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第7章
第46話 クラウゼヴィッツ兄妹の斜塔
しおりを挟む「なんでしょう、この滑らかな舌触りは」
「ほんのりと香るレモンが良いですね」
「これはパンにも合いそうですな」
生クリームを食した料理人さん達は口々に感想を言い合った。
概ね好評なようで何よりだ。
ただし、やはり苦手な人もいるようで、喉にべったりと貼り付く感じがというご意見も頂いた。
「じゃあ次はこのビスケットをミルクに数秒浸して、ホイップクリームを上の面に塗りながらどんどん積み重ねていくよ」
お手本に二段ほどやってみせて、これを繰り返すように指示する。
重ねている段階で多少不格好になっても後でならせば問題ないだろう。
イルメラは真剣な顔をして、ディーはぼんやりと退廃的な表情を浮かべながら、各々作業を進めた。
「えーっと、ディー? どうしてこうなったのかな?」
「普通にやったよ?」
「いや……」
頃合いを見計らって俺は二人に声を掛けた。
もともと七、八枚も重ねれば十分なのだ。
如何に子供と言えどもそんなに時間はかからない。
自分用を夢中になって作り、欲張って結構な高さにしてしまったところで我に返って、二人の様子を見たのがだいたいの成り行きだった。
まずはイルメラ。
彼女はもともと器用なのか、それとも余程慎重に積んだのか、ビスケットタワーはまっすぐと天井に向かって伸びていた。
「うん、とっても上手に出来たね」
「このくらい当然ですわ……」
「だけど鼻の頭にクリームがついてるよ?」
ふんぞり返ったイルメラの鼻の頭に白いものを見つけて、指で拭ってやると彼女は頬を熟れた苺のように真っ赤にさせた。
子供っぽい面を見られて恥ずかしかったのかな?
「さてと、次はディー……って何をしてるの?」
指についたクリームを布巾で拭い、続いてイルメラの向こう側のディーの様子を窺った俺は驚愕した。
「何って、言われた通りに……」
「いや、それ違うから。絶対違うから」
のんびりと答えるディーの言葉を遮る。
これが俺の言った通りであってたまるか。
ディーの前にはあっちにふらふら、こっちにゆらゆらと重心が傾き、波打つような曲線を描いたビスケットタワーがある。
ビスケットそのものが四角いのでだいぶ趣が違うが、ピサの斜塔の進化版みたいだ。
相当なハイペースで積み上げていったのか、そこそこ高さがあるが、非常に繊細なバランスの上にそれは保たれていた。
そんな形にしろと言った覚えは無い。
「どこをどう見ても、アルトのものとそっくりだよ?」
「どう見ても別物だろう! ディーは成分と味が同じだからって、スクランブルエッグをオムレツと言い張るつもりか?」
「オムレツって?」
俺はどうにかしてこうなった原因を探ろうとした。
しかしディーは普通にやったと言って憚らない。
今日の朝ご飯はオムレツよと言われて、スクランブルエッグが出てきた時のガッカリ度を考えてみてほしい。
あれは悲劇だ。
どうもディーは物事の捉え方がズレているようだ。
よく言えば細かい事を気にしないおおらかな性格、悪く言えば大雑把。
もともと何事にも関心を持たない子だったから、こうして妹と学友のお菓子作りに付き合うようになっただけマシなのかもしれないが、物事の認識が適当過ぎやしないだろうか?
「さすがお兄様ですわ」
そんなディーのいい加減さを助長するように言うのは、イルメラだ。
今の彼女の中では、兄のする事は全て正しい。
こちらはこちらで、大きく歪んだ価値観だと言える。
兄妹仲が良いのはいい事だと思うんだけどな。
二人の関係はディーの斜塔のように、ほんの些細なきっかけで崩れてしまいそうな危うさをはらんでいた。
色んなものを見て、それでもディーが全て正しいと思えるのなら例え周囲が納得してくれなかろうと、それはそれで良いと言う他無いかもしれない。
イルメラの価値観はイルメラのものだ。
他の誰のものでもないし、他人に歪められるべきものでもない。
だけど彼女には兄しかいなかったから。
都合良くいつも隣にいてくれた兄を頼って、自分の唯一の拠り所としてしまったのを罪だと言うつもりはないけれど、ゲームで魔王と呼ばれた悲しい女の子になって欲しくない。
もっと色んな幸せを見つけて欲しいと思った。
その色んな幸せに俺もひと役買えたら言う事は無いけどな。
そうなる努力は惜しまないつもりだ。
「天辺と側面にもクリームを塗って、上に苺を乗せたら完成だよ」
今はまだお互いに子供だから、気長にアプローチを続けるしかないか。
またも真剣な眼差しで仕上げにかかるイルメラを横目に、俺は自分のものに取りかかった。
「いただきます」
「今日も幸運なる神の恵みに感謝致します」
「……します」
場所は変わってクラウゼヴィッツ家別邸のディーの私室にて、俺たちは丸テーブルを囲んでいた。
思い思いのお祈り、食前の儀式のようなものを済ませてフォークとナイフを手に取る。
ちなみにこの世界で最もポピュラーな作法的にはイルメラのやったのが正しい。
胸の前で両手を組み、祈りを捧げるのだ。
王侯貴族の催す晩餐会などでは、主催者に続いて皆が一斉に祈りの言葉を口にする。
普段はその習慣も廃れて、聖職者以外はあまりやる人はいないみたいだけどな。
イルメラがきちんと祈りを捧げるのはクラウゼヴィッツ家の教育方針なのか、それとも彼女の信仰心の現れなのだろうか?
