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第二十五話:一方的な異種間コミュニケーション
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例えば人が何食わぬ顔で銃や刃物を携帯していること。
例えば子どもが人を殺すこと。それが珍しいことでないこと。
例えば学校側が生徒の殺傷を目論むこと。
例えばそれが、それらが、すべからく世の当たり前であること。
それがこの世界の本質であり、所謂「普通」と称されるものであり、そして脅威である。
この狂気こそが我々の世界である。
* * *
生徒会は動き出そうとしていた。
刺客──橘無刀が失敗した以上、次の首切り役人を作らねばならない。そしてそれは生徒会でなくてはならない。
ただし、あくまで異例として。
「会長、本当にやるの?」
長く重そうなポニーテールを揺らした長身の女性──生徒会書記、穂高イノリが最初に口を開いた。
「確かに風紀委員は──いや、違うね。橘無刀は失敗した。でも、だからといって次が私達生徒会?ちょっと焦りすぎじゃないかな。普段の会長なら代役を用意するか、やるにしても生徒会のうち一人を出す程度。なんだかまるで──」
怯えているみたいだね。
イノリは冗談だという言葉の代わりにくすくすと笑った。
「会長は今回の騒動に関して、我々にすら最低限のことしか仰ってくれませんね」
イノリよりさらに長身の、軍服のような外套を纏った男が奥から出て来て言った。生徒会会計、雨城業。
「無論ぼくは会長の意向に従います。しかし──さすがに少し、水くさいですよ。言葉を選ばずに言うなら怪しい。会長は明らかに何かを隠していますし、皆それに気づいている。…はっきりしない理由で躊躇いなく人を殺せるほど、ぼくは冷酷な人間でもなければ享楽殺人主義者でもありません」
「こればかりは業さんの言うとおりです」
会長の一番近くに、番犬のように立っていた女性──副会長、百合園美寧が淡泊な声で言った。
「ご説明願います。私達が動く理由を」
会長──霧影怜人は、まっすぐ前を睨んで動かない。仮面に隠された左目は、確かな殺気と冷気を感じさせる。
しばらくして、会長は右手を掲げ、なぞるように己の仮面の淵を指でつたった。その感触を確かめるように、指が数回同じところを行き来したあと、ようやく彼は冷たい息を吐きながら口を開いた。
「一つは、無能力者、蓮田谷真里が非常に危険な存在だということだ」
無能力者。この世界において非常に数の少ない、存在していること自体が奇跡と称される、見方によっては希少価値のある存在。
そして無能力者の血を引く一族──蓮田谷。
「とは言ったものの、無能力者自体に危険性はない。重要なのは、蓮田谷真里が『女郎蜘蛛』を使役しているということだ。女郎蜘蛛は人ならざる力を持つ。その力をもって暴れられれば、取り返しのつかん事態に発展するやもしれん」
「それは聞いたよ」
イノリが被せるように声をあげた。
「正直、『女郎蜘蛛』が何なのかはあんまりわかんないけどさ。例え話で言えば──『蓮田谷真里が非常に危険な異能力生命体を手に入れた』──みたいなもんでしょ。女郎蜘蛛、は、会長の聞くところによれば異能力そのもののような力を持ってるんだもんね」
「ああ」
会長は薄く顎を引いて肯定の意を示した。そして再度口を開く。
暴走の前に蓮田谷真里を殺し、女郎蜘蛛を遠ざける。それは母校を守りたい人間からしたら、圧倒的な最重要課題だ。
「そして一つは」
研がれたナイフのような視線が空気を切り裂いた。氷点下だった声色がほんの少し熱を帯びて、力強く発せられた。
「蓮田谷の家は──女郎蜘蛛は俺の家族の仇だ」
会長の声から感じられるのは怒りではない。殺意でもない。家族の死の記憶に対する悲しみでもなければ焦燥でもない。
決意。
