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第二章・馬鹿は死んでも治らない
地獄に堕ちろ
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圧倒的な威厳を放つ、堂々とそびえ立った閻魔殿に息を呑んだ。
緊張、と言うより畏怖、が正しいのだろうか。いいや、もっと単純な表現をするなら、ただの恐怖と言った方がいい。
しかしそれは、少なくとも私が両親や薫に抱いていたような、低俗な恐怖ではなかった。
「大丈夫だよ、閻魔様、想像より怖くないと思うから」
道は真っ直ぐで長く、突き当たりの扉がほんの少しだけ開いている──いいや、これこそ門と呼ぶにふさわしい。この門を通り抜ければ、恐らく閻魔様とのご対面だ。
私はやはり罪人というふうに区分されるのだろうから、いくら地獄に落ちることはないからといっても閻魔様によく思われるかは正直微妙なところである。怒られるかもしれない…などと窓ガラスを破ってしまった子供のようにびくびくしながら一歩ずつ歩みを進める。
実際には窓ガラスなどではなく、一人の人間の額をぶち破いたわけだが。
だけれど、まあ、至極真っ当な理由で怒鳴られるのなら、幾分か気は楽だろうな──と、私はとうとう眼前に迫った門に手をかけた。
重厚そうな扉の割に、それは私の力でもすんなりと開き、まるで手招きをされているようだ。向こう側の部屋の景色が開けていく。これまでより一層華やかで、しかし決してその威厳を崩さない、美しい場所だ。その技巧を幾十にも凝らしたような情景はここに筆舌し難いが、ここで説明したところで、誰もが死んだら必ず見る光景だろう。その時の楽しみにしておいてほしい。
そんな光景に思わず恐怖も何もかも忘れ見惚れていると、ふと肝心な閻魔大王の存在がないことに気づく。いるのは見張り、というかお付きの人、のような武器を持った人が二人突っ立っているのみである。
「……」
「……」
「……?」
役者が揃わないせいで、私と見張りの二人の間に気まずい沈黙が落ちた。二人はお互いに顔を見合わせると、困ったように首を捻る。時間稼ぎのように彼らは私の後ろに立っていた夜狐に会釈をした。夜狐もにこやかに手をかかげたので、どうやら知り合いらしい。
この沈黙を破ったのは、この場の誰でもなく──
「よっしゃーーー!ついに『らすぼす』を倒してやったぞ!散々こちらを舐め腐りよってからに、これでこの世界の平穏は守られたのじゃ!儂のおかげでな!わーっはっはっはっはっはっは!」
幼い歓喜の絶叫だった。
「おい、お主ら!みろ!『くりあ画面』というヤツじゃ。『すくしょ』してくれ」
「閻魔様、あの、亡者が一人…そちらに」
「ん?」
声の主がひょっこりと執務机の影から顔を出す。
幼い声と、幼い顔立ち。相反した古臭い口調。ぱっちりとした大きな瞳と目が合った。
「──なんじゃ、」
「小娘か」
推定外見年齢十歳前後の閻魔大王は、私を小娘と呼んだ。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「小娘、儂の『げーむ』相手にならんか?」
未だこのゲーム好きの少年と閻魔大王が私の中でイコールにならず、目を白黒させる。挙げ句の果てにはゲームのお誘いまで頂いてしまった。門番さんの頃からなんとなく思ってはいたが、あの世には真面目な人間はいないのだろうか。
「駄目だよ。それって香澄ちゃんを地獄に常駐させるってことじゃん、絶対駄目」
口篭って何も言えなかった私の代わりに夜狐が口を開いた。
「む、なんじゃ、夜狐。別に過重労働させるとは一言も言っとらんぞ?ただ儂とクエストとか、大乱闘スマッシュシスターズとかをやるんじゃ。あとは儂の付き人としての仕事をしてもらう。それだって家政婦みたいなもんじゃぞ、そんなに酷い仕事でもあるまい。なかなかの好条件じゃあないか?」
ここで違和感を覚えた。私と顔を合わせて、閻魔様はすぐに私を「地獄か天国か」の枠ではなく「どこで働かせるか」の枠で話をしている。
まだ何も言っていないのに──と不思議に思って足元に落としていた視線を上げると、閻魔様と目が合った。
「それ、野放しにしていい存在でもないんじゃろ」
