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第4章
第28話 ブロックマイアー家の災厄
しおりを挟む「家には誰も入れないでと言ったでしょう!」
扉が開くなり、鼓膜に突き刺さるような声が飛んできた。
驚いたのか、隣でレオンがビクッと身を竦める気配がする。
子供って大人の大きな声は苦手だよな。
「ですが奥方様、殿下の御前でございますので……」
セバスチャンさんが困ったように眉を寄せた。
奥方様、という事は金切り声で叫んだこの人がブロックマイアー公爵夫人なのか。
まるで幽鬼みたいだと思った。
よく見れば上等な刺繍の施された生地のドレスを纏っているが裾には皺が寄り、袖口が折れ曲がっている。
茶色の髪は逆毛が立ったようにボサボサで、目は落ち窪んで隈が出来ていた。
明らかに様子がおかしい。
ゲームでちらっと出てきた彼女は、もっと楚々としていて、いかにも生粋の貴族女性という感じだった。
だというのに目の前に立つ彼女はどうだ?
濁った瞳に宿る光は正気の人間のそれでは無い。
例えて云うなら獣のようだ。
それに部屋の中は強盗にでも遭ったかのように荒れ放題だった。
テーブルは薙ぎ倒され、割れた陶器の破片が散らばり、絨毯は一部が何かの液体でぐっしょりと濡れている。
「これはこれはレオンハルト殿下。我が家によくいらして下さいましたわ」
一瞬表情が消えて能面のような顔になった後、ニタァっと不気味な笑みを浮かべて舌舐めずりをしながらレオンに近付く。
「よっ、寄るでない!」
猫なで声を怖がったレオンがマヤさんの後ろに隠れる。
するとチッと舌打ちする音が聞こえてきた。
「今日はどのようなご用件でしょうか?」
キッと睨むような目つきで、夫人は投げるようにこちらに言い遣る。
「実はご子息のルーカス様のご様子を、と思いまして。近頃、授業にもお見えになりませんが、やはり御体の具合が優れないのでしょうか?」
夫人のおかしな様子も特に気にしていないというように、マヤさんは努めて冷静に訪問の目的を告げた。
――ルーカス。
その名前が紡がれた瞬間に、夫人はガクッと痙攣するように身体を揺らした。
「アッハッハッハッハッハッ」
暗く淀んだ空気を場違いな高笑いが震撼させる。
その中心に立つのは公爵夫人だ。
調子外れの高笑いが続く中、母上がそっと俺を自分の後ろへ下がらせる。
喜怒哀楽が激しいだとか、そんなレベルじゃない。
常軌を逸していた。
「あの子はね……。もうじき死ぬのよ」
「奥様方!」
叫ぶ家令の声も彼女にはもう聞こえていなかった。
うっとりと頬を上気させ、恍惚の色を浮かべる。
まるで、その時に恋い焦がれているかのように。
「ルーカスはどこ!?」
堪らず前へ飛び出し、公爵夫人を問い詰めた。
しかし、彼女はこちらを見もしない。
「ルーカスはどこ!?」
後ろを振り返って再度、セバスチャンさんに問う。
もうすぐ死ぬと言った。
そんな事があってたまるか!
「こちらです」
強い語調の俺に何かを感じ取ったのか、ブロックマイアーの家令は、子供の言う事だと馬鹿にするでも無く、俺を続き部屋へと案内してくれた。
「ルーカス……?」
自身の瞳と同じ紫色の薄い布で覆われた天蓋付きベッドに彼は横になっていた。
予想以上に顔色が悪い。
彼は額に玉のような汗を浮かべて、浅い息を繰り返していた。
夢にでも魘うなされているかのように、時々シーツの上をのたうつ。
「これは……!」
苦しむ幼子の様子に、母上が口元を手で覆った。
「これ、病気なの……?」
「判りません。度々、お医者様をお呼びしようとしたのですが、奥方様が必要無いと仰せになられて……。旦那様は若様の事には無関心ですので、私にはどうする事も出来ませんでした」
誰に宛てるとも無く、茫然と呟く。
それを拾って答える家令は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
ゲームのルーカスは確かに病気だった。
病気と相俟って、色素が抜け落ちたような容色が不吉だと父親の公爵には疎まれていた。
だけど、こんなに苦しむ様はバッドエンドでさえ見た事が無かった。
俺の預かり知らぬところで、ゲームと現実の解離が進んでいるのか?
「マヤさん!」
「お医者様、ですわね」
呑み込みが早いマヤさんは屋敷の中を回り道する時間すら惜しいとでもいうように、サッとお仕着せの裾を靡かせながら、窓から飛び降りた。
大丈夫だ、ここは二階だけれど元・近衛騎士団長自ら飛び降りたのだ。
彼女にはこのくらいの高さは何でも無いのだろう。
「いつから? ルーカスはいつから具合が悪くなったの?」
「確か、ほんの二か月程前、三歳になられてすぐの事でした」
二ヶ月程前と聞いて、歯噛みしそうになった。
出会ったばかりの頃だ。
あの時既に歯車は回り始めていたのか。
そういえば一緒に受けた数回の授業の中で、部屋の明るさの話をした事があったな。
あの時、確かルーカスは自分の部屋は昼も夜も変わらないと言っていた。
都会だから日がな一日明るいのだろうと解釈していたけれど、ここは……ルーカスの部屋は暗い。
くそっ、ルーカス自身からヒントは出されていたのに気付けなかったなんて!
不甲斐ない自分への憤りに視界が白む。
いや、今は怒りで冷静さを失っている場合じゃない。
働け、俺の脳!
