陸と空の恋

コーヤダーイ

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陸と空の恋

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「陸、あいつまた来てんぞ」
 言われて窓際の席に座る高村 陸は首を回し、窓の外に視線を投げた。
 陸の通う高校は、通称理系クラスと呼ばれる特進科と、普通科とが存在する高校である。
 陸は特進科に在席している。特進科は普通科とは別棟にあり、渡り廊下を通らねば互いに行き来できない。
 授業の内容も全く違うから、普通科の生徒が特進科に悪影響を及ぼさぬように、という配慮らしい。
 そもそも、そんな配慮が必要なくらいレベルの差があるのか、と不思議に思うくらいだが、元々スポーツが盛んな高校だ。
 田舎ではよくある、私立に通わせる金はないのでどうにか公立高校に入学させたい、という話と、スポーツが得意なら推薦もありますよ、という学校側。
 スポーツで目立った成績を残せば、高校の知名度も上がり入学希望者も増え、それゆえの学力向上。
 一部の生徒が東京の有名大学へ受かった、という話が出れば、そこから目指そうとする優秀な生徒が自然、集まってくる。
 非常にアンバランスではあるが、田舎の公立高校は数が少ないので、仕方がないのである。

 あいつ、と呼ばれた男子生徒は安藤 空という名前で、渡り廊下を走り抜け、今まさに特進科の教室前までやって来たところだった。
「高村 陸、好きだっ! 付き合ってくださいっ」
「お断り」
「なんでだよっ、毎日毎日、こんなに好きって言ってんのに、どーして付き合ってくんねーんだ」
 陸はようやく安藤 空の方を見て言う。
「俺、頭悪い奴嫌いだから」
 安藤 空は、陸と視線が合ったことに顔を赤らめ、ぐっと息を止めた。
 どうせ俺は頭悪いけど、と赤い顔でつぶやく。
「けど、お前のことは好きだかんなーっ!」
 叫んで言い逃げた安藤 空の走り去る後ろ姿に、始業を知らせるチャイムが追いかけていった。

「今朝もすげー告白だったな、陸」
「くだらない」
「そうは言っても入学式からずっとじゃん、もう三ヶ月?」
「だよな、それも毎日」
「いい加減、ほだされてんじゃないのぉ? けっこうかわいい顔してるよな、安藤」
 盛り上がる友人たちを冷めた目でちらりと見て、陸は無言のまま教科書を机に出した。
 安藤 空は、この高校の有名人である。
 見た目は確かに、まあまあ整った顔をしているのかもしれない。
 だが良い噂は聞かない、よく耳にするのは、ビッチ、チャラ男、高校に入る前から男も女も、誰とでも寝ているという話だ。
 人の噂を鵜呑みにするわけではないが、安藤 空は髪を明るく染め、いつもテレビで見かけるホストかというくらい髪型を作っている。制服は着崩しているし、耳にはいくつもピアスがくっついていた。
 興味ないな、と心の中でつぶやいて、陸の中から安藤 空のことは今日も追い出された。



「陸、また女子来てるぞー」
 呼ばれて視線を投げた陸は、目に入ったのが普通科の女子生徒ということに違和感を覚えた。自然にいつものツンツンと跳ねた茶髪を探して、それが見えないことに気づく。
「高村くん、あの、よかったら私と付き合ってください」
「お断り」
 教室の外の廊下まで呼び出されていった陸は、一言で断るとさっさと背中を向けて教室へと戻る。
「……えっ、あのっ、」
「興味ないから、そういうの」
「でも、私、ずっと高村くんのことっ」
 顔だけ振り向いて、陸は女子生徒を始めてじっと見た。
 見られている女子生徒は、ボッと顔を火照らせている。
「あんた、誰?」
 顔をゆがめて、付き添いだろう女子生徒に慰められながら渡り廊下を戻っていく姿を、なんとなく窓から眺める。
 友人たちが、あ~ぁかわいそう。なんで陸ばかり。やっぱ顔だろ、イケメンは正義なんだよ。と周りで茶化す。
 授業の始まるチャイムが鳴る。