じゃから儂の側に置いておこうと言うとるんじゃ──と、閻魔様は鋭い視線で言い放った。外見と見合わない眼光の鋭さに思わず身がすくむ。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことかと妙に納得した。
「──それでも駄目だ、この子を地獄に置いておく訳にはいかない」
私自身に地獄にいたいかどうかの意思がない──というかわからないからか、夜狐が私を地獄におこうとしないのは本人のわがままなのか、私のことを想うが故なのかの判別がつかなかった。こうなっては、私はことの行く末を見守るほかできることはない。未だに閻魔様の視線は、私に突き刺さっている。
「……理由を聞きたいところじゃが」
閻魔様が一つ、ため息をついた。と同時に、鋭い眼光が瞬きとともに消えた。姿勢を崩し、頬杖をついて流し目でこちらを見る様子は、さながら休み時間の小学生のようだ。
「…いいさ。夜狐、お前に一任する」
そう言うと彼は手元の紙束をペラペラとめくりながら、私に向かって話しかける。
「さて、小娘──真田香澄。お主の罪は三つじゃ」
指を三本立てて、反対の手で一つ一つ立てた指を指差しながら私の罪の説明が始まった。
「一つ。自ら命を絶ったこと。二つ。親より先に死んだこと。三つ。他人の命を奪ったこと、じゃ。どれも許されるものではない。情状酌量の余地は無論あるが、罪を相殺できるほどのものではない」
反論のしようもない。全てその通りだ、事実だ。そして罪だ。私は静かに頷く。閻魔様は満足そうに「うむ」と呟いて、私を指差した。
「しかし小娘よ、お主には素質がある。…すでにそこの化け狐から聞いておるか?ま、兎にも角にも、お主は地獄行きにはならんよ。その分働いては貰うがな」
これにて裁判終了じゃ、と、その声とともに硬い木材同士をぶつけたような「カァン」という音が響いた。存外あっけなく終わった裁判に拍子抜けしつつも、安堵のため息をこぼす。
夜狐の言った通りだ、と思わず夜狐を振り返る。だから言っただろというふうに彼は、悪戯っぽくにやりと笑った。
「…さて」
安心して気の抜けた私を見て閻魔様は満足そうにニコニコと笑っている。これであとは私の職場を探すだけだ。ようやくひと段落ついたと大きく息を吐いた。
「連れて行け」
…ん?
今、私の聞き間違いじゃなければ、何か嫌な言葉が聞こえたような──
聞き返す前に背後に気配を感じた。肩にひたりと何かがくっつき、がっちりとホールドしてくる。見ると青白い手だった。痛みこそないものの、振り解くのは無理だと一瞬で悟った。
「どうも、夜狐さん。お久しぶりです」
おそらくこの手の持ち主である人の声が背後から聞こえる。
「あー、朧さん…うん、三日前に会いましたね」
「………すみません…地獄は時間の流れがそちらとは違いますもので…」
親しく話せるような知り合いなら早くこの手をどうにかさせてくれと目で訴えるが、夜狐は困ったように笑うばかりで何もしようとはしない。でもまあ、夜狐が止めないなら別に害があるわけではないのか…という考えが巡り始めたところでなんとか正気を取り戻し、首を回せる範囲で無理やり体ごと回し、この手と声の持ち主を視認する。
夜狐と大体同い年ぐらいの外見をした男の人だ。顔立ちは女と言われても納得できるほど美しく整っていて、長い黒髪を高い位置で一つにまとめている。黒い前髪の隙間から覗く赤い瞳が対照的だ。男だと判断できる基準は喉仏と声の低さぐらい。和装に身を包んだ彼の左手には斧が握られていた。
その斧の黒光りする様を見ると同時に「喰われる」という考えが頭をよぎる。
「…は……離して、ください」
「無理です。逃げられては困りますので」
やっぱり喰われる。
「大丈夫だよ香澄ちゃん、落ち着いて。この人はいい人だよ…あぁいや、人じゃないか…」
最後の一言で全て台無しである。
「さ、行きますよ、『真田香澄』さん。あなたにはやっていただく事があります」
肩にかかる圧力が増した。別に逃げたりしないのに、ここまで逃げることを警戒されてしまうと何かあるんじゃないかと不安になる。怖い。
助けというか、安心を求めて夜狐の方に視線をやるが、まあ頑張ってねみたいににこやかに手を振られた。
「そう身構えるな小娘、やってもらうのはただの書類記入じゃ!」
「しょっ…」
地獄なのに?