「他に変わった事はありませんでしたか?」
「そういえば奥方様も一度同じ時期に体調を崩されておりました。すぐにお元気になられたのでそれ自体は然程気にかけていなかったのですが……」
「お人柄が変わってしまわれたのね?」
感情を圧し殺して少しでも手掛かりは無いかと、現状まともに話が出来るブロックマイアー家側の唯一の人に問う。
途中言いにくそうに切られたセバスチャンさんの言葉を母上が繋いだ。
つまり、この家の女主人は元からあのようにヒステリックな性格だった訳では無いという事か。
イルメラの情報は正しかったのだ。
あれは希望を失った人の顔だった。
途方も無い絶望に失望した人の顔だ。
受け入れたく無くて、でも眼前に突き付けられたそれをどうする事も出来なくて。
重なるのだ、今際いまわの刻みに“僕”が見た、前世の母の顔に。
ルーカスの母親は悲しみに堪えきれずに、狂ってしまったのだろう。
二人とも病気と考えるには少し不自然な気がした。
急に転がり落ちるように不幸が幾つも訪れるなんて、ドラマチック過ぎやしないだろうか?
でも気がする、というだけで俺にどうしろと言うのだろう。
「死ぬ、とはどういう意味なのだ?」
ぽつりと、一人だけ置いてけぼりを食らっていたレオンが訊ねてきた。
「長い、とっても長いさよならをするって事だよ」
どう説明しようかと考える前に口がその台詞を紡いでいた。
今のはゲームの本編でヒロインがルーカスに向けた台詞だ。
「長い、とはどのくらいなのだ?」
「俺やレオンが大人になって、新しい家族が出来て、老人になって……。それでもまだ会えない、かな」
「長過ぎるぞ!」
あまり気の長い方では無いレオンは何十年も先の話と聞いて不満そうに頬を膨らませた。
こんな場面だというのに苦笑が溢れる。
「長いけどそういうものだよ」
「そうか、死ぬとは嫌なものなのだな」
小さな王子が一人前に眉を顰しかめる。
どれ程理解出来たのかは判らないけれど、レオンはレオンなりに噛み砕いて解釈したようだ。
レオンが嫌な思いをするんじゃないかと不安だったから、ここへ連れて来るのが躊躇ためらわれていた。
だけど、連れてきて良かったのかもしれない。
俺も、レオンも今日ここで大事な事を学んだ。
母上がルーカスに癒しの魔法を照射するも、彼の容態が良くなる事は無かった。
がっくりと肩を落とした母上がせめて、と魔法で氷塊を作り出してそれを手布で包み、氷嚢代わりに額に乗せてやると苦しげだった表情が少しだけ和らぐ。
そうしてどれ程の時間、苦しむルーカスの様子を見守っていただろうか?
バタンと重い物が倒れるような音を皮切りに、隣室が騒がしくなった。
レオンと一緒になってドアの陰からこっそり覗くと、暴れるルーカスの御母堂と、それを取り押さえようとする人の激しい攻防戦が目に入った。
背格好からして御母堂と相対しているのは男の人だろうか。
揉み合う男女というと何と無く妖しい雰囲気があろそうなものだが、この二人の場合はそれに当てはまらなかった。
二人とも髪を振り乱して、服はヨレヨレの酷い有り様だ。
ただの掴み合い、色気など皆無である。
ああ、御母堂の方はここに来た時には既にボンバーだったか。
「無礼者! 私を誰だと心得て……」
「錯乱なされたブロックマイアー公爵夫人でしょうね」
こちらに背を向けているため、白衣の男性の顔は見えない。
だけど恐れを知らないというか、随分ざっくばらんなもの言いをする人だと思った。
「……ゲオルグ?」
トーテムポール状に俺の頭の下に並んだレオンの口から訝しむような声が発される。
ゲオルグ、とは人の名前だろうか?
聞き返えそうとした一瞬の内に、攻防の勝敗は決まった。
視界の端から目にも止まらぬ早さで移動してきたマヤさんが、公爵夫人を絞め落としたのだ。
どこをどうやったのかは分からなかったが、マヤさんの腕の中にはくたりと力を失った夫人の身体が収まっている。
「助かりました」
「男性でしたらこのくらいご自分でどうにかなさいませ」
「人には向き不向きというものがありますよ」
軽口を叩き合いながらもマヤさんは部屋の壁際まで公爵夫人を移動させ、男性の方は上着のポケットから取り出した某かをだらりと意識の無い口に放り込む。
二人の会話を聞いていると、夫人と掴み合いをしていたこの男性、どうやら協力者らしい。
マヤさんは医者を呼びに行った。
それで連れてきたのがこの人という事は、彼は医者なのだろうか?
「ああ、大変遅くなりました」
盗み聞き及び盗み見していた俺達に気付いたマヤさんがこちらに声を掛けると同時に、推定お医者様はこちらを振り向いた。
「えっ……」
「やはりゲオルグか!」
俺の戸惑いはレオンの高らかな声に掻き消される。
「今回のケースでしたら、彼を呼ぶのが一番かと思いまして」
「余はこやつが好かぬ! 余に野菜を食せなどと申すのだぞ」
「……この人がお医者様?」
突っ込み所満載のレオンの不満はこの際だから脇に置いておくとして、確認を促す。
「ええ、こちらが殿下のお毒見役にして、薬の知識に関しては他の追随をゆるさないと云われる、ゲオルグ・アイゼンフート様ですわ」
「元・近衛騎士団長殿に言われたくありません。それより、もう一人の患者は何処ですか?」
鼻からずり落ちそうな眼鏡の奥の瞳が俺を捉える。
あの日、おから揚げを美味しいと言ったあの青年が俺に問い掛けていた。
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