婚約破棄、できないなんて聞いてないんですけど?

恋の箱庭

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「……もう、嫌。どうやっても勝てませんわ」


私は自室のバルコニーで、月を見上げながら力なく呟いた。


悪事を働けば働くほど、王宮内での私の株は上がり、レオンハルト殿下の愛は深まるばかり。

昨日なんて、私の書いた「呪いの手紙」を殿下が額装して自分の寝室に飾ったという噂まで流れてきた。

もう、何が正解なのか分かりませんわ。


そこへ、バルコニーのすぐ下から、聞き慣れた美しい声が響いた。


「マリア。こんな夜更けに、月と語り合っているのかい?」


「……殿下? なぜこんなところに」


見下ろすと、そこには夜風に髪をなびかせたレオンハルト殿下が立っていた。

しかも、なぜか梯子(はしご)を抱えている。


「君があまりにも一生懸命に『悪役』を演じようと頑張るからね。僕も誠実な婚約者として、君の熱意に応えなければならないと思ったんだ」


殿下は手際よく梯子をかけ、スルスルと私のいるバルコニーまで登ってきた。

……王子様が夜這い、いえ、不法侵入まがいのことをしていいのですか。


「いいかい、マリア。君はこれまで、僕のためにたくさんの『贈り物』をくれた。割れた壺、面白い笑い声、前衛的な化粧、そしてあのお手紙……」


「贈り物じゃありませんわ、嫌がらせです」


「僕は決心したんだ。君のその深い愛に、僕も全力で『反撃』することをね」


レオンハルト様の瞳が、月の光を反射して怪しく、そして誠実に輝いた。

反撃? ついに、殿下も私の横暴に耐えかねて、何か制裁を下してくださるの!?


私は期待に胸を膨らませ、一歩前に出た。


「望むところですわ! さあ、私をどうなさるおつもり!? 地下に閉じ込める!? それとも、今すぐ婚約解消の書状を突きつける!?」


「いいや。君が僕を思って『悪』を演じるなら、僕は君を愛でることで『善』を証明しよう」


レオンハルト様は、私の腰を強引に引き寄せ、耳元で甘く囁いた。


「マリア……今から夜明けまで、君の素晴らしいところを千個、数え上げさせてもらうよ」


「……はい?」


「まずは一つ目。その、反論しようとして可愛らしく膨らんだ頬。二つ目。僕を陥れようと思案している時の、真剣な眼差し。三つ目。悪口を言おうとして、結局いつも少しだけ僕を気遣ってしまう、その不器用な舌先……」


「待って、待ってください! それのどこが反撃なんですの!?」


「僕にとっては命懸けの反撃だよ。君の魅力を語り尽くさない限り、僕は一歩もここを動かない。さあ、四つ目だ……」


殿下の言葉は止まらない。

逃げようとしても、その強靭な腕に抱きしめられ、甘い毒のような褒め言葉が絶え間なく降り注ぐ。


「九十九個目。字が汚すぎて判読不能な、そのアーティスティックな感性。百個目。僕に塩を投げようとして、間違えて砂糖を投げた時の、慌てた顔……」


「うあああああ! 恥ずかしいですわ! 止めてください! それ、全部私の失敗談ではありませんか!!」


「失敗? 違うな、それは『マリアという名の奇跡』だ」


誠実すぎる。

この人は、私の欠点の一つ一つを拾い上げ、それを磨き上げて宝石のように私に投げ返してくる。


一時間が経過した。

殿下はまだ三百個目あたりで、私の「寝癖の可愛さ」について熱弁を振るっている。


「……もう、許してください。私が悪うございました」


「どうしたんだい? まだ夜は長いよ。君の素晴らしさは、千個どころか無限にあるんだから」


「これ、拷問ですわ! 精神的な公開処刑ですわーーー!!」


私は殿下の胸板に顔を埋め、赤面という名の敗北を認めるしかなかった。

嫌われようとして頑張った結果が、まさかの「一晩中褒め殺し」という名の反撃。


「四百二個目。今、僕の胸でジタバタしている、その小動物のような愛らしさ……」


「殿下……もう、寝かせてください……」


「ダメだよ。君が『悪役』を辞めると言うまで、僕の誠実な愛の攻撃は終わらない」


背後で、梯子の下を見守っていたケイン様が「……殿下、明日も公務があるんですが。あと、それセクハラに近いですよ」とボヤいているのが聞こえたが、今のレオンハルト様の耳には届かないようだった。


悪役令嬢への道。

第九の作戦……というか、王子の反撃によって、私は「愛の重圧」という名の、底なし沼に引きずり込まれていくのであった。
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