「いや、最近書類を亡者に書かせる制度を導入してみたんじゃがな、これがまた随分と便利なんじゃ!特に地獄行きの奴らにサインを一筆書かせるだけであやつらは文句ひとつ言えなくなるんじゃ!愉快なことこの上ないわ!わっはっはっは!」
「まぁあなたのように地獄行きにならない罪人にはもう少し複雑な書類が必要ですけどね。大丈夫です。書き終わるまで待っててあげますから」
あの世のシステムがどんどん現実味を増してきている…。
ほぼ引きずられるようにして連れて行かれる。夜狐の俵担ぎにも困ったものだが、これはこれで勘弁してほしい。というか自分で歩かせてくれ。
「あ、そうだ」
足を一旦止めて、黒髪の彼は私を見下ろしながら言った。
「朧と申します。獄卒ですが、事務員みたいなものです」
「粗っぽく言えば、地獄の黒鬼ですね」
やっぱり喰われる。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
香澄を見送って、やれやれというように夜狐は頭を掻いた。あの子のことだから、取って喰われるとでも思って怯えているんじゃないかと的確な心配をしてほんの少しそわそわしていた。
「…夜狐、」
閻魔大王が口を開いた。目線は夜狐の方ではなく、香澄と朧が書類を書くために入った事務室の方に向いている。
「また厄介なものを拾ってきたな」
アレがどれほどのものか、わからぬお主ではあるまい──と閻魔大王は再びその鋭い眼光を光らせて言った。
夜狐は一度、とぼけるように肩をすくめてみせたが、そんなことで誤魔化せるわけがないと悟ったのか口の中で言葉を転がしていた。
「まぁ、言わなきゃいけないことは沢山あるんだろうけどさ…取り急ぎ一つだけいいかな」
閻魔相手に堂々とタメ口を叩く彼を注意しようとするものは一人もいなかった。むしろその場にいる見張りの二人は、息を呑んでこの二人の様子を見守っている。
「あの子をモノみたいに言うの、やめてくれる?」
閻魔に劣らない眼光と気迫が空気を冷たく切り裂いた。
そんなものに怯む閻魔でもないが、確かにそれはそうだと素直に納得したようで、確かに非礼だったなとあっさり認めた。
「…どうするつもりだ、地獄に置かぬのなら、小娘の行ける場所は限られるぞ」
「だとしても絶対に地獄には置かないよ。…地獄で過ごしてたら、あの子は絶対にいつか会いたくない人の顔をもう一度見ることになる」
実の両親と、戸籍上の両親。そして、愛憎の念を抱いた相手。
「あぁ…それが理由か。…ならば、そうじゃな」
閻魔は少し考えるそぶりをして、諦めたように言う。
「白墨、か。お主と同じようにな」
「初めからそのつもりだよ」
そこで会話は途切れた。夜狐は香澄を待つつもりでいるようで、部屋の端の方によると置いてあった椅子に座り込み、組んだ足に肘をついて頬杖をした。
「……左腕」
閻魔が吐き捨てるように呟いた。
「ん?…あぁ、そういえば折れてたんだった。大丈夫、後で治療してもらうし」
夜狐は自身の折れた左腕をぷらぷらと確認するように揺らし、卑屈に笑った。閻魔はそんな彼を見て、特に何も感じていないような、それでいて憐んでいるような、そんな判別のつかない顔をした。
「さすがは化け狐だな、夜狐よ。…そうやって薄笑みを浮かべる余裕があるのが信じられんわ」
「なんだよ大袈裟だな、たかが折れただけでしょ。胴体真っ二つになりかけた時もあるんだから余裕だって」
見張りの二人の顔が青ざめた。いくら死んでいるとはいえ、痛みは感じるから。体が真っ二つになったとしたら、内臓がまろび出づる感覚もはっきりと感じられてしまう。その上、死ねない。
「違う」
しかし閻魔は冷たく言い放った。
「そういう話じゃない」
