檳榔売りのアトリ

あべちか

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「なんだ、それで飛び出してきたのか」

ホークの家はヤンバルの港の街並みの一角にあった。
海から眺めていた美しい街並みの裾に押し寄せられるようにして、ごちゃごちゃとした街並みが現れる。人の波に押し出されそうなアトリを見かねたホークが、手をつないで先導してくれた先にあったのは、丘の上の赤い屋根と白い壁の建物にも劣らない立派な家だった。

しかし年季が入っているのか、一目見るだけで古いとアトリにも分かった。

中に入るとホークの家に仕える者たちがわらわらと寄ってきて、ホークの帰りを喜んでアトリをもてなしてくれた。たくさんの果物とごちそうを用意してくれて、お腹がいっぱいになったアトリは眠たくなってしまう。

眠たいならここで寝るといい、とホークの部屋に案内されてソファに横になったアトリは、うとうとしながら運命の人を探しに来た話をホークに聞かせた。

「そうだよ。ぼく、アーロンのお嫁さんにはならないんだ」

「ほう?それはなぜ?」

「なんでって・・・・・・。なんでだっけな・・・・・・」

とろとろと眠たくなったアトリは、ぽすぽすと服を脱いでしまう。
これを使っていい、とホークがくれた毛布を口元までかぶって大きなあくびをする。

着替えながらその様子を見ていたホークは、はははとまた笑ったが、アトリはなぜ笑うのかとぷんぷんする気持ちにはなれなかった。とにかく眠たかったからだ。

「アトリね、こんなところで寝るの初めてだし、いろんな人がいるところでご飯食べたのも初めてでね・・・・・・・だから、だから、アーロンのこと嫌いじゃないけど、アーロンのお嫁さんにはならないの」

「いいさ、アトリ。よく眠るといい」

アトリのさらさらとした髪を、大きなホークの手のひらが撫でる。
ホークはアトリの説明が一つもよくわからなかったが、幼い様子のあるこの少年が安心して眠る姿にどうしてか心が慰められた。

「おやすみ、檳榔売り」

久しぶりに開けた窓からは、町の喧噪が聞こえてくる。
傾いていく夕日が室内を照らす。

ホークは窓からヤンバルの丘を見上げた。

「また新しい者がやってきたな、ヤンバルよ」

まるで街そのものに、友人のように語り掛けるホークの背中。
寝ぼけながら眠りに落ちていくアトリの瞳には、寂しいような懐かしいようななにかが映っていた。




「お前はまだ俺たちの友人だろうか・・・・・・・」




*******************




ホークの家は大きくて古いが、とにかくごちゃごちゃしていた。
海の上から見たヤンバルの美しい街並みとは裏腹に、近づいてみると海沿いにはこれでもかというくらいにごちゃごちゃごちゃごちゃした木造の家が、海の上にせり出すようにして建っている。

中には筏いかだや船の上に建っている小屋もあり、見回してみると大部分がそうやって海の上にどやどやと古い木々を組み合わせて住まいを作っていた。

道は狭く、皆家の外で食べ物を焼き、そこらへんに生ごみを捨てている。
陸側の細い道が入り組むところには必ず軒先に商品が並べられてて、ありとあらゆるものが売られていた。

ホークがアトリに差し出した金貨で買い物をしている者も多くいて、アトリは不思議な気持ちだった。


「檳榔はあったのか?」

ひとしきり街の市場という市場を回ってきたアトリは、ホークの家に半泣きで帰ってきた。

「ないよ!!!」

ホークは何かを羊皮紙に書き付けて、何通も手紙を作りながらアトリの相手をした。

「だから言っただろう?どこにも檳榔はないって」

「だって、あるかもしれないもん。そう思ったんだもん」

「いいじゃないか、別に。衣食住の世話ぐらいしてやるぞ?お前ひとりぐらいなんということはない」

「それじゃダメなの!ヤンバルで暮らすにはお金がいるって、ホークが言った!それに、アトリは檳榔売りなのに…ずっとそうやってきたのに」

港に船を止めるとお金が必要なこと、露店の商品を手に入れるにはお金が必要なこと。
家にアトリを連れていくまでの道すがら、ホークはそんな話をアトリにした。

それを聞いてお金がない、檳榔がない、どうしようという気持ちをアトリは募らせてしまっていたのだ。目覚めると真っ先に檳榔を探すと言ってきかず、朝食も碌に食べずに飛び出していったのが今朝だった。


