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ミクル様がいなくなり、灰色の静寂が訪れるかと思われたアストレア王宮。
しかし、現実は違いました。
聖女リリィの私室からは、連日のように華やかな笑い声と、見たこともない贅沢な品々が運び込まれる音が響いていたのです。
「まあ! このルビー、わたくしの瞳にぴったりですわ! これも、あちらのサファイアのティアラも買い取りますわね」
リリィは宝石商を前に、上機嫌で指を鳴らしました。
彼女の周りには、最高級のシルクで作られたドレスや、他国から取り寄せた希少な香料が山積みになっています。
宝石商は揉み手をしながら、少し困ったような顔で帳簿を開きました。
「リリィ様、大変ありがたいのですが……お支払いのほうは、どちらの予算から頂戴すればよろしいでしょうか?」
リリィは、宝石の輝きをうっとりと眺めながら、当然という顔で答えました。
「決まっていますわ。王宮の『慈善活動費』から出しておきなさいな。わたくしが美しく輝くことで、民の心は救われるのですから。これは立派な公務ですわよ?」
「し、しかし……慈善活動費は既に、昨年度の三倍以上に膨れ上がっておりまして。これ以上は財務官の許可が……」
「うるさいですわね。わたくしを誰だと思っているの? アルヴィス様が最も愛する聖女ですわよ。文句があるなら、彼に直接言いなさいな」
リリィは冷たく言い放ち、宝石商を追い出しました。
一人になったリリィは、鏡の前で豪華なネックレスを首に当て、醜い笑みを浮かべました。
「おーっほっほっほ! あー、せいせいしますわ。あのケチなミクル様がいた頃は、ドレス一着新調するのにも『予算の無駄です』なんて嫌味を言われていましたもの」
彼女は、ミクルが深夜まで目を皿のようにして管理していた帳簿を、ただの「窮屈な縛り」としか思っていませんでした。
聖女という立場を利用すれば、無限に金が湧いてくると信じて疑わないのです。
そこへ、顔色の悪い財務官が飛び込んできました。
「聖女様! お止めください! 先ほど注文された特注の馬車、あのような金細工を施したものは、今の国庫には……!」
リリィはわざとらしく溜息をつき、目元をハンカチで押さえました。
「……ひどいですわ。わたくし、国民の幸せを祈るために移動するのです。それなのに、あんなボロい馬車に乗れとおっしゃるの? ああ、胸が痛むわ……」
「そ、それは……しかし、数字が合いません!」
「数字なんて、後で適当に書き換えればいいじゃない。あ、そうだ。ミクル様の公爵家への支援金をカットして、こちらに回しなさいな。あの方はもう他国の人間なのですから、必要ありませんわ」
財務官は絶句しました。
公爵家への資金は、もともと国境付近の治水事業などの重要なインフラに紐付いたものです。
それを個人の贅沢のために流用するなど、国家の自殺行為に等しいことでした。
「できないというのなら、アルヴィス様に言いますわよ? あなたがわたくしを虐めて、祈りを妨げているって」
「……っ。しょ、承知いたしました……」
財務官がフラフラと立ち去った後、リリィは鼻歌交じりに新作の香水を振り撒きました。
「ふふん。アルヴィス様はわたくしが泣けば何でも許してくださるし、邪魔なミクル様もいない。ここはわたくしの天国ですわね」
彼女は、自分が食いつぶしているのが「王国の未来」であることに、一ミリも気づいていませんでした。
ミクルという防波堤がなくなった王宮の金庫は、底の抜けた桶のように、みるみると空っぽになっていきました。
その頃、アルヴィスは執務室で、謎の『使途不明金』が爆発的に増えている報告書を前に、ただ頭を抱えていました。
「リリィが使う金は、聖女としての活動に必要な経費だと言っていたが……。まさか、これほどまでとは……」
アルヴィスは、かつてミクルが「贅沢は国を滅ぼします。一シリングの無駄も許しませんわ」と口酸っぱく言っていた時の、厳しい横顔を思い出していました。
当時はその言葉を「ケチで可愛げのない女の小言」と切り捨てていましたが、今となっては、それがどれほど深い慈愛と責任感に基づいたものだったかを、身を持って知ることになるのでした。
「……ミクル、お前なら、こういう時どうするんだ……」
アルヴィスの呟きに答える者は、もう誰もいません。