 制服のシャツも半袖になり、そろそろ初夏である。
 窓を開け放しても、入ってくる風は生ぬるく、かといってまだエアコンは付けてくれない。
 少しゆるめたネクタイの先を、グルグルと振り回しながら友人の一人が言い出した。
「なぁなぁ、最近、あいつ来ないね」
「あいつ?」
「ほら、ビッチチャラ男」
「あぁ~、安藤 空。そういや見ないね」
「陸、なんかあったの?」
 いきなり話題を振られた陸は、どうして俺に聞く、と不機嫌になった。
 確かに最近、安藤 空を見かけていない。
 以前は何ヶ月もの間、毎日押しかけてきていたものが、突然来なくなれば、気にもなる。
 だが、そもそも興味のないものが気になる、ということが陸には気に入らない。
 そんな話をしていれば、友人の一人が女子生徒に呼び出されて教室を出て行った。
「夏休みが近いからなー、いいなー」
「俺もかわいい彼女欲しいぜ」
「くだらない、どうせ夏休みも予備校通いだろう」
 当たり前のことを言えば、これだからイケメンは! と一人が叫んだ。
「ひと夏の恋を夢みたっていいじゃないか!」
 そんなものかと、適当に相づちを打てば、リア充爆ぜろ!と誰かを指さして叫んだ。
 見れば、顔をにやけさせた友人が一人、教室に戻ってきたところだった。
 付き合うことになっちゃって、と嬉しそうに話す友人の首を、誰かが後ろから絞めて揺らしていた。

 学校帰りに予備校へ向かって歩いている途中で、陸は派手な頭に目をとめた。
 同じ高校の制服を着て、ツンツンと跳ねた茶髪は間違いない、安藤 空である。
 他校の制服を着た女子生徒と並んで、店頭にある新しい機種のスマホを眺めている。
 こいつもひと夏の恋というやつを手に入れたのだな、と思ってその脇を通り過ぎる。
 通り過ぎるときに、たまたま女子生徒がこちらを見た。うわ、イケメン、とその口が動いて、その声に茶髪もこちらを向いた。
 確かに目が合ったはずだ。だがこちらを向いた安藤 空の目は興味なさげについと逸らされ、すぐにスマホの画面をいじりだしていた。
「ねぇすごいイケメンじゃない? 同じ高校? 知ってる人?」
「ん~、知らね」
 そんな会話が背中から聞こえてきた。
 陸はなぜだか腹が立った、お前は俺の事を好きだったんじゃないのか、と思って、ハッとする。
 俺はお前のことなど、一切興味ないのだ、と思い直して陸は参考書の詰まった重いカバンを持ち直した。





 重そうなカバンを左手から右手に持ち替えて歩き去る陸の姿を、空はそっと目で追った。
 入学式で一目惚れして以来、ずっとアピールしてきたが、どうやってもなびいてはくれない。
 それならいっそ諦めようとしてみたが、こうやって学校の外で偶然すれ違うだけで、胸がこんなに跳ねる。
「ねぇ、空ぁ。聞いてる?」
「あ、ごめ。聞いてなかった」
「もぉ~。これからどこ行くぅ? って話~」
「あぁ、うん。どっか行きたいトコある?」
「空の家とかは~?」
 空は親の都合でワンルームマンションに一人暮らしをしている。
 付き合った人間を片っ端から連れ込んできたから、きっと彼女もそのつもりなのだろう。
「ん~、今日はマズいかも。親来るらしくて」
「えぇ~、そうなの? じゃあ仕方ないか」
 親のいるワンルームなど、居心地が悪いだけなのだろう。じゃあカラオケでも行こっか、と腕を絡ませてきた他校の女子生徒に、そういや親が家に来る前に片付けないと殺されるから、と笑顔で断って空は一人で歩き出した。