夜狐の口元から笑顔が消える。それは閻魔の言うことの意味を理解しているこれ以上ない証拠だった。一瞬閻魔を睨んだ視線は、すぐに自分の足元へと移った。
「今から言うことは、閻魔としての意見じゃない。今までのお主を見てきた、白墨の友人としての意見じゃ」
二人の見張りが、互いに顔を見合わせて困ったような顔をした。席を外したほうがいいのだろうか、と互いに目で訴えていたが、互いに気まずそうに目を逸らした。ただここで聞いたことは、全て忘れようということだけは互いに堅く誓った。
「地獄に堕ちろ」
それは生者同士で言い合うぶんにはただの罵倒に相当する。というか、死者同士でもかなりの罵倒だった。しかしこの場合において、この台詞はあまりに優しい言葉であった。
「おとなしく地獄に堕ちて、呵責を受けろ。勿論楽だとは言わん。気の遠くなるような長い時間、想像もできないような苦しみを味わってもらう」
夜狐は何も言わない。反論しようという気概すら感じられない。むしろ、話を聞いているのかどうかも怪しい。
「だが地獄には終わりがある」
閻魔は務めて冷静に話そうと心がけていた。そういう話し方をしていた。よく見ると、握った拳の爪の先が白い。言葉の繋ぎ目に、いちいち深呼吸が入る。
「地獄に無期懲役はない。必ず、どこかで、終わりが訪れる。必ず罪を償い切れる。…永遠に思える苦しみも、永遠ではない。夜狐、お前は必ず解放され、必ず生まれ変わることができる」
だから刀を捨てろ──と、閻魔は一度も夜狐の目を見ずに言った。夜狐は一つ遅れてため息をつくと、一応話は聞いていたようで、こちらはまっすぐ閻魔の方を見て話し出した。
「閻魔様、違うよ。一つだけ間違ってる」
閻魔はなんとなく、次に夜狐が言わんとしていることを察したように目を伏せた。
「僕は地獄で罪を償いきれない。他の人は償えても、僕には無理。そうでしょ?」
「…たかが数十人殺したぐらいで思い上がるなよ」
「だからぁ、問題はそこじゃないんだって。わかってるでしょ、そんなことで誤魔化されないよ」
閻魔は何も反論できなくなった。己の拳に落としていた視線を一瞬上げて、また下げる。何やら、必死に言葉を選んでいるように見えた。
「……それは、本当にお主の罪か?」
悩んで、悩んで、悩んで、絞り出した言葉はそれだった。夜狐はこれまた薄笑みを浮かべて、言う。
「そうだよ。僕の罪だ」
最初から最後まで、全部僕が悪い。
閻魔はもうそれ以上何も言わなかった。苦虫を噛み潰したような顔をする閻魔に、夜狐はほんの少し同情した。こんなお人好しが閻魔としてやっていけるのかと、そう言う意味での心配も兼ね備えた同情だった。
「…その刀の使い手に、お主以上の奴は現れんだろうな」
それは幾十もの意味が込められた言葉だった、夜狐もそれを知ってか知らずか、ふざけた口調で返す。
「当たり前だ。僕の剣技は折り紙つきだよ」
その言葉に、お互い、いつもの調子で笑った。
緊張、と言うより畏怖、が正しいのだろうか。いいや、もっと単純な表現をするなら、ただの恐怖と言った方がいい。
しかしそれは、少なくとも私が両親や薫に抱いていたような、低俗な恐怖ではなかった。
「大丈夫だよ、閻魔様、想像より怖くないと思うから」
道は真っ直ぐで長く、突き当たりの扉がほんの少しだけ開いている──いいや、これこそ門と呼ぶにふさわしい。この門を通り抜ければ、恐らく閻魔様とのご対面だ。
私はやはり罪人というふうに区分されるのだろうから、いくら地獄に落ちることはないからといっても閻魔様によく思われるかは正直微妙なところである。怒られるかもしれない…などと窓ガラスを破ってしまった子供のようにびくびくしながら一歩ずつ歩みを進める。
