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「……お客様、本日の営業は終了いたしました。お帰りはあちらの、王子の落ちたドブ川方面へどうぞ」
エクレアの事務的な声が、静まり返ったサロンに響く。
だが、店の中央に座った銀髪の狼……フィナンシェ伯爵は、微動だにせず、手にした空のカップを見つめていた。
「ミルフィー様。私は今日、公使としてではなく、一人の男としてここに来ました」
「……あら。随分と湿っぽい口上ですこと。いつもの自信満々な貴方は、アールグレイの海にでも落としてきたのかしら?」
私は帳簿を閉じ、彼の正面に座り直した。
「単刀直入に言いましょう。アールグレイ王国の王室から、正式な許可を取りました。……ミルフィー・ラングドシャ。私の妻として、そして我が国の『国家スイーツ戦略顧問』として、私と共に来ていただきたい」
フィナンシェが、テーブルの上に一通の、これまでに見たこともないほど豪華な紋章が入った書状を置いた。
「……国家スイーツ、戦略顧問?」
「はい。貴女の商才と、あのクララ嬢を光り輝かせたプロデュース能力。それを我が国の国益のために振る舞ってほしい。……もちろん、妻としての地位も、公爵夫人としての特権も、全て貴女の自由にする権利を差し上げます」
フィナンシェの瞳は、これまでにないほど真剣だった。
カボチャ頭の王子とは違う。
彼は私の「外見」や「家柄」ではなく、私の「能力」と「魂」を欲しがっている。
「……報酬は、今の貴女の年商の十倍。そして、貴女が望むなら、あのクララ嬢を専属の『ヒロイン大使』として同行させる予算も確保してあります」
(……十倍。……そしてクララもセット。……条件としては、これ以上ないほど完璧だわ)
私は沈黙した。
窓の外では、雨が静かに降り始めている。
その時。
「……嫌ですぅぅぅぅーーー!!」
二階の階段から、ものすごい勢いで何かが転がり落ちてきた。
ピンク色の髪を振り乱し、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたクララである。
「お姉様! ダメです! その銀色の狼、お姉様をアールグレイの海に沈めるだけじゃ飽き足らず、仕事漬けにしてこき使うつもりですよ!」
クララは私の膝に縋り付き、フィナンシェを激しく指差した。
「クララ嬢、話を聞いていなかったのか? 私は彼女を自由にする権利を……」
「自由じゃないです! お姉様の自由は、お姉様が自分で決めるから自由なんです! 誰かから『差し上げられた自由』なんて、ただの、綺麗な名前がついた首輪です!」
クララの叫びに、私はハッと目を見開いた。
(……差し上げられた、自由)
確かにそうだ。
私は、レオン王子の隣にいる時、常に「王妃」という役割を演じるための自由を求め、結局は絶望した。
そして今、私は自分の足で立ち、自分の城を築いた。
「……フィナンシェ伯爵。貴方の提案は、実に見事だわ。一瞬、心が揺れたことを認めます」
私は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「ですが、私は誰かの『顧問』や『夫人』になりたいわけではありませんの。私は、私の物語の『主人公』でありたいのですわ。……そして、その物語に、貴方という『駒』は必要ありません」
「……駒、ですか」
フィナンシェが苦笑した。
「ええ。……ですが、ビジネスパートナーとしての『友人』なら、考えてあげなくもないわ。……貴方の国に、私の店の支店を出すのはどうかしら? もちろん、経営権は全て私。貴方は、私の下で『アールグレイ国内最高責任者』として、私の機嫌を取りながら働くのよ」
「……プロポーズした相手の、部下になれと?」
「あら、不服かしら? 私の下で働く方が、夫として家庭に縛られるより、ずっとスリルがあって面白いと思いませんこと?」
私は不敵に微笑み、フィナンシェに手を差し出した。
「お姉様……! 格好いい……! やっぱりお姉様は、誰の狼にもならない、孤高の女王様です!」
クララが目を輝かせて拍手をする。
「……ふ。完敗だ。……ミルフィー様、貴女という女性は、本当に……私の想像を遥かに超えていく」
フィナンシェは、私の手に、誓いの口づけではなく、契約の握手を交わした。
「分かりました。夫になるのは一旦諦め、貴女の『筆頭下僕』として、アールグレイでの市場開拓に励みましょう。……ただし、いつか貴女を驚かせるほどの利益を上げた時、また改めてプロポーズさせていただきますよ」
「期待せずに待っておきますわ」
私は手を離し、エクレアに目配せをした。
「エクレア。伯爵に、お帰りの際の手土産を。……一番苦い、でも癖になるビターチョコよ」
「承知いたしました。……伯爵、こちらが『主従関係の味』でございます」
フィナンシェが去った後、サロンには再び、私たちだけの穏やかな時間が戻ってきた。
「お姉様! 私、怖かったです! お姉様が遠くへ行っちゃうかと思って……」
「バカね。貴女を置いて、どこへ行くというのよ。……さあ、クララ。泣き止みなさい。明日からは、アールグレイ進出に向けた特訓を始めるわよ」
「ええっ!? また特訓ですかぁ!?」
「当たり前でしょう。……私の『マブダチ』は、世界一のヒロインでなきゃいけないんだから」
私は、泣きべそをかくクララの頭を乱暴に撫でた。
決断は下された。
私は、誰の所有物にもならない。