青少年のような、力強く、青々しく、しかしどこか狂気的な、健全で健康な決意が──それだけが、感じられた。
「はじめ、俺が手を下そうなどとは思わなかった。蓮田谷は家族の仇だが、蓮田谷真里が家族を殺したわけではない。あいつを俺の手で殺したところでそれはただの業務にすぎないし、何の意味も無い行為に近い」
あくまでこの行為は学校を守る生徒会としての行動なのだから──と。
「だが橘無刀は失敗した。その上あいつは蓮田谷真里の輪の中へ戻った。…これは運命だ。『蓮田谷家の者を殺して仇をとれ』という、俺が賜った使命だ」
それは少し演技がかった口調だった──しかし嘘でもなかった。少し夢見がちな言葉だった──しかし彼の目を見る限り、冗談では済まされそうもなかった。
それは少し、狂気を感じる言葉だった。
そしてそれを、その場にいる全員がわかっていた。業は言葉を失い、イノリは唇の端だけで笑っている。美寧だけが動揺もせず、目を伏せたままだった。
「この感情が俺の中にある以上、これから俺がすることはただの個人的な復讐だ。もっと簡潔に述べるのならば、ただの人殺しだ──聞かなかったことにしてくれて構わない。そして、この俺の理念についていけないという者が居るなら『蓮田谷真里の処分』には関わらなくていい」
会長は立ち上がって歩き出した。「俺一人でやる」
美寧が当然というように会長の後をついて行った。業とイノリは互いに顔を見合わせ、困ったように笑ってから二人の後についた。
* * *
「よう千鬼、見ろよこれ」
「ンだこのプリント?…『蓮田谷真里は本日放課後生徒会室に来ること』…?」
「下駄箱覗いたら入ってた。『どうもこんにちは』なんて行くわけねーだろってな」
「まァそりゃ馬鹿正直に首差し出してくるたァ向こうも思ってねェだろ」
「じゃあなんでこんなプリント寄越すんだよ」
「…茶目っ気?」
学校。中庭──楠の木陰。昼休み。一応バットを背中に携えて俺は千鬼とコンビニのパンを齧った。
無論、俺はコンビニの菓子パンでも、千鬼は自作の彩り豊かで栄養豊富そうな弁当を食べているわけだが──そこは女子力の差である。
焼きそばパンの包装を破った。
「お前それ毎日作ってんの?本当よくやるな、そこいらの主婦に顔負けしてないぜ」
「そうか?…真里にも作ってやったっていいぞ」
「…お前は本当にいい奴だな、結婚詐欺師に引っかからないようにな」
「なんの話だよ…」
あまりにもちょろい。
こうして俺たちが呑気に昼飯を食えているのは、まず生徒の目が多いスクールタイムには生徒会も俺の抹殺は避けてくるだろうという推理のもとである。実際、無刀の調べで生徒会の行動パターン自体がほぼ割れているから、この考えに間違いはないだろう。それに風紀委員だって、生徒の処分は放課後が基本らしい。
俺の首が飛ぶことがあるとすれば、それは終業のチャイムが鳴った後だ。
勿論、逃げるという選択肢がないわけじゃない。どこか遠くへ、夜逃げしてしまうという選択肢がなかったわけじゃない。だがいつか言った通り、生徒会は多少逃げただけじゃあ確実に見つけ出して殺す。ならばこの町を出ようと思っても、俺は父さんに迷惑をかけることはしたくなかった。それに知らない地での新生活なんて、俺みたいな無能力者、かつ未成年には到底難しい。だって見知った街での生活すら難儀なんだから…。ホームレスはもはや絶対条件となり、数週間もすればそこいらの野良犬と同じような生活をして同じように野垂れ死ぬ。その辺がいいところだ。
逃げ続けることはもしかしたら不可能じゃないのかもしれない。だけれど逃げ続けることの苦しさを俺は多分誰よりよくわかっている。
それに俺の最終的な目標は──
ウインナーパンの包装を破った。
「真里、午後の授業は出ンのか?」
「ん、どーすっかな…正直、今の俺のメンタルじゃ授業なんて頭に入ってこねえし」
千鬼は弁当の蓋を閉めてから言った。
「…そんなに気持ちやられてるようには見えねェけど」
