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「……閣下。今、私の耳は『伝説の月光シルク』という、この世の全ての摩擦をゼロにする布地の噂をキャッチしましたわ」
カイルの屋敷の執務室。ミュークオは、計算機を弾く手を止め、窓の外を遠く見つめて呟いた。
その瞳には、かつてないほどの情熱――すなわち「完璧な眠り」への執着が宿っている。
「ああ。隣国のシルクロード商会が独占している、あの希少な素材のことだね。一反で家が建つと言われるほどの高価な品だが、君が欲しがると思っていたよ」
カイルは、すでに用意していた資料をミュークオのテーブルに置いた。
彼は、彼女が「より良い睡眠」のためなら、国家間の力関係すら書き換えることを熟知しているのだ。
「一反で家が建つ? 非効率の極みですわ。素材そのものの価値ではなく、流通の独占による『ぼったくり』の価格設定でしょう。……アンナ、商会の代表をここに呼びなさい。三十分以内に」
「ミュークオ様。お言葉ですが、シルクロード商会のバロン代表は、泣く子も黙る強欲な商人として有名ですわ。そう簡単に呼び出しに応じるでしょうか……」
アンナが不安そうに首を傾げる。ミュークオは冷たく笑った。
「『現在、貴殿の商会が抱えている不良在庫のハーブティー、すべて私が買い取って差し上げてもよろしくてよ』……と伝えなさい。商人は『損切り』という言葉に一番弱いですから」
十五分後。
息を切らしてやってきたのは、金ピカの指輪をこれでもかと指にはめた小太りの男、バロン代表だった。
「おーほっほ! ミュークオ様、我が商会の不良在庫……ではなく、秘蔵のハーブティーをお買い上げいただけるとか! 流石はお目が高い!」
バロンは揉み手をしながら椅子に座った。だが、ミュークオは彼の手土産の茶にも手をつけず、単刀直入に切り出した。
「ハーブティーの話はついでですわ。私が欲しいのは、貴方の商会が抱えている『月光シルク』の全在庫、およびその生産地である養蚕村の独占契約権です」
バロンの顔から、営業スマイルが消えた。
「……お嬢様。冗談はやめていただきたい。あのシルクは、我が商会の命。いくら貴女が宰相閣下の婚約者とはいえ、安売りするわけにはいきませんぞ。価格は一反につき金貨五百枚……これが最低ラインですな」
「五百枚? バロン様。貴方の商会、最近、南方の海運ルートで三隻の商船を嵐で失いましたわね。その損失を埋めるために、月光シルクの価格を昨年の二倍に吊り上げている……違いますかしら?」
ミュークオが、一枚の帳簿の写しをテーブルに叩きつけた。カイルが裏で手を回して入手した、極秘の財務データだ。
「な……っ!? な、なぜそれを……!」
「データの漏洩は不注意の証ですわ。非効率な管理体制ですこと。……いいですか。貴方が提示した価格で売れるのは、年に数反。ですが、私が提案するのは『一括全量買取』と『ベルシュカ・ブランド』としての共同開発ですわ」
ミュークオは扇を広げ、バロンを追い詰めるように身を乗り出した。
「私が開発した安眠枕と、貴方のシルクを組み合わせる。そうすれば、ターゲットは一握りの大富豪から、世界中の『眠りに悩む中産階級』へと広がります。薄利多売? いいえ、圧倒的な物量による市場支配ですわ」
「し、市場支配……」
「貴方の商会は今すぐ現金が必要。私は究極の肌触りが欲しい。利害は一致していますわ。価格は一反につき金貨五十枚。その代わり、今後十年の流通は私が全て管理します。……サインなさいます? それとも、このまま商船の負債で倒産なさいます?」
バロンは滝のような汗を流し、ミュークオの背後に立つカイルを見た。カイルはただ、優雅に微笑みながら「彼女の計算は、一度も間違ったことがないよ」とだけ言った。
「……わ、分かりました。サインします。ミュークオ様、貴女は商人よりも恐ろしい……!」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ。……アンナ、バロン様を出口まで。あ、不良在庫のハーブティーは、殿下のマッサージ室の消臭剤として再利用しますから、地下へ運んでおいて」
商人が逃げるように去っていくと、ミュークオは深く椅子に寄りかかった。
「……ふぅ。これでようやく、私のパジャマを最高級の月光シルクに新調できますわ」
「ミュークオ。君は自分の寝巻きを作るために、隣国の巨大商会を一つ傘下に収めてしまったのかい?」
カイルが感心したように、彼女の肩を揉み始めた。
「あら、閣下。これは『投資』ですわ。完璧なパジャマは、睡眠の質を五%向上させます。その五%が、翌日の私の事務処理能力を二割増しにするのです。世界経済にとっては、安い買い物ではありませんこと?」
「……君の理屈には、神様でも勝てそうにないね。だが、その完璧なパジャマ姿を最初に見るのは、私であるという特権も契約に含まれているかな?」
カイルが彼女の耳元で囁くと、ミュークオは少しだけ顔を赤くし、彼の手を軽く叩いた。
「……閣下。その要望は『独占契約』になりますわよ。相応の対価を期待しておりますわ」
「ああ。一生かけて、君に最高の安眠をプレゼントし続けるよ」
ミュークオは満足げに目を閉じ、新しいシルクに包まれて眠る自分を想像した。
