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終章

終幕

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「エリカ・カーティス禁止魔法事件」捜査報告書

 報告者:オリン・ウィンフィールド特別捜査官

 取り逃がしたエリカ・カーティスの足取りを追ってマルレーンに到着した本官は、早速港湾警察に逮捕協力を求めるもそれは叶わなかった。
 それというのもマルレーンはム・ドラル人潜伏の情報により、港湾警察による特別警戒態勢にあったためである。
 やむを得ず、単独での捜索を始めた矢先、エリカ・カーティスの身柄確保の通報を受ける。
 通報者はエリカ・カーティスの師でもあるベルゼル・レイマンその人であった。今日までその行方が分からなくなっていたレイマンがマルレーンにいたことは我々捜査局を驚かせたが、そのレイマン自らが弟子を引き渡したことにも驚かされることとなった。
 急遽、合流した捜査官と港湾警察から募った人員を伴い、指定された場所に赴く。エリカ・カーティスの身柄を確保したが、直後、ム・ドラル人集団に襲撃を受け通報者であるレイマンは拉致。その間にエリカ・カーティスの逃亡を許してしまう。
 更にその後、混乱と状況の把握、ム・ドラル人追撃とエリカ・カーティス追跡で港湾警察と捜査局の方針に食い違いが生じ、初動の対応が後手に回ってしまった
 結局エリカ・カーティスの捜索は足踏みとなってしまう。
 余談になるが、エリカ・カーティスの師、レイマンについて後の調査の結果、彼による数多くの魔法犯罪が明らかになった。
 まず、エリカ・カーティスの引渡しにも使われたレイマンの潜伏先。魔法系大手企業であるシタイン社所有の邸宅であるそこの管理者をレイマンは魔法によって洗脳し、堂々と客人として居座っていたことが確認された。
 これは魔法の恣意的な悪用、重大な魔法倫理法違反に当たり、これだけでもレイマンには魔法に対するモラルや倫理の概念が欠如していたことが察せられる。
 加えて、公安局の調べからレイマンにはム・ドラル亡命の意思があったことも判明した。ム・ドラル人の襲撃は当初、レイマンは拉致が目的と思われていたが、多数の目撃情報と、残された僅かな証拠からレイマンとム・ドラルの繋がりが明らかとなった。(注:以後、この件は『魔術師ム・ドラル亡命事件』として公安局が引き続き調査を継続)
 そのレイマンの亡命はエリカ・カーティスによって阻止されたようである。商業港の一角で戦闘が行われたことを証明する無数の物証や証拠が発見されている。戦闘があったと思われる時間にエリカ・カーティスと思しき目撃情報もある。
 その際、レイマンによって第Ⅰ級禁止魔法が使われた模様である。同時刻、魔力観測所でもマルレーンにて高魔力反応を察知しており、現場に残された証拠から、人間の命を使った悪魔召喚が行われたことは明白である。
 そして、決定的なのがレイマンによる市街地における禁忌魔法の行使である。これは直接本官も目の当たりにすることになる。
 そのきっかけはム・ドラル人襲撃から一週間後。エリカ・カーティスを捜査中にレイマンがマルレーン全域を対象とした大規模魔法を目論んでいるという情報が入ったところから始まる。
 信憑性のあるその情報から本官は事態を重く、かつ急を要する事態と判断。エリカ・カーティスの捜索を一時中断し、本部へ状況を報告。"禁止魔法による喫緊の危険性"により王国捜査局は王国軍の出動要請を発する。先遣隊として、マルレーン付近で演習中だった王国軍所属特殊魔法部隊の援助を得る。
 しかし、特殊部隊到着と時を同じくしてレイマンの魔法が発動。禁忌魔法の前段階である結界魔法の効果により多くの市民に死傷者が出た他、副作用として無数の悪魔が出現する。港湾警察と特殊部隊は協力して市民の救助、保護に当った。また本官を含む特殊部隊員は一刻も早く状況を解決するため共に元凶の排除に向かう。
 我々が到着した時、すでにレイマンは禁忌魔法は発動に至り、魔属を召喚していた。後の調べでは、召喚されたのは神格系魔属種、これまで確認された例のない“魔神属”に相当するとのこと。(注:一連の詳細については別途報告書『ベルゼル・レイマン禁忌魔法事件』を参照のこと)
 もっとも、レイマンは発動直後に魔神に取り込まれてしまい、使役には至っていない。これが強大な魔神を自身で抑えることができなかった結果なのか、召喚術式の失敗によるものなのか、そもそもあの魔神召喚は彼が本当に意図したものなのかは専門家の間でも意見が別れるようである。しかし、レイマンが明確な意思で市民の生命を脅かし、禁忌魔法を試みたことだけは確かである。
 レイマンがどの様な手段でこの禁忌魔法の得るに至ったかは定かではない。情報経路の捜索、並びに極秘資料の管理体制見直しが急務であると考える。
 以上の結果と一連の事件から、エリカ・カーティスにかかる「第Ⅰ級禁止魔法違反」及び、二十名の拉致・殺人もベルゼルによるものではないかという疑いが生じている。
 当初、王国捜査局が疑念を向けていたのはレイマンであったはずである。ここまでの事態が明るみになった今、事件の根本を再度見直す余地は十分あると強く進言するものである。
 現に、レイマンの亡命を阻止したばかりか、魔神討伐にも危険を顧みず撃退に尽力した。とても人の命を軽んじる外道や狂気に取り付かれた者の行動ではないというのが本官の所見である。
 尚、そのエリカ・カーティスは魔神との戦闘中に死亡を