「檳榔以外のものを売ってはだめなのか?」

ホークの言葉に、うろうろと歩き回っていたアトリはぴたっと止まった。
たたたっとホークのもとへ駆け寄ってくる。

「アトリ、檳榔売り以外のことをしてもいいの?」

きょとん、とそう尋ねるアトリにホークは面食らう。
なにを言っているんだ、と思ったが純粋に見上げてくるアトリにふざけた様子はなかった。

真意はわからなかったが、ホークはとりあず疑問に答えてやることにした。

「この街に、それを駄目だというやつは一人もいやしないぞ?檳榔がないんだ、檳榔以外を売るしかないだろう」

「ほんと?!」

アトリはホークの腕をぎゅっとつかんで、ぴょんぴょんとはねた。

「ホーク!!どうしよう!ぼく、何しようかな??!」

アトリの身に着けている衣装の飾りが、シャンシャンと音を立てる。飛び跳ねるアトリの喜びように、ホークはまたもぽかんとする以外なかった。

羽ペンを置き、机に肩ひじをつく。
肩から掛ける海賊の外套の袖をアトリがつかみ、握手するようにぶんぶんと上下に振る。

「なにしようかな?!」















しかしその日の夕方、アトリはホークの目の前でさめざめと落ち込んでいた。

「………ばかあ!ヤンバルのばかぁ!」

「ヤンバルは悪くないだろう。それで?オレンジ屋さんになるとか言ってなかったか?」

何をしようかな!と心を躍らせたアトリは、手持ちの荷物をあさり始めた。
そこで海で手に入れたオレンジを見つけて、オレンジ屋さんになると言って家を飛び出していった。

ホークも用事があって出かけていたので、帰ってくるなり床で大の字で泣いているアトリを見て脳裏に疑問符以外浮かばなかった。

こいつは忙しいやつだな、とホークは仕方ないのでアトリに付き合ってやることにした。

ぐすぐすと泣きながら身を起こしたアトリは、傍に座り込んだホークが話を聞いてくれる様子を察知して自分の荷物から敷物を取り出して広げた。座ってどうぞ、と泣きながら席を進める様子はおかしかった。

最後まで話をきいてやらないと、逃がしてもらえないと察したホークだったが、もう遅かった。

「あのね、あのね、オレンジ一個売れちゃったら、ほかに売るものがなくなったの!」

アトリは至極当たり前のことを言い出す。
オレンジはいらんかねー!とヤンバルの街並みを練り歩くアトリの姿が容易に想像できた。

「だから今度は魚屋さんになろうと思ったんだけど」

もうこの時点で、いったい何が『だから』なのかわからなかった。
なぜそうなった。
ホークの中で疑問が増えていく。

「お魚って、網とか釣り竿でとるよね?アトリでも持ってないし、どうしたらいいかなって街の人にきいたんだ」

お魚を取りたいけどどおしたらいいですか!

そう言っているアトリの姿と、困惑するヤンバルの住民。

ホークはなんだかその住民が哀れだった。

「そしたら釣り竿買えばいいよって言われたから、オレンジを売ったお金で買いに行ったの」

「ほう」

素直すぎるその行動力で軌道に乗りそうな話が見えてきた。

「でもアトリの持ってるお金で買える釣り竿がなかったの!ヤンバルのばか!」

「ヤンバルは悪くないだろうが。お前一体オレンジをいくらで売ったんだ?」

オレンジ一つなら、釣り竿とまではいかなくとも、木の枝に糸と針をくくった子供用のものくらいは買えてしまいそうなものだ。

「これ!」

じゃらっとアトリが見せたのは、貝殻が入った袋だった。

意味が解らない。

「どういうことだ?」

「どういうことって、どういうこと?釣り竿屋さんもそう言ってた。これで買い物できないの?」

「・・・・ちょっと待て。お前の島ではこれで買い物をするのか?」

「そうだよ?」

アトリはきょとんとしてホークを見上げた。

その返答にホークは絶句して、思わず天を見上げた。
下からアトリが、どこみてるの、と口をとがらせる。

「おまえ、いったい誰にオレンジを売ったんだ」

「えっと、港のそばにいた子供たち。貝殻とオレンジを交換してっていったら、してくれたの。アトリ、大金持ちになったと思ったのに」

「はあ………。お前は、本当に」

本当に何だろうか。

あきれるような、脱力するような、そんな気持ちにホークは包まれた。

「お前に渡してただろう?あの貨幣じゃないと物は買えないんだ」

「あのね、じゃあさ、じゃあさ。ヤンバルは最初にお金がない人はどうするの?」

アトリは不思議なことを言い出した。

「最初にお金がない人とはどういうことだ?」

「だってね、アトリ檳榔売りだから、檳榔を取ってきて売ればいいでしょ?」

「……ああ」

何もわからなかったが、とりあえず最後まで聞いてやることにした。
貨幣も知らないような少年の話なのだ、根気よく聞いてやらないといけない。

「檳榔さえあれば、それを売ってお金が手に入る。でも、檳榔はヤンバルにはないから、皆最初はどうやるのかなって思って。お金があったら、釣り竿を買ってお魚屋さんになれるし、オレンジを育ててオレンジ屋さんになれるでしょ?」