聖女リリィの欲望という名の嵐が、アストレア王国を静かに、しかし確実に蝕んでいくのでした。
しかし、現実は違いました。
聖女リリィの私室からは、連日のように華やかな笑い声と、見たこともない贅沢な品々が運び込まれる音が響いていたのです。
「まあ! このルビー、わたくしの瞳にぴったりですわ! これも、あちらのサファイアのティアラも買い取りますわね」
リリィは宝石商を前に、上機嫌で指を鳴らしました。
彼女の周りには、最高級のシルクで作られたドレスや、他国から取り寄せた希少な香料が山積みになっています。
宝石商は揉み手をしながら、少し困ったような顔で帳簿を開きました。
「リリィ様、大変ありがたいのですが……お支払いのほうは、どちらの予算から頂戴すればよろしいでしょうか?」
リリィは、宝石の輝きをうっとりと眺めながら、当然という顔で答えました。
「決まっていますわ。王宮の『慈善活動費』から出しておきなさいな。わたくしが美しく輝くことで、民の心は救われるのですから。これは立派な公務ですわよ?」
「し、しかし……慈善活動費は既に、昨年度の三倍以上に膨れ上がっておりまして。これ以上は財務官の許可が……」
「うるさいですわね。わたくしを誰だと思っているの? アルヴィス様が最も愛する聖女ですわよ。文句があるなら、彼に直接言いなさいな」
リリィは冷たく言い放ち、宝石商を追い出しました。
一人になったリリィは、鏡の前で豪華なネックレスを首に当て、醜い笑みを浮かべました。
「おーっほっほっほ! あー、せいせいしますわ。あのケチなミクル様がいた頃は、ドレス一着新調するのにも『予算の無駄です』なんて嫌味を言われていましたもの」
彼女は、ミクルが深夜まで目を皿のようにして管理していた帳簿を、ただの「窮屈な縛り」としか思っていませんでした。
聖女という立場を利用すれば、無限に金が湧いてくると信じて疑わないのです。
そこへ、顔色の悪い財務官が飛び込んできました。
「聖女様! お止めください! 先ほど注文された特注の馬車、あのような金細工を施したものは、今の国庫には……!」
リリィはわざとらしく溜息をつき、目元をハンカチで押さえました。
「……ひどいですわ。わたくし、国民の幸せを祈るために移動するのです。それなのに、あんなボロい馬車に乗れとおっしゃるの? ああ、胸が痛むわ……」
「そ、それは……しかし、数字が合いません!」
「数字なんて、後で適当に書き換えればいいじゃない。あ、そうだ。ミクル様の公爵家への支援金をカットして、こちらに回しなさいな。あの方はもう他国の人間なのですから、必要ありませんわ」
財務官は絶句しました。
公爵家への資金は、もともと国境付近の治水事業などの重要なインフラに紐付いたものです。
それを個人の贅沢のために流用するなど、国家の自殺行為に等しいことでした。
「できないというのなら、アルヴィス様に言いますわよ? あなたがわたくしを虐めて、祈りを妨げているって」
「……っ。しょ、承知いたしました……」
財務官がフラフラと立ち去った後、リリィは鼻歌交じりに新作の香水を振り撒きました。
「ふふん。アルヴィス様はわたくしが泣けば何でも許してくださるし、邪魔なミクル様もいない。ここはわたくしの天国ですわね」
彼女は、自分が食いつぶしているのが「王国の未来」であることに、一ミリも気づいていませんでした。
ミクルという防波堤がなくなった王宮の金庫は、底の抜けた桶のように、みるみると空っぽになっていきました。
その頃、アルヴィスは執務室で、謎の『使途不明金』が爆発的に増えている報告書を前に、ただ頭を抱えていました。
「リリィが使う金は、聖女としての活動に必要な経費だと言っていたが……。まさか、これほどまでとは……」
アルヴィスは、かつてミクルが「贅沢は国を滅ぼします。一シリングの無駄も許しませんわ」と口酸っぱく言っていた時の、厳しい横顔を思い出していました。
当時はその言葉を「ケチで可愛げのない女の小言」と切り捨てていましたが、今となっては、それがどれほど深い慈愛と責任感に基づいたものだったかを、身を持って知ることになるのでした。
「……ミクル、お前なら、こういう時どうするんだ……」
アルヴィスの呟きに答える者は、もう誰もいません。
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