今の君に伝えたい

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2.追いかけて

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***
 
 
自宅に戻るなり、湊は急いで自分の部屋へと向かう。
途中、リビングにいた母親と雅に声をかけられた。
 
「あら、友だちと会うんじゃなかったのー?」
「おかえりなさい、湊くん」
 
仲のいい家族に、隣人。
穏やかで不満のない生活。
 
病気や事故、事件とは無縁で、こんな日々をずっと送っていくものだと、漠然と思っていた。
 
湊は階段の手前でぴたりと立ち止まると、二人の方へ視線を移す。
そして、ニカッと明るい笑みを向けた。
 
「友だちは用事ができたみたいでさ。
それより、今からがっつり寝るから、起こさないでくれよ」
「あら、こんな昼間から?」
 
いつもと変わりない態度で、言えただろうか。
湊はバタバタと、急いで二階の自室へと駆け込んだ。
 
母親と雅は顔を見合わせ、お互いに首をかしげる。
 
「せっかくのお休みなのにねぇ」
「どうしたのかな……?」
 
しかし二人はあまり気に止めることなく、再び世間話に花を咲かせる。
 
湊が部屋に入ると、スゥ、と後を追ってきた死神も、ドアをすり抜けて入ってきた。
湊は振り返って、死神を見上げながら、先ほど病院で話したことを思い出す。
 
 
『……命をかけて、藤崎を説得って……』
『あー、あかんわな。ただの知り合いに、そんなこと頼めんか……』
 
“ただの知り合い”
 
死神のそのセリフに、思わずカチンとしてしまった。
むしろ、カンナとの関係は、知り合い以下の顔見知り程度と言われても言い返せないのだが。
 
『その……説得したら、藤崎は死なずにすむのか??』
『ああ。けどな、時間の問題なんだわ。こうしてる間にも、魂と肉体が切れかかっとる。残念やけど、』
『残念ってなんだよ!!
……オレが説得する』
 
キョトンとした様子の死神は、肩をすくめてみせる。
 
『……命がけって言うたよな? 時間がかかると、お前の魂も肉体から切れて死ぬことに……』
『ならさっさと説得しに行くぞ!』
 
たかが顔見知り程度の彼女のために?
命をかける理由なんて、どこにあるんだ?
 
ふと自分自身に問いかけてみるが、答えは出ない。
ただ。
 
『……約束、したんだ』
 
もう一度……。
もう一度、カンナに会いたかったから。
その気持ちだけは、ハッキリとしていたから。
 
 
「今から、お前の魂を少しだけ切り離す。全部切り離したら、死ぬからな」
「……頼むからミスんなよ、死神」
 
ベッドに横になる湊は、大鎌を見せる死神に顔を引きつらせながら言う。
 
元はと言えば、この死神の手違いのせいなのだ。
信用できなくとも、無理はない。
 
死神はというと、白骨のため表情は読み取れないが。
なんとなく、沈んだ空気を醸し出しているような気がする。
罪悪感を抱いてるのだろう。
 
「……オレの名前は、イアン。ま、オレもこれ以上のミスは困るんだわ。だから、お前は絶対に死なせんよ」
 
たとえ、藤崎カンナを連れ戻すことができなくても。
 
そう付け足された言葉を聞いて。
 
(……絶対に、連れ戻す)
 
