、近所の駄菓子屋に行っては同級生達とメンコを買っては広場で戦って、毎回皆のメンコを総取りするような血気盛んな子供でした。

若い頃からヤンチャだった親父は、26歳まで半グレ生活を送っており、ある時親父の姉の伝手で北関東の田舎の家の娘とお見合いをさせられたみたいです。

子供ができてからは仕事には精を出すようにはなったものの、社宅住まいの貧乏生活は変わりませんでした。

子供が大きくなってきたのと、口癖だった『俺は勉強しなかったけど、やらないとお父さんのようになるぞ。』なんてことを言いながら息子2人には学を身に着けてお金に困らないような生活を送って欲しいという願いから学区全体が進学校にあたる地域の県営団地に毎年応募していました。

毎年、応募に朝早くから申請に行き、1ヶ月後くらいの落選結果を見ては、ガッカリ落ち込み、また応募する。その繰り返しでした。


俺は第2次ベビーブームの真っ只中に生まれており、現在の年齢別男女人口グラフでいうところの一番大きい山のほぼてっぺんにいます。
そんなことなので、高度成長期の真っ只中、人口増加から学校でも教室が足りなくなるくらい(引越したあとでは1学年で13クラス、1クラス48名構成とかだったのです。凄い時代だったでしょ?(笑))

(そんなことで、低所得向けの高層団地も抽選倍率が10倍、20倍とか言われている頃で当たることがなかなかできない頃だったんですよね。それが今じゃ抽選どころかWebで申請して空いて居れば即入居可能な時代です。)


数年後、俺が小学校に入学し2年生を迎える頃にその転機が訪れました。

お母さん 「お父さんちょっとこのはがきを見てっ!!当たったわ!!」
親父 「おぉ!当たったのかっ!良かったねーお母さんっ!」

こんな会話をしながら2人で喜び合っていました。

お母さん 「お兄ちゃんよかったね。やっと引越しができるよ。」
俺 「えっ!?お母さん引越しするの??」
お母さん 「そうだよ。こんな狭いところではなくて、もっと広いお家に引越しをするのよ。今日はおめでたいわね。お赤飯炊かなくっちゃっ」

俺は、これを聞いた時のお母さんの笑顔は本当に嬉しそうでよかったなって思ったのだけど、実は内心はそうでもなかった。

(「あぁ~ぁ、みんなともお別れしなくちゃならないんだよな・・・」こんな寂しい気持ちでいっぱいでした。)

引越しが近づいてくるにつれ、荷物がまとまり始めます。
休日毎に進む引越し準備。親父の会社の人や近所の方々、親戚までがその毎に集まり、捨てるもの持っていくものの分別や廃棄、台所や食器の整理、そして引越し用にと頂くご贈答のバスタオルや食器類。
こんなものがうずたかく積み重なっていく。

お母さん「お兄ちゃんも早く箱に入れてっ!!(怒)」

俺は押入れの一角を宝箱のスペースにしていて、そこには長年友達からの戦利品であるメンコを大量に持っていた。枚数にして500枚ほど(自分で買ったのは100枚も無いくらいか・・・)。

それを見つめながら思った。

(あいつにあげよう)

俺 「ちょっとメンコをあげてくる!」
お母さん 「えっ!? もうお兄ちゃん、遅くなる前に帰ってくるんだよ!」
俺 「わかった!!」

俺はメンコの入ったカバンを持ってあいつの家へと飛び出して行った。


自宅からあいつの家までは走って10分くらいか?(当時の子供の足でだから大人だったら歩いて5~6分くらい)

あいつの家は、いつでも水溜りができている路地を進んだ先にある大きな木の横にある錆だらけのトタン外装の家。
家の前にも水溜りがあって、いつも靴を汚しちゃお母さんに怒られた場所だ。

お母さん「あんた、どうやったら昨日買った靴がここまで泥んこになるんだよ!」

いつも怒られていたので、もう怒られなれちゃっているので何とも思わない。

俺「おーい!!○○っ!!いるかっ!!」

俺は家の前であいつを呼ぶ。
ちょっとすると、あいつは家の扉から勢い良く飛び出してきたっ!