「……あー…なんつうかさ。怖いって感じじゃねえんだけど…現実味がないみたいな…」
見ている世界がほとんど夢幻のような。
唯一はっきりと輪郭を保っているのは、生徒会の脅威。そして、背中に背負ったバット。…女郎蜘蛛。
やらねばならないことが頭の中を常に駆け回っている。だけれどそいつらをうまく現実に落とし込めない。無論、体はその通りに動くのだが──頭も、働くのだが。どこかで俺は脱力をしている。それは言い換えれば冷静に対処できているということなのかもしれない。
いつ沈むともしれない、試験段階の潜水艦に乗っているような気分だ。
「でっかいことが控えてる時って、こんな感じなんだなって」
「…ふーん。ま、わからなくはねェかな…」
サラダパンの包装を破った。
楠で木登りをしていた女郎蜘蛛が鳥を見つけてはしゃいでいる声が聞こえる。葉の群れでできる影の中に、女郎蜘蛛らしきシルエットはない。いよいよ幽霊のようなやつだなと思いながらも、特に恐怖のような感情は湧いてこない。
やられる前にやる。迎え撃つ。
できるはずだ。少なくとも俺は、世界を壊してやろうと目論む、無能力者という名の欠損者なのだから。
爆弾おにぎりの包装を破った。
「ここに来て米!?」
千鬼が信じられないものを見るような目で俺を見た。
「えっ、米…おにぎりはデザートだろ」
「何言ってンのコイツ?!」
「千鬼、お前知らないのか?米は噛むと甘くなるんだぜ」
「味の話じゃねェから!!」
何をそんなに騒ぐことがあるのか。
ふと気づけば、昼休みの終わる予鈴のチャイムが鳴った。もうすぐ午後の授業が始まる。
すぐる、花依、無刀はどうするんだろう。ハッカー先輩、見てないけれど大丈夫だろうか。
「おい、人の心配してる場合かよ」
「あだっ」
頭を軽くこづかれた。
「正直、狙われてるのはお前だし、俺はどっかで他人事な気がしてる」
「おい」
「だァから、お前は自分の心配だけしてろってことだよ」
「いでぇっ!」
今度は背中を叩かれた。肺の空気が意思に反して全部飛び出していく。
「変に俺らの心配とか、いらねェこと考えられると困るって話だ。言っておくが、無能力者よか遥かに強いぜ」
それが俺を励ますためのジョークだと、俺はちゃんと理解できた。皮肉、侮蔑、その他一切の負の感情はその声からは感じられなかったから。証拠に、千鬼は俺と肩を組んで葉を見せて爽やかに笑った。
肩を組んで。
茶髪に嫌な顔ひとつせず。
「……千鬼はさ、俺のこと気持ち悪ぃとか思わねぇの」
不意にそんな言葉が口をついて出てきた。あまりにも今更な質問で、あまりにも失礼な質問だ。千鬼はこんなに俺によくしてくれているのに、それでもなお信頼されてないとなれば、どんな善人でも不満には思うことだろう。
「思わねェよ。なんだよ今更…そりゃ、真里のこと知らなかった時はちょっと、奇怪な目で見てたかもな…」
即答。と、申し訳なさそうに続いた弁明。
「いや、別に、千鬼のこと信用できないとかじゃないんだ。単純な疑問だよ、生徒会打倒っていう一緒の目的はあれど、正直ここまで仲良くしてくれるとは思わなかったっつーか…」
理不尽な生徒の排除をする生徒会をとっちめることが、橘兄弟の目的。俺に死なれては困るのが、すぐる。異能力を忌み嫌うが故に、無能力者の俺を助けようとしてくれているのが、花依。ハッカー先輩は──付き添い。
こう考えてみると、すぐるや花依はともかく──兄弟、もとい千鬼は、俺に対して友人のように振る舞う理由は無いはずだった。
「…まァそりゃ、出会い方は最悪だったしな。……うーん、なんつえば良いんだか…」
千鬼が考えるような素振りを見せる。数秒続いた沈黙の発端が自分だということに気まずさと罪悪感を感じ、やっぱりなんでもなかったと、笑ってそう伝えようと口を開いた。
──が、千鬼の方が早かった。
「友達って、髪と目の色じゃ選ばねェだろ?」
そんな感じじゃだめか?と、当たり前に千鬼は言った。
当たり前に──なんの嫌味も、綺麗事も、偽善も何もなく──ただただ、そういうものだろうと。
