25 / 28
25
「破廉恥である! 言語道断! 王国の伝統ある礼節が、たかがパジャマ一枚によって泥に塗れるとは、先祖代々の英霊たちが泣いておりますぞ!」
カイルの屋敷の寝室。その重厚な扉を蹴破らんばかりの勢いで踏み込んできたのは、王宮礼法局の局長、プロトコル伯爵であった。
彼は、シルクのパジャマ姿でベッドの上に書類を広げているミュークオとカイルを見て、顔を煮え湯を飲まされたような赤黒さに染めている。
「……閣下。あの拡声器を飲み込んだような騒がしい方は、どなたかしら。私の安眠を妨害した罪状に『公務執行妨害』と『騒音公害』を追加してよろしいかしら」
ミュークオは、手元の羽根ペンを置くことすらなく、冷ややかな視線を伯爵に向けた。
「彼は礼法局のプロトコル伯爵だ。ミュークオ、君の『在床勤務(ベッド・オフィス)』が広まったせいで、貴族たちの間で『パジャマこそ正装』という風潮が広まり、彼が一生をかけて積み上げたマナーの体系が崩壊の危機に瀕しているらしい」
カイルが、困ったような、しかし面白がっているような顔で説明した。
「当たり前だ! 挨拶とは、まずは正しい角度の会釈から始まり、三十分の沈黙、そして一時間の前口上を経て本題に入るのが王国の美徳! それを、パジャマ姿で寝そべりながら『サインしました。次』だと!? 貴女には人の心というものがないのか!」
「……三十分の沈黙? 一時間の前口上?」
ミュークオは、信じられないものを見るような目で伯爵を見つめた。
「伯爵。貴方の言う『礼儀』とは、相手の貴重な時間を奪い、生産性をゼロにするための『時間泥棒の儀式』のことですの?」
「な……な、何ということを! 礼儀は心の余裕、そして敬意の表れである!」
「いいえ。真の礼儀とは、相手を待たせず、最短で目的を達成させ、相手の『睡眠時間』を最大化することですわ。……貴方が一時間半かけて行う挨拶を、私は一秒の頷きで終わらせます。その差、五千三百九十九秒。その間に、私は一つ新しい産業を興せますわよ」
ミュークオはベッドから降りることなく、スッと一枚の紙を取り出した。
「伯爵。貴方が今日、ここに来るまでに消費したエネルギー、および私の業務を止めた損失額を計算しました。……金貨五十枚分ですわ。貴方の『無駄な礼儀』のために、私はそれだけの対価を支払う義理はありませんわね」
「金……金で礼儀を語るなど! 貴女のような女が、次代の宰相夫人になるなど、断じて認めんぞ!」
「あら。認めなくて結構ですわ。その代わり、提案がありますの。……今から私と『礼儀対決』をしませんこと? 貴方の言う『伝統の礼法』と、私の言う『効率的マナー』。どちらがより人を動かし、結果を生むか。観衆の前で証明しましょう」
数日後。王宮の広間には、好奇心旺盛な貴族たちが集まっていた。
最前列では、レオポルドが「マナー……寝ながらできるのか?」と目を丸くし、リリィが「パジャマのパーティーですのぉ!?」と期待に胸を膨らませている。
「では、始めましょう。課題は『重要な賓客の出迎え』ですわ。伯爵、貴方からどうぞ」
プロトコル伯爵は、これ見よがしに胸を張り、入ってきた騎士に対し、三十分かけて優雅なカーテシーと難解な古語による挨拶を披露した。
騎士は、あまりの長さに出迎えられた頃には足が痺れ、顔色を失っていた。
「……お見事ですわ。相手を疲れさせ、やる気を削ぐという意味では満点ですわね」
次にミュークオが前に出た。彼女は、やはり最高級シルクのガウンを羽織ったままだ。
彼女は、騎士の前に立つと、一秒だけ微笑み、こう言った。
「お疲れ様です。貴方の報告書はすでに読み、決済を終えました。休暇届も受理しました。今すぐ家に帰って寝なさいな。……はい、終わりですわ」
「……は?」
騎士は一瞬、呆然とした。だが、次の瞬間、ミュークオから渡された「休暇承認証」と「特別賞与の目録」を見て、涙を流して叫んだ。
「ミュークオ様! 貴女こそ真の女神だ! 三十分の挨拶より、一秒の決済! 俺は貴女に一生ついていく!」
