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四章 誾景涼王と片翼の鳳凰

赤夏の二鳥

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 双子、と雛と名乗る女性は言う。羽が疑いの目を向けていることに気づいた雛はいけないわ、と口元を袖で押さえた。
「双子が生きているわけない、そう思っていらっしゃるのは分かるわ。あたしだって、本来なら産湯に浸かる事すらできなかったかもしれないのは分かっていたの」
「どういう意味よ?」
 明英が首をかしげて聞いてくる。
「辰国では双子が生まれて来たときは、どちらかを水に流すことが慣例だったの」
「どうして?」
「そうしないと家に不幸が降りかかるって言われているの。でも、父さまはどの程度の不幸が起こるか分からない、実際に不幸になったものがいるのか、と疑問に思われたみたい」
「その辺りお前が継いだな」
「うるさいな、御曹司。幸い曹家はちょっとやそっとの事じゃ潰れないし、そうなったとしても伝手がいくらでもあるとおっしゃって姉上たちは生きている」
「本気でそう言いそうのが曹家なんだよなぁ……」
 羽は頭を抱えた。たしかに曹家ほどの名家であれば、たとえ借財が膨らんだとしてもそれを帳消しにするだけの力はある。家が火事になったとしても知り合いの貴族から見舞い金が見込める。
(だから策叔父上を義理の息子にできるんだな)
 幼い頃数度会ったぐらいだが、淳の父は書籍の山に潜っている小柄な男性だ。父曰く、知りたがりがそのまま大人になったような人で、ためこんだ知識を殿中で披露することはあまりない。披露する暇があれば一つでも多くの知識を蓄えたいと言っているらしい。
 あの破天荒な人間を義理の息子にしたのも、どこか通じるところがあったのかもしれない。
「淳、家の案内を任せます。御曹司、お嬢様、ご自分の館だと思ってゆっくりくつろいでくださいね。あたしと嶺の絵が気になるのであれば、淳に蔵を開けさせますので」
「げぇ」
「げぇとはなんです。あなたの数少ない友人なのでしょう。それに、お二人ともこの国を背負って立つにふさわしい人物だとあなたが―――」
「おっと姉上! そろそろ厨に向かわれた方がよいのでは―!? 羽、明英! またあとでなー!」
 雛の背中を無理やりに推して淳が出て行った。照れ隠しなのがばればれだ。
「不思議なきょうだいね」
「お前の兄上ほどではないだろ。双子なのはびっくりしたけど」
 ぽつんと残された二人は先ほどのやり取りをぼんやりと思いだしていた。姉はいないので、全く分からないけれど、雛という女性からは嶺の持つ怜悧な雰囲気は感じられない。
(雛鳥の姫って事か……あれ? どこかで)
「ねぇ、もしかして赤夏の二鳥って嶺さんとさっきの雛さんじゃないかしら」
「あぁ、確かに。そんな気がした」
 赤夏の二鳥。美人の双子の姉妹がいる、そういう噂話を大人達がしていたのを子どもの頃に聞いたことがある。
 曰く、姉は大変聡明で、あらゆる難解な書物を読みこなし儒学生とも議論を交わせるらしい、と。
 曰く、妹は天真爛漫で多くの人々に笑顔をあたえ、才色も豊かで日々多くの名品逸品を作っているらしい、と。
 その噂通りなら、連日のように貴族の子息が訪れ、彼女たちを一目見ようとしていただろう。子どもながら、噂には尾ひれがつくものだから、そんなことに躍起になるなんて、変だなぁと思っていた。明英の方は真に受けていたようだけれど。
 たしかに双子で、貴族の間で噂になるのだからそれなりの家の娘に違いない。それに、姉妹を見てまさに噂通りだと思った。
「でも、おかしいわよ」
 明英が誰もいないというのに、声をひそめて羽に囁く。羽も無言でうなずいた。もし赤夏の二鳥が嶺と雛を指すもので間違いないのなら。
「雛さんは亡くなっている。もう何年も前に」
 そう、雛はもう10年以上も昔に肺を病んで亡くなっている。噂通りであれば、だけれど。連日連夜やってくる野次馬たちに辟易した曹家が雛はいない、という嘘を流していたとしてもおかしくはない。
 けれど、それならばなぜ嶺がいなくなったのか、という事とこの別邸に雛がいることの整合性がとれない。双子の妹に会うだけだったら、策があそこまで取り乱すことなんてないし、別邸に向かってくれなんて言わないはずだ。
 ――― 嶺さんが、雛さんに成り代わっている?
 そうとしか考えられない。けれど、それをする理由が分からない。それに、本当に嶺が成り代わっているのなら、羽に対して初対面のように振る舞うのはおかしい。
「ねぇ、何考えているのよ」
 明英に言われ、はっと目を上げた。そうだ。自分は嶺を探しに来たのだ。奥方を見つけて、宥めて策の所に連れて帰らねば。策の家の事は教え子の子ども達とその親によくよく頼んでおいたので、帰ってきたら蚤だらけになっていることはないだろう。
「なぁ、明英」
「なによ」
「雛さん、どう見えた?」
「急にどうしたのよ。そうねぇ、二鳥って聞いただけで本当にそうなんだなぁ、って思ったわ。女人は基本髪を伸ばすけれど、雛さんは髪を適度に切りそろえていたし、衣だってやわらかな色彩がとても似合っていたわ」
「そうだな。嶺さんとは違うよな」
「それに、あの指輪ね」
「へ?」
 指輪なんてしていただろうか。
「気づかなかったの? 雛さんの指に、青い石のはめ込まれた品の良い指輪があったの。きっとあれはとても値打ちがあるものに違いないわ」
「あ、あぁ」
 そう言われ、羽は記憶をたどってみる。確か、嶺は赤い石の指輪だったはずだ。指輪は母の形見だと言っていた気がする。
(なら、二人は別人?)
 またまた思案し始めた羽に気づいた明英が背を叩いた。
「なにをしに来たのよ。また変なこと考えてないでしょうね。ただでさえ、前回無断で殿中曲を奏でようとしたって子牙お兄さまから聞いたもの」
「ぐうっ……。そういわれると、言い返せないな。あの場じゃ仕方ないじゃないか。あの場で大きく事を起こさなきゃ」
「そうやってまた自分を粗末にする」
「…………」
 ぐぅの音も出ません、と羽はため息をついた。羽が何か言おうと口を開いた時、淳が戻ってきた。
「また夫婦喧嘩かよ。犬も食わんぞ」
「うるさい!」
 二人の声がぴったりなところで、淳はやれやれと肩を落とす。