 一人きりの家に戻って荷物を放り、ベッドにどさりと倒れ込む。
 することもない一人の時間、するすると制服を脱ぎ、空は小さな胸の頂に指を沿わせた。
 空の見た目の派手さは自己防衛である。派手な見た目に交友関係、大口を叩いていれば誰も空の内側をこじ開けて、入ってこようとする者はいない。
 本当は内気で真面目な性格だった。共働きの両親は学校の催しには来られない。
 そんなことが理由でいじめにあった。
 気にしないようにしていたら、いじめはエスカレートした。
 ある日ついに学校をサボった空の話を聞いてくれたのは、田舎でいうところの不良というやつだった。
 髪を染めてピアスを開けた。苦いだけのタバコも吸ってみたし、味もわからない酒も飲んだ。
 不良の家で飲んだコカコーラに混ぜられた酒がどれほどだったのか、息苦しさに目を覚ませば、不良たちに身体を暴かれていた。
 写真を撮られ、お前は身内だ、と囁かれれば、逃げだすことはできなかった。
 やがて新しい居場所にも馴染み、誰彼となく身体を重ね、快楽を覚えた。
 面白おかしく人生が過ぎ去ればいいと思ってきた。
 お前の人生だから好きにすればいいが、せめて高校くらいは卒業しろと親に言われて、ワンルームマンションを与えられた。



 桜が咲くにはまだ少し早い、寒さの残る入学式で、空は一人の人間に目を奪われた。
 人より頭一つ飛び出ているから、その顔は離れていてもよく見えた。
 凜とした表情で、まっすぐ前をむいているその人は、新入生代表の挨拶で呼ばれると壇上に立った。
 きれいな顔に、在校生も新入生もザワついた。
 落ち着いたよく通る声で、暗記でもしているのか、前を向いたまま言葉を述べたその人は、一つ礼をすると新入生の列へと戻っていった。
 入学式が済んで、一目惚れをした相手が特進科へ向かうのを見て、空も後を追った。
「たかむら りく! 一目惚れした! 付き合ってください」
 覚えたての名前を呼び、告白をする。
「誰……? 断る」
 少しひそめた眉に、いぶかしげに細められた目。格好いい。
 男だって女だって、手練手管で慣らしたはずなのに、空はその視線ひとつで顔に熱が集まるのがわかった。
「わ、わかった。またくるっ」
 叫んで渡り廊下を走り、自分のクラスへと駆け戻った。
 教室ではすでに担任が名簿を手に自己紹介を順に始めており、安藤お前は面倒を起こすなよと注意された。
 入学式初日、担任に目を付けられている生徒、これが安藤 空であるとクラスメートの意識には刻まれた。



 昨晩、酒臭い息で急に家にやって来た悪い仲間の一人が、なかなか寝させてくれなかった。うつ伏せで腰だけ持ち上げてずっと揺すられ続けたから、さすがにキツい。
 まず、どうしようもなく眠い。こんなんじゃ、学校なんかに来なきゃよかったかなと思いつつ、空は使われていない教室へと向かった。
 保健室では、仮病の子に貸すベッドはないよと、空を寝かせるためにベッドを貸してはもらえない。
 特進科の入る建物の三階は、整えられた教室が丸々使わずに置かれているのだ。
 一番奥の教室のドアを開けて、空はそろりと教室内に忍び込んだ。
 締め切ってある教室は、一瞬むわっとした空気で空を包んだが、クリーム色のカーテンが掛けられた窓からは、柔らかい光が漏れている。
 窓際の席に慣れたように腰掛けると、少しだけ窓を開けて、空は机に突っ伏して寝た。