「…っはは!そういうことじゃねーっつーの!」
「え、まじか、でも俺これ以上は思いつかねェよ!」
こいつ、バカだ。天性のバカで、お人好しだ。
たぶん、他の奴らも──。
友達って頼もしいんだな。またひとつ賢くなったぜ。
結局、俺たちは午後の授業もサボってやることにした。裏庭の楠の影で、千鬼に生徒会戦前最後の稽古をつけてもらった。異能力を持たない俺が、異能力を持つ人間を頼るのは──友達を頼るのは、別段悪いことでも遠慮すべきことでもないらしかったから。
* * *
校舎裏に細い煙が立ち昇った。
そこには白衣を纏った、若そうな男性教諭が一人。火をつけたばかりの手元のタバコとしばらく見つめ合った後、そっとタバコを口に運ぶ。
そのまま男性教諭は深く息を吸う──と思いきや、軽く息継ぎをするような深さだけ煙を吸った。とほぼ同時にむせ込み、背中を丸める。校舎の壁にもたれかかり、咳が落ち着いたタイミングでタバコを踏みつけ火を消した。
それは、少なくともわざわざ校舎内で勤務中にタバコを吸う人間の行動には見えない。
「…… あ゙~~…」
男性教諭は唸った。それは喘鳴に近かった。
ほとんど開いていないような切長の瞳が、ほんの少し──ほんの少し、過去の情景を映した。なんてことのない、ある青春の一ページだ。
次の瞬きの後にはもう、彼の瞳が映しているのは踏み消されたタバコの吸い殻だった。
「…生徒の監督は、先生の仕事……だよなぁ」
誰にともなく呟いた声には軽薄さがあった。
男性教諭は口角を持ち上げて顔を上げた。それに伴って目が三日月型に湾曲する──細い目元がさらに細くなった。
そのまま鼻歌混じりにその場を立ち去る──直前、ふと思い直したように、先刻芝生に落としたタバコを拾って白衣のポケットに突っ込んだ。
そうして、そこに彼がいたことを証明するものは何もなくなった。ただ彼は一般的な化学教師として、生徒の模範的な教師として、生徒から「いい先生」以上の印象を持たれないような人間として、今日も教鞭をとる。
生徒会顧問──草薙笑人。
例えば子どもが人を殺すこと。それが珍しいことでないこと。
例えば学校側が生徒の殺傷を目論むこと。
例えばそれが、それらが、すべからく世の当たり前であること。
それがこの世界の本質であり、所謂「普通」と称されるものであり、そして脅威である。
この狂気こそが我々の世界である。
* * *
生徒会は動き出そうとしていた。
刺客──橘無刀が失敗した以上、次の首切り役人を作らねばならない。そしてそれは生徒会でなくてはならない。
ただし、あくまで異例として。
「会長、本当にやるの?」
長く重そうなポニーテールを揺らした長身の女性──生徒会書記、穂高イノリが最初に口を開いた。
「確かに風紀委員は──いや、違うね。橘無刀は失敗した。でも、だからといって次が私達生徒会?ちょっと焦りすぎじゃないかな。普段の会長なら代役を用意するか、やるにしても生徒会のうち一人を出す程度。なんだかまるで──」
怯えているみたいだね。
イノリは冗談だという言葉の代わりにくすくすと笑った。
「会長は今回の騒動に関して、我々にすら最低限のことしか仰ってくれませんね」
イノリよりさらに長身の、軍服のような外套を纏った男が奥から出て来て言った。生徒会会計、雨城業。
「無論ぼくは会長の意向に従います。しかし──さすがに少し、水くさいですよ。言葉を選ばずに言うなら怪しい。会長は明らかに何かを隠していますし、皆それに気づいている。…はっきりしない理由で躊躇いなく人を殺せるほど、ぼくは冷酷な人間でもなければ享楽殺人主義者でもありません」
「こればかりは業さんの言うとおりです」
会長の一番近くに、番犬のように立っていた女性──副会長、百合園美寧が淡泊な声で言った。
「ご説明願います。私達が動く理由を」
会長──霧影怜人は、まっすぐ前を睨んで動かない。仮面に隠された左目は、確かな殺気と冷気を感じさせる。