会場の貴族たちからも、爆発的な拍手が沸き起こった。
「聞いたか! 『寝なさいな』こそ、現代の最高の挨拶だ!」
「無駄な前口上なんて、もういらない! これからは『最短挨拶(ショート・プロトコル)』の時代だ!」
プロトコル伯爵は、その場に崩れ落ちた。
自分が守ってきた伝統が、ただの「睡眠不足の騎士」の歓喜によって、一瞬で上書きされたのだ。
「負けですわね、伯爵。礼儀とは、相手を喜ばせるためのもの。今の騎士にとって、何よりも嬉しい礼儀は『休ませてあげること』でした。……自分のエゴを押し付けるのがマナーだなんて、非効率な思い込みはおやめなさいな」
ミュークオは、満足げにカイルの手を取った。
「ミュークオ。君はまた、新しい常識を作ってしまったね。……これからは王宮の挨拶も、すべて一言で済むようになるかもしれない」
「あら、閣下。そうなれば、会議も十分で終わりますわ。余った時間で、また二人でお昼寝ができますわね」
「……それは、私にとっても最高に『礼儀正しい』時間の使い方だね」
カイルが彼女を抱き寄せ、広間を後にした。
悪役令嬢による効率的なマナー革命。それは、堅苦しい王国の社交界を「究極の時短」へと導き、そして多くの労働者たちに「睡眠」という名の幸福をもたらしたのである。
カイルの屋敷の寝室。その重厚な扉を蹴破らんばかりの勢いで踏み込んできたのは、王宮礼法局の局長、プロトコル伯爵であった。
彼は、シルクのパジャマ姿でベッドの上に書類を広げているミュークオとカイルを見て、顔を煮え湯を飲まされたような赤黒さに染めている。
「……閣下。あの拡声器を飲み込んだような騒がしい方は、どなたかしら。私の安眠を妨害した罪状に『公務執行妨害』と『騒音公害』を追加してよろしいかしら」
ミュークオは、手元の羽根ペンを置くことすらなく、冷ややかな視線を伯爵に向けた。
「彼は礼法局のプロトコル伯爵だ。ミュークオ、君の『在床勤務(ベッド・オフィス)』が広まったせいで、貴族たちの間で『パジャマこそ正装』という風潮が広まり、彼が一生をかけて積み上げたマナーの体系が崩壊の危機に瀕しているらしい」
カイルが、困ったような、しかし面白がっているような顔で説明した。
「当たり前だ! 挨拶とは、まずは正しい角度の会釈から始まり、三十分の沈黙、そして一時間の前口上を経て本題に入るのが王国の美徳! それを、パジャマ姿で寝そべりながら『サインしました。次』だと!? 貴女には人の心というものがないのか!」
「……三十分の沈黙? 一時間の前口上?」
ミュークオは、信じられないものを見るような目で伯爵を見つめた。
「伯爵。貴方の言う『礼儀』とは、相手の貴重な時間を奪い、生産性をゼロにするための『時間泥棒の儀式』のことですの?」
「な……な、何ということを! 礼儀は心の余裕、そして敬意の表れである!」
「いいえ。真の礼儀とは、相手を待たせず、最短で目的を達成させ、相手の『睡眠時間』を最大化することですわ。……貴方が一時間半かけて行う挨拶を、私は一秒の頷きで終わらせます。その差、五千三百九十九秒。その間に、私は一つ新しい産業を興せますわよ」
ミュークオはベッドから降りることなく、スッと一枚の紙を取り出した。
「伯爵。貴方が今日、ここに来るまでに消費したエネルギー、および私の業務を止めた損失額を計算しました。……金貨五十枚分ですわ。貴方の『無駄な礼儀』のために、私はそれだけの対価を支払う義理はありませんわね」
「金……金で礼儀を語るなど! 貴女のような女が、次代の宰相夫人になるなど、断じて認めんぞ!」
「あら。認めなくて結構ですわ。その代わり、提案がありますの。……今から私と『礼儀対決』をしませんこと? 貴方の言う『伝統の礼法』と、私の言う『効率的マナー』。どちらがより人を動かし、結果を生むか。観衆の前で証明しましょう」
数日後。王宮の広間には、好奇心旺盛な貴族たちが集まっていた。
最前列では、レオポルドが「マナー……寝ながらできるのか?」と目を丸くし、リリィが「パジャマのパーティーですのぉ!?」と期待に胸を膨らませている。
