檳榔売りのアトリ

あべちか

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檳榔はいらんかね

檳榔はいらんかね


小鳥たちは死ぬまでそうさえずらなくてはいけない。

家族が犯した罪と同じ分だけ、天秤にかけて償わなくてはいけない。


檳榔はいらんかね


それが、檳榔売りの運命なのだから。












白い外壁に赤い屋根
青い空に石だたみ

オリーブの繁る街並みの中で、アトリは生まれて初めての光景を目にしていた。

「き、金色の人がいる~!」

「え?」

「こんにちは!」

西施はにゅっと現れた影に驚いた。
見ると子供かと思ったが、声が幼いだけでそれほど幼いわけでもない少年が、瞳をキラキラとさせて自分を覗き込んでいた。

「だ、誰?」

「ぼく、檳榔売りのアトリ!お姉さんは?」

にこっと屈託のない笑顔を向けられて、西施は面食らった。
西施の国の人間は、とにかく周辺の国から嫌われているので、遠い異国の地で見知らぬ人から笑いかけられることなどほとんどなかったからだ。

大きいだけで、国として成り立っているのかもわからない未熟な都市ヤンバルであれば、自分の商売のつけ入る隙もあると思っていた。しかし、ストークとかいう食えない大司教のせいでうまくいかない。そんなくさくさした気持ちを持て余して、道端に胡坐をかいてたばこを吸っていたところに、檳榔売りという珍妙な客が現れた。

「私は西施というの。檳榔売りさん」

「西施!なんかきれいな名前!きいたことない響き!」

「そうね、この辺じゃ全然馴染みがないと思うわ」

「あのね、あのね、アトリは檳榔売りなんだけど、やりたいことをやるっていう途中なの。あのね、それでね、アトリ、西施とすっごくお話したいの!西施が嫌じゃなかったら、アトリとお話しない?」

「へえ・・・・」

一瞬、西施はどうしてだか故郷を思い出した。

見渡す限りの晴天と目に痛いほどの新緑の草原。
はるか天空から吹いてくる風を受けて、馬でどこまでも駆けていく。

まるで自分自身が風になったかのような感覚。

西施はその時の風を思い出していた。

「いいわよ。ねえ、海で話さない?気晴らしにヤンバルの海風を感じたいの」

「ありがとう、西施!」

アトリはたたっと駆けだし、はっと西施を振り返った。

「アトリ、船持ってるよ!風を捕まえにいこうよ!」

西施はまたぽかんとしてしまった。
そんな言葉を、同じ国の人間からでさえ投げかけられたことはなかったからだ。

大地に吹く風を捕まえようと、馬を駆ったことがある。

懐かしい気持ちに包まれて、西施は心から笑みをこぼした。


「ええ!」


海原にしぶきをあげてアトリの小さな白い船は、ぐんぐんと進んでいく。
その速さに目を見張りながら、西施は風を捕まえ膨らむ帆に少し手を当てた。

「ほんとね、風を捕まえたみたい」

「ね!アトリもいつもそう思ってる!」

あはは、と二人でひとしきり笑った後、美しいヤンバルの全体がよく見える場所でアトリは船の速度を緩めた。二人して船ヘリに頭をもたれさせて寝転び、青い空とヤンバルの街並みを眺める。