兄のディーは妹のそれに便乗しただけだ。
俺に至っては全然別の祈りだから、人の事を言えた義理では無いが。
「それで結局のところ、これは何なのですか?」
厨房から運び込んでもらった(自分でやろうとしたら、後生ですからそれくらいはやらせて下さいと料理人さんに泣きつかれた)お皿の中身を倒し、ナイフを入れようとしたところにイルメラの声が掛かる。
そういえばまだ言ってなかったっけ。
「ずばり何と言われると難しいんだけど、言うなればお手軽版・ミルフィーユかな」
「ミルフィーユ……」
「確か異国の言葉で『千枚の葉』という意味だったと思うよ」
俺の言葉を口の中で呟くように繰り返すイルメラに意味を教えてやると、彼女は赤みがかった瞳をキラキラと輝かせた。
こういうロマンチックなネーミングは嫌いじゃ無いらしい。
「でも、これには千枚もビスケットを使っていませんわ」
「うん、だから簡易版。本物は使うのはビスケットじゃないんだ」
それに確か本物はカスタードクリームを挟んでいた筈だ。
今回は作り易さの方を優先した為、なんちゃってミルフィーユである。
そう説明すると、本物の方がいったいどんなものなのか気になるようで、イルメラは小首を傾げていた。
「さあ、食べようか」
冷めるものではないけれど、やはり気持ちは逸るものである。
俺は味見をしていないから、余計に抑えが効かなかった。
ざくりとナイフがビスケットを切り分ける音が耳に心地良い。
口に運ぶとまず、クリームのとろけるような甘さと芳香が口の中に広がった。
そうしてクリームが舌の上に広げた絨毯の上にビスケットが粉をまぶしていく。
滑らかな甘さと香ばしさ、両方が混じって絶妙なハーモニーを繰り広げ、俺はもぐもぐと顎を動かしながら恍惚と目を閉じた。
こくりと全てを呑み込んだ後に残るのは、レモンの爽やかな香りだ。
クリームを使ったお菓子というと胃に重いものが多いので、ひと口食べ進めるごとに飽きてきそうなものだが、これは不思議ともうひと口、もうひと口とフォークを操る手が進む。
きっとレモンのお陰だな。
南領産の苺を乗せれば酸味が増し、また違った味わいを楽しむ事が出来た。
手抜きをした割には随分と良い出来だと思う。
これでチョコレートソースなんてあったら、もっと美味しいと思うんだけどな。
この世界に来てまだチョコレートはお目に掛かった事が無い。
願わくばチョコレートが食文化としてこの国にきちんと根付いていてほしい。
アレンジくらいなら俺にも出来そうだけれど、原料のカカオから作るとなると多分無理だ。
ろくでもない未来予想図しか思い描けない。
物思いに耽りながら半分程食べ終えて、他の二人がいたのを思い出し、皿から顔を上げた。
味見の時点で二人とも気に入っていたみたいだから、大丈夫だとは思うんだけど、それでも受け入れてもらえるかどうかが気になる。
まずは左隣のディーだ。
彼は……うん、粉だらけだった。
胸元と言わず、どうやったらそんなところに食べ滓が付くのか、肩や頭まで茶色い粉を被っている。
「ビスケットがフォークから逃げるね。無理やり突き刺せば砕けるし、難しいお菓子だ」
「ごめん、そういえば食べ方のコツを教えてなかったね。こんなふうに倒せば食べやすくなるよ」
「しかし、そうすると皿からはみ出るが……」
「それはディーが欲張るからだと思うよ」
手本として自分の皿を示すが、圧倒的な高さを誇るディーのミルフィーユは横倒しにすると収まり切らない。
しかも傾いているせいで安定感が皆無だった。
結局ディーは一枚ずつビスケットを剥がして食べる事にしたようだ。
積み重ねた意味がまるで無くなるのでその食べ方は非推奨だけれど、他に食べようが無さそうなので放っておくしかない。
ディーのミルフィーユは攻略難易度MAXだった、斜塔だけに。
微かじゃない調整をしようとしたら拒否されたので、ええい、ままよと好きにしてもらう事にした。
その結果がこれだ。
歪みは歪み無く健在である。
いったんナイフとフォークで触った筈なのに、斜塔はテーブルを斜めに見下ろしている。
器用なのか不器用なのか、よく判らない人だと思った。
さて、気を取り直してイルメラの方へと向き直る。
向かって右に座る彼女の手元を見ると、まだひと口しか手をつけていないようだった。
皿の上で倒されたミルフィーユを見る限りでは、お兄さんと違って食べ方自体に苦戦した様子は無いが、どういうわけだろう?
俺がディーと話し込んでいる間、一言も口を挟んで来なかったのも気になる。
疑問に思って、動きの止まっているイルメラの手元から辿るようにして視線を移す。
その表情を見て、俺は漸く得心がいった。
艶やかな長い睫が頬に影を落としている。
彼女はちょうど先程俺がしたのと同じように目を閉じていた。
まるで、それを味わうのに全神経を注ぐように。
滑らかな頬に浮かぶ薔薇色、優しく弧を描く口元、天を仰ぐような首の傾き具合。
それらが表すものは、歓喜だった。
いつも恥ずかしがってすぐに表情をかき消してしまう子だから。
彼女自身が目を瞑っていて、見られているのに気づかないのをいい事に、その姿をじっくりと目に焼き付ける。
俺がした事が少しでも彼女の笑顔の助けになったのなら、嬉しい。
少しずつでいいんだ、こんなふうに彼女が笑っていられる時が増えてくれたら。
こんな穏やかで優しい笑顔を浮かべる女の子を魔王になんてしてなるものか。
俺は胸の奥に温かな決意に似た感情を抱えながら、長閑かな午後のひと時を噛みしめていた。
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