実際には窓ガラスなどではなく、一人の人間の額をぶち破いたわけだが。
だけれど、まあ、至極真っ当な理由で怒鳴られるのなら、幾分か気は楽だろうな──と、私はとうとう眼前に迫った門に手をかけた。
重厚そうな扉の割に、それは私の力でもすんなりと開き、まるで手招きをされているようだ。向こう側の部屋の景色が開けていく。これまでより一層華やかで、しかし決してその威厳を崩さない、美しい場所だ。その技巧を幾十にも凝らしたような情景はここに筆舌し難いが、ここで説明したところで、誰もが死んだら必ず見る光景だろう。その時の楽しみにしておいてほしい。
そんな光景に思わず恐怖も何もかも忘れ見惚れていると、ふと肝心な閻魔大王の存在がないことに気づく。いるのは見張り、というかお付きの人、のような武器を持った人が二人突っ立っているのみである。
「……」
「……」
「……?」
役者が揃わないせいで、私と見張りの二人の間に気まずい沈黙が落ちた。二人はお互いに顔を見合わせると、困ったように首を捻る。時間稼ぎのように彼らは私の後ろに立っていた夜狐に会釈をした。夜狐もにこやかに手をかかげたので、どうやら知り合いらしい。
この沈黙を破ったのは、この場の誰でもなく──
「よっしゃーーー!ついに『らすぼす』を倒してやったぞ!散々こちらを舐め腐りよってからに、これでこの世界の平穏は守られたのじゃ!儂のおかげでな!わーっはっはっはっはっはっは!」
幼い歓喜の絶叫だった。
「おい、お主ら!みろ!『くりあ画面』というヤツじゃ。『すくしょ』してくれ」
「閻魔様、あの、亡者が一人…そちらに」
「ん?」
声の主がひょっこりと執務机の影から顔を出す。
幼い声と、幼い顔立ち。相反した古臭い口調。ぱっちりとした大きな瞳と目が合った。
「──なんじゃ、」
「小娘か」
推定外見年齢十歳前後の閻魔大王は、私を小娘と呼んだ。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「小娘、儂の『げーむ』相手にならんか?」
未だこのゲーム好きの少年と閻魔大王が私の中でイコールにならず、目を白黒させる。挙げ句の果てにはゲームのお誘いまで頂いてしまった。門番さんの頃からなんとなく思ってはいたが、あの世には真面目な人間はいないのだろうか。
「駄目だよ。それって香澄ちゃんを地獄に常駐させるってことじゃん、絶対駄目」
口篭って何も言えなかった私の代わりに夜狐が口を開いた。
「む、なんじゃ、夜狐。別に過重労働させるとは一言も言っとらんぞ?ただ儂とクエストとか、大乱闘スマッシュシスターズとかをやるんじゃ。あとは儂の付き人としての仕事をしてもらう。それだって家政婦みたいなもんじゃぞ、そんなに酷い仕事でもあるまい。なかなかの好条件じゃあないか?」
ここで違和感を覚えた。私と顔を合わせて、閻魔様はすぐに私を「地獄か天国か」の枠ではなく「どこで働かせるか」の枠で話をしている。
まだ何も言っていないのに──と不思議に思って足元に落としていた視線を上げると、閻魔様と目が合った。
「それ、野放しにしていい存在でもないんじゃろ」
じゃから儂の側に置いておこうと言うとるんじゃ──と、閻魔様は鋭い視線で言い放った。外見と見合わない眼光の鋭さに思わず身がすくむ。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことかと妙に納得した。
「──それでも駄目だ、この子を地獄に置いておく訳にはいかない」
私自身に地獄にいたいかどうかの意思がない──というかわからないからか、夜狐が私を地獄におこうとしないのは本人のわがままなのか、私のことを想うが故なのかの判別がつかなかった。こうなっては、私はことの行く末を見守るほかできることはない。未だに閻魔様の視線は、私に突き刺さっている。