しばらくして、会長は右手を掲げ、なぞるように己の仮面の淵を指でつたった。その感触を確かめるように、指が数回同じところを行き来したあと、ようやく彼は冷たい息を吐きながら口を開いた。
「一つは、無能力者、蓮田谷真里が非常に危険な存在だということだ」
無能力者。この世界において非常に数の少ない、存在していること自体が奇跡と称される、見方によっては希少価値のある存在。
そして無能力者の血を引く一族──蓮田谷。
「とは言ったものの、無能力者自体に危険性はない。重要なのは、蓮田谷真里が『女郎蜘蛛』を使役しているということだ。女郎蜘蛛は人ならざる力を持つ。その力をもって暴れられれば、取り返しのつかん事態に発展するやもしれん」
「それは聞いたよ」
イノリが被せるように声をあげた。
「正直、『女郎蜘蛛』が何なのかはあんまりわかんないけどさ。例え話で言えば──『蓮田谷真里が非常に危険な異能力生命体を手に入れた』──みたいなもんでしょ。女郎蜘蛛、は、会長の聞くところによれば異能力そのもののような力を持ってるんだもんね」
「ああ」
会長は薄く顎を引いて肯定の意を示した。そして再度口を開く。
暴走の前に蓮田谷真里を殺し、女郎蜘蛛を遠ざける。それは母校を守りたい人間からしたら、圧倒的な最重要課題だ。
「そして一つは」
研がれたナイフのような視線が空気を切り裂いた。氷点下だった声色がほんの少し熱を帯びて、力強く発せられた。
「蓮田谷の家は──女郎蜘蛛は俺の家族の仇だ」
会長の声から感じられるのは怒りではない。殺意でもない。家族の死の記憶に対する悲しみでもなければ焦燥でもない。
決意。
青少年のような、力強く、青々しく、しかしどこか狂気的な、健全で健康な決意が──それだけが、感じられた。
「はじめ、俺が手を下そうなどとは思わなかった。蓮田谷は家族の仇だが、蓮田谷真里が家族を殺したわけではない。あいつを俺の手で殺したところでそれはただの業務にすぎないし、何の意味も無い行為に近い」
あくまでこの行為は学校を守る生徒会としての行動なのだから──と。
「だが橘無刀は失敗した。その上あいつは蓮田谷真里の輪の中へ戻った。…これは運命だ。『蓮田谷家の者を殺して仇をとれ』という、俺が賜った使命だ」
それは少し演技がかった口調だった──しかし嘘でもなかった。少し夢見がちな言葉だった──しかし彼の目を見る限り、冗談では済まされそうもなかった。
それは少し、狂気を感じる言葉だった。
そしてそれを、その場にいる全員がわかっていた。業は言葉を失い、イノリは唇の端だけで笑っている。美寧だけが動揺もせず、目を伏せたままだった。
「この感情が俺の中にある以上、これから俺がすることはただの個人的な復讐だ。もっと簡潔に述べるのならば、ただの人殺しだ──聞かなかったことにしてくれて構わない。そして、この俺の理念についていけないという者が居るなら『蓮田谷真里の処分』には関わらなくていい」
会長は立ち上がって歩き出した。「俺一人でやる」
美寧が当然というように会長の後をついて行った。業とイノリは互いに顔を見合わせ、困ったように笑ってから二人の後についた。
* * *
「よう千鬼、見ろよこれ」
「ンだこのプリント?…『蓮田谷真里は本日放課後生徒会室に来ること』…?」
「下駄箱覗いたら入ってた。『どうもこんにちは』なんて行くわけねーだろってな」
「まァそりゃ馬鹿正直に首差し出してくるたァ向こうも思ってねェだろ」
「じゃあなんでこんなプリント寄越すんだよ」
「…茶目っ気?」
学校。中庭──楠の木陰。昼休み。一応バットを背中に携えて俺は千鬼とコンビニのパンを齧った。
無論、俺はコンビニの菓子パンでも、千鬼は自作の彩り豊かで栄養豊富そうな弁当を食べているわけだが──そこは女子力の差である。
焼きそばパンの包装を破った。
「お前それ毎日作ってんの?本当よくやるな、そこいらの主婦に顔負けしてないぜ」