湊はそう、心の中でかたく誓うのだった。
 
 
死神が、大鎌を振りかぶる。
魂を肉体から少しばかり切り離すためだ。
 
「……ッ!!」
 
ギュッと目を閉じ、湊はその瞬間を待った。
 
……しかし、いつまで待っても、体には何の衝撃も感じない。
かわりに、不思議な感覚に陥った。
 
妙な浮遊感。
まるで、夢の中で空を飛んでいる時のような気分だとでもいうのか。
 
そんな、よく分からない感覚に戸惑っていると。
 
「んじゃ、行くぞ」
 
イアンの言葉で、湊はようやくハッと我に返った。
そして、思わずギョッとしてしまう。
 
ベッドの上で目を閉じ、静かに眠る自分を見下ろしていたからだ。
 
「お、おう……」
 
これは、現実なのだろうか。
 
イアンについて空を飛びながら、今更だがそんな事をボンヤリ思う。
思わず頬を強くつねってみると、痛みが走った。
 
「いってぇ!」
「なにしとるんや、お前……」
「いや、夢じゃねーかなって思って……。つーかさ! なんで魂なのに痛みがあるんだよ!
おかしくねーか?」
 
なんて、ブツブツと文句を垂れていると、イアンがため息まじりに答えてくれた。
 
「そういうもんだ。魂の姿ていっても、生身の体と何もかわらんぞ。怪我もするし、腹も減るし、睡眠やってとる。
ま、死んだ人間はみんな驚くな」
「だろうな……」
「ついでに忠告しとく。生身の人間と違うのはな……魂が死ぬと、『無』になるんだわ。消滅」
「へ、へぇ……」
 
想像していた死後の世界とはまるで違うことに、湊はただ驚くばかりだ。
 
「それよりもだな……。
藤崎カンナは、霊界の入口から法廷に向かう決まりになっとる」
 
法廷に着くまでに、追いついて説得。
それができなきゃ、諦めろ。
 
そんなイアンの言葉に、湊はコクリと力強く頷いた。
 
 
***
 
 
人間は死んだあと、死神に案内されてあの世ーー霊界にある法廷へと向かう。
霊界の法廷で行われる裁判により、魂の行き先が決められるという。
いわゆる、天国か地獄に。
 
ちなみに、何らかの理由で霊界へ向かわなかった魂はというと、悪霊化してしまうらしい。
 
「……まぁ、お嬢さんは子どもの身代わりにもなっとるしの。心配せんでも、きっと天国へ行くことができるじゃろう」
「別に……心配なんか」
 
霊界へとやってきたカンナと死神は、広い花畑を歩いていた。
どこまでも続くようにも見える、美しい花畑の中を。
 
なんて幻想的な光景なのだろう、とカンナは思う。
それに、霊界へ向かうまでの浮遊感も不思議な感覚もなくなり、自分は生きているのではと勘違いしてしまいそうになる。
 
「まぁ、のんびり行くとしましょうかねぇ」
「……ええ」
 
言葉通り、死神はのんびりと花畑の中を進みだした。
カンナは死神の後をついて歩こうとしたが、ぴたりと立ち止まる。
そして振り返り、先ほど通った霊界の入口である空間の歪みを眺めた。
 
「…………」
 
後悔はしていない。
けれど。
……ふと思い出すのは、湊のことだった。
 
彼は、怒るだろう。
約束を守れなかったことを。……破ってしまったことを。
 
「……今なら、まだ間に合うと思うんじゃが?」
 
死神の声にハッとすると、カンナは首を小さく横に振る。
そんなつもりはないのだが、未練があるように見えたのだろうか。
 
「大丈夫……」
 
カンナは一度ギュッと目を閉じると、再び前を向き、スタスタと歩き出した。
凛とした表情からは、何の迷いも感じさせない。
もうずいぶん前から、この日が来ることを、こうなることを覚悟していたからかもしれない。
 
「……おや、見えてきましたな。あそこに見える洞窟を通れば、法廷まではすぐじゃよ」
 
いつの間にか花畑を抜けたカンナたちの前に、大きな岩肌にある洞窟が現れた。
見上げれば、入口の高さは数メートルはある。
 
奥の方は光の届かない、暗黒の世界。
どこまで続いているのかすら予想がつかない。
 
カンナは無意識に、体を小さく震わせる。
 
……暗闇は、嫌いだ。
孤独をより強く感じてしまうからだ。
 
しかし、そんなことは言ってられない。
カンナはゴクリと喉をならすと、洞窟へと向かって再び歩き出した。
 
死神が懐からランプのようなものを出すと、あたりがほんの少し明るくなる。
洞窟の中は、ランプの明かりを反射するようにキラキラとしていた。
 
「水晶……に何か映ってる……?」
 
巨大な水晶があちらこちらに見られる。
そして、水晶にはさまざまな懐かしい場面が、カンナが生まれてからのすべての映像が、あちらこちらの水晶に映し出されていたのだ。
 
「…………」
「……この洞窟内にある水晶はの、過去へと繋がっておるのじゃ」
「過去へ……?」
「法廷に着けば、もう後戻りはできんからの……。後悔のないよう、過去に遡ることができるのじゃよ……」
 