 ガラリ、とドアの開く音を聞いて空が目を覚ますと、教室に入ってくる数人の人影が見えた。
 あまりにも爆睡しすぎて、昼休みにでもなったのかと目をこする。
 数人はそのまままっすぐ空のところまで来ると、ほらやっぱりなと笑った。
「安藤 空、でしょ?」
「俺たちにもヤらせてよ」
「……は?」
「あれ? 安藤 空って、君だよね?」
「そう、だけど」
「ほぉら、間違いない。ふぅんけっこうかわいいじゃん」
 寝ぼけたままの空を両脇から腕を持って立たせると、そのまま上半身を机に抑え付けられた。
「……? 何する……?」
 いきなりぶるりと出した半勃ちの男根を、口元に押し付けられてびっくりする。
 机に抑えられたまま、ベルトをとられ下着もズボンも降ろされる。
 生ぬるい液体をびちょっと尻にかけられひるんだところへ、頬をおさえつけ開いた口に男根をねじ込まれていた。
 尻の谷間をぐにゃりとしたものが何度か往復した。
 ズッといきなり入り込まれ、ぐぅっと声が出る。
「おっと、あぶね。歯、当てるなよ?」
 前髪を掴まれて、顔を上げさせられた。
「あれぇ? こっちなんかずいぶんやーらかいんだけどぉ?」
「え、マジで?」
「ほらぁ、ぜーんぶ入っちゃった」
 明け方までそこには他の男が入っていたのだ、まだじゅうぶんほぐれて柔らかいそこは、通常であれば無理なはずの挿入を、難なく受け入れていた。
「柔らかいし、あったかいし、締め付けてくるし。女よりいいかもー」
「マジか! 早く替われよ」
「とりあえず、俺のは手で頼むわ」
 口の中に射精されてむせた空の、手に力が入りすぎだと笑われた。
 お行儀良く順番に尻を使われて、全員がゴムの中に射精を済ませると、また頼むわ空ちゃん、と頭を撫でられた。

 一人残された教室で、汚れた身体のままぼんやりと考える。
 誰かにここへ入ったのを、見られていたんだろう。今さらレイプ、などと騒ぎはしないが、昨晩使ってほぐれていたのは、自分がケガをせずに済んで良かったかもしれない。
 だけど、人数が多いのは身体の負担が大きい、机は硬くて痛いし、非常に疲れた。
 どのくらいそのままでいたのか。
 誰かがガラリと教室のドアを開けたのに気づいて、空はぼんやりそちらに目をやる。
「……安藤……? その、大丈夫……じゃないよな」
「……?」
「その、怪我は、痛みはないか?」
 言われたことの意味がわからず、首をかしげる。
「疲れた、ダルい。あと、眠い」
 とりあえず思ったままを口にすれば、わかった、と相手は返事をした。

 入るぞ、と断って教室に入ってきたのは、たぶん高村 陸だった。
 実はこんなに間近で見たことがなかったから、近くに顔がありすぎて、よくわからない。
 陸はポケットから出したハンカチを一度濡らしに行き、戻ってくると丁寧に空の顔を拭ってくれた。
 身体にもちょこちょこと傷があるようで、保健室に行くか、と尋ねるのを首を振って否定した。
 病院へ行くなら連れて行く、というのも断って、服だけ着させてくんない? と頼む。
 空は本当にダルくて動けなかったのだ。
 陸は黙って空の身体を小さなハンカチで拭い、無言のまま制服を着るのを手伝ってくれた。
「なんで、わかったの?」
 と不思議に思った空が聞けば、授業中に運動場から三階の窓が開いているのが見えたらしい。
 授業が終わって教室に戻っているとき、特進科の上級生が数人、楽しめたと笑っているのを聞いた。その笑い声の合間に、安藤 空と聞こえたのだと。
「じゃあ、高村 陸、授業は?」
「エスケープだ」
 エスケープという単語に、空は思わず笑っていた。
 笑えば震えた身体に、入り口として酷使された尻の孔が痛んだ。
「……あはっ、いてて」
 半笑いで腰をさすれば、もう一度病院へ行かずに大丈夫なのかと言われた。
「だーいじょうぶ、あいつらゴム使ってたし、こんなの慣れてる」
 しかし、と逡巡する陸に、空はそれなら頼みがあんだけどと口にした。