効率主義の令嬢による市場制圧。それは、彼女の寝室をさらに天国へと近づけ、同時に王国の経済をかつてない「絹の時代」へと導いていくのであった。
カイルの屋敷の執務室。ミュークオは、計算機を弾く手を止め、窓の外を遠く見つめて呟いた。
その瞳には、かつてないほどの情熱――すなわち「完璧な眠り」への執着が宿っている。
「ああ。隣国のシルクロード商会が独占している、あの希少な素材のことだね。一反で家が建つと言われるほどの高価な品だが、君が欲しがると思っていたよ」
カイルは、すでに用意していた資料をミュークオのテーブルに置いた。
彼は、彼女が「より良い睡眠」のためなら、国家間の力関係すら書き換えることを熟知しているのだ。
「一反で家が建つ? 非効率の極みですわ。素材そのものの価値ではなく、流通の独占による『ぼったくり』の価格設定でしょう。……アンナ、商会の代表をここに呼びなさい。三十分以内に」
「ミュークオ様。お言葉ですが、シルクロード商会のバロン代表は、泣く子も黙る強欲な商人として有名ですわ。そう簡単に呼び出しに応じるでしょうか……」
アンナが不安そうに首を傾げる。ミュークオは冷たく笑った。
「『現在、貴殿の商会が抱えている不良在庫のハーブティー、すべて私が買い取って差し上げてもよろしくてよ』……と伝えなさい。商人は『損切り』という言葉に一番弱いですから」
十五分後。
息を切らしてやってきたのは、金ピカの指輪をこれでもかと指にはめた小太りの男、バロン代表だった。
「おーほっほ! ミュークオ様、我が商会の不良在庫……ではなく、秘蔵のハーブティーをお買い上げいただけるとか! 流石はお目が高い!」
バロンは揉み手をしながら椅子に座った。だが、ミュークオは彼の手土産の茶にも手をつけず、単刀直入に切り出した。
「ハーブティーの話はついでですわ。私が欲しいのは、貴方の商会が抱えている『月光シルク』の全在庫、およびその生産地である養蚕村の独占契約権です」
バロンの顔から、営業スマイルが消えた。
「……お嬢様。冗談はやめていただきたい。あのシルクは、我が商会の命。いくら貴女が宰相閣下の婚約者とはいえ、安売りするわけにはいきませんぞ。価格は一反につき金貨五百枚……これが最低ラインですな」
「五百枚? バロン様。貴方の商会、最近、南方の海運ルートで三隻の商船を嵐で失いましたわね。その損失を埋めるために、月光シルクの価格を昨年の二倍に吊り上げている……違いますかしら?」
ミュークオが、一枚の帳簿の写しをテーブルに叩きつけた。カイルが裏で手を回して入手した、極秘の財務データだ。
「な……っ!? な、なぜそれを……!」
「データの漏洩は不注意の証ですわ。非効率な管理体制ですこと。……いいですか。貴方が提示した価格で売れるのは、年に数反。ですが、私が提案するのは『一括全量買取』と『ベルシュカ・ブランド』としての共同開発ですわ」
ミュークオは扇を広げ、バロンを追い詰めるように身を乗り出した。
「私が開発した安眠枕と、貴方のシルクを組み合わせる。そうすれば、ターゲットは一握りの大富豪から、世界中の『眠りに悩む中産階級』へと広がります。薄利多売? いいえ、圧倒的な物量による市場支配ですわ」
「し、市場支配……」
「貴方の商会は今すぐ現金が必要。私は究極の肌触りが欲しい。利害は一致していますわ。価格は一反につき金貨五十枚。その代わり、今後十年の流通は私が全て管理します。……サインなさいます? それとも、このまま商船の負債で倒産なさいます?」
バロンは滝のような汗を流し、ミュークオの背後に立つカイルを見た。カイルはただ、優雅に微笑みながら「彼女の計算は、一度も間違ったことがないよ」とだけ言った。
「……わ、分かりました。サインします。ミュークオ様、貴女は商人よりも恐ろしい……!」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ。……アンナ、バロン様を出口まで。あ、不良在庫のハーブティーは、殿下のマッサージ室の消臭剤として再利用しますから、地下へ運んでおいて」
商人が逃げるように去っていくと、ミュークオは深く椅子に寄りかかった。
「……ふぅ。これでようやく、私のパジャマを最高級の月光シルクに新調できますわ」
「ミュークオ。君は自分の寝巻きを作るために、隣国の巨大商会を一つ傘下に収めてしまったのかい?」
カイルが感心したように、彼女の肩を揉み始めた。
「あら、閣下。これは『投資』ですわ。完璧なパジャマは、睡眠の質を五%向上させます。その五%が、翌日の私の事務処理能力を二割増しにするのです。世界経済にとっては、安い買い物ではありませんこと?」
「……君の理屈には、神様でも勝てそうにないね。だが、その完璧なパジャマ姿を最初に見るのは、私であるという特権も契約に含まれているかな?」
カイルが彼女の耳元で囁くと、ミュークオは少しだけ顔を赤くし、彼の手を軽く叩いた。
「……閣下。その要望は『独占契約』になりますわよ。相応の対価を期待しておりますわ」
「ああ。一生かけて、君に最高の安眠をプレゼントし続けるよ」
ミュークオは満足げに目を閉じ、新しいシルクに包まれて眠る自分を想像した。
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