「で、ここは書籍の蔵だな。姉上たちの作品箱の奥だ」
 蔵はいくつもあり、さすが学者の家だと思った。何年も手入れされていない、かと思いきや時折親戚が止まりに来るとのことで、中は意外と片付けられていた。
「あ、この絵たしか神様よね」
「良く気づいたな。それは三神の絵だな」
 明英が蔵の中の巻物を片っ端から広げながら淳に見せた。明英が広げた絵には男神が二柱、女神が一柱描かれていた。男神の一人は下半身が蛇で女神に繋がっており、もう片方の男神の体からはいくつも植物が生えていた。女神の下半身も蛇であったが、手には土の塊をのせている。
「蛇の男神が伏犠で女神の夫だな。あらゆる工業品を作った神で、楽人の祖と言われている。俺の家の祠で祀られているのはこの伏犠だ」
 子どもの頃はこんなのが神様なのだろうか、それにその足じゃ太鼓を叩くときの踏ん張りがきかないだろ、と思った。それを言うと父に烈火のごとく怒られたので黙っていた。
「もう片方の植物が生えているのは?」
「それは神農でね、全ての植物に毒があるかないか調べた、医術の神だね」
「女神さま、というには少し怖いけれど、この女神さまなら分かるわ。女媧って言って、全ての生き物を作ったって聞いたことがあるわ」
 この三柱によって世界が作られた、というのは子どもでも知っていることだ。世界が作られたのを見届けた三柱は神々の国へと戻っていったと言われている。その国への入口が桃源郷とも呼ばれている。
「お、これ桃源郷の絵だな」
 羽が広げたのは、桃や梅が咲き誇る美しい場所を描いたものだった。畑には十分な水がいきわたり、鳥が歌い、そして人々は楽器を手にめいめいに遊んでいる絵だ。
「さすが羽だな。そういう所には目ざとい」
 楽器の絵ばかり広げていたのがそんなに悪い事だろうか。それに、神をはじめとする天人たちは楽器とともに描かれることが多い。
 神話の絵を閉じ、羽たちは動物の絵、人々の絵、殿中の行事を描いた記録画などを広げていった。
(絵もいいよな)
 羽は子どもの頃を思い返していた。家の蔵にもこういう絵巻はいくらでもあった。どうしても練習が行き詰った時、家人に匿ってもらった時には絵巻を眺めていた。賑やかな人々の絵、可愛らしい子犬やりすの絵、神々しささえ感じる雪渓の絵などを見ているうちに心の中のもやが晴れていくような気がした。
「なぁ、淳。嶺さん達の絵はあるんだよな?」
「はぁ? いままでお前達が見てた絵は全部姉上たちの絵だけれど?」
「ええっ!?? これ全部! 嶺さんも雛さんもすごいのね!」
 明英が目を丸くして答えた。羽も驚きのあまり言葉を失った。羽は絵師ではないので憶測でしかないけれど、絵を一つ描くのに途方もない時間がかかるのは分かっている。なのに、目の前にある絵は五十や百じゃ足りないほどだ。
(嶺さんの絵、それとも雛さんの絵?)
 羽は広げられていく絵を眺めていく。二人で描いた、と言ってもその筆致はとてもよく似ている。そして、羽は気が付いた。
 そうだ。彼女たちは決して名前を書かない。書くのは一つの名前。

 ――― 伯燕画、と。
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