 カチャ、とわずかな音を立てて玄関のドアが閉まる。
「鍵、一応締めておくか?」
「うん、お願い」
 空が陸に頼んだのは、家に連れて帰ってほしい、だった。
 数人にレイプされたのだ、本来ならば学校側に報告し、病院へ行くべきだという陸の話をさえぎって、空がどっちを信じる? と言った。
「同じ事を話す特進科の三年生数人と、問題行動の多い普通科の一年」
 ぐっと返答に詰まる。
「そーゆうこと」
 ワンルームマンションの短い廊下で、制服をパッと脱ぎ捨てると、シャワー浴びてくるから好きにしててと奥へ促された。
「冷蔵庫に飲みもん入ってるからー」
「わかった」
 家に連れてきたのだから、帰ってもいいはずだった。
 今学校へ戻れば最終の授業には間に合うだろう。
 だが心も身体も傷ついている人間を放っておけるほど、陸とて無情ではなかった。
 やがて濡れた髪をそのままで戻ってきた空は、小さなタオルを一枚腰に巻いただけの姿で現われて、陸をギョッとさせた。
「そんなに引くなよ、パンツもシャツも向こうになかったの。ちょっとどいて」
 ベッドに腰掛けるのもなんだと思い、床に座っていた陸をまたぐようにして空が奥のクローゼットへ手を伸ばした。
 白い肌は肋骨が出ている。家族以外の女性の裸を間近で見たことはないが、そこらの女性より細いのではないだろうか。
 先ほど乱暴をされたときに、掴まれたのだろう。そこかしこがアザになっている。きっと明日には赤黒く変色して、一層痛々しく見えるに違いない。

「痛そう?」
「……痛くはないのか?」
「まぁ痛いけど」
 空は陸が目をやっていたアザに手をやり、そっと撫でている。
「あんたの俺を見る目のが、よっぽど痛そうだ」
 空がへへ、と笑った。
 自分がどんな顔をしているのかわからなかったが、手のひらで顔をごしごしとこすった。
 髪をセットせず、むじゃきな顔で笑う空はとても同級生には見えず、もっと幼く見える。
「早く服を着て、髪を乾かせ」
「ん……」
 素直に頷いて、陸の言うとおりにする空は、学校で見る空とは別人のようだ。

「一人で大丈夫か」
 興味がなかったはずなのに、気がつけばそんなことを聞いていた。
 言われた方の空は、大きく目を開いて、少しびっくりしたような顔をしている。
「あ、いや、あんなことがあった後だ。一人になりたいのか、誰か居た方がいいのか俺にはわからない。安藤、ご家族は?」
 ワンルームに家族が一緒に住んでいないことは明白だったが、陸は一応尋ねる。
 自分でも何をそんなに慌てて話しているのか、よくわからない。
 いつもよりも、自分がたくさん話している自覚はあった。
「ここは、俺一人暮らしだから。あと、もしわがまま言ってもいいなら」
 ふわりと石けんの香りがした。
「……一人にしないで」
 床に座った自分に、空が抱きついてきていた。
 細い身体は震えていた。
 震えているのが幼子のようで、そっと腕を回して抱きしめてやる。
「ほんとは怖かったんだ」
 濡れた髪をそっと撫でれば、小さな小さな声で空が言った。