「では、始めましょう。課題は『重要な賓客の出迎え』ですわ。伯爵、貴方からどうぞ」
プロトコル伯爵は、これ見よがしに胸を張り、入ってきた騎士に対し、三十分かけて優雅なカーテシーと難解な古語による挨拶を披露した。
騎士は、あまりの長さに出迎えられた頃には足が痺れ、顔色を失っていた。
「……お見事ですわ。相手を疲れさせ、やる気を削ぐという意味では満点ですわね」
次にミュークオが前に出た。彼女は、やはり最高級シルクのガウンを羽織ったままだ。
彼女は、騎士の前に立つと、一秒だけ微笑み、こう言った。
「お疲れ様です。貴方の報告書はすでに読み、決済を終えました。休暇届も受理しました。今すぐ家に帰って寝なさいな。……はい、終わりですわ」
「……は?」
騎士は一瞬、呆然とした。だが、次の瞬間、ミュークオから渡された「休暇承認証」と「特別賞与の目録」を見て、涙を流して叫んだ。
「ミュークオ様! 貴女こそ真の女神だ! 三十分の挨拶より、一秒の決済! 俺は貴女に一生ついていく!」
会場の貴族たちからも、爆発的な拍手が沸き起こった。
「聞いたか! 『寝なさいな』こそ、現代の最高の挨拶だ!」
「無駄な前口上なんて、もういらない! これからは『最短挨拶(ショート・プロトコル)』の時代だ!」
プロトコル伯爵は、その場に崩れ落ちた。
自分が守ってきた伝統が、ただの「睡眠不足の騎士」の歓喜によって、一瞬で上書きされたのだ。
「負けですわね、伯爵。礼儀とは、相手を喜ばせるためのもの。今の騎士にとって、何よりも嬉しい礼儀は『休ませてあげること』でした。……自分のエゴを押し付けるのがマナーだなんて、非効率な思い込みはおやめなさいな」
ミュークオは、満足げにカイルの手を取った。
「ミュークオ。君はまた、新しい常識を作ってしまったね。……これからは王宮の挨拶も、すべて一言で済むようになるかもしれない」
「あら、閣下。そうなれば、会議も十分で終わりますわ。余った時間で、また二人でお昼寝ができますわね」
「……それは、私にとっても最高に『礼儀正しい』時間の使い方だね」
カイルが彼女を抱き寄せ、広間を後にした。
悪役令嬢による効率的なマナー革命。それは、堅苦しい王国の社交界を「究極の時短」へと導き、そして多くの労働者たちに「睡眠」という名の幸福をもたらしたのである。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜
まりー
恋愛
ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。
でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。
山猿の皇妃
夏菜しの
恋愛
ライヘンベルガー王国の第三王女レティーツィアは、成人する十六歳の誕生日と共に、隣国イスターツ帝国へ和平条約の品として贈られた。
祖国に聞こえてくるイスターツ帝国の噂は、〝山猿〟と言った悪いモノばかり。それでもレティーツィアは自らに課せられた役目だからと山を越えて隣国へ向かった。
嫁いできたレティーツィアを見た皇帝にして夫のヘクトールは、子供に興味は無いと一蹴する。これはライヘンベルガー王国とイスターツ帝国の成人とみなす年の違いの問題だから、レティーツィアにはどうすることも出来ない。
子供だと言われてヘクトールに相手にされないレティーツィアは、妻の責務を果たしていないと言われて次第に冷遇されていく。
一方、レティーツィアには祖国から、将来的に帝国を傀儡とする策が授けられていた。そのためには皇帝ヘクトールの子を産む必要があるのだが……
それが出来たらこんな待遇になってないわ! と彼女は憤慨する。
帝国で居場所をなくし、祖国にも帰ることも出来ない。
行き場を失ったレティーツィアの孤独な戦いが静かに始まる。
※恋愛成分は低め、内容はややダークです
夫に欠陥品と吐き捨てられた妃は、魔法使いの手を取るか?