「……理由を聞きたいところじゃが」
閻魔様が一つ、ため息をついた。と同時に、鋭い眼光が瞬きとともに消えた。姿勢を崩し、頬杖をついて流し目でこちらを見る様子は、さながら休み時間の小学生のようだ。
「…いいさ。夜狐、お前に一任する」
そう言うと彼は手元の紙束をペラペラとめくりながら、私に向かって話しかける。
「さて、小娘──真田香澄。お主の罪は三つじゃ」
指を三本立てて、反対の手で一つ一つ立てた指を指差しながら私の罪の説明が始まった。
「一つ。自ら命を絶ったこと。二つ。親より先に死んだこと。三つ。他人の命を奪ったこと、じゃ。どれも許されるものではない。情状酌量の余地は無論あるが、罪を相殺できるほどのものではない」
反論のしようもない。全てその通りだ、事実だ。そして罪だ。私は静かに頷く。閻魔様は満足そうに「うむ」と呟いて、私を指差した。
「しかし小娘よ、お主には素質がある。…すでにそこの化け狐から聞いておるか?ま、兎にも角にも、お主は地獄行きにはならんよ。その分働いては貰うがな」
これにて裁判終了じゃ、と、その声とともに硬い木材同士をぶつけたような「カァン」という音が響いた。存外あっけなく終わった裁判に拍子抜けしつつも、安堵のため息をこぼす。
夜狐の言った通りだ、と思わず夜狐を振り返る。だから言っただろというふうに彼は、悪戯っぽくにやりと笑った。
「…さて」
安心して気の抜けた私を見て閻魔様は満足そうにニコニコと笑っている。これであとは私の職場を探すだけだ。ようやくひと段落ついたと大きく息を吐いた。
「連れて行け」
…ん?
今、私の聞き間違いじゃなければ、何か嫌な言葉が聞こえたような──
聞き返す前に背後に気配を感じた。肩にひたりと何かがくっつき、がっちりとホールドしてくる。見ると青白い手だった。痛みこそないものの、振り解くのは無理だと一瞬で悟った。
「どうも、夜狐さん。お久しぶりです」
おそらくこの手の持ち主である人の声が背後から聞こえる。
「あー、朧さん…うん、三日前に会いましたね」
「………すみません…地獄は時間の流れがそちらとは違いますもので…」
親しく話せるような知り合いなら早くこの手をどうにかさせてくれと目で訴えるが、夜狐は困ったように笑うばかりで何もしようとはしない。でもまあ、夜狐が止めないなら別に害があるわけではないのか…という考えが巡り始めたところでなんとか正気を取り戻し、首を回せる範囲で無理やり体ごと回し、この手と声の持ち主を視認する。
夜狐と大体同い年ぐらいの外見をした男の人だ。顔立ちは女と言われても納得できるほど美しく整っていて、長い黒髪を高い位置で一つにまとめている。黒い前髪の隙間から覗く赤い瞳が対照的だ。男だと判断できる基準は喉仏と声の低さぐらい。和装に身を包んだ彼の左手には斧が握られていた。
その斧の黒光りする様を見ると同時に「喰われる」という考えが頭をよぎる。
「…は……離して、ください」
「無理です。逃げられては困りますので」
やっぱり喰われる。
「大丈夫だよ香澄ちゃん、落ち着いて。この人はいい人だよ…あぁいや、人じゃないか…」
最後の一言で全て台無しである。
「さ、行きますよ、『真田香澄』さん。あなたにはやっていただく事があります」
肩にかかる圧力が増した。別に逃げたりしないのに、ここまで逃げることを警戒されてしまうと何かあるんじゃないかと不安になる。怖い。
助けというか、安心を求めて夜狐の方に視線をやるが、まあ頑張ってねみたいににこやかに手を振られた。
「そう身構えるな小娘、やってもらうのはただの書類記入じゃ!」
「しょっ…」
地獄なのに?