あいつ「なになに?どうしたのっ!」
俺 「お前にメンコやるよっ!」
あいつ 「え!!ほんとに!」
俺 「うん、欲しいのあげるよ。ちょっと他の奴には内緒だからあっちで見ようぜ。」
あいつ「うんっ!」

子供2人で走って広場に向かう。秘密ごとっていうのは皆には見せられない。なので、子供心にみんなが遊んでない隠れた場所へと2人で向かった。

普段あまり遊ばない拓けた広場にて日の当たる場所をみつけ、2人で対面にあぐらで座った。
俺は、メンコを入れていたカバン(訪販で買わせてしまった学習教材のカバン)を
出して、中のメンコを広げてやった。

あいつは目を煌かせてそのコレクションを見る。そして手に取っては「あっ!セブンじゃん!」「V3のライダーキック!」「すげー!」「グレートマジンガーとグレンダイザー、鋼鉄ジーグもある!」「丸メンでけー!」

俺「それは超つぇよ。セロハン貼ってあるから。俺それで30回は勝ってるからさ」
あいつ「30回も勝ったの?!すげーつぇーじゃん。」
俺「そうだよ。すげーつぇーだぜ。」
あいつ「そうだね。つぇーよ。」

そしてあいつは他のメンコを手に取りながら

あいつ「あ、これ俺買ったやつだ。これも俺が買ったやつだ!
俺ちゃんはメンコつぇーから全部取られちゃうんだよな~。
今度はぜってー勝つから、俺ちゃん次やる時にはこれ出してよ!」

なんていいながら、俺を見てニカニカ笑っている。

そんな顔をみたら俺も子供心にも申し訳ないと思って、

俺「それやるよっ!」
あいつ「ほんとに??」

あいつはメンコで勝って取り戻すつもりだったのだろうけど、俺がやるなんて言ったから、目をまん丸にして驚いていた。

あいつ「ほんとに??」
俺「うんっ!」
あいつ「やったー!」

あいつ「これももらっていい?」
俺「いいよっ」
あいつ「これもいいの?」
俺「いいよ!」

そして俺の最強のメンコを手に取って「これをお前にやるよ。すげーつぇーメンコで俺の宝物だから負けんなよ。」
あいつ「わかった!絶対負けないよ!」

そんなやり取りをしているうちに俺はあいつの前に全部のメンコをまとめて突き出して、「全部おまえにあげるよっ!」

あいつ「えっ!ほんとに・・・?・・・・やったー!!」

喜んだ後、すぐ笑顔も戻り、俺の顔を見ながら心配そうに
あいつ「・・・ほんとにいいの?」と聞いてきた。

俺「ほんとにいいよ。お前に俺の宝物、全部あげるよ。」

驚いた表情を浮かべたあと、歓喜と共にカバンにメンコを詰めてあいつの家への帰り道、その間も会話は弾み。

赤トンボを取った場所の話や真っ赤チンがいっぱいいる秘密の場所を教えてやった。

あいつ「俺ちゃんすげーや。そんなに色んな場所知ってんだ。俺、絶対みんなには秘密にするね。約束するね。」

そんな時間はあっという間に過ぎ、あいつの家の前まで到着した。

「「じゃぁねー」」

俺は、あいつの姿を見てあいつの家の扉が閉じたことを見てから一目散に家に走って帰った。
その時、俺は泣いていた。あいつに最後まで引越しで来週には居なくなることを言えなかった・・・。


