婚約破棄と自由なセカンドライフを望みます。

恋の箱庭

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「ミュークオ様ぁ! ミュークオ様ぁぁ! 出てきてくださいませぇ!」


カイルの屋敷の、手入れの行き届いた静かな庭園に、場違いな金切り声が響き渡った。
門番の制止を振り切り、ドレスの裾を泥で汚しながら走ってきたのは、他でもないリリィだった。


ミュークオは、新作の「快眠ハーブティー」を一口含み、ゆっくりとカップを置いた。


「……アンナ。門番に『不審者には塩を』と言っておいたはずですが」


「申し訳ございません、ミュークオ様。あまりの勢いに、守衛も毒気を抜かれたようで……」


リリィはミュークオの寝椅子の前まで来ると、その場に崩れ落ちるように泣き出した。


「ひどいですわぁ、ミュークオ様! 殿下が、殿下がちっとも贅沢させてくれませんの! おやつはクッキー三枚までだし、新しいドレスをお願いしたら『今は国庫が空だから、カーテンでも巻いておけ』なんて言われましたわぁ!」


ミュークオは、感情の起伏が一切ない冷ややかな視線をリリィに向けた。


「リリィ様。それは大変でしたわね。ですが、なぜそれを私に報告しに来たのかしら。私はもう、殿下の婚約者でも、ましてや家計簿係でもありませんのよ」


「だって、ミュークオ様がいた頃は、殿下はあんなに景気良くお金を使っていたじゃありませんかぁ! どうして私には、カーテンを巻けなんて言うんですの!?」


ミュークオは、ふっと薄く笑った。


「それは簡単なことですわ。私がいた頃は、私が『稼いでいた』からです。殿下の放蕩を補うために、私が投資を行い、産業を興し、無駄な歳出を百分の一に削っていましたの。つまり、私が殿下の『打ち出の小槌』だったわけですわね」


「えっ? お、お金って、王子様なら空から降ってくるものじゃないんですかぁ?」


リリィの衝撃の発言に、背後で控えていたカイルが思わず吹き出した。


「……ミュークオ、今の聞いたかい? この国の教育制度を見直す必要がありそうだ」


「閣下、笑い事ではありませんわ。リリィ様、いいですか。贅沢とは、安定したキャッシュフローの上に成り立つ『余剰利益の消費』のことです。今の殿下には、そのキャッシュフローを生み出す頭脳(私)がいません。残っているのは、私が慰謝料でむしり取った後の『空っぽの金庫』だけですわ」


ミュークオは指を一本立て、リリィの鼻先に突きつけた。


「カーテンを巻けと言われたのは、それが殿下に出せる唯一の、最高級の妥協案だったからです。殿下を愛しているのでしょう? ならば、そのカーテンをいかにファッショナブルに着こなすか、経営努力をなさい」


「そんなの、いやですぅ……。私、ミュークオ様みたいに、キラキラした宝石に囲まれて、毎日お昼寝して過ごしたいんですぅ!」


「リリィ様。私のこの『優雅な昼寝』は、昨夜までに片付けた三千通の書類処理という『先行投資』の上に成り立っています。楽をして贅沢をしたいのであれば、まずは複式簿記を覚え、市場価格の変動を読み、二十四時間戦う覚悟をお持ちなさい」


ミュークオは、テーブルに置いてあった「初心者向けの会計学」の本を、リリィの腕にどさりと乗せた。


「……これを明日までに読破し、殿下の資産運用計画書を提出なさい。それができれば、私の余ったドレスを一着くらい、寄付してあげてもよろしくてよ」


「こ、これ、全部読むんですかぁ!? 絵が、絵が一枚もありませんわぁ!」


「ええ。読まないなら、一生カーテンを巻いて過ごすことですわね」


リリィは、まるで呪いのアイテムでも持たされたかのように本を抱え、ふらふらと立ち去っていった。


「ミュークオ、君は案外お人好しだね。彼女に『稼ぐ術』を教えようとするなんて」


カイルが感心したように、ミュークオの肩を抱き寄せた。


「お人好し? 心外ですわ。私はただ、彼女が殿下に『もっとお小遣いをちょうだい』とせがむ時間を、読書の苦しみに変えてあげただけです。……殿下への、ささやかな嫌がらせ(支援)ですわ」


「なるほど。……やはり、君を敵に回さなくて正解だった」


カイルが彼女の耳元で囁く。
ミュークオは「……閣下。近いです。不必要な接触は、一回につき金貨一枚の加算ですわよ」と返したが、その頬は少しだけ緩んでいた。
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