「いや、最近書類を亡者に書かせる制度を導入してみたんじゃがな、これがまた随分と便利なんじゃ!特に地獄行きの奴らにサインを一筆書かせるだけであやつらは文句ひとつ言えなくなるんじゃ!愉快なことこの上ないわ!わっはっはっは!」
「まぁあなたのように地獄行きにならない罪人にはもう少し複雑な書類が必要ですけどね。大丈夫です。書き終わるまで待っててあげますから」
あの世のシステムがどんどん現実味を増してきている…。
ほぼ引きずられるようにして連れて行かれる。夜狐の俵担ぎにも困ったものだが、これはこれで勘弁してほしい。というか自分で歩かせてくれ。
「あ、そうだ」
足を一旦止めて、黒髪の彼は私を見下ろしながら言った。
「朧と申します。獄卒ですが、事務員みたいなものです」
「粗っぽく言えば、地獄の黒鬼ですね」
やっぱり喰われる。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
香澄を見送って、やれやれというように夜狐は頭を掻いた。あの子のことだから、取って喰われるとでも思って怯えているんじゃないかと的確な心配をしてほんの少しそわそわしていた。
「…夜狐、」
閻魔大王が口を開いた。目線は夜狐の方ではなく、香澄と朧が書類を書くために入った事務室の方に向いている。
「また厄介なものを拾ってきたな」
アレがどれほどのものか、わからぬお主ではあるまい──と閻魔大王は再びその鋭い眼光を光らせて言った。
夜狐は一度、とぼけるように肩をすくめてみせたが、そんなことで誤魔化せるわけがないと悟ったのか口の中で言葉を転がしていた。
「まぁ、言わなきゃいけないことは沢山あるんだろうけどさ…取り急ぎ一つだけいいかな」
閻魔相手に堂々とタメ口を叩く彼を注意しようとするものは一人もいなかった。むしろその場にいる見張りの二人は、息を呑んでこの二人の様子を見守っている。
「あの子をモノみたいに言うの、やめてくれる?」
閻魔に劣らない眼光と気迫が空気を冷たく切り裂いた。
そんなものに怯む閻魔でもないが、確かにそれはそうだと素直に納得したようで、確かに非礼だったなとあっさり認めた。
「…どうするつもりだ、地獄に置かぬのなら、小娘の行ける場所は限られるぞ」
「だとしても絶対に地獄には置かないよ。…地獄で過ごしてたら、あの子は絶対にいつか会いたくない人の顔をもう一度見ることになる」
実の両親と、戸籍上の両親。そして、愛憎の念を抱いた相手。
「あぁ…それが理由か。…ならば、そうじゃな」
閻魔は少し考えるそぶりをして、諦めたように言う。
「白墨、か。お主と同じようにな」
「初めからそのつもりだよ」
そこで会話は途切れた。夜狐は香澄を待つつもりでいるようで、部屋の端の方によると置いてあった椅子に座り込み、組んだ足に肘をついて頬杖をした。
「……左腕」
閻魔が吐き捨てるように呟いた。
「ん?…あぁ、そういえば折れてたんだった。大丈夫、後で治療してもらうし」
夜狐は自身の折れた左腕をぷらぷらと確認するように揺らし、卑屈に笑った。閻魔はそんな彼を見て、特に何も感じていないような、それでいて憐んでいるような、そんな判別のつかない顔をした。
「さすがは化け狐だな、夜狐よ。…そうやって薄笑みを浮かべる余裕があるのが信じられんわ」
「なんだよ大袈裟だな、たかが折れただけでしょ。胴体真っ二つになりかけた時もあるんだから余裕だって」