 背の高い陸からすれば、空は子どものように小さく感じる。
 華奢な身体は男子高校生というより、男も女もわからない発達途中の子どものような感じがするのだ。
 陸の膝の上に乗ったまま、そのうち空は眠ってしまった。
 背中の後ろにあるベッドのタオルケットをめくり、陸は静かに空を降ろした。
 タオルケットを掛けてやり、窓を静かに開けて青臭い部屋の空気を入れ換える。
 五階にある空の部屋は、窓を開けても下の道路の音がそんなに聞こえない。
 夕暮れにときおり流れ込んでくる涼しい風を浴びて、陸はしばらくじっとしていた。
 部屋の壁にある時計に目をやれば、予備校の時間はとうに過ぎている。
 ちらりとベッドを見れば、空は息をしているのか不安になるほど、ぐっすり寝入っている。
 近づいて額に手を当てる。少しだけ汗をかいているが、熱はなさそうだ。空が放り投げていたタオルを拾って、額と首筋の汗を拭ってやった。
「………ん……」
 首筋をタオルが触ったのが気に入らなかったのか、空が眉根を寄せて歯を噛み締めた。
 思わず頬に手をやれば、まるで安心した、とでもいうように力を抜いた空が手にすり寄ってきた。
 手のひらに頬を乗せたまま、手首を掴んで眠る顔を見れば、無理に手をどかそうという気は起こらない。
 仕方がないか、陸はベッドに腰掛けて、片手は空に預けたままじっとその目覚めを待った。
 身体は動かさず、ただ待つというのは案外辛いものだ。暇を持て余し陸は見るとはなしに、部屋のあちこちに目を向けた。
 そこで見るつもりはなくとも、目に入ってしまった、ベッドの脇に置かれたゴミ箱。
 白いティッシュの山の中に、異質な色の使用済みゴム。ゴムのパッケージに、封の開いた四角い袋。
 見えるだけで三つまで数えて、陸はゴミ箱から目をそらした。
 このベッドで、空は誰かとしたのだ。男か女か、おそらく一晩に何度も。
 今は無垢な子どものような顔をして眠るこの男が、誰かをよがらせ、あるいは自分自身がよがったのか。何度も、何度も吐精するほど身体を重ねたのか。
 ふいに眠る空をめちゃくちゃに犯してやりたい気分になって、自分の考えに驚いた陸は、自分の心よりよほど素直な身体の反応に苦笑した。
 もう、興味がない、とは言えないか。

 伸ばした片手でバッグを引き寄せ、参考書を出してページをめくっていく。一日くらい予備校を休んだくらいどうとでもなるが、机に座り集中して勉強をする、という染みついた習慣から、いつしか陸の参考書を見る目は真剣に、ページをめくる手は早くなっていった。
「ごめん」
 謝られて、自分の手首と手のひらから消えた温もりに、ハッとする。
 辺りはすっかり暗くなり、まばたきをしてから眺めた参考書の字は、すっかり読めなくなっていた。
「いや、体調は? つらいところはないか」
 目頭のあたりを指で押さえて、軽くもみながら尋ねれば、まだ横になっている空が答えを返した。
「ん、だいじょーぶ。遅くまでごめん」
「あー、いやそれは構わない。この時間はいつもまだ外にいる」
「何してんの?」
「予備校」
「……あぁ、そっか。頭いいんだもんな」
 空はタオルケットを引き上げて口元まで隠している。
 やはり夜になって熱でも出たかと手を伸ばせば、身をすくませた。
「悪い、熱がないか、と」
「だだ、だいじょーぶっ、だから。ありがと……」
 立ち上がった陸が壁にあるスイッチを押せば、部屋はすぐに明るくなった。
「ひゃぁっ……」
 タオルケットで頭まで覆う空に、寝ている人間にはまぶしかったかもしれないと反省する。
「もう暗いから、と付けたんだがまぶしかったか」
 タオルケットの頭の部分が、ぶるぶる揺れている。
 タオルケットの中で首を横に振っているのだろう、その姿が容易に想像できて、陸は思わず微笑んでいた。
 目だけをそっと出した空が、その顔を見てしまい、わぁっと叫んでまたタオルケットの中へと引っ込んでしまった。
 陸には空が叫んだ理由などわからない。本気で心配して、どうした? と無理矢理タオルケットをめくれば、そこにはタオルケットを必死に掴んで、真っ赤な顔で瞳を潤ませた空がいた。