「アトリ、だったわね。あんなに気持ちが沈んでいたのに、今はまるで故郷で遊んでるみたいに気分がいいわ。ありがとう」

「どういたしまして!西施はやっぱりヤンバルの人じゃないの?あのね、アトリね、金色の髪の毛の人初めて見たの。教会で天使さまっていう絵をみたけど、その人みたい!」

「まあ、アトリ。あれはね、もともと赤い髪なのよ。色素が落ちちゃって金色になってるだけよ」

「そうなんだ!」

「そうなの。そうね、私はヤンバルの人じゃないわ。うんとうんと遠くから来たの。遠い国だと思っておいていいわ。国の名前さえ知る必要もないくらい、遠くからきたの」

「へ~!あのね、西施の国の人はみんな金色なの?」

「だいたいの人がそうよ」

「みんな青い目なの?」

「そうよ」

「・・・・・とっても、きれいだね!」

アトリはそんな国を知らないので、皆が西施のように美しい金髪と空のように青い瞳を持っていると聞いて、大興奮した。

すごいすごい、とはしゃぎたてる。
西施は忌み嫌われることはあっても、ほめられたりしたことのない自分たちの国の特徴に、むず痒い思いさえした。

「アトリはあの島の人ね?北斗星に背を向けてまっすぐ行ったところの。透き通った海の島から来たのでしょう?」

「すごい、なんでわかるの?」

「・・・・私は商売人なの。どこの人達がどんな暮らしをしているのか、よく知っているのよ」

「西施って頑張り屋さんなんだね!」

アトリ、そういうこと考えたことなかったな、と素直に感心されて、西施は恥ずかしかった。
当たり前にしてきた勉強を、そんな風にほめられたのは初めてだった。

「西施はどうしてこんなに遠くまできたの?」

「そうねえ」

西施はむくりと起き上がって、アトリからもらった檳榔を一つ口にいれてかみかみと噛んだ。

アトリもなぜか同じように起き上がって、となりで檳榔をかみかみとする。

「私ね、お姫様なのよ」

「・・・・・お姫様なの?」

アトリの顔には疑問符が浮かんでいた。
ふふ、と笑った西施は構わずに続けた。

「女王さまの子供なの。でもね、私の国はお姫さまでも才能がなかったら女王さまになれないの」

あーあ、と西施は両手を空に向けてぐっと伸びをする。
さわやかな海風と鳥の声が体を通り抜けていくような心地さえする。

檳榔を噛みながら、とてもいい気分だった。

「女王さまになりたいと思ったことはなかったけど、お母さまにはっきり言われたのはショックだったわ。『お前は女王の器じゃない。国を出ていきなさい』って。女王になりたい女王候補たちはとっても争いあってるけど、たった一人の女王の娘は見向きもされなかった」

「お母さんと仲がわるかったの?」

「まさか!お母さまはかわいがってくれたわ。ただちょっと、家族って感じじゃなかっただけよ。お母さまである前に、珊鼓女王っていう女王さまだったから」

「アトリ、それちょっとわかる。アトリの友達も大人になったら、役目の方が大事ってよく言ってた。アトリもね、アトリの前に檳榔売りなんだから、ってよく言われる」

「そうそう、そんなかんじなの。で、とにかく遠くまで行ってみようと思ってここまできたって感じね。まあ、ここまで来ても、私の国って嫌われる運命なのねって思ったけど」

「アトリ、西施のこと嫌いじゃないよ!」

「あはは、ありがとうアトリ」

「アトリはどうしてヤンバルに来たの?」

西施に問われてアトリはぽっと頬を染めた。
お姫様に比べたら自分の話なんてつまらないように感じたからだ。

それに、どうしてヤンバルに来たのかと問いかけられた瞬間、アトリの脳裏にはホークの姿が浮かんだ。どうして今ホークを思いだすのだろうか。そう思っても、夕日に照らされたあの姿が頭からはなれない。