引越し準備の真っ只中の自宅に戻る。
自宅の手前。見えない路地に隠れて袖口で目と鼻を拭いた。

何食わぬ顔をして部屋入り、押入れ前に立ち自分の宝物をしまいだすとお母さんが一言

お母さん「メンコはあげてきたのかい?」

俺はお母さんの方を振り返らずに
俺「うん、今度の家じゃメンコやらないから」

お母さん「そうかい・・・。」

それ以上、お母さんは俺には何も聞かなかった。



その夜。手伝ってくれた方々共に円座になり、寿司や焼き鳥、店屋物を頼んだうちじゃ最上級の料理。ビール、ウィスキー、日本酒、ジュースにコーラ。普段は絶対飲ませてもらえなかった憧れのドリンク達を目の前に団欒を迎えていた。

うちは家族揃って(親戚一同、親父の職場の同僚までもが)全て大酒飲み。なので祝い事となると他の家族だと引くレベルでの宴会は始まるんです・・・。


宴も温まったその時、自宅の扉を叩く音が。

お母さんが「はーい。」と出迎えにいくと、あいつと知らないおばさんが一緒にいた。
あいつは泣いていて、おばさんの手には俺があげたメンコのカバンがあった・・・。

おばさん「夜分遅くにすみません。私、○○の母でして、いつもこの子がお世話になっています。ちょっとこちらの件なのですが(と、メンコの入ったカバンを見せて)」

おばさん「なんかうちの子がこんなにいっぱいメンコを持ってて、何かやらかしたんじゃないかと思って聞いたらね。おたくさんの息子さんからもらったって聞いたので、こんなにいっぱいのメンコをもらえる訳ないじゃないか!嘘つくんじゃないよって怒ったんですよ。それで夜分遅くに申し訳ないんですけど、うちの息子が何かやったのではないかと思い、お返しに伺いまして・・・。」

お母さん「あらあら、すみません。そうでしたか。夜分にすみません。お兄ちゃん、ちょっとおいで・・・」
俺「・・・」

俺は言われるがままにお母さんの足につかまってあいつの顔を見た。
あいつは涙をポロポロ流しながら、俺と同じように俺を見つめている。

(俺もまた怒られるって思ってかなりしょげてしまった)

お母さん「いやいや、お母さんそうじゃないんですよ。
うちがこの通り(部屋の詰まれたダンボールを見せながら)来週引越しすることになりまして、うちの息子にもメンコがいらないんなら友達にあげてきなさいって言ったんですよ。この子も何でもかんでも買って集めちゃ捨てられない子なんでね。
ですから、お邪魔でないようでしたうちの息子が是非○○くんにもらって欲しいと思っていると思うんです。お兄ちゃんそうよね?」

俺は、うんうんとうなずくことしか出来なかった。

おばさんは先ほどの剣幕から一転
おばさん「あら、そうだったんですか?お引越しで!
うちの息子もおたくのお兄ちゃんには大変お世話になったみたいですから、遊び相手が居なくなると寂しくなりますね。お兄ちゃんはうちの子にこのメンコをもらっていいの?」

俺はその豹変振りに怖くなり、顔を下に向けならがうんうんとうなずいた。

おばさん「お前もありがとうっていいなっ!」
おばさんは、あいつの頭を持ってぐっと下に下げさせた。

あいつ「・・・ありがとう」

お母さんはあいつに見えるように顔を近づけて。
お母さん「うちのお兄ちゃんのメンコを大事にしてあげてね。」

あいつもうんうんとうなずいてた。

お母さん「なにかすみません。うちの息子が至らなかったようで、こんな夜分にご足労掛けさせてしまいまして。」

おばさん「いや、こちらこそ。うちの子がちゃんと言わないもんだから、こっちも大変だと思ってもんどりうって押しかけてしまいまして。こんな遅い時間にごめんなさいね。では、失礼します。」

母親2人がお辞儀して、あいつはおばさんに手を引っ張られながら帰っていった。

宴会の席にお母さんと俺は戻ると、親父が酔っ払った顔で「どうした?(また何か悪さやったのか?)」って俺を睨みながら聞いていた。

(ビクっと俺はする。)

この感覚は今でも忘れないのだが、そういう状況になると必ず親父は反射的に俺をひっぱたく。酔っているから力加減もできないので相当痛い。

というか痛い前に唐突に叩かれた精神的なショックで反射的に大泣きする。
で、泣いた涙がひっぱたかれた頬をつたうとヒリっとして、ジンジンして、ピリピリ痛くなる。で、痛いからまた泣く。