未来を変えることは、できないが。
突然の死を迎えたある者は、大切な人に別れの言葉を伝えたり。
ある者は、誰にも見られたくないモノの処分をこっそり行ったり。
本当に、人それぞれだ。
 
にわかには信じられないことだが。
カンナは、ただボンヤリとした表情で水晶を眺めながら、死神の話を聞いていた。
 
 
***
 
 
「……なぁ。ほんとに……この道で……合ってんのか……?」
 
ゼーゼーと、肩で息をしながらイアンに問う湊。
 
彼らは今、霊界の花畑を抜け、ひたすら洞窟の中を走り続けていた。
いや、イアンは浮いているため、走っているのは湊だけなのだが。
 
「霊界に来たら、まずここを通らにゃ法廷に向かえんからな。それに、娘の魂の糸を辿ってきたんやから、間違いない」
「ほんとかよ……。すっげー走ってきたのに……」
 
カンナに追いつくために。
こんなに走ったのは、学生の時以来ではないだろうか。
 
「お! ほら、噂をすれば……だわ」
「え?」
 
イアンの言葉に、湊が顔をあげて目をこらしてみると。
 
「……これは?」
 
いつからだろうか。
周りは、映像を映し出す不思議な水晶でいっぱいだった。
一番近くにある水晶に近づき、背を屈めて映像を覗いてみると。
 
「この子、藤崎か?」
 
中学生くらいだと思うが、確かにカンナの面影のある少女の姿がうつしだされていた。
家の手伝いだろうか。
食器を洗っているようだ。
 
「そうだ。お前の過去の映像じゃないってことは、近くに藤崎カンナがおる証拠やな」
 「過去?
……やべぇ。何コレめっちゃ美少女」
 
そんな趣味はないのだか、それが素直な感想である。
思わず昔のカンナを見ていると、不意に、幼いカンナが足を誰かに蹴られてしまった。
その相手は、どうやら同じ年頃の少女のようだ。
 
「なにしてんだ、こいつ……!」
 
映像相手に、湊が苛立ちながら声をあげると。
 
『さっさとしてよ、トロいんだから』
『ごめんなさい……』
『ホント辛気くさーい。なんでうちがこんな子あと1年も面倒見なきゃならないわけ??』
『…………』
『あんたも可哀想よね。生まれてすぐに親死んじゃって、親戚中からたらい回しにされてさ。私と違って、誰からも必要とされないんでしょ?』
 
映像から聞こえる、その信じられないやりとりに。
湊はギリ、と歯をくいしばる。
 
『高校? そんなもん、無理に決まってるだろ。遺産? お前を養ってやったんだから、うちのもんだ』
 
『卒業したら、出てってちょうだいね。うちは他所の子をいつまでも養ってやれるほど裕福じゃないの』
 
『可哀想~。ま、顔は悪くないんだから、夜のお店で働いたら? あっ、けどそんな暗い性格じゃ無理かぁ』
 
他の水晶の映像から聞こえる、数々の親戚たちからの暴言。
とてもじゃないが、これ以上聞いていられなかった。
 
ーーガッ……
 
気づいたら、水晶に拳をぶつけていて。
 
「あ」
「なんで、こんな目に合ってんだよ……。まだ中学生なのに……」
 
(オレがそばにいたら、こんな意地悪な親戚連中に言い返してやるのに。助けてやるのに。ーー守ってやるのに)
 
「お前、今これに触っ……」
「あ?」
 
イアンが頭を抱えながら、何かを言いかけると同時に。
 
湊が拳をぶつけた水晶が、まばゆいばかりに光り出す。
目を開けていられないほどの眩しさに、湊はギュッと目を閉じた。
 
グワングワン、と目が回るような感覚。
その後に体が一瞬宙に浮くような感覚に襲われる。
 
そして。
次に目を開けた時、湊はポツリとつぶやいた。
 
「……どこだ、ここ?」
 
今日のことは、やはり夢じゃないだろうか、と湊は思う。
なぜなら、あまりにも信じられないことばかりをたて続けに体験しているからだ。
 
今、湊がいるのは霊界の洞窟ではない。
見知らぬ病院らしき建物の中だった。
 
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