「あのね・・・、アトリ、その」

「うん」

「運命の人を探しにきたの」

言ってしまってから、すごくすごく恥ずかしくなった。
心臓がどきどきと音を立てる。

ふとホークと唇を重ね合わせたことを思い出して、顔が真っ赤になった。

ヤンバルが好きだという話しのどさくさに紛れて、すき、と言ってしまった昨日のこともついでに思い出して、心臓がきゃーと声をあげてしまいそうだった。

「はは~ん。アトリ、あなた運命の人に出会ったのね」

「えっと、えっと、そ、そうなの?そうなのかな?」

「あなたの顔を見てたら誰だってわかるわ。その人のこと好きなのね」

「ええ?!えっとね、アトリでも、運命の人をね・・・・ホークが運命の人って、わかんないし・・・ね、あれ、顔があついよう」

アトリはとてもとても恥ずかしかった。
顔があつくてあつくて、頬を両手で冷やす。

「運命なんて!どうやって見つけるか知ってる?」

「知ってるよ、心のままに生きてたらきっとみつかるんだよ!素敵な人のことなんでしょ?」

「アトリ。運命の人なんて待ってても現れないわよ。好きなんでしょ、ホークっていう人のことが。だったらその心にも素直になってあげなくちゃ」

西施の言い分に、アトリははっとした。
そんな考えかたもあるのかと思った。

「すきっていう心のままに、なの?」

「そうよ!押し倒しちゃいなさい!」

「お、押し倒すの?ホークの方が体がおっきいよ」

「何言ってるのよ、そういうことじゃないわ」

「どういうこと?」

「どうって・・・・・」

西施ははっとした。

うるうると瞳をうるませて、頬を染めている檳榔売り。
もしかして、もしかすると、好きな人と何をして愛を確かめあったらよいのかわからないのではないか。まさか、この世にそんな純粋培養された人間が?

「アトリ、あなた・・・・好きな人同士がすることって知っている?」

がしっとアトリの肩を掴んで、西施はそう尋ねた。

え、なに、っとびっくりしていたアトリは、急に怖い顔をした西施に少しだけおびえた。

「知ってるよ。えへ、えっとね、大きくてきれいな貝殻を見つけてあげてね、土を入れて花を植えてあげるんだよ」

「は?」

うふふ、と恥ずかしそうにしているアトリにたいして、西施の顔は怖くなっていく。

「せ、西施?お顔がかちこちだよ?」

「ううん、なんでもないの。なんでもないのよ」

西施は空を見上げた。
さわやかだった。

こんなにさわやかで、何も悪くはないのだけれど、アトリはこんなにさわやかでいいのだろうか?という気持ちが西施を満たしていた。

どこかできいたことがある名前かもしれないが、いまいちぱっとはしないホークという男。

このままアトリを放っておけない。
もしもそのホークに甲斐性がなければ、アトリの好意はそのホークとかいう男に伝わらないまま、それこそまるで砂浜のきれいな貝殻のような扱いを受けるのではないのだろうか?

アトリは生身の人間なのだ。

人間らしい愛情の表現を、アトリになぜ誰も教えなかったのだろうか。


「いいわ、アトリ」

西施はぐっと腹に力を込めた。

金髪碧眼を人からほめられたのは初めてだった。レスターヴァ人だからと差別的な態度を取られなかったのも。頑張り屋さんだとほめられたのも。

そうよ。

国を出てからの苦労が思い出された。なんとか商売を軌道に乗せようと、寝る間も惜しんで勉強に明け暮れた日々。


私は頑張ったのよ。

「私にまかせて、アトリ」

「え?う、うん。いいよ!」

何を任せるのか、確認さえしないアトリに西施は使命感のようなものを覚えた。

ホークという男の器量はわからないが、人間であるというその一点に期待して、二人の関係のために一肌脱いでやろうではないか、と決意したのだ。


「ホークをあなたの男にしてやるわ!」




************************


「なんだ、アトリ。もう寝てるのか?」

ホークは明かりもともさないでソファで毛布にくるまるアトリをみて、声を掛けた。

もぞもぞと動くので、とりあえず部屋の燭台に火つける。

「ほーく」

いつもよりしたっ足らずの声が聞こえて、抱き上げてやるつもりで振り返る。

しかし、目の前のアトリの様子に言葉を失い、ごくっと唾を飲み込む。

「あ、アトリ」

「あのね、あのね、体がへんなの・・・・ッ」

アトリは毛布の中で、いつも履いている下履きを脱いでいた。上着がぎりぎりのところで大事なところを隠しているが、その足から何かしらのしずくが伝い落ちる。はあ、はあ、と息が上がっていて、とても苦しそうだが、瞳がうるんで唇が赤く染まり、ちょっとした暴力ぐらいに扇情的だった。

突然発生した状況にホークは混乱していたが、もっと混乱しているのはアトリに違いなかった。

ぎゅっとアトリがホークのシャツを掴む。

一人でどれだけの時間、この体に耐えていたのだろうか。
ホークはアトリの星屑の瞳から目がはなせなかった。

「助けてっ、ホーク」




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