親父からは「うるせー!ピーピーピーピー泣くなっ!」って怒鳴られて、また余計に泣く。

(昭和の親父はこういうもんなのである。
巷じゃこんな親本当いるのか?っていうようなお笑いコントのような醜態をさらすモンスターペアレントなんていうのがいるけど、子供が何か悪さをした可能性がある場合に、まず真っ先に他人にその責を負わせるようにするとかは僕らの幼少期にはまずは無かった(それだけでも周りから【過保護】と言われて付き合いを含めて距離を置かれるくらいに嫌悪されていた)。
まずは自分の子供を叱責し、そして事情を聞いてから、他人や関係者にも確認をする。自分の子供はけして悪くないっていうことが先ではなく、自分の子供が他人を巻き込んだ事に対しての迷惑を掛けたことへの躾なのだ(ただし、自分の子供は悪くないと心の中では最大限に信じている)。)

こんな親父に育った俺だが母親も同じだ。
いたずら好きでやんちゃだった俺は、色んなことをやっては母親にも叩かれた。

お母さん「お前はまた何やったんだ! パッーンッ!!(引っ叩いた音)」
俺「俺なんもやってないよ。○○ちゃんが俺のコマを取っていたずらしたんだよ。だから取り返すために○○ちゃんからコマを取ったら一緒に転んだんだよ。俺じゃないよ。」
お母さん「だったら先にそういいなさいっ!」
(俺、泣く)

こんな感じ。

幼い頃は殴られた記憶しかないや(笑)

ということで、親父とお母さんの話はまた今度。


さて、引越しの日。引越しは土日で行うために、自宅には朝から親戚や親父の会社の人達総出で、トラックに荷物を運ぶ。親戚のお嫁さん共は一足先に引越し先に向かい、荷物の向かい入れの準備を開始。

俺は、親父とお母さんと一緒にトラックに乗り込み、地元の皆に見送られ、一路新たな自宅に向かう。

埼玉県の中央部。

その周辺には、小学校、中学校、高校が分散しており、県挙げての進学校として勉強のカリキュラムがほぼ受験をメインにカスタマイズされている。
また、小学校では少年団、中学高校では、陸上、新体操、野球、サッカー、バレーボール、軟式テニスと各校が何かしらの全国大会常連校という文武両道の学区。

前の日までは、土山で泥んこになってたり、喧嘩したりしていたワンパクっ子がこんな学業ハードルの高い学区に住むことになりました。

創立80年の由緒ある小学校に編入し、2年生からスタート。
凄い怖い女の先生(おばあさん)で、ムスっとしたこわばった顔の人で本当に嫌いで怖かった。

授業中、教室の中はシーンと静まり返っていたのが俺からは異様な雰囲気でした。

以前はワイワイとしていて、授業中も笑顔のあるクラスだったのに、響き渡る音はカリカリカリカリというエンピツが紙の上を走る音のみです。

その雰囲気に圧倒されて俺は何か授業中に喋ったんだと思います。

そこからはあまり覚えていません。
なぜなら、その喋った後にその顔の怖いおばあさんが大声を出しながら迫ってきたのです。
あまりの恐怖でその後は覚えていません。

次の日、学校を休みました。

泣きながらお母さんに、その先生が怖いということを行ったと思います。

そして数日後、お母さんと学校に行った。
そして違うクラスに転入した。ちょうど嫌になって休んだのが春休み前くらいだった気がする。なので、3年生になって直ぐに違うクラスに転入したらしい。

怖いおばさん先生は、俺の前にきて「ごめんなさいね。」と作り笑顔で謝られたのを覚えている・・・。

つづく

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こんな感じで俺の人生の一部を切り取って残していきたいと思います。
つらつらと赴くままに書いているだけなので、文才ありませんので予めご了承ください。
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