婚約破棄と自由なセカンドライフを望みます。

恋の箱庭

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「ミュークオ・ド・ベルシュカ! 貴様との婚約を、たった今この場をもって破棄させてもらう!」

きらびやかなシャンデリアが輝く夜会会場。その中央で、レオポルド皇太子が朗々と声を張り上げた。
隣には、いかにも「守ってあげたい」と言わんばかりの表情で震える男爵令嬢のリリィが寄り添っている。

周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返った。
まさに物語のクライマックス。そんな空気が会場を支配する中、当の本人であるミュークオは――手に持っていたカナッペを飲み込むまで、わずか三秒の沈黙を置いた。

「承知いたしました。では、失礼します」

「……は?」

踵を返そうとしたミュークオの動きに、レオポルドの思考が停止した。
怒鳴られるか、泣きつかれるか、あるいは無実を訴えられるか。
数多のシミュレーションを重ねてこの舞台を用意した皇太子にとって、この反応は完全に想定外だった。

「待て! 待て待て! 何だその『今日の晩御飯はパンです』みたいな軽い返事は!」

「殿下、私は非常に多忙なのです。婚約破棄という結論が出たのであれば、もはや私がここに留まる理由はありません。次の予定がありますので」

ミュークオは無表情のまま、扇で自らの喉元を仰いだ。
彼女にとってこの夜会は、婚約者としての義理を果たすためだけの「無報酬の残業」に過ぎなかったのだ。

「次の予定だと!? この期に及んで何の用があるというのだ!」

「睡眠です。明朝は五時起きですので」

「……寝るのか? この状況で?」

「ええ。睡眠不足は肌のツヤだけでなく、事務処理能力にも著しい低下を招きます。……ところで殿下、婚約破棄となれば、私が代行していた王宮の執務、および予算編成の最終チェックはどうされますか?」

レオポルドは一瞬、言葉に詰まった。
だが、隣でリリィが「殿下ぁ、怖い顔をしないでくださいませぇ」と袖を引くと、すぐに鼻を鳴らして胸を張った。

「ふん、あんなものはカイルたちにやらせれば済むことだ! 貴様のような冷徹な女に頼らずとも、愛に溢れた新しい国をリリィと共に作ってみせる!」

「左様でございますか。それは重畳。リリィ様、殿下をよろしくお願いいたします。あ、念のため、過去三カ月分の立替経費精算書を後ほど送付いたしますので、速やかに決済をお願いしますね」

「えっ? けっ、けっさい……?」

リリィが首を傾げる。その可愛らしい動作を、ミュークオは「あ、これ計算できないタイプだな」と一瞬で切り捨てた。

「おい、ミュークオ! 貴様、自分が何をされたか分かっているのか! これは断罪だぞ! リリィへの嫌がらせの数々、俺はすべて把握しているんだからな!」

「嫌がらせ……。ああ、彼女が提出した企画書の誤字脱字を赤ペンで修正して、三十回ほど差し戻した件でしょうか」

「それだ! 彼女はショックで三日三晩泣き明かしたのだぞ!」

「それは大変失礼いたしました。次は四十回差し戻すところでした。手間が省けて助かります」

「貴様という女は……!」

レオポルドが顔を真っ赤にして指を指す。
しかし、ミュークオの心はすでにここにはなかった。
脳内では、自室のベッドの柔らかさと、明日から自由になる時間の計算が高速で弾き出されている。

「では殿下、婚約破棄の成立を公的に証明するため、こちらの書類にサインをいただけますか?」

ミュークオは、どこからともなく取り出した羊皮紙をレオポルドの前に差し出した。

「なっ……なんだこれは。いつの間に用意した!」

「殿下がリリィ様と頻繁に密会されているという報告を受けた時点で、三パターンほど作成しておきました。今回は『性格の不一致による円満(一方的)解消』のテンプレートを使用しております。予備も含めて三通あります」

「準備が良すぎるだろうが!」

「効率主義なもので。さあ、こちらにサインを。そうすれば、私は今すぐこの場から消え失せます。殿下はリリィ様と心ゆくまで愛を語り合える。win-winですね」

レオポルドは毒気を抜かれたように、差し出されたペンを握らされた。
ミュークオの放つ圧倒的な「仕事モード」のオーラに、逆らう術を持たなかったのだ。

「……書けばいいんだろう、書けば!」

殴り書きのようなサインが記される。
ミュークオはそれを素早く回収し、インクが乾くのを待たずに懐へ収めた。

「ありがとうございます。それでは皆様、良い夜をお過ごしください。リリィ様、殿下の機嫌取りという名の重労働、頑張ってくださいね。応援はしませんが、同情はいたします」

「え、あ、はい……?」

呆然とするリリィと、何か言いかけようとして口をパクパクさせているレオポルド。
その二人を置き去りにして、ミュークオはドレスの裾を翻し、一度も振り返ることなく会場を後にした。

(よし。これで明日の朝は、誰にも邪魔されずに二度寝ができる……!)

馬車に乗り込んだ瞬間、ミュークオの口元が今日一番の角度で吊り上がった。
悪役令嬢としての汚名? 社交界からの追放?
そんなもの、朝の静寂と温かい紅茶の快適さに比べれば、ゴミ同然であった。
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