 *

 そこでオリンの筆が止まる。
 わだかまる感情が抵抗し、その先を書くことを躊躇わさせた。
 オリンは深いため息をつくと、ふと机に向けていた顔を上げる。
 王国捜査局本部。日中は慌しいこのオフィスも夜半の今は人気もなく、静かなものである。
 そして視線を窓に移す。外は雨がしとしとと降り注ぎ、宵闇の窓ガラスを静かに叩いていた。
 その景色にオリンは一月前の港町を重ねる。確かあの時も雨が降っていた。たった一月なのになぜかかなり昔のことのように思えた。
「少し休まれてはいかがです?」
 そう言ってオフィスに入ってきたのは、ティーセットを手にしたメリッサだった。その後ろからはバスケットを抱え、嬉しそうな顔で中のクッキーを摘むアリッサの姿が続く。
「オリン、全然休んでないよね?無理しちゃダメだよ」 
「そうですわ。事後処理やら何やらでようやく王都に帰ってこられたのですから、少しはお休みになられるべきですわ。顔色もあまり良くなくってよ」
「いや、疲れはそれほど酷くはない。顔色は……悪いか?」
「少なくとも休養が必要だとは出ていますわね」
 自覚のない主に呆れ顔のメリッサ。無意識のうちに自身を酷使してしまうオリンの習性を、彼女は捜査の中で知った。
「あなたは立ち止って休養を取ることを覚えるべきね」
「馬鹿にするな。だからこうやって骨休めにデスクワークをしているんじゃないか」
 当然のように返すオリンに、説得は無理と諦めたメリッサは溜め息を吐いてカップに紅茶を注ぐ。
「はい、オリン!」と無邪気な表情でカップを差し出すアリッサにオリンは微笑みながら礼を言い、受け取る。ただ、その表情に僅か、陰があることを双子天使はすぐに気づいた。
「あの人……エリカさんのこと?」
 深く頷き、ティーカップを口につける。アリッサも下から不安そうにオリンの顔を見る。
「後悔してるの?」
「いや、あの時僕は間違った事はしていないと思ってるよ。後悔は無いさ」
 安心させるように言い、アリッサの頭を優しく撫でた。こうしてもらうのが好きなアリッサは猫のように目を細めて喜んでいる。その様子を見たメリッサだったが、見咎めるという訳でもなく、なぜかチラチラと横目で見ながら落ち着かない様子だった。
「それじゃあ、なんでそんな顔をしてるの?オリン」
 問われて、オリンは王国捜査官エージェントとしてはそれを口にすべきか悩む。
 しかし、相棒には胸の内を晒しておくべきだと、重々しく口を開く。
「今回の事件の元凶がベルゼルなのは明らかだ。彼女は利用された被害者に過ぎない。しかしそんな彼女を法は、僕らは罪人とした。結局、その冤罪を雪ぐ機会すら与えられず、犯罪者として汚名を歴史に刻むことになった。そしてもう、名誉を回復する手段もない」
「それは」と言いかけるメリッサに、被せ気味にオリンは続けた。
「何より、僕が私怨で冷静を欠いていなければ、彼女の言葉に耳を傾け、救うことができたかもしれない。自分の未熟さが、腹立たしい。後悔といえば、それだ」