 ドクン、と心臓が跳ねた。
 陸を見つめる空の瞳に、まるで吸い込まれるように近づいて、薄く開いた唇に目をとらわれる。
 何か言おうとしたのか、わずかに動いたその唇に、陸は自分の唇を重ねていた。
 柔らかい……。他人と唇を合わせてキスをしたのは初めてだったが、その柔らかさに驚いた。
 もう一度、今の柔らかさを経験したかった。
 だが再度重ねた唇は、硬く引き結ばれており、あの柔らかい感触は味わえなかった。
「どうした」
「な、な、なにっ……? なんでっ?」
「だって柔らかくて、気持ちいいだろう」
「……はっ? って、ぅむうっ」
 再び開いた唇に、もう一度唇を重ねた。鼻がぶつからないよう少し角度を変えて吸い付けば、互いの唇が深く交わった。
 最初は追い出そうとしてきた空の舌を、逆に追いかけて口腔内に追い詰めれば、観念したのだろう。
 それは甘く陸の舌に絡みついてきた。
 互いの舌は、それ自体が意思を持つ生き物のように動いて絡み合い、熱い息を吐かせた。
 ばんばんっと肩の辺りを拳で叩かれて、仕方なくキスを止める。
「なに?」
「ちょっ、なにじゃなくって、高村 陸こそ、どーしちゃったの」
「別に。安藤 空に、興味をもっただけ」
「………俺が好きって言ってたときは、ずっと断ってた」
「あのときは興味がなかった」
「今は俺、高村 陸のことなんて、好「もう黙りな」」
 黙らせるために、もう一度唇を塞いだ。



 今日のことを忘れたいから、このまま最後までシてと言われてそのまました。
 頭のネジが二つ三つ緩んで、どこかへ飛んでいってしまったのかもしれない。
 陸を受け入れるべき孔を指先で確認すれば、そこは熱を持って潤っていた。
「腫れてる? 痛む?」
「慣れてるからへーき。そのままちょーだい」
 ゴムのことを一瞬思い出したが、同時にゴミ箱を思い出した。
 眉間にしわを寄せた陸を、下から見上げて空がどーしたの、と尋ねる。
 ゴムはどうする、と言えば空は困った風に笑って、持ってないからそのままじゃだめかな? と言った。
 それで構わないなら、と答えれば、空は嬉しそうな顔をして陸の首に腕を回すと、キスをねだった。
 空の孔を指で探り、己の先走りを垂らしたモノをあてがうと、キスをしながら腰を進めた。
 セックス自体が初めての行為だったが、陸は知識と持ち前の器用さとでそれをカバーした。
 陸の腰の動きはつたないものだったかもしれないが、空は自分の足を陸の腰に絡めると、少し腰を浮かせて擦り付けるように動かしてみせた。
 ここ、すごく感じる。気持ちいい。途切れ途切れに伝えてくる空の快感を、まるで自分の快感のように感じる。
 俺も、感じてる。安藤 空、そら。そら。あぁ気持ちいい……。
 高村、高村 陸、りく。もっと感じて。一緒にイって。
 陸の腰に絡みついた空の足が、射精のために腹の外へ抜くことを許さなかった。
 打ち付けた腰の空の再奥で、陸は全身をぶるりと震わせて爆ぜた。
 空のふるり、と勃ちあがったモノからは透明の液しか出なかったが、陸が腹の奥でイったときにはぷしゃり、とわずかな潮水を吹いた。