里見
恋愛
リュシアーナは、公爵家の生まれで、容姿は清楚で美しく、所作も惚れ惚れするほどだと評判の妃だ。ただ、彼女が第一皇子に嫁いでから三年が経とうとしていたが、子どもはまだできなかった。
そんな時、夫は陰でこう言った。
「完璧な妻だと思ったのに、肝心なところが欠陥とは」
立ち聞きしてしまい、失望するリュシアーナ。そんな彼女の前に教え子だった魔法使いが現れた。そして、魔法使いは、手を差し出して、提案する。リュシアーナの願いを叶える手伝いをするとーー。
リュシアーナは、自身を子を産む道具のように扱う夫とその周囲を利用してのしあがることを決意し、その手をとる。様々な思惑が交錯する中、彼女と魔法使いは策謀を巡らして、次々と世論を操っていく。
男尊女卑の帝国の中で、リュシアーナは願いを叶えることができるのか、魔法使いは本当に味方なのか……。成り上がりを目論むリュシアーナの陰謀が幕を開ける。
***************************
本編完結済み。番外編を不定期更新中。
生徒会の期間限定雑用係 ~庶民の私が王子に囮役としてスカウトされたら、学園の事件に巻き込まれました~
piyo
恋愛
平凡な庶民の少女クィアシーナは、フォボロス学園への転校初日、いきなりこの国の第二王子にして生徒会長ダンテに目をつけられる。
彼が求めたのは、生徒会での“囮役”。
学園で起きているある事件のためだった。
褒美につられて引き受けたものの、
小さないやがらせから王位継承問題まで巻き込まれていき――。
鋭すぎるツッコミを武器に、美形の生徒会の仲間たちと奮闘する庶民女子。
これは、無自覚な恋を抱えながら学園の事件に首を突っ込んでいく少女の物語。
※全128話
前半ラブコメ、後半第二章以降シリアスの三部構成です。
※「私にキスしたのは誰ですか?」と同じ世界感ですが、単品で読めます。
※アルファポリス先行で他サイトにも掲載中
成功条件は、まさかの婚約破棄!?
たぬきち25番
恋愛
「アリエッタ、あなたとの婚約を破棄する……」
王太子のアルベルト殿下は、そう告げた。
王妃教育に懸命に取り組んでいたアリエッタだったが、
それを聞いた彼女は……?
※他サイト様にも公開始めました!
義妹がやらかして申し訳ありません!
荒瀬ヤヒロ
恋愛
公爵令息エリオットはある日、男爵家の義姉妹の会話を耳にする。
何かを企んでいるらしい義妹。義妹をたしなめる義姉。
何をやらかすつもりか知らないが、泳がせてみて楽しもうと考えるが、男爵家の義妹は誰も予想できなかった行動に出て―――
義妹の脅迫!義姉の土下座!そして冴え渡るタックル!
果たしてエリオットは王太子とその婚約者、そして義妹を諫めようとする男爵令嬢を守ることができるのか?