「…世襲と継承の話だな、お前が言っているのは。なるほどな」

「せ…けい、なに?」

アトリは困惑していた。

「お魚屋さんは、最初に釣り竿を買えるお金があったんだよね?」

「そうだな。この街の住民はだいたい親から仕事を引き継ぐ。お魚屋さんも釣り竿屋さんも、だいたいはそうだ。それか、オレンジ売りがお金をためて釣り竿を買って、そこから始める」

「ぜんぜんお金持ってない人はどうするの?親がいない人は?」

アトリの純粋な瞳がホークを見ていた。

「それは…」

親がいない、金がない。
そうした人間はこの街でどうやって生きていくのか。

その純粋な質問は、ホーク自身に焦燥を思い出させるものだった。
その残酷な事実と不条理を、自分は一体どこまで手綱を取れるのだろうか。

素朴なアトリの疑問が、ホークの暗い気持ちの入った部屋を少しだけ叩いていた。


それこそが、ホークを海賊にし、蛮族とさげすまれるようにした原因でもあるのだ。



急に黙り込んだホークを、アトリは心配そうに顔を覗き込む。

「ねえ、怒った?アトリ、よくわからないけど、お話してると怒らせちゃうみたいなときあるの。お前と話してると疲れるって、よくアーロンにも言われた。大丈夫?アトリ、お話やめようか?」

アトリにできる限りの心配に、ホークは少しおかしかった。

何も持たないアトリには、自分の行動しか差し出せるものがない。だからアトリはお話をやめようか、と提案する。ホークはふと、アトリは話し方が幼いだけで、見た目以上に子供なわけではないのかもしれないな、とさえ思った。

「いや。お前と話すのはすきだよ、アトリ」

「なっ」

アトリはなぜか急に顔を赤らめた。
アトリの髪も耳もぴっと一瞬跳ね上がったようにさえ見えた。

「ヤンバルではな、アトリ。もともとお金がない人たちは、よそから奪うんだ」

ホークは自分の手をじっと見る。


「ヤンバルに住んでいた俺たちは、次第に金を失い、土地を失った。だから『もともとお金がない』人たちに多くの人がなった。そして、海を行く船から奪うようになった。海賊になるしか、道がなかったんだ」


海の民。

ヤンバルはかつて彼らの住処だった。
ずっと昔に大陸からやってきた人々に海へ海へと押し出され、気が付けば皆ほとんど海賊になっていた。

自分たちは海の民だ。

そんな矜持が彼らを海に縛り付ける。


「だから俺たちは、『蛮族』と呼ばれて嫌われているんだ」





****************





結局、アトリは何かできることを明日考えるということになった。

蛮族、の意味がよい意味ではないのだと教えられたアトリは、ごめんねとホークにあやまった。

「ごめんね、ホーク。嫌な気持ちになったでしょう」

「いいんだ。お前は知らなかったし、俺がそう名乗ったんだ」

「そう・・・・。あのね、檳榔を植えてあげる」

「檳榔を?」

アトリの申し出にホークは首をかしげる。

「檳榔が大きくなったら、ホークも檳榔を売っていいよ。海賊の人にあげていいよ。そうしたら、蛮族止められる?」

「・・・・・アトリ」

「アトリね、運命の人をさがしてるの。昔おばあちゃんに、どうやって探すのか教わったの。『心のままに』行動するんだって。だから、蛮族が嫌だったら、嫌っていう心を大事にしてあげよ。アトリもね、そうしようと思うの」

アトリなりの慰めがひどく優しかった。


檳榔を植えてあげる。


そういったアトリは、ホークのごちゃごちゃした家のほとんど崖のような庭に2,3粒の最後の檳榔を植えた。

月がヤンバルの海に浮かぶころ、ホークはそっとその檳榔を植えた土に触れる。


「アトリ…不思議な子だ」


青い閃光が音もなくホークの指先から土へ落ちる。

ホークは満足そうに見守ると、くるっと背を向けて家の中へ戻っていった。

ホークが立ち去った後には、何もなかったはずの地面からたわわに実をつけた檳榔とキンマが生い茂っていた。






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