「そうか?…真里にも作ってやったっていいぞ」
「…お前は本当にいい奴だな、結婚詐欺師に引っかからないようにな」
「なんの話だよ…」
あまりにもちょろい。
こうして俺たちが呑気に昼飯を食えているのは、まず生徒の目が多いスクールタイムには生徒会も俺の抹殺は避けてくるだろうという推理のもとである。実際、無刀の調べで生徒会の行動パターン自体がほぼ割れているから、この考えに間違いはないだろう。それに風紀委員だって、生徒の処分は放課後が基本らしい。
俺の首が飛ぶことがあるとすれば、それは終業のチャイムが鳴った後だ。
勿論、逃げるという選択肢がないわけじゃない。どこか遠くへ、夜逃げしてしまうという選択肢がなかったわけじゃない。だがいつか言った通り、生徒会は多少逃げただけじゃあ確実に見つけ出して殺す。ならばこの町を出ようと思っても、俺は父さんに迷惑をかけることはしたくなかった。それに知らない地での新生活なんて、俺みたいな無能力者、かつ未成年には到底難しい。だって見知った街での生活すら難儀なんだから…。ホームレスはもはや絶対条件となり、数週間もすればそこいらの野良犬と同じような生活をして同じように野垂れ死ぬ。その辺がいいところだ。
逃げ続けることはもしかしたら不可能じゃないのかもしれない。だけれど逃げ続けることの苦しさを俺は多分誰よりよくわかっている。
それに俺の最終的な目標は──
ウインナーパンの包装を破った。
「真里、午後の授業は出ンのか?」
「ん、どーすっかな…正直、今の俺のメンタルじゃ授業なんて頭に入ってこねえし」
千鬼は弁当の蓋を閉めてから言った。
「…そんなに気持ちやられてるようには見えねェけど」
「……あー…なんつうかさ。怖いって感じじゃねえんだけど…現実味がないみたいな…」
見ている世界がほとんど夢幻のような。
唯一はっきりと輪郭を保っているのは、生徒会の脅威。そして、背中に背負ったバット。…女郎蜘蛛。
やらねばならないことが頭の中を常に駆け回っている。だけれどそいつらをうまく現実に落とし込めない。無論、体はその通りに動くのだが──頭も、働くのだが。どこかで俺は脱力をしている。それは言い換えれば冷静に対処できているということなのかもしれない。
いつ沈むともしれない、試験段階の潜水艦に乗っているような気分だ。
「でっかいことが控えてる時って、こんな感じなんだなって」
「…ふーん。ま、わからなくはねェかな…」
サラダパンの包装を破った。
楠で木登りをしていた女郎蜘蛛が鳥を見つけてはしゃいでいる声が聞こえる。葉の群れでできる影の中に、女郎蜘蛛らしきシルエットはない。いよいよ幽霊のようなやつだなと思いながらも、特に恐怖のような感情は湧いてこない。
やられる前にやる。迎え撃つ。
できるはずだ。少なくとも俺は、世界を壊してやろうと目論む、無能力者という名の欠損者なのだから。
爆弾おにぎりの包装を破った。
「ここに来て米!?」
千鬼が信じられないものを見るような目で俺を見た。
「えっ、米…おにぎりはデザートだろ」
「何言ってンのコイツ?!」
「千鬼、お前知らないのか?米は噛むと甘くなるんだぜ」
「味の話じゃねェから!!」
何をそんなに騒ぐことがあるのか。
ふと気づけば、昼休みの終わる予鈴のチャイムが鳴った。もうすぐ午後の授業が始まる。
すぐる、花依、無刀はどうするんだろう。ハッカー先輩、見てないけれど大丈夫だろうか。
「おい、人の心配してる場合かよ」
「あだっ」
頭を軽くこづかれた。
「正直、狙われてるのはお前だし、俺はどっかで他人事な気がしてる」
「おい」
「だァから、お前は自分の心配だけしてろってことだよ」
「いでぇっ!」
今度は背中を叩かれた。肺の空気が意思に反して全部飛び出していく。
「変に俺らの心配とか、いらねェこと考えられると困るって話だ。言っておくが、無能力者よか遥かに強いぜ」