 事後も陸は空を甘やかした。すぐに抜いてゴムを捨て、赤の他人だと距離を置いてタバコに火を点けるような男たちとは、違う生き物のようだった。
 これからも陸とだけセックスすることができたら、自分も一人前の人間のように、生きていける気がするが、きっとそうもいかないだろう。
 陸は光を浴びて世界を歩く人間だが、空はそうではない。
 空はたくさんの男に抱かれてきたし、たくさん写真を撮られてきた。
 今日もスマホをカシャカシャと鳴らしていた、あれがネットに出回ったら。
 そうしたら、きっと陸も離れていくだろう。
 あとで捨てられて傷つくなら、先に離れた方がいい。
 髪を撫でつけながら額にキスを落とす陸の整った顔を、これが最後と空は堪能した。





「おい、空。安藤 空、少し待て」
 足早に歩いて聞こえないふりをしていたが、とうとう腕をつかまれた。
 あれから何日も経ったが、空はできる限り陸との接触を避け続けている。
 元々が特進科と普通科。クラスの建物自体が違うのだから、避けようと思えば同じ学校内とはいってもたやすかった。
「誰あんた?」
 学校を出たあたりからついてきていた陸を、結局まくこともできず、腕をとられたままにらみ合う。
「なんだ、その知らないふりは」
「知らないよ、あんたなんか。はなせよ」
 陸は今日も重そうなカバンを持っている、きっとこれから予備校なのだろう。
 陸はきっといい大学へ入って、大きな会社に就職して、美人と結婚して一軒家に住むのだろう。
 そこに自分の入る隙間などないことに、想像して軽く落ち込む。
 黙ったままの空に、陸が大きく息を吐いて腕を放した。
「……俺に飽きたのか」
「……」
 予想外の言葉に、返す言葉が出てこない。
 アキタ、なにに? おれに? どういうことだ?
「安藤 空、お前やっぱり噂通りのビッチってことか」
 誰とでも寝られればいい奴とは、俺だって付き合えない、と背を向けた陸に、ようやく言われたことの意味を理解した空は震えた。
 背を向け歩き出した陸に、空はカバンを投げ捨てて、駆け寄った。
 軽く踏み込んでジャンプし、陸の大きな背中に両足を揃えてかましたドロップキックは、実にきれいに決まった。
 不意を突かれたわりに、陸は膝をつくこともしなかった。
 重いカバンで見事にバランスをとり、その場に踏ん張って耐えた。
 さすがに本気で怒ったのだろう、整った顔を怒りに染めて振り返った陸だったが、そこで見たのは転んだまま涙を浮かべた、への字口をした空だった。
「どっ、どうせ飽きるのはそっちだろ、俺が誰とでも寝てきたからって、好きな男に誰とでも寝るやつとは付き合えないなんて言われて、傷つかないとでも思ってんのかよ」
「………」
「いつか捨てられるなら、最初からお前なんかいらないんだ!」
「……………」

 ずんずんと、怖い顔のまま陸が歩いてきた。
 尻餅をついたままの空を、グイッと片手で立ち上がらせると、パンパンと汚れを払う。
 向かい合ったまま視線を絡めて、陸が空に尋ねた。
「安藤 空。今も俺が好きだな」
「……う、あ、」
「素直になれ」
「うん……」
「俺も安藤 空のことが好きだ」
「えっ?」
「いつかを恐れるのは、愚か者のすることだと、俺は思う。だから空、俺の横に立て」
「それって、え……?」
「必死に努力しろ、協力は惜しまない。返事は?」
「は、はいっ」
 よし、と満足したのかようやく微笑んだ陸の言ったことを、空は半分も理解できていなかった。

 並んで歩きながら、空は陸に尋ねる。
「俺の事、好きなの?」
「好きだ、たぶん」
「……たぶん? どーゆうこと?」
「さぁ? 恋をしたのは初めてだから、好きなんだろう」
「………キスもセックスも、うまかったじゃん」
「それは嬉しい褒め言葉だが、全部あれが初めてだ」
 声にならない空の悲鳴が響き、陸が笑う声が風に乗った。


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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

お兄ちゃんができた!!

くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。 お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。 「悠くんはえらい子だね。」 「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」 「ふふ、かわいいね。」 律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡ 「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」 ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

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