見張りの二人の顔が青ざめた。いくら死んでいるとはいえ、痛みは感じるから。体が真っ二つになったとしたら、内臓がまろび出づる感覚もはっきりと感じられてしまう。その上、死ねない。
「違う」
しかし閻魔は冷たく言い放った。
「そういう話じゃない」
夜狐の口元から笑顔が消える。それは閻魔の言うことの意味を理解しているこれ以上ない証拠だった。一瞬閻魔を睨んだ視線は、すぐに自分の足元へと移った。
「今から言うことは、閻魔としての意見じゃない。今までのお主を見てきた、白墨の友人としての意見じゃ」
二人の見張りが、互いに顔を見合わせて困ったような顔をした。席を外したほうがいいのだろうか、と互いに目で訴えていたが、互いに気まずそうに目を逸らした。ただここで聞いたことは、全て忘れようということだけは互いに堅く誓った。
「地獄に堕ちろ」
それは生者同士で言い合うぶんにはただの罵倒に相当する。というか、死者同士でもかなりの罵倒だった。しかしこの場合において、この台詞はあまりに優しい言葉であった。
「おとなしく地獄に堕ちて、呵責を受けろ。勿論楽だとは言わん。気の遠くなるような長い時間、想像もできないような苦しみを味わってもらう」
夜狐は何も言わない。反論しようという気概すら感じられない。むしろ、話を聞いているのかどうかも怪しい。
「だが地獄には終わりがある」
閻魔は務めて冷静に話そうと心がけていた。そういう話し方をしていた。よく見ると、握った拳の爪の先が白い。言葉の繋ぎ目に、いちいち深呼吸が入る。
「地獄に無期懲役はない。必ず、どこかで、終わりが訪れる。必ず罪を償い切れる。…永遠に思える苦しみも、永遠ではない。夜狐、お前は必ず解放され、必ず生まれ変わることができる」
だから刀を捨てろ──と、閻魔は一度も夜狐の目を見ずに言った。夜狐は一つ遅れてため息をつくと、一応話は聞いていたようで、こちらはまっすぐ閻魔の方を見て話し出した。
「閻魔様、違うよ。一つだけ間違ってる」
閻魔はなんとなく、次に夜狐が言わんとしていることを察したように目を伏せた。
「僕は地獄で罪を償いきれない。他の人は償えても、僕には無理。そうでしょ?」
「…たかが数十人殺したぐらいで思い上がるなよ」
「だからぁ、問題はそこじゃないんだって。わかってるでしょ、そんなことで誤魔化されないよ」
閻魔は何も反論できなくなった。己の拳に落としていた視線を一瞬上げて、また下げる。何やら、必死に言葉を選んでいるように見えた。
「……それは、本当にお主の罪か?」
悩んで、悩んで、悩んで、絞り出した言葉はそれだった。夜狐はこれまた薄笑みを浮かべて、言う。
「そうだよ。僕の罪だ」
最初から最後まで、全部僕が悪い。
閻魔はもうそれ以上何も言わなかった。苦虫を噛み潰したような顔をする閻魔に、夜狐はほんの少し同情した。こんなお人好しが閻魔としてやっていけるのかと、そう言う意味での心配も兼ね備えた同情だった。
「…その刀の使い手に、お主以上の奴は現れんだろうな」
それは幾十もの意味が込められた言葉だった、夜狐もそれを知ってか知らずか、ふざけた口調で返す。
「当たり前だ。僕の剣技は折り紙つきだよ」
その言葉に、お互い、いつもの調子で笑った。
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