それが俺を励ますためのジョークだと、俺はちゃんと理解できた。皮肉、侮蔑、その他一切の負の感情はその声からは感じられなかったから。証拠に、千鬼は俺と肩を組んで葉を見せて爽やかに笑った。
肩を組んで。
茶髪に嫌な顔ひとつせず。
「……千鬼はさ、俺のこと気持ち悪ぃとか思わねぇの」
不意にそんな言葉が口をついて出てきた。あまりにも今更な質問で、あまりにも失礼な質問だ。千鬼はこんなに俺によくしてくれているのに、それでもなお信頼されてないとなれば、どんな善人でも不満には思うことだろう。
「思わねェよ。なんだよ今更…そりゃ、真里のこと知らなかった時はちょっと、奇怪な目で見てたかもな…」
即答。と、申し訳なさそうに続いた弁明。
「いや、別に、千鬼のこと信用できないとかじゃないんだ。単純な疑問だよ、生徒会打倒っていう一緒の目的はあれど、正直ここまで仲良くしてくれるとは思わなかったっつーか…」
理不尽な生徒の排除をする生徒会をとっちめることが、橘兄弟の目的。俺に死なれては困るのが、すぐる。異能力を忌み嫌うが故に、無能力者の俺を助けようとしてくれているのが、花依。ハッカー先輩は──付き添い。
こう考えてみると、すぐるや花依はともかく──兄弟、もとい千鬼は、俺に対して友人のように振る舞う理由は無いはずだった。
「…まァそりゃ、出会い方は最悪だったしな。……うーん、なんつえば良いんだか…」
千鬼が考えるような素振りを見せる。数秒続いた沈黙の発端が自分だということに気まずさと罪悪感を感じ、やっぱりなんでもなかったと、笑ってそう伝えようと口を開いた。
──が、千鬼の方が早かった。
「友達って、髪と目の色じゃ選ばねェだろ?」
そんな感じじゃだめか?と、当たり前に千鬼は言った。
当たり前に──なんの嫌味も、綺麗事も、偽善も何もなく──ただただ、そういうものだろうと。
「…っはは!そういうことじゃねーっつーの!」
「え、まじか、でも俺これ以上は思いつかねェよ!」
こいつ、バカだ。天性のバカで、お人好しだ。
たぶん、他の奴らも──。
友達って頼もしいんだな。またひとつ賢くなったぜ。
結局、俺たちは午後の授業もサボってやることにした。裏庭の楠の影で、千鬼に生徒会戦前最後の稽古をつけてもらった。異能力を持たない俺が、異能力を持つ人間を頼るのは──友達を頼るのは、別段悪いことでも遠慮すべきことでもないらしかったから。
* * *
校舎裏に細い煙が立ち昇った。
そこには白衣を纏った、若そうな男性教諭が一人。火をつけたばかりの手元のタバコとしばらく見つめ合った後、そっとタバコを口に運ぶ。
そのまま男性教諭は深く息を吸う──と思いきや、軽く息継ぎをするような深さだけ煙を吸った。とほぼ同時にむせ込み、背中を丸める。校舎の壁にもたれかかり、咳が落ち着いたタイミングでタバコを踏みつけ火を消した。
それは、少なくともわざわざ校舎内で勤務中にタバコを吸う人間の行動には見えない。
「…… あ゙~~…」
男性教諭は唸った。それは喘鳴に近かった。
ほとんど開いていないような切長の瞳が、ほんの少し──ほんの少し、過去の情景を映した。なんてことのない、ある青春の一ページだ。
次の瞬きの後にはもう、彼の瞳が映しているのは踏み消されたタバコの吸い殻だった。
「…生徒の監督は、先生の仕事……だよなぁ」
誰にともなく呟いた声には軽薄さがあった。
男性教諭は口角を持ち上げて顔を上げた。それに伴って目が三日月型に湾曲する──細い目元がさらに細くなった。
そのまま鼻歌混じりにその場を立ち去る──直前、ふと思い直したように、先刻芝生に落としたタバコを拾って白衣のポケットに突っ込んだ。
そうして、そこに彼がいたことを証明するものは何もなくなった。ただ彼は一般的な化学教師として、生徒の模範的な教師として、生徒から「いい先生」以上の印象を持たれないような人間として、今日も教鞭をとる。
生徒会顧問──草薙笑人。
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