最高に自由で、最高に欲張りな悪役令嬢として、世界を甘く塗り替えていくのだ。
エクレアの事務的な声が、静まり返ったサロンに響く。
だが、店の中央に座った銀髪の狼……フィナンシェ伯爵は、微動だにせず、手にした空のカップを見つめていた。
「ミルフィー様。私は今日、公使としてではなく、一人の男としてここに来ました」
「……あら。随分と湿っぽい口上ですこと。いつもの自信満々な貴方は、アールグレイの海にでも落としてきたのかしら?」
私は帳簿を閉じ、彼の正面に座り直した。
「単刀直入に言いましょう。アールグレイ王国の王室から、正式な許可を取りました。……ミルフィー・ラングドシャ。私の妻として、そして我が国の『国家スイーツ戦略顧問』として、私と共に来ていただきたい」
フィナンシェが、テーブルの上に一通の、これまでに見たこともないほど豪華な紋章が入った書状を置いた。
「……国家スイーツ、戦略顧問?」
「はい。貴女の商才と、あのクララ嬢を光り輝かせたプロデュース能力。それを我が国の国益のために振る舞ってほしい。……もちろん、妻としての地位も、公爵夫人としての特権も、全て貴女の自由にする権利を差し上げます」
フィナンシェの瞳は、これまでにないほど真剣だった。
カボチャ頭の王子とは違う。
彼は私の「外見」や「家柄」ではなく、私の「能力」と「魂」を欲しがっている。
「……報酬は、今の貴女の年商の十倍。そして、貴女が望むなら、あのクララ嬢を専属の『ヒロイン大使』として同行させる予算も確保してあります」
(……十倍。……そしてクララもセット。……条件としては、これ以上ないほど完璧だわ)
私は沈黙した。
窓の外では、雨が静かに降り始めている。
その時。
「……嫌ですぅぅぅぅーーー!!」
二階の階段から、ものすごい勢いで何かが転がり落ちてきた。
ピンク色の髪を振り乱し、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたクララである。
「お姉様! ダメです! その銀色の狼、お姉様をアールグレイの海に沈めるだけじゃ飽き足らず、仕事漬けにしてこき使うつもりですよ!」
クララは私の膝に縋り付き、フィナンシェを激しく指差した。
「クララ嬢、話を聞いていなかったのか? 私は彼女を自由にする権利を……」
「自由じゃないです! お姉様の自由は、お姉様が自分で決めるから自由なんです! 誰かから『差し上げられた自由』なんて、ただの、綺麗な名前がついた首輪です!」
クララの叫びに、私はハッと目を見開いた。
(……差し上げられた、自由)
確かにそうだ。
私は、レオン王子の隣にいる時、常に「王妃」という役割を演じるための自由を求め、結局は絶望した。
そして今、私は自分の足で立ち、自分の城を築いた。
「……フィナンシェ伯爵。貴方の提案は、実に見事だわ。一瞬、心が揺れたことを認めます」
私は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「ですが、私は誰かの『顧問』や『夫人』になりたいわけではありませんの。私は、私の物語の『主人公』でありたいのですわ。……そして、その物語に、貴方という『駒』は必要ありません」
「……駒、ですか」
フィナンシェが苦笑した。
「ええ。……ですが、ビジネスパートナーとしての『友人』なら、考えてあげなくもないわ。……貴方の国に、私の店の支店を出すのはどうかしら? もちろん、経営権は全て私。貴方は、私の下で『アールグレイ国内最高責任者』として、私の機嫌を取りながら働くのよ」
「……プロポーズした相手の、部下になれと?」
「あら、不服かしら? 私の下で働く方が、夫として家庭に縛られるより、ずっとスリルがあって面白いと思いませんこと?」
私は不敵に微笑み、フィナンシェに手を差し出した。
「お姉様……! 格好いい……! やっぱりお姉様は、誰の狼にもならない、孤高の女王様です!」
クララが目を輝かせて拍手をする。
「……ふ。完敗だ。……ミルフィー様、貴女という女性は、本当に……私の想像を遥かに超えていく」
フィナンシェは、私の手に、誓いの口づけではなく、契約の握手を交わした。
「分かりました。夫になるのは一旦諦め、貴女の『筆頭下僕』として、アールグレイでの市場開拓に励みましょう。……ただし、いつか貴女を驚かせるほどの利益を上げた時、また改めてプロポーズさせていただきますよ」
「期待せずに待っておきますわ」
私は手を離し、エクレアに目配せをした。
「エクレア。伯爵に、お帰りの際の手土産を。……一番苦い、でも癖になるビターチョコよ」
「承知いたしました。……伯爵、こちらが『主従関係の味』でございます」
フィナンシェが去った後、サロンには再び、私たちだけの穏やかな時間が戻ってきた。
「お姉様! 私、怖かったです! お姉様が遠くへ行っちゃうかと思って……」
「バカね。貴女を置いて、どこへ行くというのよ。……さあ、クララ。泣き止みなさい。明日からは、アールグレイ進出に向けた特訓を始めるわよ」
「ええっ!? また特訓ですかぁ!?」
「当たり前でしょう。……私の『マブダチ』は、世界一のヒロインでなきゃいけないんだから」
私は、泣きべそをかくクララの頭を乱暴に撫でた。
決断は下された。
私は、誰の所有物にもならない。
最高に自由で、最高に欲張りな悪役令嬢として、世界を甘く塗り替えていくのだ。
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