 双子天使は肯定も否定もせず、黙って耳を傾けた。
 彼は忸怩たる思いに心から胸を痛めている。それが魔力命脈ラインを通じて双子天使にも伝わっていたからだ。
「信念だ、正義だなどと偉そうに宣ったが、所詮は口先だけでたった一人の大切な人すら救うこともできない……情けない主と笑ってくれ」
 椅子にもたれ、天井を見つめながら自嘲気味に言う。と、
「愚問ですわね」
 覗き込むように差し込まれるメリッサの顔。上下逆さの厳しい表情が、しかし、ふと柔らかいものに変わった。
「私たちはあなたと魂の契約を結びましてよ。悩み苦しみあなたを、一体誰が笑うと?」
 包み込むようにオリンの頬に手を添え、優しい声でそう告げる。その様は、彼女が慈愛を司る天使であることを思い出させた。
「未熟であることが罪なのではありません。未熟であることを認められず、その事にあぐらをかくような事が罪なのです。未熟であることを悩み、悔やむことができるあなたには無縁ね」
「そうだよオリン。それに、エリカさんは最後のオリンの言葉に間違いなく救われたはずだよ」
 オリンの手を取り、真っ直ぐな眼差しでアリッサ。
 胸に手を当て、メリッサがさらに続ける。
「オリンは王国捜査官エージェントとしての責務より、人として彼女の魂を救済することを選んだ。それは誰もができることじゃありません。あなたは誇るべき事をしたと、私達が保証しますわ」
 ただの慰めじゃない、彼女らの心からの言葉。
 ――彼女は、自身の罪に向き合った。
 ならば僕も、自分の未熟さを悔やむのではなく、それに向き合わなくてはならないだろう。
 そして二度と、同じ後悔をしないように。
 オリンは身を起こすと二人に向き直る。そして、
「そうだな。そう思うことにする。ありがとう。メリッサ、アリッサ」
 と、いつぞやの時のような微笑でそう口にすると、再びアリッサの頭を撫でる。
「ついでに言えば、そもそもオリンは何でも難しく考えすぎです。少しはお茶を飲んでリラックスするくらいの余裕を……って、ちょっ、お、オリン?!」
 言葉も半ばで驚きに、思わず声を上げるメリッサ。オリンは反対の手でメリッサの頭も撫でていたのだ。
 突然の事でメリッサの顔に朱が差す。もっとも、手を払い除けたり、身を引いたりはしなかった。
「アリッサがしてやれって思念通話で言ってきたんだが……嫌だったのか?」
「な、ななな、何を言ったのアリッサ!」
「いやぁ、姉さんだってご褒美がほしいんでしょ?もっと素直にならなきゃ」
「それはまぁ私だって……って、そうじゃない!そこに直りなさいアリッサ!高位天使にあるまじきその性根、今日こそ叩き直しますわよ!」
 騒々しい二人に苦笑いを浮かべながらオリンは再び机に向き直り、仕事に戻るのだった。

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